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ノギ戦記Ⅲ ~逆鱗の章~

この物語はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありませんが、乃木坂46を知っているとより一層楽しめるかもしれません。

0.前回までのあらすじ

一時期は王国軍の拡張に妖異軍の侵攻は縮小しつつあった。だが、王の誕生により妖異軍に連合の動きがあることを宰相・マナツらは察知する。
そして始まった妖異軍の侵攻にマイを総大将とした王国軍が立ち向かう。思わぬ妖異軍の大軍勢に戦線は膠着し、苦戦に陥る。アスカとサクラの突撃により戦況を打開。勝利を決定づけることになる。だが、戦勝の喜びも束の間、宴の後、マイは矢に倒れてしまう。


1.あなたのために泣きたい

ーデーブレーク平原・王国軍本陣幕舎
静寂。呼吸する音さえ大きく聞こえた。
内臓が掴まれたように縮こまっている。
苦しかった。
幕舎の中には灯りがあるというのに見える光景は暗がりにいるようだった。
諸将の顔には陰影が色濃く浮かんでいる。その眼差しに覇気を感じさせる者はいない。
マイがいない。
大きかった。あまりにも大きな存在。
身体から生気が抜けていくような喪失感。
すぐにでも地に体を投げ出したくなるが、目の前の諸将を、そして路頭に迷いかねない兵たちを見捨てるわけにはいかなかった。
代理の総大将はエリカだった。立場上、そうせざるをえなかった。
ふと脳裏にマイの声が浮かんだ。話して何時も経っていないだろう。

「イクちゃん、私に何かあったら、よろしくね」
「やめてよ、もう」
「何かあったらよ、何かあったら」

マイは笑い話にしていたが冗談にはできなかった。
その時ですら身震いした。マイがいなくなってしまうこと。
今、現実になってしまったという恐怖がエリカを包み込んでいた。
呻き声が聞こえた。自分の声だった。

宴の夜、エリカはすっかり眠ってしまった。
夢を見た。みんな必死で戦っていた。ずっと前の記憶。
リナもミナミもマイももがいていた。それでも前に進んでいた。
夢は閃光にかき消された。
叫び声が聞こえた。跳ね起きて辺りを見回す。
闇に目を凝らすとウメがマイを背中に負ぶっていた。
ウメの形相が異常を物語っている。
マイの背には矢が突き刺さっていた。
言葉にならなかった。
隣でマツが膝から崩れ落ちていた。ただ、何かが壊れたようにああ、ああと声にならない音を漏らしていた。
軍医を叩き起こし、マイを医務舎へと運び入れた。
矢は甲冑の隙間から、白い肌に深く突き刺さっていた。
白いひげを蓄えた軍医が脂汗を流し矢を抜く。彼にも緊張があるのだろう。
「軍神様がこのような…」
マイは全ての民の拠り所だ。一介の軍医が触れるのも身に余る光栄というものだ。彼にとっても拠り所なのかもしれない。それが生死を分かつ治療をしなければならないとなると躊躇するというのも無理のないことだった。
マイの顔には苦しみすら浮かんでいなかった。息の調子からしても、むしろ安らぎの中にあるようだった。ただ、矢傷から血が流れ、青筋が八方に伸びている。白い肌に描かれた絵のようで、異様なほどの美しさを覚えた。
軍医に後を託し、医務舎から出ると、ウメが放心して突っ立っていた。
「申し訳ありません。自分があんなところにいなければ」
ただ、両目から涙をとめどなく流し、つぶやいた。ウメにとってもマイは心の拠り所だった。支柱を失くした心に涙を押しとどめることは無理だった。
「ウメちゃんのせいじゃない、マイちゃんも分かってる」
抱きしめるとウメはすがりついて泣いた。第三師団の支えとして思い詰めることもあったのだろう。あふれるものを止める術は何もなかった。

エリカは口を開いた。
「軍議を始めます」
兵たちも騒ぎに気付き始めていた。指揮の行き届くうちに、早急に決断することが求められていた。
それでも、幕舎の空気が重すぎた。口を開くものは誰もいなかった。
ゆらっと入口に影が見えた。マツだった。
「マイちゃんが起きないの」
聞こえるかどうかという声で言った。いつもの明るさはおろか、目に生気すらなかった。
「マイちゃんが起きないの。何も返事してくれへんの。どうしてどうして」
声がだんだんまくし立てるように大きく速くなっていき、しまいにはうわっと泣き崩れた。カズミが背中をなでて慰める。ふと視線を上げると、軍医が入り口で肩をすぼめて立っていた。
「何かありましたか?」
「はあ、マイ様のご様子、矢傷の出血は抑えられたのですが、目をあけられません。苦しまれる様子もなく、ただ、こちらの呼びかけには答えられることもなく、困惑しております」
「それは、どういう…」
「我らでは分かりかねます。お疲れが出たのか妖異にしかない毒矢なのか。とにかく、急ぎシンクローニに戻りたいと思っております」
マイを戦陣に置いておくわけにはいかなかった。撤退の決断を下すことになる。激しい追撃を予想しなくて済みそうなのがまだましと言えた。
「マイちゃんの隣にいてあげて」
マツにそう告げると、こくんとうなずく。衛兵に肩を抱かれて何とか立ち上がりマツが出ていく。入れ替わりで伝令が駆け込んできた。また、尋常ではない顔つきだった。思わず身構えた。
「妖異軍がこちらに向かっております。その数、我らの3倍」
血の気が引いた。平原で戦う野戦ではとても勝てる数ではないだろう。それどころかデーブレークの小さな砦で守り切れる数ではない。
「妖異は狙ってたんだよ。大将が倒れたこの時を」
カズミが怒りを込めた声を放った。
「私が殿(しんがり)をやる。時間はしっかり稼ぐから、みんなは逃げて」
カズミはいつも誰かを守ろうとした。今までは何とかなってはいたが、今度こそ命を落とすかもしれない。そんな決断をしなければならないのか。
「お待ちください。マイさんがお倒れになり、カズミさんが命を落とされては軍全体が揺らぐことは間違いありません。私に殿をさせて下さい」
シオリだった。普段は性根が優しいのに、決して退かないという目をこちらに向けていた。
「それなら、私がやる。みんなを守るのなら絶対上手くできるよ」
ヒナコも名乗りを上げた。武勇なら誰にも引けを取らないだろう。後から加われど、二人とも大切な仲間に他ならなかった。
「待って!待ってよ…」
思わず大声が出た。このままだと、全員、自分が殿をすると言い出しかねなかった。しかし、誰かを犠牲にすることなど、自分にできるのか。
地図を見る。平原が扇のような形とすれば、要にあるのが砦だった。その西北には森が広がり、そこを抜ければ渓谷がある。ラビーング橋を渡れば、シンガットまで関や櫓で固めた要塞群がある。橋を渡れるかが勝負だった。
あらゆることを頭に入れた。難しいとは分かっていても、誰も傷つけたくないの一念だった。
「撤退の順は、第四師団を先頭に、第一師団、第二師団、第三師団とします。殿は、クボちゃんにお願いします」
シオリの名を告げる。はい、といい返事が返ってきた。
「殿にあたって無理はしないこと。砦では戦わず、森を抜けて真っ直ぐ橋まで駆け抜けなさい。シンガットまで退却できれば、十分抵抗できるはず」
地図の上に道を示していく。道に迷い、隊列が乱れれば、そこを突かれる恐れがあった。森の中なら、追いつかれても包囲されづらい。
「アスカ」
幕舎の隅で小さくなっているアスカに呼び掛けた。マイが倒れ最も覇気を失っているとすれば彼女だった。
「アスカはマイちゃんとマツを守って、第一師団の先頭を行きなさい」
空中に視線を漂わせて、首がわずかに縦に揺れた。了解したということなのだろう。話が聞こえていたようで、少し安堵した。
「夜戦では混乱が起きかねません。進発は日が昇ってからとします。兵たちには出立の用意をさせてください」
それぞれから了承の声が返ってくる。それで軍議は終わりだった。通達みたいなものだったなと思った。

幕舎にはエリカの他に、カズミが一人残っていた。
「ねえ、どうして、シオリちゃんなの」
優しさの中に、抗議の意思が混じった声だ。カズミなら十分な時間を稼ぐことができるだろう。彼女にもそういう自負はあるはずだ。エリカは自分の策を確認するように一言一言を紡ぎ出した。
「第四師団は絶対に帰さないといけないから先頭に置いた。私たちはマイちゃんを守るからその次。第二師団は機動に優れているけど、森では戦いづらいからその後ろ。万が一何かあっても、ミオナが駆けつけてくれる」
「そうじゃなくって、どうして私を殿にしてくれなかったの」
役目を取られたから怒っているのではない。俊英とも言えるシオリが傷つくなら自分の方がましだと思っているからカズミは苛立っていた。
「だって、私の傍にいて欲しいんだもん」
「えっ」
「私も寂しい。私だって泣きたい。私が一番マイちゃんのこと…」
そこから言葉にならなかった。涙が堰を切ったようにあふれ出してきた。
カズミも泣きながら、抱きしめてくれた。ひどく暖かく、安らかな空間にいるようで、一層涙をとめどないものにした。
静寂に包まれた寒空の下、二人の嗚咽の響く幕舎の中はさながら別世界のようだった。


2.撤退への近道


ーデーブレーク砦・第二師団本陣
明け方。頭痛がする。
よくないことが起こるときの予兆だった。
昨日の宴席でも頭痛がした。気持ちが落ち着かないままに、隣のユウキに当たってしまった。大人げない言動だったと今にして思う。それに、その席では何も起こらなかった。取り越し苦労だと思った。そして、今の戦陣にはマイがいなかった。つまらない能力を持ったものだと、自分の不甲斐なさに辟易する。
「どうしたの?また、頭痛いの?」
ヒナコだった。顔を見ればだいたい何を考えているか分かる関係だった。
「そう見えた?」
「だってこんな顔してるもん」
そういって眉間にしわを作りミオナの真似をする。自分が揶揄されているのに、思わず吹き出してしまった。
「よかった。いっつも、こんな顔されちゃ、みんな心配だもん」
「ありがと」
出会った時からこんな関係ではなかったと思う。ぶつかりもした。お互いを見向きもしなかったこともある。それでもどこかでつながっていたのだろう、結局信頼し合える仲になっていた。
だがヒナコと話しても、頭痛は頭の奥に残ったままだった。
「昨日もしたんだよね、頭痛」
「そっか」
「今日も何か起こるのかな」
何か自分のせいにされているようで、ミオナはこの頭痛のことが嫌いだった。いつどこで起こるか分からない”不幸”に対処などできようもなかった。
今思えば、ヒナコが殿に選ばれなくて本当に良かったと思う。ヒナコを失うことはそれこそ”不幸”だった。
王国軍は、夜のうちに平原の陣払いだけは済ませ砦を中心に守備陣形を敷いている。第四師団は砦の裏手からいつでも撤退できるようになっていた。
エリカの考えることに抜かりはないはずだった。ああ見えて、慎重で自分の判断だけでは動かない性格をしていた。そのいちいち確認する反復を面倒くさがる人もいないではなかったが。
「ねえ、ヒナコが妖異の将だったらどうする?」
「はあ?ヒナコは人間だよ」
「もしもの話よ、もしも」
うーんと腕組みをしたまま考え込む。いつの間にか大人びた横顔は可愛らしさよりも美しさを湛(たた)えていた。
「走って囲んでやっつけるが基本だよね」
「そうね」
王国軍が第一師団と第二師団に分かれたときに叩き込まれた戦術だった。ミオナにしてもヒナコにしても知略の面は不得手だったが、調練で染みついたものはそう簡単には取れやしなかった。
「妖異もそうするかもってこと?」
「もう囲まれているのかもしれないけど」
実際、砦の周囲には妖異の気配が近づいてきていた。しかし、それは想定の範囲内のはずだ。もっと”囲まれて”危険な場所はないのか。
「じゃあ、マイチュンに聞こう」
今ここにいる第二師団の将で、冷静に戦況を読めるのはシンウチぐらいだった。ミオナもヒナコも前線へ走ってしまう。気負わず、親しみやすく、ずいぶん年下の同僚からもマイチュンと呼ばれるのは彼女ぐらいだった。
シンウチは幕舎で、地図を見ながら撤退経路をなぞっていた。
「囲まれて危ないところでしょ?そりゃ橋ね」
「橋?森を抜けたところにあるのに?」
ヒナコの疑問は当然だった。この砦を攻略して森を抜けなければ、橋にはたどり着かない。
「妖異が森を切り開いていけば、渓谷までは行けるでしょうね。ま、そんな面倒くさいことしなくても、もっと手前の、森が切れているところから大きく迂回でもすれば、その方が早いか」
それを言うなり、シンウチもヒナコも王国軍の危機的状況に気づいたようだった。橋を落とされれば敵中で孤立する。3倍の敵に完全包囲されて生き残れる保証はどこにもなかった。
「マイさんへの刺客を走らせたのと同時に進発したとしたら」
「こちらを包囲していると見せかけて橋を攻撃することもできる…」
シンウチがミオナの言葉を念押しした。鳥肌が立っている。しかし、立ち竦んでなどいられなかった。何かないかと考えを巡らしていたら、肩をむんずと捕まれ、向きをかえられた。
「ヒナコに任せて!今から橋に行ってくる!」
そんなきらきらした笑顔を向けられても困ってしまう。ヒナコは自分の死線はここだと決めたようだった。もう止める言葉は思いつかなかった。後は、王国軍が、ヒナコが生きる望みを少しでも大きくすることだった。
「私は機動部隊を率いて、殿軍を襲う妖異の牽制をする。マイチュンは残りの兵を撤退させて」
シンウチは呆れ顔で、二人の顔を見比べていた。ひとつため息をつくと、
「分かったわよ。イクちゃんにも話を通しておいてあげる。ホント、面倒なところばかり押し付けて。だから、二人とも死ぬんじゃないわよ」
最後には𠮟咤激励が飛んできた。ヒナコと二人、顔を見合わせて笑った。
「ヒナコ、生きて、会いましょう」
「うん、約束」
三人別れて、それぞれの道へ向かう。
いつだってそうだった気がする。
そしてまた集まるのだ。
頭痛はいつの間にかなくなっていた。


ーデーブレーク砦西北の森・王国軍第三師団
シオリは焦ってはいなかった。
近道などない。
一歩ずつシンガットに近づいていけばいい。
一度、砦を利用して妖異の大軍を退けはしたのだ。
ミオナが砦の外で牽制してくれたのが助かった。いつ挟撃されるか妖異は不安なまま攻撃をしなければならなかった。砦の攻略に注力できないようでは打ち払うのも簡単だった。妖異も犠牲は少ない方がいいと分かっている。しばらく、攻撃はないはずだ。先に追い払うなら外にいるミオナの方だった。そのミオナも森の中に紛れて撤退を開始しているはずだ。
シオリはその隙をついて背後の門から一斉に撤退した。王国軍の旗はそのままに、門を僅かに開けるという小細工をしてある。妖異はそこから出撃してくるのではないかと気が気ではないはずだ。
橋はヒナコが確保してくれている。あの人が妖異なんかに負けるはずがない。強さも弱さも全てを分かち合ってきた。だからこそ、あの人の強さは一番分かっている。みんなが撤退するまで倒れるはずがないのだ。
ユウキが作ってくれている柵や逆茂木(さかもぎ)が見える。相手の進軍を食い止め、戦闘になった時もこちらを有利にしてくれるはずだ。
森がざわめいていた。もう追いついてきたのか。
「歩兵隊は両脇に隠れてください。弓隊は短弓に代えて、柵の向こうへ」
森の中で長弓は威力が弱まる。どうしても木に邪魔されるからだ。
弓隊と共に柵を越えて伏せる。今まで2つほど柵を無視して走ってきた。妖異ももうそろそろ警戒せずに突っ込んでくるはずだ。
轟音が木々を揺らす。妖異の先頭が見え始めた。じっと耐える。まだ、まだ。覚悟を決める時間。すっと立ち上がり号令する。
「放て!」
妖異の足が止まった。この機を逃してはいけない。
「一斉にかかれ!」
槍隊が真っ直ぐ突く。槍隊が退き、剣隊が繰り出す。剣も森で振れるように短く整えられている。妖異の中から逃げ出すものが多く出た。
「退いてください」
撤退の鐘は鳴らせない。居所を知られるのは危険だった。自分の後ろに王国軍の将兵が並んでいることぐらい、妖異でも分かるはずだ。
なんとか離脱に成功して、また一歩ずつ進んでいく。焦って走るようでは、シンガットまでの体力も尽きてしまうだろう。自分を信じて付き従ってくれる兵の命まで犠牲にするわけにはいかなかった。
また轟音が響く。もう追いつかれたのか。戦っている間はどうしても足が止まる。そうしている間に後続の妖異軍はどんどん送り込まれてくるのだ。
「今度は弓隊が脇に、歩兵隊は柵を越えてください」
柵の向こうに槍を並べて妖異を待つ。妖異はこちらの戦術をひとつ理解した状況。それなら、その理解を外せばいい。
妖異が盾になる板を前に押し出して迫ってきた。前よりも多い気がする。
「弓隊、放て!」
横からの射撃に妖異が混乱する。
「行け!」
自分から前に踏み出していた。一兵でも欲しいのに指揮官という立場は関係なかった。何も考えない。斬る。青い血を被る。妖異の血には温度がない。水をかけられたように冷たかった。だが、心も体も熱かった。
押し合いが続く。数はここだけでも妖異の方が多かった。弓による混乱は収まりつつあった。時間がない。ここから退却の時間も考えねば。
轟音が地を揺らす。また妖異の援軍。覚悟はとうにできている。だが、まだ撤退の時間を稼げていない。王国のみんなのために貢献できないとは。自らの力量を恥じた。
「かかれ!」
不意に後ろから声がした。王国の兵が妖異を押し返していく。
声の主を見て、目を見開く。
「ミヅキ!」
「まだ、死んじゃだめだよ」
妖異も予測していなかったのだろう。一目散に逃げだした。
「さあ、退却しましょう」
ミヅキが兵に声を掛ける。
「どうして。どうして来ちゃうの」
剣を握りしめたまま、叫んでいた。
「私がシオリと戦ったらだめ?」
「嬉しいよ。嬉しいに決まってる。でも、ミヅキには生きて、第三師団を、王国を守ってもらわないとだめなの」
「私はシオリも生きてほしいから、いっしょに」
思わず言葉に詰まってしまった。いっしょに、と言われてしまえばもう何を言えばいいか分からなかった。
「エリカさんの命令は違反することになっちゃうね。私も降格かぁ」
うそぶくミヅキは笑っていた。
ミヅキといっしょに戦いたいと思った。生きたいと思った。
森は暗かったが、進む先に灯りが見えた気がした。


ーラビーング橋・デーブレーク砦側
橋を背に南へ向く。今日は太陽の日差しが眩しい。
左手にある森は静かで味方はまだ姿を見せない。
渓谷を吹き抜ける冷たい風に心地よささえ感じる。
シンウチの予測通り、南から大きく迂回した妖異が橋に向かってくるのが見えた。ヒナコは単騎だった。大槍を真一文字に構え、気を集中した。
一兵も通すものか。
自らの気でそう妖異を威圧する。
妖異もただならぬものを感じ取っているのか、迂闊に近づいてこようとはしなかった。ただ、数はじりじりと増えていく。
我慢できなくなった妖異がいくらかこちらへ向かって突撃してきた。リナさんなら寄せ付けやしないのだろうな、心の中で自嘲する。まだ冷静に自分を見つめることができる。生きている。確かにそう思った。
槍を振り回し、妖異を吹き飛ばす。余りの威力に妖異は二の足を踏んだ。
「もう来ないの!」
言葉など通じないのにそう叫んでいた。馬を一歩進めると妖異は一歩下がる、そんな有様だった。
突然、森が揺れた。見知った顔がこちらに向かって駆けてくる。第四師団の将兵だった。ハルカが馬首をこちらに向ける。
「ヒナコさん」
「いいよ、こっちの心配はしなくていい」
ハルカは援軍を寄こそうとしたが拒否した。橋を渡って態勢を立て直し、迎撃の準備が任務としてある。それを果たしてほしかった。
サクラとアヤメもいた。二人とも悲壮な顔つきだった。
「ご武運を」
「生きてお会いできる気がしています」
それぞれに労いの言葉をかけてくれる。せめてと言って盾だけは置いていった。これで矢も防ぎやすくなる。
この子たちを守らなければならない。改めて心に誓う。
再度妖異が攻め寄せてきた。盾板を並べてこちらを圧迫してくる。
「さっそく、マイチュンの作戦、使ってみますか」
ヒナコが手を挙げると、板を持っていた妖異が転んだ。後ろから続く妖異も折り重なるように倒れていく。そこへ森に潜ませていた麾下(きか)と突っ込んでいく。縦横無尽に暴れた。押し止めるものは何もなかった。
「へー、こんなのでも効くんだ」
土の中に縄を隠しておいて、妖異の前進に合わせて引かせた。単純な作戦だったが、効果はてきめんだった。妖異の一部隊はずるずる下がっていく。
第一師団が現れたとき、妖異も新たな兵を繰り出してきた。
これがあと何度続くのだろうか。それでも退く気はしなかった。
麾下とともに突き進んでいく。同数で負ける気はしない。ただ、圧倒的な数で包囲されてしまうことも考えなければならなかった。
いくら押しても、敗走させるまでにはいかない。突撃を欲張って、退くのが一瞬遅れた。このままでは囲まれる。そう思った時、敵の一翼が崩れた。
「ミナミちゃん!」
ミナミの援護を受けてなんとか撤退できた。妖異も態勢を立て直すのに時間がかかりそうだ。
「ありがと!助かったよ」
「ごめん。アスカといっしょに来れたらよかったんだけど」
そういうミナミの背後を厳重に守られた馬車が走っていく。きっとマイが乗せられているのだろう。虚ろな目をしたアスカの姿も見えた。
「アスカのそばにいてあげて」
「ヒナコも、無理はいけないよ」
「大丈夫、絶対負けないから」
別れ際もミナミはずっと自分の方を心配そうに向いていた。その心配を振り払うように笑顔で応える。
槍を持つ手が震える。武者震いというものらしい。
みんな守ってやる。体の芯が燃える気がした。

ふと気が付くと、ヒナコの前に妖異の姿はなかった。
さんざん槍をふるい、全身が真っ青に染まっている。
息もあがってきた。幸い、負った傷は少ないものだった。
よく生き残れているなと自分でも思う。
後方を確認すると、第一師団に続き、第二師団も大部分が橋を渡りきっていた。あとは第三師団だが、ミオナの姿もまだだった。
妖異たちは森の陰に隠れて姿を見せない。橋の前に仁王立ちしていれば、当分は寄ってこないだろう。
森から異様に静かな一団が出てきた。第三師団の一軍だった。
いつも指揮を執っているウメは下を向いている。よほどマイのことが心配なのだろう。自分の責任を感じているところもあるはずだ。
「ヒナコさん、シオリが頑張ってくれてます。こちらが攻撃を受けることはありませんでした」
報告に来たのはユウキだった。こういうときは外見に似合わず落ち着いている。そこまで頭が回らず、自分のできる精一杯をしていると彼女はよく言っていたが、それもまたひとつの答えなのかもしれない。
「そういえば、ミヅキは?」
「あれ?ずっといてくれたと思ったのに」
途端にユウキの顔に不安の色が影を落とした。
「今から見つけてきます」
「待って!今からじゃ危険すぎる」
ユウキを止めようとしたとき、矢が飛んできた。慌てて盾に身を隠す。
「くっ、隠れてるんじゃなかったの」
「ヒナコさん、向こうからも敵が」
北から回り込んできた妖異が到着したのを合図に南の妖異も出てきたのだろう。このままでは挟み撃ちだ。
「とにかく、第三師団のみんなを走らせて」
「ヒナコさんは?」
「大丈夫、心配しないで」
何度、大丈夫と言ったのだろう。自分に言い聞かせているのかもしれない。
盾に何本も矢が刺さる。第三師団が必死に橋を渡り切ったのを確認し、橋の入り口を閉じるように立った。森からやってくる味方はある程度妖異を突破しなければならないが、そうは言ってられなかった。
「絶対帰ってきてよ、みんな」
麾下も負傷したものから順に、大部分が橋を渡った。単騎で橋の前に立つ。
「ここが気合いの入れどころか、よし!」
妖異が数を恃みに襲い掛かってきた。
真っ直ぐ槍を構えて迎え撃つ。
身体の芯は沸き立つように熱かった。
命の炎は誰も消せやしない。


3.私たちには行くあてがある


ーチュージ湖畔・王国軍援軍
大戦を前に王国を去るのは気が引けたが、自分の意志はどうしようもなく固かった。王からも引き留めの言葉をもらったが固辞した。この国が嫌いなわけではない。むしろ好きだ。それでも自分の力で生きていきたいという思いには代えがたかった。
マナツは盛大に送り出そうと言ってくれたが、それも断った。今は大変な時期なんだから、と言うと諦め顔で、みんなにあいさつしてくるように、とだけ約束させられた。
マリカとヒメカは王国を旅しようと計画していたらしい。シンガットまで行くというと話に乗ってきた。マイなら戦に勝って私たちを迎い入れてくれるだろう、などと気の抜けた話もしていた。二人ほど気心知れた間の友人はいなかった。三人で王国を小旅行するというのも心が躍った。
シンクローニでカナたちと挨拶を交わし、チュージ湖まで行きついたとき、慌ただしく駆けていく一団に出会った。ミリアだった。第三師団のレンカも連れている。
「サユ?どうしてここに?」
「それはこっちのセリフ。シンクローニにいたんじゃないの?」
「なんか、デーブレークの本軍がヤバいらしくって、カナさんに援軍に行ってって言われて」
穏やかでない状況らしい。三人で顔を見合わせる。デーブレークに行くのは遠慮しておこうか。そういう考えが頭の中を巡っているのは、お互いに分かり合えた。
「とりあえず、シンガットまでついてくよ」
「三人相手だと行軍でも緊張するなぁ」
ミリアはよく懐いてくれていた。直接鍛えることも多かった。今では、武技で並ぶものはほとんどいないだろう。そういう後輩が育ってくれたことも誇りだった。
夜になる前にシンガットに到着した。旅装を解き、宿屋に泊まった。宿舎を勧められたが流石に断った。自分はもう王国軍の一員ではないのだ。
日が昇る前、宿屋の周りが騒がしかった。朝の眠気が瞼にのしかかる中、着の身着のままで宿屋を出た。兵たちが走り回っていた。
「ちょっと、どうしたの?」
「はっ、急に出陣となりまして」
「どうして?」
「さあ、理由までは」
何か嫌な予感がした。マリカとヒメカも起き始めている。慌てて着替えて、館の軍議室に向かう。ミリアとレンカが難しい顔をしていた。
「いったい何の騒ぎ?」
「…エリカさんから。夜通し駆けてきた伝令が持っていた書状がこれです」
ミリアは絞り出すように言った。書状を受け取り、読み進める。書状を持つ手が震えた。そこにはマイが矢で倒れた、と書かれていた。
「どういう、こと?」
「分かりません。すぐにシンクローニのカナさんに援軍を頼みました。私たちはすぐに向かいます」
「待って!」
憔悴している様子のミリアをマリカが大きな声で制止した。
「ヒメ、どう思う?イクちゃんの考えることなら、分かるでしょ?」
「うーん、向こうの数が分からないけど、イクちゃんが不利だと思ったら、ここまで撤退してくるんじゃないかな」
「なら、ミリア、ここで籠城の用意をしておきなさい。援軍にいっても、撤退する人数が増えるだけ。ここは我慢よ」
「…分かりましたよ。レンカ、みんなに兵糧庫と武器庫の点検をさせて。それから壁と門もチェックしとかないと…」
ミリアがあれこれ指示を出し始める。成長したなという思いと共に、何か言葉が出ようとしていた。レンカが礼をして立ち去っていく。ミリアに激励の一言をかけて後を追った。
「ごめん。厩舎はどこ?」
「…あ、代え馬ですか。シンクローニまで送ってもらいましょうか?」
「いや、それはいい」
レンカは戸惑いを隠せずにいる。それでも、厩舎までは案内してくれた。お辞儀をして去っていく後ろ姿はアスカの幼いころによく似ていた。
「デーブレーク、行く気なんでしょ」
マリカはお見通しだった。そう言いながら自分も馬に乗ろうとしている。
「ヒメはどうするの?」
「どうするって、一人置いていくつもり?私もみんなに会いに行くよ」
誰一人、行かないという考えをしていなかった。みんなが心配なのだ。
「武器もなしに行くつもりですか」
ミリアが厩舎の陰から呆れ顔で歩み寄ってきた。
「サユから預かってた剣、マリカさんの槍です。ヒメカさんの剣はクボちゃんが持っているはずなので、この剣とよければ弓を」
「いいの?ミリアのものなのに」
「いいですよ、どうせ三人が帰ってくるまで戦いはないですし。それに」
そこまでいってミリアは少し間を開けた。
「ヒナコのことよろしくお願いします。たぶん無茶するんで」
友達思いのいい奴だった。頼りがいも自分よりよほどある。
最後の面倒を片付ける時だった。
東から昇る朝の日がやけに眩しかった。


ーラビーング橋・シンガット側
「間に合え」
馬上、サユリは叫んでいた。
疾駆する。馬も自分の気迫に応えるように足を進めてくれた。
デーブレークに向かう途中、馬車に伏せているマイの顔を見た。いつもの美しい顔立ちのようで、目だけはついに開けなかった。
エリカの話を聞いてもう一度驚かなければならなかった。殿軍を務めているのはシオリで、ラビーング橋を守っているのはヒナコということだった。どちらもサユリが買っているといってよかった。
「こんなところで死なれたら困る」
正直に口から出ていた。いつものことだった。
「じゃあ、助けにいけばいいじゃん」
マリカは事もなげに言った。ヒメカも笑ってうなずいた。エリカの止める声も聞こえなかった。いや、聞かないふりをしていた。
ラビーング橋が見えた。元々、王国が100年以上前に作った石造りの橋で、サユリの旧い友であるレナが石造建築の棟梁たちと交渉して修復したものだ。ちょっとしたことでは壊れないだろう。それは、ちょっとしたことでは壊せないことも意味した。妖異が侵攻してこようとすれば、その道を断つこともできない。
橋の向こうにヒナコがいる。立っていた。肩にも膝にも矢を受けているのが分かる。妖異が包囲の輪を狭め、一斉に打ちかかってきた。跳ね除ける。ただ、いくらか攻撃の間をずらした妖異がいた。ヒナコの対応が遅れた。
「まずっ」
「サユちゃん、頭下げて!」
ヒメカが叫ぶ。馬上から放たれた矢が、ヒナコを攻撃しようとした妖異に当たり、もんどりを打って倒れた。
「どけ!」
ヒナコと妖異の間に割って入る。マリカと共に駆けるのも久々だった。一通り駆け回ると妖異は散っていった。
ヒナコは肩で息をしている。疲労の色は明らかだった。ひとつずつ鎧に刺さった矢を抜いていく。しみ出した赤い血が妖異の蒼血と交じって紫に見えた。紫染の鎧は激戦の証だった。
「ヒメちゃんがいる。嬉しいな」
「もう、無茶して」
片膝をついたヒナコを抱きしめながら、ヒメカが優しく諭す。そういうヒメカも、と言いかけてサユリ自身も無茶をするところがあると自嘲した。人のために無茶をする、この国の住人はどうやら優しすぎるらしい。
妖異が遠巻きにこちらを囲んでいる。盾を並べて、矢を防いではいるが、いずれ限界がくるだろう。それまでに撤退できるのか。
すると、南の妖異がざわつき始めた。混乱が広がる。騎馬隊が無理やり突破し、こちらへ向かって駆けてきた。ミオナだった。
「ヒナコ!…っと、みなさんお揃いで」
ミオナも麾下も全身が青に染まっていた。乱戦をくぐり抜けてここまできたらしい。そんなミオナにマリカが声をかけた。
「ご苦労ついでに、ミオナとヒメでここを守ってほしいんだけど」
「お二人は?」
「まだ、助けないといけない子たちが中にいるみたいでね」
「…分かりました。ここは死守します」
ヒメカがヒナコに付き添い川の向こうに渡す間、北の妖異を追い散らす。これで南北とも妖異の攻囲は若干緩いものになった。
「じゃあ、行ってくる。あとはよろしく」
ヒメカが帰ってくると、サユリは散歩にでも行く調子で言った。
マリカが共にいた。負ける気はさらさらなかった。


ーデーブレーク砦西北の森
葉や枝が顔に当たろうが気にならなかった。
時折妖異がいたが、まさかこちらから向かってくるとは思っていなかったようで、不意を突かれ立ち竦んでいた。そこをマリカと進んでいく。
王国兵が妖異に囲まれていれば助け出し、シオリを見かけなかったかと聞いた。話に従って、森をさまよう。ある兵の話だと、どうやらミヅキもいるらしい。
「ったく、世話が焼ける」
不思議と悪い気はしなかった。友人を助けるために虎口に飛び込む。真っ当に生きている、そういう感じがした。
目の前が開いた。妖異が群れていた。中央でミヅキが剣を構えている。必死の形相がこちらを向いた。後ろに倒れている人影が見えた。シオリだった。
身体が熱くなった。
「触れるなぁ!」
腹の底から声が出た。妖異の間を切り裂くように進んでいく。だが、分厚い壁のように邪魔をしてくる。ふと、その力が弱くなった。マリカが別の方向から斬り込んでくる。奇抜な装束が乱舞する姿は妖異の記憶に刻み込まれているはずだ。間を取るように後退していく。
その間にミヅキに近づくことができた。
「サユリさん、マリカさん」
立ち尽くして呻くように言った。深い傷はないようだが、体力の消耗は激しいように見える。
「クボちゃん…」
倒れているシオリに話しかける。応答はない。が、胸の上下を見て少し安心する。息はあるのだ。絶対に連れて帰る。負ぶって馬に乗せる。紐でお互いの身体を結びつける。自分の背中には指一本触れさせない。
マリカもミヅキを馬に乗せた。
「行くよ!撤退!」
あらん限りの声を出した。周りの兵も連れて帰るのだ。もちろん全ての兵が無事というのは虫の良すぎる話だった。それでも、兵を無視して自分たちだけ帰るのは自分の誇りが許さなかった。
大声を出すことで妖異の注意がこちらに向く。当然、攻撃の激しさも増す。刃の間をくぐってとにかく撤退に注力した。直接打ち合っても負ける気はしない。だが、時間が惜しかった。ヒメカとミオナのことを考えれば一刻も早く帰還しなければならなかった。後ろを振り返る余裕はもうない。
「サユリ…さん…」
背中から声がした。シオリが目を覚ましたようだ。
「クボちゃんがこんなに無茶するとは思わなかった」
「すみません」
「謝らなくていいよ。先輩として嬉しい」
どこか喜んでいる自分がいる。それをありのまま伝えた。
並走する妖異が現れた。中には尋常ではない足の速さを持つものもいる。
「ちょっと手綱、お願い」
「え、あ、はい」
鐙に足を掛けて身体を乗り出し、妖異を打ち倒した。その勢いでシオリの上を抜けて馬上に戻る。
「す、凄い」
「…ってー」
久々に無理をしてしまった。身体のあちこちで悲鳴が上がる。
「そんなことばっかしてるからだよ」
マリカは呆れながら槍を突き出していく。無駄がない、隙も見せない。妖異は戸惑う間もなく倒されていくのだろう。
「ミヅキ、伏せて!」
後ろから襲い掛かってくる妖異にマリカは左手を思いっきり引いて、石突で倒した。後ろに目がついているようだった。
「マリカさんも…」
シオリが感嘆の声をあげる。そう、二人なら無敵だった。

散々暴れまわり、森を抜けた。喧騒がひどくなった。妖異が増えてきたのはそのためだったのだろう。橋が見えた。
ヒメカとミオナは妖異に囲まれながらもまだ耐えていた。
「ヒメカさんも…」
シオリはヒメカの薫陶を受けたといってもよかった。そして、心の底から敬愛していることも知っていた。
もう少しで帰れる、そう思った時、突然、目の前の景色が暗くなった。馬が脚を折りシオリ共々地に投げ出されていた。
「サユ!」
「マリカは先に行って!」
助かる人が一人でも多いほうがいい。マリカにそう促した。
馬をなでて、労わってやる。彼はもう助からないだろう。
「無理させすぎたか。ごめん」
妖異がすかさず周りを囲んだ。シオリはふらつき立ち上がるのもやっとという有様だった。先ほどまで近くにあった橋が遠くに感じた。
「くっ、ここまで来たのに」
ふと、妖異がざわつき始める。猛烈にこちらへ向かってくる一団がいた。道を開けるように妖異が割れる。一人が馬から飛び降り、左右の妖異を片付けていく。レンカだった。
「乗ってください」
言われるがままシオリを導いて馬に乗る。しかし、レンカは。そう思っていた時、一団の後方にいた騎馬がこちらへ走ってきた。
「レンカ、乗れ!」
声の主はミリアだった。すれ違いざま、レンカを騎乗の人にする。
「さあ、帰るよ!」
撤退命令で妖異を追い回していた軍がひとかたまりになる。
「ちゃんと、守りの準備はしてきましたからね」
「分かってるよ、ありがと」
ミリアと笑い合う。心強い仲間だ。
そのまま橋まで駆け抜けた。ヒメカやミオナたちも退いてくる。橋は狭く大軍は活かせない。それに弓の格好の的になる。妖異たちもわざわざそんな危険を冒してはこなかった。

シンガットまで駆け抜けた。遅れたり、負傷した兵は各地の砦に置いてきた。その日の夜半にはシンガットの街が見えた。
「門の扉、開いてる」
自分たちを迎えるように煌々(こうこう)と灯りが焚かれている。妖異が迫っているにしては不用心だった。
「エリカさんの心遣いだと思います」
後ろに乗るシオリが心を読んだように言った。シオリにとってエリカもヒメカと同じように尊敬の念を抱いている人だった。
門をくぐると大歓声が聞こえた。エリカやカズミが近寄ってくる。
「無事でよかった」
目の端に涙を溜めながら、帰還を喜んでくれた。こう盛大に迎えられると王国を去る決意も揺らぎそうなものだった。第一、照れくさかった。
そういうものを振り切るように言った。
「明日一日支度して、旅に出ようと思う。大聖堂の近くでちょっとは休ませてもらうけどね」
ハルジオーネ大聖堂の近くには温泉が湧いていて、療養所になっていた。戦傷を癒すためによく利用されていた。
「そんな急に行かなくても」
「みんながいるから安心して行けるんだよ」
「マイちゃんが目を覚ますまではいてあげて」
この言葉にはぐらっときた。エリカも譲らないという目をしている。
「頼りにしてくれてありがと。でも、ごめんね。自分の心に正直に生きようと思うんだ。どこかで応援してるから」
自分でも非情だと思う。これからの戦いも厳しいものが続くだろう。それでも、自分に嘘をつけなかった。そういう生き方を選んできたつもりだった。
「引き留めてごめんね」
エリカもカズミも涙があふれていた。
周りを見れば、各師団で帰還したシオリやヒナコをねぎらっていた。
夜の空気は冷たかったが、温かさに包まれているような気がした。
それが自分たちが作り上げてきたものだった。
誇らしく思った。


ー逆鱗の章・終ー

ここまで読んでいただきありがとうございました。
次回、『堅忍の章』。ぼちぼち書きます。

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