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ノギ戦記Ⅳ ~堅忍の章~

この物語はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありませんが、乃木坂46を知っているとより一層楽しめるかもしれません。

0.前回までのあらすじ

大戦の勝利の余韻も束の間、マイの負傷による撤退戦は熾烈を極めた。
シオリがミヅキの助けも借りて殿を務め、ヒナコがラービング橋を死守。お互いに危機的な状況に陥るものの、王国を去る予定になっていたサユリがマリカ・ヒメカと共に救援を果たす。別働隊を率いたミオナも合流し、最後はミリア・レンカの援軍により虎口を脱することに成功する。サユリは多くの将兵の命を助け王国を去った。


1.My route


ー旧王国領首都・マネン、外交府
朝、鳥の声で起きる。
また、机に突っ伏して眠っていたようだ。
こうやってはいつもお手伝いさんには小言を言われている。
ふと、窓から射す光に目をやった。
色とりどりの屋根にも遠くの山稜にも雪が積もっている。
美しさにしばし見とれてしまう。
レナはうーんと伸びをして一息入れた。
外交使節として各国を周遊し、帰ってきたのは数日前。しばらく身体を休めるように宰相府から通達があったものの、提出する資料ももう出来上がってしまっては、所在がなかった。
第一、休むということはレナの最も苦手とすることだった。何かしていたい、何かを学びたいという妙な欲だけは人一倍あった。
お呼びがかからないなら、こちらから出向いて行こうと考えていた。
マイが負傷したことは知っていた。撤退の過程でサユリが活躍したことも。仲間のために無謀なことをする、そして別れも言わずに去っていく。後に引きずるものを残したくない。そういう人だった。だから仲を深められた。
自分はサユリとは違う。自分のやり方で王国が栄えるようにすることもできるはずだ。研鑽はいくら積んでも足りなかった。
机の上に目線を落とす。仕事が終わった昨夜から、古文書を開いていた。外遊先のヒナタ連邦で、マナモという文書担当官と会った時に渡されたものだ。使節の好みまで調べているとは恐ろしくもあったが、何の屈託もない様子でこの古文書を手渡された。王国の歴史書らしい。
見たこともないような文字が躍っていた。まだ、なんの手掛かりもつかめていない。知的好奇心を刺激するには十分な代物だった。
朝食もそこそこに文書を解読する。同じような図柄や組み合わせを見つけては書き留めていく。そこから推理できることもあるだろう。
しばらく文書と格闘していると、宰相府に出していた使者が帰ってきた。すぐにでもきてほしいとのことだった。

久々に見る宰相府は相変わらず質素そのものだった。レイカもマナツもそういう散財にはおおよそ無関心だった。それが外からの使節をもてなすことに頭を悩ます理由にもなってはいたが。
宰相府の中は閑散としていた。空気が冷え切っている、とさえ感じられた。それは季節のせいでも雪のせいでもないのだろう。人が持っている暖かさが遠のいているのだと思った。
執務室の入り口でアヤノが待っていた。笑みを浮かべているがどことなく元気がなかった。気丈に迎えてくれたマナツも疲れの色が色濃く見えた。
「レナチ、お帰り。共和国の件は聞きました。こちらからは遷都への協力を惜しまないと文書は送っておきました」
愛称で呼ばれるのも久々だった。王国に戻ってきた気がした。
「ありがとうございます」
「共和国は遷都ですか。多難な時期はどこにでもあるものですね」
ケヤキ共和国は戦神と謳われたユリナが一線を退くことになり、戦線を再編することを迫られた。そこで遷都を計画している。
「連邦との同盟の件はどうなりましたか?」
「先方も前向きに考えてくれているようです。」
「そう。じゃあ、あとは私がまとめるだけね」
ふう、といって腰を下ろしたその姿はいつもよりも小さく見えた。枢機卿との調整だけではない、宰相の責務が心労として積み重なっているのだろう。
「あの、お疲れではありませんか?」
「そう見える?なら、私もまだまだってことね」
やはりマナツは気落ちしていた。マイとの信頼関係はこの国だけでなく彼女も支えていたのだろう。彼女の暖かさこそ宰相府の温度だった。
「とりあえず報告書です。お時間のある時に」
「ありがと。また、読んでおくわ」
一通りの報告を終え、外交府に戻ろうとしたとき、執務室にアヤノが入ってきた。レナを見て悲痛な表情を浮かべている。
「アヤネさんより、第二師団領に侵攻を受けているとの知らせです」
「もう、来たの?」
先の侵攻からひと月も経っていないだろう。間髪入れず次の手を打ってきた。やはり今までの妖異とは違う。”戦略”が感じられた。
「レナチは特使の任を解きます。すぐに第二師団に戻ってください」
「分かりまし…」
言い終わるのも待たずに、マナツが身体を預けてきた。足に力が入っていない。ずるずると座り込んでしまう。
「マナツさん!しっかりしてください」
「あ、うん、ごめん」
意識が朦朧としている。目の焦点が合っていない。
「すごい熱…。アヤちゃん、お医者さんを呼んできて、早く!」
「はい」
アヤノのうわずった声が聞こえた。走り去る足音が廊下に響く。
新しい宰相の重圧、予算の折衝、そしてマイの不在。マナツの肩にのしかかるものは大きかったはずだ。
「…行ってあげて、第二師団のみんなが待ってる」
うわごとのようにマナツが言う。胸を衝かれた。
「行けません。それに、みんな頼れますから大丈夫です」
本心ではあった。マナツを少しでも安心させるために言葉にした。
また別々の場所で戦うことになる。
それを申し訳なく思い、心の中で詫びた。


ー第二師団領・スターシア城
西に沈む夕日が雪山を赤く染めていく。
森へ帰る鳥の影が紅白の間に交じっていく。
風は冷気を含んでいるものの、頭をはっきりさせてくれるようで心地よい。
この城の櫓から見える景色がアヤネは好きだった。
第二師団領に横たわるポーダー山脈でも、ひときわ高いのがカーキ氷山で、領内のどこからでも眺めることができた。特に冬の雪が積もったカーキ氷山は白く輝く絶景だった。
ポーダー山脈の東端に新しく建設されたスターシア城は街ごと土塁で囲われた要塞だった。城についてよく知るレナが設計した緻密なものだ。
それでもそこを守る兵士の数は相変わらず少なかった。
妖異軍の侵攻はこちらの予想よりも早かった。
ミオナとヒナコが演じた撤退戦は見事なものであったが、少なからず命を落とす兵士もいた。新兵の募集と自身の療養も兼ねて、後方の軍都・バリエッタにいることになっていた。シンウチも恩賞や慰撫金の手配でバリエッタとスターシアの間を回っているところだった。
はっきり言って準備不足なのだ。
周囲の村々からは避難民がこのスターシア城目指してやってきた。兵として志願してくれるものもいたが、大方は後方支援に回した。老いたものも多く、手伝わせるには忍びなかった。
ミリアとランゼが今は城下を回って警戒を強めてくれているはずだ。ジュンナは新しく加わった兵の訓練をしてくれている。おのずと自分の役割はどうやって妖異を迎え撃つかを考えることになった。
城の建設費に加え、この度の退却戦の影響で第二師団領の金蔵(かなぐら)は空になりつつあった。もともと山に囲まれた地形で、耕地が少なく、兵糧にもこと欠いていた。
城の守りだけでなく、そういうことにも頭を回さなければならないと思うとくらくらした。猫の手も借りたいとはこのことだった。
こういう時に、カリンがいれば兵糧の心配をしなくてもいいのだろうし、コトコがいれば見ていないところに手を回してくれている安心感があった。そんなことを考えても、ないものねだりもいいところだった。
バリエッタからの知らせが届いたのはそんなときだった。第三師団のカエデが導入した駅伝制のおかげで情報だけは困らなかった。
「マナツさんが倒れた…」
思わず、書状を落としそうになった。人よりも書籍と触れ合う時間が長かったアヤネに、温かく接してくれていたのがマナツだった。宰相就任は自分のことのように嬉しかったことを覚えている。
そこにはさらに、レナはマネンから動けず、ミオナは軍編成に時間がかかると書かれてあった。妖異は間近にいる。自分たちでなんとかしなければならない。冬だというのに、手に汗がにじんだ。
「城から出ず、そこを堅守するように、か」
現状戦力ではこの城の守備に穴を開けないようにすることで精一杯だった。妖異の攻勢をしのぐ方法を思いつかないでもなかったが、それを実行するには勇気が必要だった。
アヤネは懐から袋を出した。紐を解き中から石を取り出す。降り積もった雪に跳ね返った夕日の赤い光が透け、ふだんは青い石が紫に輝いている。
石はリナからもらったものだった。同郷で憧れで遠い存在だと思っていた。それでも背中はずっと追いかけていた。
リナが王国を離れる日、別れを言いに行った。

「あ、アヤネちゃん」
「本当に行ってしまわれるのですか」
「うん、後は頼んだよ」
「そんな…、寂しくなります」
「そうだ。手開いて。これ、あげる」
「きれい…」
「テモデモの涙っていうんだ。私の大切な人からもらった」
「いいんですか、そんな大事なものをいただいて」
「アヤネちゃんも私の大切な人だからね」

大切な人に大切な人と言われた。
その人が愛したこの国を守ろうと思った。
石を両手で握りしめた。祈った。
「リナさん、力をください」
両手を開くと、アヤネの願いに応えるように石が輝いたような気がした。


2.境界線


ー第二師団領・スターシア城東門
砦の守りに撤退の援護、今度は籠城戦。
いつの間にか、こういう戦が得意になってしまったのかもしれない。
思うままに駆けてみたいという欲求は心のどこかにいつもあった。
だが、自分についてきてくれる兵たちの顔を見て我に返る。
彼らの命を粗末に扱っていいものか。
自問自答を繰り返すたびに冷静さを取り戻す。
その繰り返しだった。
「ランゼ様、アヤネ様がお呼びでございます」
「分かった。すぐ行く」
アヤネはいつの間にか成長していた。幼いころは戦のたびに震えていた。守ってやらねばという思いにいつも駆られていたという気がする。それが、いつの間にか落ち着き、いつの間にか采配を振るうまでになっていた。
遅れを取ったとは思わなかった。ただ、アヤネが思うままに才を現すようになっていたことが少し羨ましかっただけだった。
軍議の間は簡素な作りになっていた。そもそも城自体が張りぼてもいいところだった。見えるところだけは威容を誇り、内部は必要最低限の造りになっている。ミオナもレナもそれで納得していた。
予算がないのも、時間がないのも分かっていた。ただ、ランゼには何か不服だった。その不服なものが何なのかは分からなかった。
自分が輝ける場所が欲しい。そう思って余った材木を拝借して南の高台に砦を作った。内装も職人の手を借りて趣向を凝らした。ランゼ丸と名前までつけた。まるで子供の秘密基地だった。レナは口をへの字に曲げて閉口していたが、ミオナは苦笑しながら許してくれた。
ジュンナもミリアも席に着くと、アヤネはひと呼吸置いてから切り出した。
「打って出ようと思う」
「はぁ?」
ジュンナが素っ頓狂な声をあげる。ミリアは呆れた顔をして、肩をすくめている。それでも、アヤネは平静を失っていなかった。
アヤネにしては思い切った作戦だった。ランゼには面白くて仕方がなかった。真面目一辺倒ではないアヤネが見れただけで満足だった。
「今のままで、城の門を全て守るのは無理だと思う」
「いやいやいや、あっちはこっちの5倍はいるんだよ」
「もちろん正面からは戦わない。奇襲をかける」
ふとした時には寄り添っているジュンナの言葉にも負けずに反論していた。ランゼは身体をぐらぐら揺さぶられる気がした。赤ん坊が親に高く持ち上げられて喜んでいるようなものだった。
「アヤネさぁ、私の戦ってきた記録見た?妖異も奇襲ぐらい考えてるよ」
「それでもこっちに引きつけないと街が荒らされちゃう」
ミリアはラービング橋で妖異軍と戦い、今までの無秩序な”群れ”ではなくなっているのを実感している。いつものアヤネならその言葉に従い城にどう籠るのかを考えそうだが、今回は違った。
「今回は妖異の数が多すぎるの。城を見張る妖異とこの先に進む妖異に分担したら、私たちはどうしようもない」
確かに、この先はバリエッタまで目立った軍勢はいないはずだ。妖異の略奪の餌食になるのは間違いなかった。さらに、ミオナたちの援軍がこの城に着くまでに阻まれれば、今以上に厳しい状況に置かれるだろう。
「それで、アヤネちゃんとしてはどうしたいの?」
普段は軍議で口をはさむことはほとんどないが、自然と口が動いていた。
「うん。これを見てほしいの」
スターシア城周辺の地図をアヤネは取り出した。
城は二本の線で囲まれている。北はポーダー山脈、南はユーラック高地から延びる川で、天然の濠(ほり)だ。それが交差し、一本の大きな流れになって、西へ延びていく。今は冬で水量が少ない。渡ろうとすればできるのだ。
「この狭い口に敵を誘導できないかなと思って」
南の川と城を守る土塁の間に街道が通っている。ここから西の諸国へ交易を行う重要なものだった。アヤネはそこを指していた。
「そんな危ないところ通らないでしょ」
ジュンナの言う通り、街道を通ればわざわざ横から衝いてくれと言っているようなものだった。
「うん、だから囲まれる前に敵をおびき寄せるの。できれば怒らせたい」
妖異の心を揺さぶると聞いて、ランゼはコトコのことを思いだした。アヤネもコトコの分を自分が補うつもりで言っているはずだ。
「それでね、ミリアにはここにいてほしいの」
川が交差した地点を指す。城の対岸、妖異が迫ってくれば危険な場所だった。ミリアはしばしアヤネの顔を見つめると切り出した。
「どういうつもり?そこで戦えばいいの?」
「ううん、踊るの」
思わず、三人で噴き出した。アヤネはたまに突拍子もないことを言いだす。しかし、今日は輪をかけて面白いじゃないか。
「ふざけてなんかないよ」
「なるほど、それで怒らせるわけか」
ジュンナがなだめるように感心の言葉を口にした。
「そう、それで川を渡らせて土塁のそばまでおびき寄せてほしいの。ジュンナちゃんは城の守りね。ミリアが城に駆け込んで、それから…」
「ねー、私はー」
「ランゼちゃんは山の砦にいてほしいの。妖異が罠にかかったら出てきてほしい。もし、罠にかからなかったら砦から妖異の背後を牽制してほしい」
「そのタイミングは任せてくれる?」
「もちろん」
自分の”場”が与えられた、そう思った。待っていた機。
思いっきり翼を広げることができる。
「それともうひとつお願いがあるんだけど」
「うん?」
アヤネはいたずらっぽく笑う。動いた口元を見てランゼも笑う。
久々に思いっきり笑い返すことができた。
心が満たされてきた。


ー第二師団領・スターシア城外、ポーダー川河川敷
ポーダー山脈とユーラック高地が交わる場所。二つの山々に挟まれた盆地の出口のようになっている。そこにミリアはいた。
ポーダー川はそこから東へ広い平原に向かって流れていく。夏の雨の多い時期は急流になることもあるが基本的には穏やかな水面を見せてくれる。
ミリアは白い衣装に身を包み、その河原にいた。
雪が降り積もってはいるが、少し青空も見え、普段よりは暖かく感じられた。それでも空に向かって吐く息は白い。
アヤネも同じように河原に身を潜めて妖異が来るのを待っている。こちらは白い鎧の上に紫の羽織を身に着けている。紫は王国の色でもあった。
ミリアにとって少数で戦うことには慣れていた。むしろ大部隊で戦う方が希少だった。この前の大きい戦では戸惑ったものだ。
ラービング橋での撤退戦は少し手を貸したようなものだった。ヒナコやサユリのように命を懸けて踏み込むことも苦手だったし、ミオナやマリカのように颯爽と駆けるのはもっと不得手だった。
自分には何ができるのだろうと思う。
目の前のことをひたむきにやるしかなかった。
背中に差した剣に手をやる。サユリの剣。強く真っ直ぐな剣筋を思い出す。
近くの高台の上から見張りが合図を出した。妖異が近づいている。
もう震えがくる時間帯は終わっていた。あとは自分がすべきことをするだけだった。
「出るよ」
アヤネがすくっと立ちあがる。妖異が遠くで足を緩めるのを見た。
口元に笛を構える。戦場に不釣り合いな美しい音色が響いた。
ミリアは衣装を翻して、舞う。剣舞。白い衣装には紫の刺繍。白銀の世界でも良く映えていた。妖異の面を被った相手を打ち倒していく。マイさんのつもりで、とアヤネに言われていた。軍神を倒したつもりの妖異からすれば、心をざわつかせるのも無理はない。吠えるような声があちこちからあがった。それでも統制はまだ利いている。もう少し。
最後の”妖異”を倒すとアヤネが笛を大きく鳴らした。城に旗が掲げられる。ランゼが大書した妖異を倒す軍神の絵。踏みつけにされた妖異はここから見上げても可愛らしい。戦場では滑稽に映るだろう。言葉では伝わらなくても絵ならば何を言いたいか十分伝わるはずだ。
ついに咆哮がこちらに向かってきた。川の浅くなっているところは事前に把握していた。濡れないように注意しながら渡河する。寒い冬に水に濡れば、ろくに戦えやしないだろう。
妖異たちは真っ直ぐこちらに向かっている。バシャバシャと音を立てて、川を渡っているようだ。あまり引き離さないように距離を取って姿を見せる。矢もギリギリ届かない距離だ。
アヤネは少人数で東の土塁に向かっていく。ミリアはまだ妖異を引き付ける。目立つミリアの衣装を追って妖異が続いてくる。
「もっと、もっと来て」
じりじりとした思いを殺して、妖異が来るのを待った。追いすがる妖異から矢が放たれる。自分の方へ向かってきた一矢を剣で叩き落した。
「もう限界かな」
南の土塁の切れ目へ走っていく。逃すまいと妖異が殺到してくる。足音がすぐそこに聞こえた気がした。転がり込むようにして土塁の内側に入った。
「放て!」
ジュンナの声が妖異の咆哮を切り裂くように響いた。土塁に潜んでいた射手が一斉に矢を放つ音が聞こえる。バタバタと倒れる音。野太い悲鳴がミリアの背中を襲う。佇む暇はない。急いで立ち上がり東門へ向かった。
「ミリア!いける?」
東門で待っていたアヤネが大きな声でミリアを招いていた。息を整えながら、剣舞で使ったサユリの剣を預けてマリカの槍を受け取る。自分の小さな背を補うには長柄の武器が必要だった。
「東門はよろしくね」
「分かった。んじゃ、いってきます」
東門の副門が開けられる。大きな門から少し離れ、隠れたように設置された門。兵の出入り口になっている。静かに門を出た。
弓の攻撃に妖異が足を止めている。今しかない。腹に力を込めて大きな声を出した。槍を妖異軍の横腹に突き立てた。足並みが乱れる。周りを固める槍兵も真っ直ぐ妖異へ突き進む。列を突破した。乱れたところに矢が撃ち込まれていく。味方の矢に当たらないよう反転して再度突進する。
こうなれば妖異の混乱は収拾がつかないものになっていた。慌てた後続の妖異軍が増援を繰り出してくる。撤退しようとする先発の妖異たちと衝突し、更に混乱が広がっていく。
ミリアが門を背に戦っていると、雪に包まれた南の高地から赤い一団が駆け降りてくるのが見えた。ランゼが隠し砦から川向こうの妖異軍へ突撃をかけた。今は増援を出しているので少しは戦いやすくなっているだろうが、それでも賭けのようなものだった。
「援護するよ。みんな走って!」
妖異たちが衝突し、混乱が広がっているところに一斉に打ちかかった。混乱しているとはいえ、妖異の数は多い。ランゼはもう妖異の中央に食い込もうとしている。このままではランゼに無理な負担をかけてしまう。
案の定、ランゼの軍勢の足が止まった。押し返されていく。追いすがる妖異をさばきつつ山の麓まで一度下がって、再度突撃をかける。それでも妖異軍の”芯”になるところまでは届いていない。
「くっ、まだ前進!」
「ミリア様!このままでは門と離れすぎます!」
「分かってる!それでも前!」
副官の進言は承知の上だった。城の守りはジュンナに頼るしかない。ランゼを見捨てる訳にはいかなかった。苦しかった。もう一手。
その時北の山が揺れた。一軍が飛び出てくる。
「遅い!」
密かに城を抜け、山中を進軍していたアヤネがようやく姿を見せた。城はほぼ空だが、軍旗はたくさんあがっていて、王国軍がいるように見える。村々の住民が協力していた。妖異からすれば降って湧いた新しい軍勢のはずだ。
想定外の方向からの攻撃に妖異軍の”芯”は堪え切れなくなった。ランゼが追い立てていく。ミリアの周りの妖異たちも一斉に退いていった。そのまま盆地の出口から波が去るように出ていく。
一息つく。白銀の世界が青く染まっていた。
勝利はいつもギリギリだな。ミリアは苦笑した。


3.Dear My Rice


ー第二師団領・スターシア城軍議の間
帰ってきた三人は蒼血にまみれて、戦の勝利に高揚していた。
ミリアが近づいてくるなり抱きついてくる。頭を撫でてやった。
「妖異も黙ってはいないと思う。包囲の構えを取るはず」
「また籠城かぁ」
アヤネの冷静な分析に対するランゼの答えには不満の色がにじんでいた。戦い足りないとでも言いたげだった。それでも鬱々とした色は以前よりずっと薄くなっていた。
そこへ西から軍勢が来たと注進が入った。援軍か?と城内が期待を込めた歓声に包まれる。妖異は東にいて、まだ盆地に入り込んだという報告はなかった。アヤネたちに東を預けてジュンナは西門へ足を向けた。
城門が開かれるとシンウチがそこにいた。なぜか緒戦の勝利を喜んでいるふうではなかった。焦れているような顔つきだった。
「マイチュン、早かったね」
「ちょっと、アヤネちゃんはどこ?」
会うなりそれか、もっと褒めてくれてもいいじゃないか、という思いにかられたが、口には出さなかった。もうそういう年でもなかった。
軍議の間に戻るとアヤネ一人だった。蒼血を落とし軍袍に着替えていた。地図と報告書を見比べて城の防備に余念がない。
「マイチュン!」
「早速で悪いんだけど、兵糧庫に案内してくれない?」
アヤネと二人顔を見合わせる。兵糧の備えに不足があったのだろうか。しかし、ミオナたちが遠征に出た際に確認していたはずだ。
「どういうこと?兵糧が足りないの?」
兵糧庫への歩みを進める間、アヤネがシンウチに尋ねた。
「確かに、ここにいる兵の数を考えたらひと月そこらで無くなる兵糧の量じゃないはずね。ここにいる兵”だけ”だったらね」
強調された”だけ”の部分に嫌な予感がする。
「まあ、見れば分かるわ」
衛兵が兵糧庫の中に案内する。庫内にはまだ兵糧があるように見えた。
「まだあるじゃん」
「カリンちゃんが多少こっちに回してくれるからね。兵糧の帳簿は?」
シンウチが庫内で帳簿をつけていた書記官に尋ねる。ひょろっとした頼りなさそうな書記官はおずおずと分厚い帳簿を差し出した。
「…まあ、見て」
一通り目を通したシンウチが帳簿を差し出す。受け取ったアヤネの目が徐々に見開かれていく。ほら、と言われてジュンナも帳簿を読み始めた。
「こういうの苦手なんだよな」
嘆息しながら数字の列を目で追っていく。こういうことからできるだけ避けたくて弓矢の稽古をしていたようなものだった。我慢して読み進めていくと、ふと一つの項で目がとまった。思わず、あっ、と声に出していた。
ある日から急速に兵糧の減りが早まっていた。このままでは今ここにある兵糧がひと月のうちになくなってしまうだろうということも予測できた。
「このままじゃ、ヤバくない?」
「ヤバいどころか確実に飢え死によ」
「それは、嫌だなぁ」
「でも、どうして?」
アヤネが疑問を口に出す。城の事務方はほとんどアヤネに任されていた。その責任を感じているのか、ほとんど涙目だった。
「アヤネちゃんが優しすぎるからよ」
「えっ」
不意を衝かれた答えに戸惑う。
「ここに村のみんながやってきたのはこれぐらいじゃない?」
「あっ、そうか、みんなの食べ物…」
村々から持ち寄った食料もあるはずだが、それも長期間籠城するにはわずかといえた。それらがなくなれば当然城内の兵糧を頼らざるを得ない。城内に不満が溜まってはいけないということで公平に兵糧を分配した。

「優しさは時に棘になるの」

ふと思い出した。記憶の中のナナミはそう言って微笑んでいだ。
その言葉が痛みになって心の深いところを刺していた。苦しみ、もがけども、釣り針のように抜けやしない。そういう言葉を使う人だった。
「今から村に帰ってもらうってのは?」
沈黙に耐えかねてジュンナは切り出した。いくら珍妙なことでも言わないよりはまだましに思えた。
「それこそ暴動になるわ。私たちを見捨てるのか!って」
呆れたようにシンウチが返答する。答えに窮し、押し黙ってしまった。
「ミオナに兵糧をお願いするのはどうかな?」
アヤネも知恵を絞り出している。確かに後方にいるはずのミオナなら兵糧が用意できるはずだ。今なら伝令も危険を冒さずにたどり着ける。
「ここにくるまでに村を通ったら人がいないから、もしかしたらと思って先に伝令出しておいたわ」
「マイチュン、驚かさないでよ。それなら安心…」
「あのね、戦で兵糧がすっからかんなのはどの師団も同じなの。それに軍資金も苦労してるはず。そう簡単に用意できるとか期待しないことね」
シンウチもかき集めた兵糧を城に運びこんできたということだった。しかし、どう考えてもそれが数日分にしかならないことは明らかだった。
「今は疲れてるだろうから休みなさい」
あれこれ言っておいて、最後に労わりの言葉をかけてくれるのもシンウチらしい。城内の兵や民の数を把握するということでシンウチと別れ、アヤネといっしょに軍議の間に戻った。
扉を閉めて二人きりの空間になると、アヤネは抱きついてきた。そのまま沈黙を保ちじっとしている。こういう時は何も話しかけない方がよかった。
「何がダメだったのかなぁ」
ぽつりとつぶやいた。消沈した声がアヤネの心情を表していた。
「みんなのためにやったんだ。自信持ちな」
抱きついているアヤネの手に自分の手を重ねてジュンナは言った。
アヤネはジュンナの胸に顔をうずめて微動だにしなかった。
「ありがと…」
どれくらいたったのだろう、湿り気を含んだ声でアヤネが答えた。
静かな時が流れる。
もう少しこのままあげるのが自分の役割なのだろうとジュンナは思った。
それが自分の優しさだった。


ー直轄領商都・シャノイ
冬の風が潮の香りを運んでくる。
冬の風といってもスターシアとは比べ物にならないほど暖かい。
心地よい風に喧騒が乗り、耳の中に響いた。
その喧騒を避けるように郊外へと歩を進める。
シャノイの街は騒がしい。騒がしいのは好きではなかった。
それでもこの街に来るのには理由がある。
シャノイには川が通っていてそこを運河として商業が発達していた。
中心部から少し離れたところの河原には、人だかりがある。
人だかりは水を打ったような静けさに包まれていた。
急造の舞台に一人の女性が立った。音曲が鳴る。小さな体から鳴り響く声は甘く、それでいて力強いものだった。戦火を憂う歌。それでいて人に希望を与える歌。不安を抱く人々の心を溶かしていく。
歌が止むと聴衆は立ちあがって拍手をした。女性は深々と礼をして裏へ消えていく。聴衆が散っていく。それさえ遠くで見ていた。
舞台の袖で見知った顔の座長に会う。厳めしい顔をしているが優しい人だ。歌を歌った女性へ挨拶をしたいとと伝えると快く通してくれた。
「コトコちゃん!来てくれたんだ、嬉しい!」
満面の笑みで応えてくれる女性ーカオリーはこの座の看板役者だ。
「素敵でした」
「ありがとう。見ててくれたんだね」
グルーカとマネンを行き来する間にこの座に出会ったのはいつだったのだろう。普段は芸事に関心を抱かない自分が引き寄せられるように耳を傾けていた。シャノイに寄る度に通いつめるようになっていた。
「それで、この前の話なんだけど…」
「…すみません、もう少し考えさせてください」
「そっか、そうだよね。ごめんね、難しいこと聞いて」
コトコが悩んでいるのは、興味があるなら興行についてこないか、と座長がいいだしたことだった。断ろうと思ったが、カオリにも全力で応援するからと言われたことで気持ちがぐらついた。
王国での任がないわけではなかった。軍務から解かれ、皇王の相手役として宮中に出入りすることが多かった。身分もわきまえず直言する自分のどこがいいのか分からなかったが、なぜか皇王には好意を寄せられていた。皇王は孤独だった。寄り添うわけではなかったが、壁をつくらず話せる相手を求めていたのかもしれない。
「コトコちゃん凄いんだね、皇王様にお話を通せるなんて」
「いえ、別に…」
「御前で披露してから、たくさんの人が見てくれるようになったよ」
一度、皇王にカオリの座の話をした。皇王の側近から下賤と揶揄されたが、その時ばかりはむきになって応戦した。そのコトコの反応を面白がったのかもしれないが、皇王が見てみたいと言い出した。
カオリの歌を聞いた皇王はいたく褒めたたえ、褒美まで持って帰らせた。その評判が座に人を呼び寄せるようになったのなら、嬉しい話だった。だが、皇王の権威を負った人とカオリに見られるのだけは御免だった。
「しかし、このまま王国に留まるのはいかがなものでしょうか」
「ほう、というと?」
「軍神様がお倒れになったと聞きます。このままではどうなるものか」
座長と下男が話す声が聞こえる。王国の民の間では不安の声が絶えないというのも聞いていた。
「コトコちゃんはお手伝いしなくてもいいの?」
「私にはもう関係のない話ですし」
「本当に?」
のぞき込むようにカオリが見つめてくる。その視線から逃れるように横を向いた。皇王の側近や枢機卿の面々から毛嫌いされているのは分かっていた。皇王から離れる時期だった。そう思いこむことにした。
「コトコじゃない!どうしてここに?」
「げ。ザキ…」
外した視線の先にはレナがいた。また厄介な奴に会った。
カオリに恭しく礼をしてこちらを向く。
「外回りじゃなかったのか…」
「ちょっと前に帰ってきてね。それよりコトコ、よかったら手を貸してくれない?こっちは人手が足りなくて困ってるの」
都合のいい話だった。軍務から解かれ、自由の身になれると思ったら宮中の仕事を押し付けてきたのはそっちではないか。むくれて無言を貫いていると、話を聞きつけた座長が割り込んできた。
「行ってあげればいいじゃないか」
「そうよ、困ってるのなら行ってきたら?」
「でも…」
「心配しなくても、私たちはこの辺りを回ってるから。ね、座長?」
「うむ。その気があったらまた来てくれたらいい」
カオリも座長も優しく促してくれた。こういうところにも惹かれるのだろう。再会を約束して別れを告げた。
レナも頭を下げて礼を言っている。これが外交相手にも信頼を与える理由だろう。様々な地域から協力を取り付けるには国内の地位とは関係ない話だった。それがレナには分かっているのだろう。
レナの乗っていた馬車に乗り込み話を聞いた。
「で、用って何?」
「マイさんが倒れた話、聞いてるでしょ?それに、うちらのところにも攻め込まれたって話も」
「ふーん」
「ふーん、って。まあいいわ。スターシアの城、囲まれてるのよ。コトコの知恵を借りることになるから」
レナのことだ、助けを求めるなら相当厄介なことに違いない。
そして、ここにいるということは宮中のことも抱え込んでいるのだろう。
憂鬱だった。
降り注ぐ陽の光が、通りかかった雲にさえぎられる。
河原から吹いてくる風が先ほどよりも冷たく感じた。


ー堅忍の章・終ー

ここまで読んでいただきありがとうございました。
次回、『不屈の章』。ぼちぼち書きます。

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