【掌編】真珠/黒玉

真珠 
 山田詠美がファッション誌で「いい女」を指南する書き物をしていた頃、私は怠惰な大学生だった。中退してからも相変わらずふらふらしていたが、父が勤め先を持ってきたので大人しく従った。社会人になったお祝いに、ちゃんとした本真珠の三点セットをプレゼントしてあげると母が言った。そちらは全力で断った。貴い御方じゃあるまいし。似合いもしなければ必要もない本物を首からぶら下げるのは、唾棄すべきセンスと信じていた。ちゃんとした場へは着物で出かけ、指輪もしなかった。
 真珠は嫌いではなく、むしろ好きだった。白よりグレーやイエロー、真円よりバロックのそれらによく惹かれた。
 まさか妻や母になった私は、コスプレのために本物ではない真珠を買い求めた。真っ白ではなく、歪んでいたり、重いガラス製だったり、軽いコットン製だったり、ごく小粒や、やたらと長く連なるもので身を飾るのは楽しかった。
 ミリアムハスケルのパールネックレスも手に入れた。
 かつて、富と権力の象徴として見せるために、本物の宝石や貴金属で作った、本物のジュエリーしかない時代があった。1920年代のパリファッション界で、模造の真珠や宝石や金メッキを多用した、衣装(コスチューム)の一部としてのジュエリーを打ち出したのはシャネルだった。本物の代替品を超えた新しさと美しさを備えたそれはコスチュームジュエリーと呼ばれ、ヨーロッパよりもまずは新興国アメリカで人気を集めた。そして多くのコスチュームジュエリーのメーカーがアメリカで生まれたが、ミリアムハスケルはその代表であり女王といわれる。
 私のものは、残念ながらミリアムハスケルが存命当時のヴィンテージではない。現在のミリアムハスケル社によりリバイバルされた、いわゆる現行品であり価格も価値も落ちるが、本真珠は拒否しながらミリアムハスケルは欲しがるなんて、我ながら面倒くさい女だと思う。


黒玉 
 
弔事はノーアクセサリーで通していたが、数年前、ジェットのブローチやネックレスを欲しいと思った。
 看護師だった母の元同僚であり友人であった女性が亡くなり、キリスト教の葬儀式への案内が母に届いた。二十年以上音信不通であったのにと、驚いたそうだ。小学生の頃、よく家へ遊びに来ていた女性だった。私一人で彼女のマンションにお邪魔して一緒にクッキーを作ったり、二人で外食したほどに私も親しかった。ご主人とは死別し、お子さんはいないと母も私も聞いていたが、実は娘さんがいて、喪主でいらっしゃった。母の腰の調子が優れない時期で、代理として私が出かけた。
 当日、幼稚園を目印にその敷地内にある小さな教会を訪れた。三十人ばかりの人々で場はほどよく埋まっていた。黒いベールを被った娘さんの姿を、不謹慎だが美しいと思った。私と同じ年頃に見えた。他にご身内はいないようだった。
 葬儀式は、私にはよく理解できないまま進行したが、不思議と取り残された気持ちにはならなかった。
 母校の教会で結婚式を挙げた母の友人は、ご主人と死別し、以来ずっと信仰から離れていたが、病気をきっかけに信仰の生活に戻られた。最期の二年間はほとんど入院されていたが、穏やかに過ごされた。
 と、司祭様からお話があった。
 聖句を唱えた。賛美歌を歌った。聖体が分けられた。聖水がはじけ散る。白い花を供えた。男性たちに声がかけられ、棺が抱えられ運ばれた。あれこれ何やらセクシャルでもあった。
 死は決して悲しいことではなく、天に召されたのだ、という思想が感じられた。参列する女性たちを飾る凝った細工のジェットのブローチや、二連のジェットのネックレスを、お祝いの席のものかと見紛った。


(了)