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多文化共生社会 1

異なる言葉と文化を持つ人々が暮らす社会について考える。


日本では日本語が話せて理解できればとりあえず暮らしていける。
子どものときから家庭では日本語しか聞いていない。当たり前過ぎて、以前は考えたこともなかった。
日本語でいつも考えている。
日本語的な思考回路や偏向も潜むだろう。
そして学校で教えられた一定の歴史解釈や考え方も含んでいる。あまりにも狭い。
それは多角的な視点でない場合もある。


私の住む地方都市の、中心から離れた住宅地も空き家が目立ってきた。
高齢者が亡くなり、若い世代が独立すると
住む人がいなくなる。

そのうちの一軒の空き家が数ヶ月前から外国人労働者の寮になった。
もちろん前住者が退去してからこの家の人は町内会に入っていない。
空き家を借りたのか、家そのものが売られたのか。
長年ここに住んできた高齢の近隣住人には青天の霹靂。しばらく様子を見守りたいと話していた。

声高に外国語で話す若い労働者たち6〜7人。
労働者というと差別的に聞こえ失礼かと思う。
つまり、日本で働く若い外国人たち。
私には聞き取れない言葉だがベトナムの人らしい。

とりあえずの問題は、週2回のゴミ出し。
彼らのゴミだけ、毎回カラスに荒らされて道に散らばる。カラスたちは覚えてしまった。そのあたりで生ゴミは食べ散らかされて、紙屑が散らばりまるでアジアの国の道路みたいになる。その家の住人は朝から仕事に出かけ夜にならないと戻らない。

数日前、散らかったゴミをみたら、「爪がついて3つに割れた黄色い鶏の足部分」と動物の内臓などが。夕方になったらトビやカラスがあらかたどこかへ持っていって残飯部分は鶏の足を残して消えていた。
なるほど食習慣も異なるのでそういう食材を食べているのかなと思うが、令和の日本人には、鶏の足の部分だけ家の前に落ちていたら、悪い冗談か嫌がらせか?とギョッとする。

私は、住人たちも努力しているのだろうとうすうす感じている。一応ゴミには約束通り網を被せているし、曜日も守られている。
また日本語よりは声高に聞こえる外国語も、彼らなりに静かにしてくれているのかと思う。夜も騒がないようだ。

多文化共生について、さまざまなback groundを持つ人々が仲良くするため、地域のコミュニティはこれからどうしていけばいい⁇
これは日本中で起きている問題かも知れないと思う。
ゴミ出しの問題はそのひとつ、微妙で、日本人同士でもたいへん難しい。

とにかくこの近所では、いま始まったばかりである。

(続く)

今日もすてきな時間をお過ごしください。
地球と宇宙にありがとうございます。

さまざまな文化を持つ人々が、寛容を保って
仲良くなれますように。
戦争がなくなる日が早くきますように。

震災で被災された皆さまが、
1日も早く元の生活に戻れますように。

Have a nice time.
Take it easy❤️



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