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大人になりたいんです

字が下手だ。小さい頃からずっと。

高校を卒業した辺りから字を書く機会は一気に減ったのだが、それでも書類への署名や伝言の付箋、メモ書き等々、字を書かなくてはならないシチュエーションは社会人になった今でもそれなりにある。自分の字を見るたびに思うのだ。「下手だなぁ…」と。
周りの人に「字が下手だ」と指摘されたことはもう何年も無いのだが、僕自身が僕の書く字にずっと納得していないのである。

「字が下手だ」という自覚はあるのに、いまだに下手な字を書き続けているのは何故なのか。

中学1年生のころ、授業で提出したレポートに▲が付いて返ってきた。そこには「内容は良いけど字が象形文字すぎるので減点」とコメントが添えられていたのだ。
僕は「象形文字なわけないだろボケ」と憤っていたが、それと同時に無性に悔しくなって、字が上手くなる方法をインターネットで検索した。
美文字になるための練習方法やボールペン字講座などが多くヒットする中に、「頭の回転が速い人は思考のスピードに手が追いつかないから字が汚い」という情報が埋もれていた。
それを見た中1の僕は「字が汚いのは頭の回転が速いからなのか!じゃあ仕方ないな!」と、その情報を鵜呑みにして自らを正当化したのだ。
実際に頭の回転が速いかどうかはさておき、全く頭を使わずに黒板の字を書き写しただけのノートがめちゃくちゃ汚いのだから、頭の回転は無関係なのでは。少し考えれば当たり前に分かることだが、僕は気付いていなかった。いや、気付かないフリをしていたのかもしれない。
自尊心を守るため自らを正当化するのに必死で、字が上手くなったかもしれない貴重なチャンスを逸脱してしまったのだ。

それに加え、僕は「大人になったら自然と字が上手くなる」と本気で思っていた。しかもつい最近まで。
両親を始め、僕の周りにいた大人はみんな字が上手かった。というか、字が下手な大人を見たことがなかった。
だから僕も例に漏れず、大人になったら自然と字が上手くなると思っていた。
しかしそれはどうやら迷信だったらしい。
僕はこの4月から社会人になった。世間的にはもう立派な大人だ。入社するにあたって必要な書類が数枚あり、全て記入して誤字・脱字がないか確認しているとき、僕は思った。
「字、下手なまんまだな。」
担当の方は何も言わずに受け取ってくれたが、内心「うわコイツ字めっちゃ下手じゃん」と思ったはずだ。
きっと僕の周りにいた大人たちは、大人になるまでに努力をして上手い字が書けるようになったのだ。なのに僕は「自然と上手くなる」なんて思い込んで、なんの努力もせずここまで来てしまった。実に幼稚で甘い考えだった。
最近、コーヒーをブラックで飲めるようになった。日本酒や焼酎を好んで飲むようになった。買い物にクレジットカードを使うようになった。ついこの間は初任給を受け取った。その内の幾らかを実家に入れた。Panasonicの電気シェーバーを買って、残りは貯金した。
だけど僕はまだ大人になれていない。字が下手なままのガキなのだ。

そもそも僕にとって「字が上手い人」とはどんな人なのか。

僕が小学校低学年のころ、周囲で流行り始めていたハイパーヨーヨーが欲しくて「買って!」と母に頼んだことがある。すると母は「宿題の漢字書き取りで30回続けて花丸をもらえたら買ってあげる」という条件を僕に提示した。
漢字書き取りは毎日出される宿題で、丸→二重丸→花丸の順に評価が高くなっていくのだが、当時の担任の判定はそこそこ厳しく、最高評価の花丸をもらうにはかなり丁寧な字を書く必要があった。実際、母にその条件を提示された時点で花丸をもらったことは一度もなかった。
僕はどうしてもハイパーヨーヨーが欲しかったので、毎日真剣に漢字書き取りに取り組んだ。お手本に近づけた丁寧な字を漢字練習帳に書き続けて、30回連続花丸を達成し、念願のハイパーヨーヨーを手に入れたのだ。
ちなみにハイパーヨーヨーを手に入れた次の日から、僕の漢字書き取りの評価はただの丸ばかりになった。欲しいものを手に入れた瞬間に、花丸をもらえる字を書くことへの執着心が無くなったからだ。僕は漢字書き取りをテキトーに済ませ、浮いた時間でハイパーヨーヨーの技を習得するのに夢中になっていた。
母は僕に字が上手くなってほしくてその条件を提示したのだろう。だけど全く実にならなかった。今振り返ってみると申し訳ない気持ちになってくる。
そもそもハイパーヨーヨーを手にするまでの30日間ですら、僕は「上手い字」を書いていたわけではなかったと思う。お手本というものをただ模写していただけだった。字を書いているというよりは、無心でお手本をコピーするマシンになったような感覚だった。

僕にとって「字が上手い」というのは「お手本のような字が書ける」ということとは違うのだ。
僕が上手いと感じる人の字には、多少なりともクセがある。だけどそのクセがとてもスタイリッシュなのだ。「達筆」というレベルまではいかなくとも、ニュアンスはそれに近い。
字のクセというのは出しすぎると一気に汚い字に見えてしまうのだが、字が上手い人はそのクセをしっかり飼い慣らす。原型をしっかり留めながら、同時に自分らしさも醸し出す。しかもそのクセの度合いが常に一定なのだ。
まるで自分だけのオリジナルフォントを持っていて、それを出力しているように感じさせる。僕にとっての「字が上手い」って、そういうことなのだ。

ではここで僕の書く字を見てみよう。


この記事を書くにあたってのメモ書きだ。
メモ書きなので他人に見せる前提で書いたものではないが、だとしても汚い。汚すぎて書いた本人ですらスムーズに解読できなかった。
全然スタイリッシュじゃないし、クセが暴れ回っている。
しかも文字の位置が上下に動きすぎて、引きで見たときに文字列がウネウネしててキモい。なんのために罫線が引かれているメモ帳を選んだのだろうか。
もしこんなフォントを出力するPCがあったら、真っ先に故障を疑ってカスタマーセンターに電話してしまう。

僕の周りの大人は揃って字が上手かったのだが、その中でも特に字が上手いのが父親だ。

親の署名が必要な書類は全て父に書いてもらっている。その字がいちいち上手いのだ。自分の下手な署名と並べばその差は歴然だった。

普段の日常生活にも、父の字を目にする機会は転がっている。
僕の家の台所には小さいホワイトボードがある。家の中の食品や調味料、日用品などが切れそうになると、それに気が付いた人がホワイトボードにその品目を書き、それを見てその品を買ってきた人がホワイトボードの字を消す、というのが我が家のシステムだ。
大抵は書くのも消すのも母親なのだが、たまたま父親が「タバスコ」と書いており、たまたま僕がそれに気が付いたことがあった。たまたま別件でスーパーに用事があったのでついでにタバスコを買って帰宅し、ホワイトボードの字を消そうとした。
しかしよく見ると、その「タバスコ」の字がやけに上手く、消すのが勿体なく感じたので、僕は消さずにそのままにした。
翌日、僕がホワイトボードの字を消さなかったせいで母もタバスコを買ってきてしまった。
父の字が上手いせいで、我が家はタバスコの在庫を1本余計に抱えることになった。

そして「父親と字」に関するエピソードで、僕の記憶に最も鮮明に残っているものがある。
小学4年生の1月、僕は習字セットを広げ、冬休みの宿題である書き初めに取り組んでいた。
提出用の作品が出来上がったので片付けに取り掛かろうとしたところ、父が「オレにも一枚書かせて」と僕に頼んできた。断る理由も無いし、父がどんな字を書くのか見てみたかったので、新しい用紙をセットし筆を渡す。
そうして父が用紙に書いたのは、「勝訴」の二文字だった。
父は満足そうに筆を置き、出来上がった作品をデジカメで写真に収め、その「勝訴」と書かれた用紙を僕の提出用の作品の隣に置く。そしてこう言った。
「周りにこれを必要としている人がいたら渡してあげなさい。」
今になって考えてみると、このエピソードにおける父の言動は理解が及ぶ点が一つもない。めちゃくちゃ奇行だ。「勝訴」の二文字をチョイスするセンスは謎すぎるし、小4である僕の周りに「勝訴」が必要な人間がいるはずもないのだ。
だけど当時の僕は、父に羨望の眼差しを向けていた。字のチョイスには困惑していたかもしれないが、それがどうでもよくなるくらい、父の書いた「勝訴」の二文字が上手かったからだ。
「これが大人か!!!カッケー!!!」
小4の僕はそう思った。
父の字は、奇行のインパクトを薄めるくらい上手かったのだ。

父にその話をしたら、「たぶん昔のPCにそのときの写真あるよ」と言って、わざわざ見つけ出してくれた。
いや、なんで残してるんだよ。相当気に入ったのか。
そして、今見てもやっぱり上手いな。

僕は父と特別仲が良いわけでも悪いわけでもない。
よく話すのは共通の趣味であるプロ野球の話題で、あとは日常会話くらいだ。
家で仕事の話をしたがる人でもないから、僕は父についてそんなに深くは知らない。
リビングのソファで大きなイビキをかいて寝ていたり、脱いだ服をそのまま放置していたり。父に対して、正直「こうはなりたくないな」と思う点もあるのだが、「字」という観点だけで見れば、100%のリスペクトを送りたい存在なのだ。

上手い字を書けるようになって、早く大人の仲間入りをしたい。
そう思ってはいるのだが、なかなか一歩踏み出せない自分がいる。
今からでも上手くなれるのかな。そもそもどうやって上手くなるんだろう。というか、たまに他人から「下手だな」って思われることなんて人生単位で見ればどうってことないかもな。上手くなる必要性、そんなにないかもしれん。
こんなフワッとしたモチベーションで毎日生きているからいつまでも大人になれないのだろう。
僕は字が下手なまま、いつまでも大人になれないまま死んでいくかもしれない。
でも、死ぬ間際に書く遺書の字が下手すぎるのだけは避けたい。死してなお「下手だな」なんて思われていたら、あの世で大泣きしてしまう。遺産相続などの真面目な話が、字が下手すぎるせいで上手く伝わらなかったら最悪すぎる。

やっぱり字、練習しようかな。

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