続・人形はいりませんか?

先日、noteにアカウントを開設し、人形はいりませんか? という文章をupした。はてなやアメブロと比べれば、noteの方が適当と思われた。出会い系サイトやマッチングアプリにはもっと適切な場所があるのかもしれないが、全く不案内であり、トラブルに巻き込まれるのが怖かった。
noteについては、以前、お付き合いしていた彼から勧められたのがきっかけで、半年ほどアカウントを持っていた。その彼と交換日記でもするつもりで始めたnoteだったが、当たり前に他人が訪れるその庭で起こる出来事は、私には想定外で、身を処することは無理だった。他人に公開しながら性的関係もある恋人へのメッセージを綴るのは何かのプレイといえようが、ついていけずにnoteをやめていた。
しかし、noteの勝手をそのとき学習できた。
今回、新たにnoteに仮家を置いたのは、はっきりと出会い目的である。noteには、基本、DM機能がないので、DMを受け取るためだけにtwitterも開設し、noteと連携させた。
サムネイルには、私のパートナーとなる球体関節人形の写真を使った。きれいなこの子の顔と、私の指先だけをちらと映り込ませた。マニキュアは塗らず、素爪にオイルを擦りこんで血色を入れ桃色に染めた。
わずかな、イカれたエサを撒き、相手を待った。
望むような反応がなければ、また次の手を考えるつもりでいた。

最初の一週間で、三十通を超えるメールが届いた。自己啓発へのお誘いが半分以上を占めていたとはいえ、世も末だ、と返事を求めた私が言ってしまうのは自虐だろうし、ほんとうは、一通も来ないよりは冷やかしのメールでも欲しいと、弱気になり、震えていたのでホッとした。
人間味のないビジネス自己啓発系の方々には、私も何も感じるところがない。自己啓発を信じて拝し、勧めてくれる人の親切は本気だ。冷やかすほど興味を持ってくれて、ありがとう。100円くれて、ありがとう。誹謗中傷は嫉妬した人が寄こすもので、私からは何も奪わず、むしろ優越感すら与えてくれる。あとは、生温い善意、好意、心配、戒めと、それらとほとんど同じ面構えの蹂躙、レイプ。すべて、想定外ではなかった。過去にnoteや他のSNSや、「現実」においても、覚えがあるものだった。
届いたメッセージたちは以前のようには私を傷付けず、むしろそのほとんどに幾ばくかの愛おしさを持てた。馴れと、私の持ち時間の残り少なさのせいかもしれないが、それ以上にもっと、その一人のメールのお陰だったと思う。思いもよらない界隈のご主人様からだった。
たぶん、本物の変態紳士だ。

あなたのnoteを読みました。
僕はサディストだが、きっとあなたのお役に立てると思う。
今のあなたの望みとは、少し違うと感じるかもしれないが、あなたと僕がどうしていくかは、よく話し合って決めたい。
一度お会いしましょう。
針や刃物を扱うのはあなたが思っている以上に危険で、消えない傷を残したり、感染症にかかる可能性もあること、それらを避ける方法もあることは、あなたに伝えたい。
あなたは僕を選ばないかもしれないが、別の誰かを選ぶときのためにも、あなたは僕に会い、話を聞いておいた方がいい。

単刀直入と額面通りは、私が本来好む言葉使いである。この人は同類だと匂いで判断し、好感と信頼を持った。そして何より、誰よりも、私を人間扱いしてくれていると感じた。人形になりたいと望んだはずなのに、人間扱いされたと悦び心を掴まれた自分に気が付き、可笑しくなった。

何度かメールでやり取りをし、最初のデートは美術館で、という運びになった。一緒に食事ができるかどうかを訊かれ、食べる自信がないと答えると、それではと展覧会に誘われた。私は名を知らない、ある夭折した彫刻家の個展であった。墓石にも使われる黒御影石や赤御影石、大理石を手仕事で削り、磨き上げた抽象的な彫刻作品だが、その曲線も肌も女の体のような色気を帯びて美しく、あなたも気に入るだろうと、その人は言った。私もそう思った。
できる限り人が少なく静かな方がよいでしょうと、平日の午後に会うことになった。私は怠学傾向の大学生で、いつでもよかった。その人の仕事は訊かなかった。年長者とは窺えたが、年齢も訊かなかった。正しく知っても意味がないと思われたので、それでよかった。
お名前は「菅(すが)さん」だと告げられた。偽名とは思わなかった。私のような小娘に対して、そうする理由もないだろう。私も当たり前に、素直に、自分の名前を伝えた。

当日、シャワーを使いメイクをし、着替えを済ませて部屋の姿見の前に立った私は、やっぱり痩せすぎていると思った。洋服が似合わない。まあ、それどころではなく、一目でビョーキを勘ぐられる痩せ方だ。工夫は心がけてみたが。
agnes b.の黒のトリアセテート素材のジャンバースカートは、胴の細さを拾わず、手持ちの服の中で一番痛々しく見えない。長さは、座っても膝が見える心配のないミモレ丈で、ロングブーツを履き、足は一切出さないつもりだった。
白のコットンブラウスもagnes b.だった。生地は、まるで天日と風に晒されて薄くなったように透けていて、若干のシワ感がある。子どもの頃に大切にしていた、紙せっけんを思い出させた。袖口に寄せられた控えめなフリルと、もっと控えめなレースは、折れそうな手首を包み、骨と静脈の浮き出た手の甲も半分くらい覆ってくれる。首元と胸元にもやはり控えめだかフリルとレースがあしらわれ、こんなに痩せさえしなければ、私が着ることはなかっただろうデザインだ。
インナーにはOscalitoのキャミソールを合わせた。色はアイボリーで、胸元のリバーレースが美しい。ジャンバースカートを着るとほとんど隠れてしまうが、ブラウスの上から透けて見えるレースもまた、美しいと思う。素材はシルクウールで、十月に入ったとはいえ残暑を思わせるこのところの気候では、普通は暑すぎて汗をかいてしまうだろう。しかし私は、痩せすぎのせいと分かっているが、寒かった。ほんとうは、より暖かいようにタンクトップにしたかったが、脱いだときの見映えを優先してキャミソールにした。
お互いを気に入り、関係を持つことになれば当然、「菅さん」は私の身体を確かめるだろう。それがあるかもいつかも分からないが、今日そうなってもよいようにと心を決めた上で支度をしていた。
下着は、白のチュール生地と、苺の赤い果実と白い花が刺繍されたレースでできた、Naoryのセットアップにした。カップは余っているが問題ない。イタリア産ランジェリーのサイズ展開はかなり大雑把で、上はカップ円周が肋骨に当たらずかつずり上がるほどアンダーが緩くなく、下は腰骨に引っ掛かっているという条件を満たせば、後は飾ってみせるだけと、もともとがそういう代物が多い。
衣裳を解いた身体それ自体のことは、「菅さん」も承知だ、大丈夫と自分に言い聞かせる。今の体重は何キログラムくらいかと訊かれ、四十キロを切ったところだと、そのままを伝えてあった。

手爪の呼吸が妨げられるようでマニキュアは好まず、また削っての磨きも入れず、オイルで手入れし桃色にしておくのが気に入っている。しかし足は親指の爪の色がグレーがかって汚らしいのが手入れでも直らないので、ペディキュアは塗り、色は常に赤を選んでいた。
agnes b.のジャンバースカートと揃いのジャケット、バッグ、ブーツも黒で、今日身につける色は、黒、白、赤の三つだけになる。痩せすぎてしまってから、目に入る、また肌に触れるものの情報量が多すぎると消化しきれないと疲れを感じるので、色数や柄の多い衣服を着れなくなっていた。同じことが部屋の環境にもいえ、かなりのものを処分して装飾は一切排除し、自室はすっかり殺風景になっていた。それも病的というのだろう。
メイクではキメや毛穴はきっちりとカバーするが、艶は殺さないようにファウンデーションを塗る。試行錯誤を重ねていて、我ながらなかなか高度な技術だ。後は血色を足す程度で色までは加えない。女同士でもノーメイクと思われる仕上りだった。しかし、化粧品売場の美容部員さんには「すっごいきれいにファウンデーション塗ってますね」と感心されながらも戸惑いぎみに、あるいは静かにコメントされるのは、痩せる以前からだったが、病的なものを見る視線が含まれていると感じることもあった。

病的どころではなく、私はビョーキだ、それでいい。脱け出せるとも、脱け出そうとも思っていない。そうして私は「菅さん」に逢いに行く。


続きます。


・・・・・・


続きました。以下、読んでいただけますと、とってもうれしいです。

『続続・人形はいりませんか?』