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ノギ戦記Ⅰ ~戦雲の章~

この物語はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありませんが、乃木坂46を知っているとより一層楽しめるかもしれません。

0.王国今昔

ノギ王国は、史書が現存する以前からその原型があったといわれるほど古い国家であり、王国神話においては王国を創った神々が様々な怪物との攻防を経て成立したといわれている。
100年ほど昔、王国内部の抗争に加え、人妖じんよう人鬼じんき人獣じんじゅうなど人の形をした化け物たちの侵攻により、首都まで破壊し尽されるなど、著しくその国力を減退させた。
反抗の機会は10年ほど前、ひとりの勇者が立ち上がり、その周りに精鋭が集結、化け物ーまとめて妖異ようい軍とよばれるーたちの軍勢を大破し、王国領の復建に尽力した。
現在では妖異軍との戦闘も散発的なものになってきており、王国内部にも平穏な空気が流れ始めていた。
風雲急を告げる。戦雲は突然、王国を覆い尽くすのだった。

1.嘆きのメソッド


ー直轄領皇都・グルーカ
どんよりとした冬の曇り空が恨めしい。
この廊下を歩きながら、ため息をつくのも何度目だろう。
突き返された予算案の資料は、腕にずっしりとのしかかってきた。
旧王国領宰相・マナツは心底うんざりしていた。
激闘を極めた「あの戦い」から5年も経たぬうちに、平和をただ受け取るだけになった枢機卿たちは、やれ軍縮だ、やれ領地分割だ、と声高に叫ぶようになっていた。この国の頂点に立つ若き”皇王こうおう”は居心地悪そうに上段からマナツを見つめるだけで、何の発言もしない。それがこの国の在り方だった。
「マナツ、お疲れ」
枢機卿の中に交じって、真夏を見つめるレイカの目はそう物語っていた。
元はといえばレイカが旧王国領の宰相であり、それをマナツに移譲して皇王直轄領の近衛宰相となったという経緯もあり、彼女は申し訳なさそうに肩をすくめていた。
「お疲れ様です」
長い廊下を抜けると、秘書官のアヤノが柔らかい微笑みをこちらに向けてきた。第三師団出身でおおよそ戦闘に向かないその性格もあって、マナツ付きに指名されていた。人を支える適性でもあったのか、最近では能力を発揮しだしていた。
持ちますよ、という言葉に甘えて半分を差し出す。驕奢な大庭園を抜けて、振り返るときらびやかな宮城きゅうじょうが異様な輝きをもってそびえ立っていた。それにしても、どうしてこんな巨大な宮城を作り上げたのだろうか。国民の労苦、戦場に散った数多の命を思えば、こんなモノは砂上の楼閣にすぎないと思う。数十年前の戦乱期に建てられたこの宮城にも、修復要請、予算要求が出ていた。
そんな話を思い返しては辟易する。横を向けば、アヤノは鼻歌を歌いながら歩みを進めていた。肝が太いというか、のんきというか。その余裕は自分には足りないところでもあると思う。
ふと、アヤノの抱えた資料の束がカタカタ震えた。ギュッと強く握られたそれを見て、マナツは
(この子も思うところがあるのね)
と肩にポンと手をやった。鼻歌の音色が揺れる。
「ありがとうございます。」
声がわずかに震えていた。歩みが緩くなる。礼を言う彼女の目にも光るものを見つけた。寝食を忘れて書き上げた資料の山を、にべもなく突き返されては悔しい気持ちがない方が嘘というものだった。
「おーい」
護衛でついてきたマアヤが門の向こうで手を振っている。お気楽な調子の彼女の声が何よりも癒しになったいた。
「帰ろっか」
アヤノにそう促して、マナツは馬車に乗り込んだ。
少しずつ寒くなっていく。
冬の風が葉もわずかになった樹々を揺らしていた。


ー旧王国領首都・マネン、宰相執務室。
「ったく、あいつらバカじゃないの」
カナが吐き捨てるように言うのもこれで三度目だった。
マナツが予算案未承認の知らせを持ち帰ってから、カナはずっとこの調子だった。平時は数理でモノを考える彼女において、枢機卿たちの要求はただの「無駄」でしかなかった。
王国内の頭脳労働においては、内向きはマナツ、外向きはカナが受け持っていた。特に戦略家としては国内随一だった。かといって、腕っぷしが弱いわけでもなく、剣技においては類まれなものも持っていた。
「ちょっと、アヤネちゃん、さっきの知らせは?」
「はい、ここに」
アヤネも元はマナツ付きで、今は第二師団に戻っていた。膨大な蔵書から得た知識で軍師役を務め、師団長のミオナからも信頼を得ている。アヤネが差し出したのは一通の手紙だった。
「レナからです」
レナは外交特使を務めていた。各地の大小の集落を、王国に協力するよう遊説に出ていた。近頃は、近年妖異軍と激しい攻防を繰り広げている共和国やそこから独立した連邦の周辺を回っているはずだった。
「連邦から同盟要請?」
「日の出の勢いですし、悪くない話だと思います」
連邦は、共和国の属州軍が独自の働きにより領土を切り取って独立した国だった。そんなことをすれば、二か国の仲はだいたいこじれるのだが、連邦側が属州領の一切を返上してしまったので、共和国側としても首を縦に振るしかなかった。ちょうど、共和国も大戦を控えており、領土の後背を気の知れた国が守ってくれると考えると渡りに船というものだった。
「もちろん、話は受けるつもりだけど」
「あいつらがうなずいてくれるわけないわね」
カナの言うあいつらとは枢機卿たちのことを指す。新興国と易々と同盟を結べば、王国の威信にかかわると抵抗するのは目に見えていた。自分たちに利益があれば、いくらでも受けてやるという本音も透けて見えた。
「それに、ヒナタの子たちがそんな器用な真似、するはずないわ」
ヒナタ連邦というのが独立したときに名乗った名前だった。執政は硬骨で、他国の枢機卿に賄賂を渡すぐらいだったら、連邦の民のためにつかうだろうということは容易に想像できた。
「それと、妖異軍にも連合の動きがあるそうです」
「え?」
予想外だった。今まで、人妖たちは種族ごとに人間を襲撃することが多かった。それゆえ、多数が集まっても、統率がとれないことが多く、各個撃破することができた。王国の拡大も統率の隙を突いたものといってもよかった。
「レナの報告によれば、妖異を統べる王が現れたそうです」
「こんな状況なのに、本当に勘弁してほしいわ」
カナの言うことももっともだった。再度の大戦は願い下げだった。
「とにかく、師団会議を開いて、予算と今後の軍備について…」
そこまで言いかけて、廊下を急いで走ってくる存在に気付いた。
扉が大きな音を立てて開く。アヤノだった。
「失礼します」
「どうしたの、急用?」
「シンクローニのマイ様から、妖異軍に動きがあるとの知らせが」
シンクローニ・シティは旧王国領のやや東よりに位置する産業都市だった。領土の拡大により、何をするにもマネンでは西に寄り過ぎていた。ゆえにシンクローニを新都という位置づけにする者もいた。マナツもシンクローニで執務を行うことが多かった。今は枢密院との交渉のため、マネンにいるしかなかった。
「どうする?会議を開いている暇はないと思うけど」
決断のしどころだった。宰相になればこういう時も増えてくるのだろう。
「カナは先にシンクローニに向かって、指揮はマイに任せるって伝えて。アヤノは武器、兵糧を前線に送る手配を。アヤネは第四師団を含めた全師団にシンクローニへ兵を集めるように伝令を」
「ちょっと、第四師団まで出すの?」
「いずれは戦ってもらわないといけないからね」
第四師団は王国の拡大に合わせて最近できたばかりだった。マイやエリカら頼りになる人たちがいるうちに、経験は積むべきなのだろう、マナツはそう判断した。
「予算のことはどうするの?」
「何とかしてみる。当てがないわけじゃないし」
「ふーん」
カナがぐっと顔を近づけてきたので、のけぞってしまう。
「まあ、無理はしてないみたいだし、後のことは任せるわ」
「もう、なんなの」
カナなりに心配してくれていたのだろう。白く美しい顔が近づくとどきりとしてしまう。
「そっちも任せたわよ」
ん、と返事もそこそこにカナは去っていった。お互いの心の内を知るのに、特別に言葉を交わすこともない。そういう間柄だった。
皆が退出した後、一人の部屋で長い息を吐く。
今まで歩んできた道を振り返るように、窓から外の街並みを見る。
これを守るのが自分の使命だ、そう言い聞かせて、資料をまとめ始める。
自分の戦う場所に向かう。思い切りよく立ち上がってみた。何か決心がついた気がした。

2.イクサ神


ー前線都市・シンガット郊外
広々とした大地に強烈な風が吹き抜けていた。
背中を押す風が心地よくて、アスカは思い切り背伸びをした。
遠くで調練を行う兵士の声がする。ウメが指揮しているのもぼんやり見えた。背が高いから分かりやすい。
「なにサボってるんですか」
後ろから声をかけてきたのはミヅキだった。ウメもミヅキも第三師団だが、最近は行動を共にすることが多くなっていた。
「サボってないよ。ちゃーんとウメが頑張ってるか、観察してるだけ」
「フフフ…」
それを怠慢だ、と追撃してこないのがミヅキを気に入っている理由だった。
人には向き不向きがある。生真面目に調練を指揮し続けるのはウメが最適だった。アスカには面倒に思えてならないことだった。
「ウメもなぁ、調練ではできるようになったんだけどなぁ」
「戦いの中ではできないように聞こえますよ」
その通りだった。ウメには慎重に過ぎるところがあった。実質的な第三師団の師団長としては、その方が犠牲になる命も少なくなるのかもしれない。それでも戦機を見誤れば戦闘が長引くのも、考えないといけないことだった。
「私もウメみたいに冷静ならなぁ」
ミヅキは自分で後ろ向きな性格だと言っていたが、いやだからこそ、戦場ではすぐ前に出たがった。ミヅキの才覚でしのいではいるが、今果たしている軍師としての役割では、不安な部分も大きかった。
「二人合わせればなかなか強いんだけどね」
「お褒めいただきありがとうございます」
ミヅキはどこかしら自分のことを侮っているような言葉遣いをする。それでいて不快な気はしなかった。陰でこれまでの戦記を洗いざらい読みふけり、英傑たちに追いつこうとする姿をアスカは知っていた。それに昔の自分を重ねるようでもあった。同じような経験を積んでいた時の自分にここまで頼りがいがあったかはちょっと記憶していなかった。
冬で草も枯れた原野に腰を下ろす。ミヅキもそれに倣った。
調練から実戦に近い演習に変わっていた。
「ま、今日は相手が悪いよね」
ウメの相手は、カズミだった。古参の精鋭を率いる彼女は、個人的武勇も、兵を指揮する知識も、兵や仲間の将への懐の深さも、王国の中でも指折りと言ってよかった。
お互いの陣営がある丘に指揮旗が立てられる。これを先に倒した方が勝ちだった。
緒戦はウメの軍勢がじりじりと押しているように見えた。このままいけば丘まで押し切れる。しかし、高地を確保しているのはカズミの方だった。そして押されているように装って、上手く低地まで引き込んでいる。
「もうそろそろ、反転する頃ですかね」
「あー、両断されるだろうなー」
アスカは不意に、いけ、とつぶやいた。カズミが軍勢を反転させるのも同時だった。ものの見事に中央を突破していく。ウメもぎりぎりまで粘ってはいたが、最後には軍を二つに割られていた。ウメの指揮旗が倒される。
「カズミさんが引き込んだときにもう一押しでしたね」
さすがにミヅキも見るべきところは見ていた。カズミの軍勢が低地を経由した時に押せるだけ押せば、ウメも勝つ可能性はあっただろう。ミヅキならできたかもしれない。当然カズミも分かっているだろうから、いざ演習になれば、ミヅキとそんな戦い方をするとは思えなかった。
「次、アスカさんですよ」
見られていることを分かっていたのか、カズミと会話を交わしたウメがすぐに近づいてきて告げた。
「えー、面倒くさい。ミオナかミヅキに任せればいいじゃん」
「ミオナさんはまだ到着されていません」
「頑張ってください、アスカさん」
ミヅキがおだてるように言う。口の減らない奴だ。
「それで、相手は?」
「第四師団のサクラです。新しく入った」
「ああ、あの子か」
何とか思い出した初々しい顔には、茫洋としたつかみどころのない表情が浮かんでいた。あの子が第四師団を代表してくるとは想像していなかった。
「ボコボコにしてあげてください」
ミヅキの言葉には、アスカへの激励だけではない感情も含まれているらしかった。それがおかしくて、クックックッと笑いがこみあげてくる。
「まあ、それなりに頑張るよ」
二人の方を振り返りながら言う。
空高く飛ぶ鳥が何かを伝えるように声高に鳴いていた。


ーチュージ湖湖畔・王国軍野営地
「へえ、この子なかなかやるじゃん」
「でしょ?アスカちゃん結構追い詰められてるのよ」
演習の報告書に目を通しているマイにそう言って、エリカは食事に手をつけた。幕舎の中は火があって暖かい。
古参の面々からすれば、どこまでいってもアスカはかわいい妹のような存在で、「ちゃん」付けで呼んでいたし、戦の腕も戦術も手に取るように分かった。新入りの第四師団に後れを取るとは考えにくかった。
「マツは見たの、これ?」
「みふぁ!ふぁくらしゃん、えらひ」
マツはご飯で口いっぱいにしながら、サクラのことを褒めていた。
二人とも王国を代表する人物だった。マツは戦術を献策して何度もマイを助けてくれていたし、エリカは文武に優れ遊撃軍を率いて妖異軍を撃破することが幾度もあった。それでも、マイの前では油断しきった顔を見せていた。それがマイの心が落ち着かせることもしばしばあった。
また報告書に目を落とす。仕掛けたのはアスカの方だった。前後左右に揺さぶりをかけ、軍を分かつよう動揺を誘う。それに対して、サクラはよく兵を引き締めて誘いに乗らなかった。少し強引に攻め込んだアスカに、堅陣を崩さず対応し、アスカが一度退こうとした瞬間、乾坤一擲で攻め込んでいた。見事なものだった。
結局、その攻めをアスカが防ぎとめて勝ったものの、完勝とはとても言えなかった。アスカからも「素直に驚いた」と一言添えられていた。
「決めた!今度の先陣はサクラにしよう」
二人から感嘆の声があがる。元々マナツから、第四師団を使うようには言われていた。演習で成果がでなければ、後方に回すつもりだった。
先陣には十分だった。初めて見た時に比べれば、力もついていると言ってよかった。足りないところは後方から補ってあげればいい。
同行していた第四師団のハルカもアヤメもいいものを持っていた。ミヅキやミナミの軍勢に果敢に挑んでいる。次の戦いは彼女たちの力を計るにはいい機会だった。
「分かった。作戦立てとく」
すっかり食べ終わったマツが笑顔で言ってくれる。どういう不利な状況になっても、マツの策は尽きることがなかった。頼りにしていた。
「出発するときはいつでも言って、準備は万全だから」
エリカの軍には一糸乱れぬ規律があった。遊撃の任は兵の統率力が問われる難しいものだったが、幾百里駆けようが精強に変わりはなかった。二人で並んで打ち破れないものはないと思わせてくれた。
「もう、二人とも食べるの速い」
三人で笑い合う。こういうことも少なくなっていた。贅沢なときだった。

幕舎にひとりになって、天幕を見上げる。
灯りは消してある。暗い部屋に白い幕が浮かびあがるように見えた。
ずっと走ってきた。仲間と闘ってきた。慕う者も増えた。
王国の仲間からも、兵からも、民からも、「軍神」と呼ばれていることは知っていた。確かに負けは知らなかった。戦えば王国に勝利をもたらすと信じられても、間違っていると否定する方がおかしいのかもしれなかった。
それでも、戦の前は体が震えた。どんなに準備をしても、それは収まらなかった。傷つき、亡くなる者たちの存在は頭から消えたことはなかった。
仲間の協力なくして掴めるものなど何もなかった。頼られもしたが、圧倒的に頼っていた。そういう仲間に恵まれた。幸福だった。
何人もの仲間が戦列を離れていった。国を去る者もいた。自分から何かが奪われていくようで、その度空っぽになる自分がいた。
自分が戦線を離れる日はあるのだろうか。いつなのだろうか。決めていなかった。それでもきっとその日はくる。
「失礼します。ミオナです」
「ヒナコです」
凛とした声と愛嬌のある声。第二師団の二人だった。この二人にも苦労をかけてきた。そう思いながら、幕舎に入るように促す。灯りをまたともした。
「二人にしては、遅かったわね」
照らされた二人の姿がうっすらと見える。ミオナの甲冑に血の”青い”が染みついているのが見えた。青血せいけつは人獣の特徴だった。身だしなみにうるさいミオナが、甲冑に血がついたまま放置するはずがなかった。
「申し訳ありません。ここに来る途中に襲撃を受けて」
「破ってきました。あんな小さい部隊が何してたんでしょ?」
ある種の高揚感を持った声から判断するに損傷はないようだった。
ヒナコの言う通り、妖異軍が小部隊を動かす理由が見当たらなかった。
統率のとれない部隊が勝手に動いたことはよくあった。しかし、いつもとは違う、そんな胸騒ぎがした。
「可能性としてですが、物見ということも」
ミオナも同じように違和感を感じているらしかった。彼女の感性に基づく冴えは第二師団随一だった。
「私たちの真似をしたってこと?」
「十分考えられるわね、慎重に進むことにしましょう」
妖異軍も一体化していると聞いていた。どんな危険が待ち受けているか分からない。手の震えが始まる。二人に見えないように慌てて隠した。
「では、明日の朝、出発します」
「うん、それまで、ゆっくり休んで」
労いの言葉にはにかんで、二人は幕舎を出ていく。背中が頼もしく思えた。
「その日」はそばまで来ているのかもしれない。
空気は澄んでいた。寒さをまとった風が心を洗ってくれた気がした。

3.夜明けまで強がらなくてもいい


ーシンガット西・デーブレーク砦
水平線から光が溢れた。空を黄色く染めていく。
ハルカはいつもより早く目が覚めてしまって砦の中を護衛もつけずにうろついていた。心なしか早歩きだった。
櫓の下に見覚えのある顔がいる。おつかれ、と軽く挨拶をして上っていく。
漏れ出た光が目を刺激する。眩しさに耐えながら梯子を掴む。
彼女はそこにいた。ぼんやりと水平線を見つめている。
「サク、風邪ひくよ」
隣に座る。肌寒いが晴れていて起き抜けには心地よい空気だった。
「心配してくれたの?ありがとう」
顔を肩に寄せてくる。サクラの仕草はいちいち庇護欲をかき立てるのだ。そのくせ、サクラ自身でも嫌になるほど正義感が強くて、誰かを助けるために率先して動いていた。師団長に推挙されたのもそれが理由だろう。
召集の使者が来た時もそうだった。サクラはあまりに頼りなく命令書を受け取り使者を困惑させていた。それでいて、代わりに派遣軍に入ろうとする仲間たちの申し出を頑なに断った。誰かに戦わせるぐらいなら自分が戦った方がいいと考えているらしかった。
師団領はマユに任せてきた。ついていくと言って聞かなかった者たちも一切合切放り投げてきた。ハルカにとってありがたい存在だった。マユ自身も来たかったはずなのだ。
「怖いよ、カッキー…」
ハルカの胸に顔をうずめてサクラは呟く。ハルカの姓はカキでだいたいカッキーと呼ばれていた。ハルカで呼ばれた方が少なかった。ハルカは誰からも頼られていた。その自分に”ハルカ”はあまり似合わないらしかった。”カッキー”の方がよほどしっくりくるというのが第四師団の共通認識のようだった。
チュージ湖畔の演習で、サクラは王国で名高い、あのアスカに追いすがっていた。いやギリギリまで追い詰めているように見えた。自分がミヅキにいいようにあしらわれたのとは雲泥の差だった。ミヅキからは「いい線いってる」とは言われたが、お世辞なのは見え透いていた。そんな言葉を言わせることが恥ずかしかった。
そして、マイから下された指令はデーブレーク砦の防衛だった。最前線の砦を確保することは、実質的に先陣を任されたと分かり身震いした。サクラはその時から徐々に何かに怯えるようになっていた。
「大丈夫、私も、みんなもいる」
「うん」
ハルカの励ましにうなずいて、サクラはもう一度朝日を見つめた。
いつもこうだった。どこかで「負けたくない自分」がいるはずなのに、いつの間にかサクラのことが気になった。どこかで助けていた。その「守っている自分」に満足していた。頼られていることに喜びを感じていた。
「じゃあ、行くよ。朝の支度をしないと」
「ちょっとだけ、このまま、朝日が昇りきるまで」
何とか振り切ろうとした自分にサクラは訴えてきた。実に狡かった。
二人をハルカの護衛兵が探しに来るまで”ちょっと”の時間は延びた。
空はもう明るかった。


ー第四師団領・ライブライト
ライブライトは山に囲まれた谷間にあり、小さいながら交易で繁栄している街だった。ここから共和国や連邦への道が妖異軍の目をかいくぐるように走っていた。逆に言えば、妖異軍との前線都市でもあった。
山の中腹にある森はところどころ伐採が進んでいる。新興の街でもあるライブライトの建築材になるだけでなく、防御のための”関”づくりにも利用されていた。切り株が並ぶ一角の静寂を破るように力をこめた声が轟いた。
「やぁ!」
サヤカは剣を振るった。サクラたちが派遣軍に選ばれたのは、それだけの力があるということは分かっていた。それでも悔しいものは悔しかった。頭は回っても剣術には自信がない。自信がないなら練習するだけだった。
副師団長”代理”の仕事はひどく煩雑だった。決裁事項は文字通り山積みだった。書類の山を見ただけでクラクラした。副師団長のハルカはこれに加えて、サクラがするべき決裁も大半を引き受けているに違いなかった。
剣を振るうと無心になれた。こういう時間も悪くない。一息つこうと切り株に腰を下ろそうとしたとき、背後から気配を感じた。
「誰?」
恐れを打ち消すように大きい声を出してみる。レイとサヤだった。
「もう、探したんだよ」
「午後の調練の担当、サヤカだよ」
すっかり忘れていた。自分のことに集中しすぎだ。一人で剣の練習をしていたことを知られたのも手伝って、余計に恥ずかしくなる。
「ごめん」
「代わりにセイラがやってくれてるよ。後でお礼言うんだよ」
自分では大人になったつもりでも、師団の中では子ども扱いだった。ムキになったところで、いいようにあしらわれるだけだった。
「どうしてここが分かったの?」
「木こりさんが見つけてくれたんだよ」
人の好さそうな年配の男が頭を掻きながらこちらを見ていた。どうやら、ここに用があったらしい。無心で剣を振るっていて気づかなかった。
男に一礼してその場を去る。男は恐縮したように身をすくめて会釈した。
手に剣を持ったままだった。慌てて鞘に戻す。
「剣の修行なら言ってくれればいいのに」
「一人で強くなんかならない」
レイもサヤも武芸に秀でていた。一人で解決しようとするところも自分の悪い癖だった。
「じゃあ、お願い」
素直に切り出してみた。レイは顔いっぱいに笑みを浮かべた。
「うん、うん。一緒に頑張ろ」
さっそくサヤカとサヤの手を取って、開けた場所を探し始める。レイと行動すると不思議と気持ちが明るくなった気がした。
それからしばらく二人を相手に剣の稽古をした。レイは果敢に前に出てくるし、サヤは泰然と攻撃を受け止めて、的確に反撃をくりだしてきた。二人とも強い。なかなかこちらから打ち込むことができなかった。
サヤカの息があがってきたところでやめになった。レイが水筒を差し出してくれた。
「そこに沢があったから汲んできたよ。冷たくて美味しいよ」
「ありがとう」
熱くなった体に冷たい水が染み渡る。
「遅くなっちゃったね」
サヤが空を見上げながらつぶやく。サヤカもそれにならうと、すっかり夕焼けの赤に染まっていた。
「そういえば、どうして二人が探しにきてくれたの?」
「それはね、ユナちゃんがサヤカがいないからって…あ、そうだ」
ユナはしっかり者でサクラやハルカも頼りにしていた。今は、師団長代理のマユを支えて、忙しくしている。二人はユナから、サヤカを探すように、と言われていたらしい。それも忘れて三人で稽古に熱中していた。サヤカは可笑しくなって腹を抱えて笑った。
「あっ」
少し間抜けな声をあげて、サヤが後ろを指差し凍り付いた。見るとユナが口元に微笑みを浮かべながら立っていた。目は全然笑っていなかった。三人で後ずさる。
「遅いと思って心配して探しに来たら…怒るよ」
「もう怒ってるよ」
レイが小声で反論するのをサヤカは聞き逃さなかった。
陽が落ちかけ紫に染まった空に、カラスが呆れたように鳴いているのは耳には入らなかった。


ーホーマー街道
シンクローニからシンガットに抜けるホーマー街道は少しうねっている。その昔、妖異軍の侵攻を防ぐため、あえて真っ直ぐに作らなかった名残だが、現在では、シンガットの建設により、物資を運びやすくするため直線にしようという計画も練られていた。
ミナミは後発部隊を任されていた。少し前を第四師団のアヤメが進んでいる。華奢な背中。ふと、彼女の背中を見て思う。
ー自分の進んできた道は誰かの背中を押すことだった
王国再建の道のりはリナという一人の少女が立ち上がったことに始まる。ミナミはその頃、共に先頭を走っていた。いや、走っていたのはリナでミナミはその背中を支えていた。支えてくれ、と言われたわけではなかった。それでも、毎回傷つき、へとへとになって帰ってくるリナを見て、支えない方がどうかしていると思った。エリカと合わせて三人で必死だった。
先頭に立つ人がリナから変わってもずっとそうだった。先頭で戦う人たちは誰かしら支えが必要だった。マイはマツだったし、ミオナはヒナコだったし、ナナセはカズミだった。先頭を”譲った”リナは一緒に王国軍全体を支えてくれるようになった。心強かった。
自分はずるいなと思うこともあった。誰かが先頭で走るということはまずその人が傷つくということだった。その人を盾にしているということだった。支えていると言いながら支えられているのはこっちのほうだった。
リナが王国を離れる日、アスカのことを頼まれた。いつの間にか先頭で戦っていたのはアスカになっていた。自分に使命というのがあるならこれなんだろうと思った。
リナも不器用だったが、アスカも不器用だった。自分のぶつけ方が下手なリナに比べて、アスカはまず自分を出さなかった。じっくり寄り添うしかなかった。多少強引に手を引っ張ってでも孤独にしないようにした。
ある日、アスカから不意に、ありがとう、と言われた。慌てて確認したが、照れてそれ以上何もいわなかった。それだけで何か報われた気がした。自分のいる意味が見つかった気がした。
みんな懸命に走っていた。そっと支えるだけでよかった。帰ってくる場所を温めておけばそれでよかった。
街道を進む。アヤメはずっと下を向いていた。年少の彼女が緊張しないはずがなかった。
ミナミも少し緊張した。どういう言葉をかけようか。
アヤメに近づく。後ろから背中に手を添えた。緊張が伝わるようにアヤメの肌が震えたような気がした。
「大丈夫、絶対支えるから」
ミナミは笑顔を向けた。
「はい、ありがとうございます」
一瞬こわばった表情をしたアヤメも、精一杯の笑顔で返してくれた。冷静な少女と思っていただけに、うれしかった。これから、もう少し解きほぐしていければいい。そう思った。
街道は水平線の向こうに続いていく。
道の続く先に雲一つなかった。また少しうれしくなった。


ー戦雲の章・終ー

ここまで読んでいただきありがとうございました。
次回、『聖塔の章』。ぼちぼち書きます。

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