人形はいりませんか?

私は、二十一歳の女性で、いちおう大学生です。
容姿について、顔は人並みだと思います。
私に好意を持ってくれる男子からは、かわいかったりきれいだったり見えるようですが、逆に、敵意を持っている男子から、ブスと言われたこともあります。
ただときどき、中高大で一人ずつくらい、私の顔がすごくきれいで大好きだと熱心になるファン的な女の子がいましたので、私の顔立ちが特に好みに合う方もいらっしゃるかもしれません。
その女の子たちを除けば、顔を褒められた覚えはあまりありませんが、スタイルを褒められることはそこそこありました。
身長は159cmですが、もっと高く見られます。
骨格的に、やや恵まれているせいだと思います。
胸元が薄くなく、腰の位置はちょい高めで、゛薄っぺらくて姿勢の悪い日本人の女の子゛という形容は当てはまりません。
姿勢の良さは子どもの頃から褒められ、膝が覗く程度のスカートとヒールの靴を履いて出かけると、外国人からナンパされることも珍しくありませんでした。
それ以上に短いスカートですと、すれ違った人に露骨に振り向かれたりじろじろ見られたりするので、着用しなくなりました。
靴のヒールを苦痛と感じず、むしろ腰が決まって気持ちが好いと感じるのも、骨格の問題だと思います。
「触らせて」とよく女の子が寄ってくるくらいには、バストのボリュームもありました。
学校やバイト先で、ナイスバディ的なキャラ設定をされていました。
しかし、凹凸については以前のお話です。
今の私はすっかり痩せすぎていて、それが、こんなところで、こんなものをupしている理由です。

お医者にかかってはいませんが、私は摂食障害であり、拒食症だと思います。
きっかけはあるものの、きっかけは原因ではないことはよく分かります。
今、きっかけはどうでもよい出来事としか、思い出せません。
まあ、食欲が失せ、少しやつれ、食事を取らずに朦朧としている自分に酔いしれていたとか、最初はそんな感じだったと思います。
そこから、きっかけはやはりどうでもよいというか思い出せないのですが、獣肉、魚、卵、乳製品を絶ち、菜食になったことは大きな転機でした。
菜食になり十日ほど経った頃でしょうか、体重計の数字が一気に減りました。
肩と、その回りの背と二の腕が痩せてげっそりとし、皮膚と肉の下に隠されていた肩の骨の形を、初めて認めました。
最も著しく変化が目立ったのは太ももで、ほんとうにごっそりと、削ぎ落としたかのように細くなりました。
お肉だと思っていたものが、実は筋肉であり、活力であり、それが意外に太ももに大きく宿っていたと直覚しました。
たんぱく質を絶った結果として表れたのでしょう。
体型以外にも大きな変化がありました。
特に獣肉や魚について、血の気と臭みを強く感じ、穢れたものと感じるようになりました。
穢れを私に取り入れたくないと、思うようになりました。
穢れを口にしている私以外の人たちが汚いと思え、そう思えば思うほど、それを口にしない私の体がきれいな、清浄なもののように感じました。

みんなはきたない。
私はきれい。
もっと、もっと、きれいになりたい。

その強い思い込みが、拒食を招きました。
突き詰めていえば、生きていることは汚いのです。
生きていながらきれいになりたいのなら、死なない程度に生命活動やら生命力やらを゛落とす゛しかありません。

そうして私は、ずいぶん、思い通りに、して、なって、しまったようです。

いつの頃からか、自分でも信じられないくらい少量の食物しか口にしていません。
しかしそれでも゛もっている゛のは、いわゆる脳内麻薬の過剰分泌のおかげが大きいでしょう。
そんな馬鹿なと思われるでしょうが、今、私の肌は、異様に薄く透き通り艶を帯びていて、目はまた、異様に輝いているか濡れています。
一日の大半は眠っていますが、おそらくはその間も、目覚めているときも、うっとりとした恍惚の中を漂っています。
世間では、理性で食欲を支配し、拒食症になれると誤解されてもいるようですが、まさか、そんなこと、出来るはずはありませんよ。
食べなければ、きれいになるし、気持ちよくなれる、そうと繰り返し、身体が学習し、拒食行動に引き摺られるからこそ。
女一人が堕ちるのです。

頭のてっぺんからつま先まで、私は脳内麻薬のカクテルにとっぷりと浸かり、ゆらゆらと気持ちよくたゆたっています、恋に深く堕ちたように。
時折、脳が爛々と覚醒し、情報がわっと駆け巡るかと思えば、時が止まってしまうこともあります。
どうにせよ、もう、まともには働いていないであろう、私の、脳なのか、心なのか、五感なのか、体なのか、もう、なんでもよいのですが。
確信しています。
長くはもたないと。
恍惚は死ぬまで続き、死後の恍惚があるのなら、それはより一層深いかもしれません。
でも、肉体のきれいはもうすぐ崩れ落ちます。
分かります。
間違いありません。
もう、まもなく、薬も効かなくなるでしょう。

食べて健康を取り戻せばよいと、思われるかもしれませんが。
理性と努力で食べられるくらいなら、そもそも堕ちたりしないのは、先ほど説明申し上げた通りです。
それに、今さら食べたところで、どうにかなると思われますか?
月の生理も止まってどのくらいになるのか、覚えがありません。

それに、望んでいません。
戻りたい人生はありません。

日に日に痩せてゆく体を、両手で抱きしめるようにして湯船に入っていたある日、私は、少年になった、と感じました。
胸にはまだ、湯からの浮力を感じるだけの脂肪が柔らかく残っていましたが、それでも、そう思いました。
それじゃあと、少年のような少女を楽しむことにしました。
物心がついてから、肩にかかるより短かったことのない髪を、美容院でばっさりと切り、少年のような少女にありがちな、ショートボブにしました。
似合わない、太ってみえる、なにか生々しくなると、敬遠していたパンツスタイルが似合うようになり、スカートをほとんど履かなくなりました。
できなかった、似合わなかったおしゃれをするのは楽しく、うれしいものでした。

しかしそれからも、私はどんどん痩せてゆき、やはりある日の温かいはずの湯の中で、骨ばった裸で腰をつき、膝と悪寒を抱えていました。
体が浴槽に触れるところは全て、骨が当たりました。
肋骨は背中の方までごつごつと浮き出て、乳房と呼べるほどの脂肪はもうないと思われるのに、それでも胸を触るとやわやわとしていることに、女には違いないのだと、不思議な感動を覚えはしましたが。
今度は、人形になった、と思いました。

食物とは、言い換えれば生物であり、生命です。
動物であれ植物であれ、自分以外の生命を咀嚼し、呑み込むことで、私たちは生きていて、生命でないものは喰らうことが出来ず、喰わなければ死ぬ。 
生命を喰うから、生物である、そのサイクルから逸脱し、一線を越えてしまった。
そう、感じました。

私を、私の形に作っている要素は、もう既に食物ではなく、何か、思いのようなモノだ。
あるいは、みんな、生きているものはみんな、思いでその形が作られ、そのように存在しているが、肉に覆われそうと分からない。
でも私は、その思いが露出するほどに、肉を失ってしまった。
世界が、そんなふうに見えました。

ああ、世界だなんて、大そうな話に、ずれてしまいましたね。
いえ、ずれてはいないのか、でも、私の願いは、そう大そうなものではなく、そして、あなたを必要としています。
どうかもう少し、私の話にお付き合いして下さい。
これから先は、寄り道のおしゃべりはしないよう気を付けます。
勝手で申し訳ありませんが、私も疲れてきましたし。

私はもう、死ぬのは構わないと思っています。
なんなら、生きていても構いません。
ただ、きれいじゃない体で死ぬことも、きれいじゃない体で生きることも、嫌なのです。

今の私の体がきれいかどうかは意見が分かれるところでしょうけれど、私は、きれいだと思います。
少年のような少女だった体も、それ以前の体も、そのときは気に入っていましたが、今の体も気に入っています。
最も稀少価値があるのも、今の体でしょう。

物体の摂理に従い醜く、みすぼらしく崩れる寸前の、ほんの束の間、物から離れて存在することが許された、霞のような、光のような、匂いのような今の体を、ピン留めしたい。
それが私の切なる願いです。

そして私は実験をしました。

それが書かれているはずの本も見つからず、はっきりとは思い出せませんでしたが、戦前より活躍した整体師の奥様が書いた随筆の中に、たしか、次のようなエピソードがあったのです。

人と、人形の、左手の小指同士を白い絹糸で結び、人の小指を切り、その血をつたらせて糸を赤く染め上げる。
すると、人の血が人形に乗り移り、人形に針を刺すと、人形から血が流れた。
整体師は、以後、そういった生命を冒瀆するような実験を一切止めた。

そういうお話でした。

私は、父の友人からプレゼントされた、知識がないのでおそらくですが、球体関節人形と思われる、女の子のお人形を一体持っています。
先日、私と人形の、左手の小指同士を白い絹糸で結び、私の小指に縫い針を刺し、血をつたらせて糸を赤く染め上げ、私の血を人形に移しました。
そして、人形の手首に出刃包丁を当て、両手でぎゅっと押すと、私は手首に痛みを感じ、声なき悲鳴を上げました。
人形から血が溢れ、包丁も血に染まっていました。
自分の手首に痛みを感じながら、人形の手首を布で止血しました。
すこし落ち着いてから、もう一度、人形と私の左手の小指を白い絹糸で結び、今度は、人形の小指に針を刺しました。
人形から滲んだ血は、ゆっくりと、糸を伝って私の方へと返ってきました。

幻覚だと思われますか?
そうなのです、実は、私も、自信がないのです。

自分の頭がまともには働いていない自信はあります。
幻覚ではなく、夢だったかもしれません。

人形の左手首と小指には赤い跡がありますが、私自身が辻褄を合わせるために細工をし、その記憶を封じてしまったのかもしれません。
人形以外の血の跡を、すぐに捨てたり洗ったりした覚えはありますが、つまり、ものが残っていません。
もう一度、実験をして確かめる勇気もありません。

でも、もし、あの実験が成功していたならば、針の先ほどの傷をつけるだけで、私の体から血を抜き、人形になることが可能だと、思われませんか?

私と一緒に実験をし、もし、成功したのなら、人形になった私の主になっていただけないでしょうか。
それが私のお願いです。
イカれていると、私も思いますが、冗談で言ってはいません。

主のあなたを思い浮かべたとき、伝えるべきと思われたのでそうしますが、いちおう処女です。
男性経験がないとは言い切れませんが、挿入の経験はありません。

DMお待ちしています。
どうぞよろしくお願いいたします。

(男を知れば生きる気になるだろうから、教えてあげるとか、そういうのは、どうかご遠慮下さい。)



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《追記》
以下、続きました。
続!→続続!!と衝撃展開と褒められました。
ご覧ただけるとたいへんうれしいです。


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《参考文献》
野口昭子著『回想の野口晴哉 朴歯の下駄』筑摩書房、2006年

本文中のエピソード作りの参考にしました。まんまじゃありません。