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ノギ戦記Ⅴ ~不屈の章~

この物語はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありませんが、乃木坂46を知っているとより一層楽しめるかもしれません。

0.前回までのあらすじ

マイの負傷は宰相・マナツの負担にもなり、高熱を出して倒れてしまう。
そうした中で、第二師団領にも妖異軍が侵攻する。堅城・スターシア城を固守するアヤネたちは、援軍を待つことを良しとせず、出撃する。妖異軍を釣り出す戦法で、見事分断に成功し、緒戦に勝利する。しかし、城内の兵糧に欠乏が発覚し、一転危機的な状況に陥る。そんな中、王宮に仕えるコトコは芸能の座に出会い、進退に迷っていた。


1.ないものねだり


ー第二師団領・スターシア城、市民居住区
戦時だというのに子供たちがはしゃいでいた。
石畳の通路を走っていく。
鼻をくすぐるいいかおりがしている。
食料の配給ということで鍋の前には住民が列をなしている。
街から集められた婦人衆の配給係が並ぶように指示を出している。
住民はよく指示に従い、少なくなった配給を受け取っていた。
「今日はこれぐれぇか…」
「しっ、お上に知れたらこれよりも減らされるよ」
どこかでささやき声がする。耳の痛い話だ。
ジュンナは軍衣を解き、街を歩くのが好きだった。
市井の声が聞こえる。住民の表情が見れる。
自然に時が流れる、そういう空間が好きだった。
頼もしいのか、お気楽なのかは分からないが、妖異が迫る中でも、住民は師団の力を信じて暮らしていた。本当に危険な状況になれば、平静でいられるなどということはありえないだろう。
妖異の攻勢も一時収まり、自分も今日は非番だから、居住区を回っていられる。明日にでも妖異の進撃は始まるかもしれないのだ。お気楽なのは自分なのかもしれないと思い、ジュンナは苦笑した。
不意にガシャンという音とともに男の怒鳴り声が聞こえた。
「貴様、どういうつもりだ!戦時であるというに!」
「離して!私は、何も」
続いて若い女の声。建物の陰から顔を出して声のする方を見る。男が女の手を掴み上げ、糾弾しているようだった。婦人衆も困ったように状況を見つめている。脇から長老がゆっくりと進み出た。
「センリよ、お前のような娘が何をした」
「こやつ、皆の飯を盗みよって。ワシが捕まえたからよいものを」
「私はそんなことしていない!」
センリと呼ばれた女はジュンナと同じぐらいの年齢だろうか、周りの住民から疑念の目を向けられている。長老がその疑念を代表するように尋ねた。
「センリには病弱の母がおったの。そうであっても盗みはいかんが…」
「母上のことがあろうと盗みはしない!そのようなこと母上が望まない!」
「ではこれは何だ!」
センリの必死の訴えを打ち消すように男は彼女の腰元から袋を取り出し、長老に手渡した。中には穀物の類が詰められている。
「し、知らない!そんなもの、私は知らない!」
「まあよい、話は街警に聞いてもらうとする」
長老は周りの街衆に指示を与え、気が重い仕事を沈痛な面持ちでこなしている。センリはその間も必死に抵抗していた。
ジュンナはまたナナミの言葉を思い出していた。

「ナナミさんは妖異は怖くないんですか?」
「私も怖いと思うことはある。でも一番じゃないわ。妖異は単純で分かりやすいからね」
「それじゃ、ナナミさんの一番怖いものって?」
「一番怖いのは人ね」

やれやれ、嫌なものを見たな、ジュンナがそう思って踵を返そうとした時、訴え出た男がニヤリと笑った。嫌な笑みだった。何かが違う。そう思った。
ふと後ろから衣服の裾を引っ張られた。背後に小さな少年が立っていた。粥が入っていたであろう椀を抱えて、真っ直ぐな目でジュンナを見つめてきた。目線を合わせるようにかがんで尋ねた。
「坊や、どうした?」
「あのお姉さんは悪い人じゃないよ」
「どうしてそう思うんだ?」
「あいつがご飯を盗った」
「あの髭の男か?」
「そう」
まだ年端も行かない少年だが、しっかりとした意志を持ってジュンナの言葉に答えていく。その言葉には信頼がおけそうだった。
「分かった。お姉さんに任せろ」
「お姉さん?うん!頑張って!」
”お姉さん”という言葉に引っかかったのは気になるが少年に背中を押されて、ジュンナは喧騒の中に歩み出した。センリを捕まえている男の前に出た。男は一瞬たじろいだが、突っかかってきた。
「なんだ。貴様、何か用か」
「その女性を離してやれ」
「貴様、聞いていなかったのか。この女は盗みを働き」
「聞いていたさ、そして思った。盗みをしたのはお前だ」
男の顔に向けて指差した。男は真っ赤になって怒り始める。さらに芝居がかった言い回しで男を挑発する。
「その罪をこの女性になすりつけようとしたのだろう?」
「な、何を言っている、貴様」
「卑怯な男だ。私たちの国にこんな男がいたとは」
「言わせておけば!」
挑発に乗った男がセンリを離して、ジュンナにかかってきた。ひらりと躱して、足を掛ける。勢いのまま男が転ぶ。胸元から何かが飛び出した。
「あっ」
「長老。これを」
長老の方に放り投げる。長老は慌ててそれを受け取った。先ほどの袋より明らかに大きい。中にはぎっしりと穀物が詰まっている。途端に疑念の目は男に向けられることになった。
「ち、違う。これはワシが、ワシが集めたもんじゃ」
「ウチの兵糧はここで取れる分じゃ足りなくてね、最近では他の師団から送ってもらってるんだけど。長老、その中身はこの辺りで取れるものかな?」
「違いますな。これは暖かな地域で取れるものでしょう」
「ありがと。それで、何か言い訳は?」
男は立ち上がると、開き直ったように声高に罵った。
「ふん、ここにはわずかしか兵糧がないと聞いておる。それゆえ、盗んだまでよ。こんなところに入るのではなかったわ!」
「あ、待て!」
そう捨て台詞を残すと、男はさっさと逃げ去ってしまった。
「ありがとうございます」
後ろからセンリの声がする。深々と礼をしている。顔を上げると両方の目から涙が滴っていた。
「まあ、そう言ってくれるなら良かったよ。お礼なら彼にも言ってあげて」
照れながら建物の隅を指差す。先ほどの少年がこちらをじっと見ていた。
「インコ!」
センリと少年は顔見知りのようだ。少年がタッタッタッと走り寄ってきた。
「インコ?変わった名だね。お姉さんを守ってくれてありがとうな」
「ありがとう、インコ」
少年はニッコリと笑顔を浮かべた。誇らしい笑みだった。
ふと周りを見渡すと、気まずい空気が流れている。センリを疑った気まずさに加えて、別の何かを懸念する空気だった。
「兵糧の行方をご存じとは、城のお方でございますな?」
長老が歩み出してくる。口が滑ったか、と今度はジュンナが気まずくなる。
「我らが城の兵糧はそれほどまでに少ないのでしょうか?」
ある種の確信を持った声。もう誤魔化しは通用しない、長老の表情はそう物語っていた。
また、ジュンナの心にナナミの声がした。

「でもね、人が一番信頼できるのも人なの」

信頼を勝ち取るためには腰を据えて話をするしかない。
ジュンナはひとつ息を吐いた。座り込む。
「じゃあ、じっくり話をしよう。私はジュンナ。よろしく」
名乗りを聞いて街衆はみんな驚いている。
ジュンナの姿を見、話を聞こうと集まってきた。
ナナミの言葉はどこかに突き刺さるものばかりだ。
だからこそ、ナナミのように振る舞いたいと思った。
ただ、借り物の言葉で信頼は得られないだろう。
ジュンナは話し始めた。自分の言葉で。


ー第二師団領・スターシア城、東城壁
山間から見えるのは鬱陶しい曇り空。
冬に澄み渡るように晴れることは第二師団領では少ない。
さらには寒風が山と山の間から入ってくる。
城壁の上は火を焚いていなければ凍えてしまいそうなほどだった。
シンウチの気分も滅入るものになる。
城壁への階段を上る音がする。
今度は嫌な知らせでないことを祈った。
そして、その願いは一瞬で打ち砕かれた。
「マイチュン、今度はアヤネから」
「また?休む暇もないわね」
ミリアの言葉通り、北の山の頂から灰色の空に狼煙があがるのが見えた。
シンウチはひとつ息を吐くと、椅子から立ち上がり、地図が広げてある机に向かう。ここ数日はずっと同じことの繰り返しだった。
ジュンナが街衆と話をつけ、民衆の不満は多少改善されたものの、それでも兵糧が少ないという事実は変えようがなかった。
それが分かってから、部隊を外に出して積極的に妖異を追い払いにかかることにした。早期決着をつける必要がある。皆の意見はほぼ一致していた。
アヤネは責任を取るようにシンウチに城代の職を譲り、北の山から攻撃を加えることになった。不慣れなことは分かってはいたし、この状況で全てのことを把握することは難しいだろう。一度は断ったが、アヤネは首を横に振ってシンウチが受けるまで動こうとはしなかった。結局、シンウチが折れた。
とはいえ、シンウチも大将の経験などなかった。人の上に立つことも、前に出ることも慣れていなかった。
「ランゼからは?何か聞いてないの?」
「まだ何も来てないよ」
ランゼはランゼで南の山の自分の作った砦に引きこもっている。妖異が隙を見せるたびに攻撃を加えていて、城の守りには大いに役立ってくれてはいるのだが、二つの山はどちらも川を渡らなければ城からたどり着くことはできないのが心配だった。すぐには助けに行くことができないのだ。
焚かれている火がパチッとはじけた。二人とも冬の寒い中、ご苦労なことだった。自分の身体にはもう寒さが堪えるようになっている。
年齢の問題ではなかった。気持ちの問題だった。もう少し平穏な暮らしを送っているはずだった。気づけば戦火に巻き込まれていたという方が正しいのかもしれない。本音を言えばもう少し安全な作戦を取りたかった。
アヤネもランゼも頑なだった。打ち払うと決めたからにはどう戦えばいいかを必死に考え、自分の考えたことを表そうと必死だった。
シンウチはもう少し柔軟に考えていた。城に引きこもり、妖異が飽きるまで相手をしてやるのもひとつの手だった。妖異には継戦の意志がまるで続かない悪癖があった。”飯”がとれないと分かるとさっさと帰る、とも考えられるのだ。幸い持ち込んだ兵糧を合わせれば2週間ほどはしのぎ切れるだろう。
「マイチュン!ジュンナから土塁にも妖異が来たって!」
「分かった。ジュンナの兵で対応してって伝えて」
こちらから兵を割けなくてもジュンナなら何とかしてくれるという期待がある。無理な突出をするような無謀さもない。むしろ慎重だ。その慎重さが今はありがたかった。
自分にはカナやマツのように奇策を生み出す力もない。堅実に、味方の性格と妖異の動きをつぶさに観察して、冷静に対処するだけだ。
しかし、この妖異の攻勢を目にすれば自分の考えは少し楽観的に過ぎるのかもしれない。妖異の軍勢には執拗さが加わっている。何としてもこの城を陥としてやろうという異様な粘りが感じられた。
思案に暮れていると、南北の山と山の谷間、師団領の入り口から、一斉にカラスが飛び立つのが見えた。不吉な前触れを感じて少し震えた。
続いて雪を踏み固める大きな足音が聞こえる。谷の間から黒い一団がこちらに向かってきていた。妖異の叫び声がこだました。
「ミリア!ミリア!」
城壁から降りているミリアを呼び止める。
「大軍が来た。城が狙われてる。アヤネちゃんとランゼに退却の鐘を鳴らして。用意ができたらこっちから援護に向かうわよ」
「…分かった。鐘の人に伝えてくる」
矢継ぎ早の指示に面くらいながらもミリアは何とか受け入れたようだった。城壁から一目散に降りて出陣の準備に取り掛かりつつある。
この際、城代として戦うより一人の将として自分を見た方がよさそうだった。その方が何かとやりやすい。
「ミオナ、早く来なさいよ」
ひとり呟く。本音が漏れた。轟音に消えていく。
相変わらずの曇り空が広がっていた。
太陽の光が差し込む隙間さえなかった。


2.治め方改革


ー旧王国領首都・マネン、宰相執務室
レナは宰相代行の仕事に忙殺されていた。軍事、内政、外交。それに王室や枢機卿も相手にしなければならない。
たかが一外交顧問のレナが宰相代行を務めることに誰からも異論がでないことが意外ではあった。実のところ、各地で妖異の侵攻の気配があり、その対策を各師団が取っているところだった。今となっては誰か助けに来てほしいというのが本音ではある。
マナツの病は癒えつつあるが、万全を期すためにしばらく休養を取ってもらった。病明けでこの仕事の量は堪えるだろう。
宰相の机の上には書類が山積みで、これの終わりがいつになるのか見当もつかなかった。それでも充実感がレナの心を満たしていた。
「ふう。アヤノちゃん、これ内務院にもっていって」
「分かりました」
アヤノも相変わらずせかせかと動いている。背中を見送る間もなく、次の書類に取り掛かった。
「えっと、次は民政院からか。うわ、水利案件は面倒だな~」
執務室の中は一人だが、声に出してしまわないと頭の整理がつかなかった。特に水利や土地の問題は権利関係が複雑で時間がかかる。さらには、昨今の戦の連続で兵糧の消耗は国全体の問題として挙がっていた。耕地の問題を解決しなければ、納入される税としての食糧も少なくなってしまう。
「ちょっと、これ、土地図ついてないじゃない」
だいたいは民政院で決定されるものを宰相府で承認するのだが、必要な土地図が添えられていなかった。運んでくる途中で落としたのだろうかと余計な詮索をしながら書類の山を探り始める。
「これ、北の村の言ってることを認めてるけど、昔の地図だと、ほら、西の村から水が流れてきてる。北の村がどこかで流れを変えたのかも」
「ホントだ。って、コトコ、いたの?」
不意打ちに後ろから聞こえた声に驚いて、レナは机にぶつかった。その拍子に、書類の山が音を立てて崩れた。
「あ。もう、コトコが驚かすからでしょ。手伝って頂戴」
「やだ、面倒くさい」
レナの頼みを一蹴し、コトコは椅子に腰かけ、次の書類に目を通し始めた。初めて会った時は、その態度に面食らったが、いつの間にかコトコの性格として受け止めていた。彼女は知らぬ相手にはかなりよそよそしいが、親密になるとぞんざいに扱うらしい。今のは単に面倒なだけかもしれないが。
それでも、王国のために働いてくれることは嬉しかった。今も別の書面に目を通している。文字列が並んだものは苦手だったはずだが、どういう訳か頭の回転だけは速かった。自分とは違う系統の頭脳の持ち主らしい。
「そういえばコトコ、どこで水利のことなんて…」
「カリンちゃんの手伝いしてたらだいたい分かる」
カリンはずっと第二師団領の内政を担当してくれていた。今は旧領を離れて、直轄領の差配を行っている。
コトコはマツにもカナにもカリンにも世話を焼かれていた。むしろ、年長者が自ら進んで世話を焼いていた。レナにはいったいどうしてそうなるのか分からなかったが、間違いなくコトコにはそういう魅力があるらしかった。
「へぇ」
レナがあらかた書類の整理を終えると、コトコがある書類に目を止め、ひとり納得している。
「どうしたの?」
「あ、これ、持って帰る」
「コトコがしてくれるの?それだとありがたいけど、何の話?」
書類を見せてくれたが、税の納入に関する申し立てで至って平凡な案件に見えた。これならコトコに任せておいた方が早いだろう。
「うん、じゃあお願いね」
「分かった」
扉から出ていくコトコが顔を覗かせてこっちを見た。
「まだ何かあった?」
「独り言、やめた方がいいと思う」
「もう!」
痛いところを衝かれて、顔が赤くなるのが分かる。
コトコはニッと笑って去っていった。
バタンと扉が閉まり、しばらく静寂が部屋を包む。
恥ずかしい記憶を消そうと仕事に取り掛かる。
「そういえばアヤノちゃん帰り遅いなぁ」
ふと、思ったことが口をついて出ていた。
どうやらやめられないらしい。
独り言がまた虚空に消えていった。


ー直轄領・ユービーエン港
冬の晴れ間。
澄み切った青空にちぎったような雲が点々としている。
水平線を船が行き交う。
それを追うようにしてカモメが飛んでいった。
時折吹き付ける風になびく髪が鬱陶しくて、髪留めをつけた。
ユービーエン港は直轄領の第一の港とあって活気が溢れているが、その活気から少し離れたところにコトコはいた。
「コトコさーん。船、到着されました」
いつものように朗らかに呼びかけるアヤノに対し、ん、とだけ返事をしてコトコは立ち上がった。
「似合ってますよ。その髪留め」
自分よりいくつか年上のはずだが、アヤノは独特の空気があって、彼女の周りは時がゆっくりと進んでいるようだった。その泰然としたふるまいが頼もしく思えることもないではなかったが。
「でも大丈夫だったでしょうか?レナさん、一人残してきて」
「まあカリンちゃんにもイオリにも来てって言っといた」
「それは心強い」
レナの手伝いが自分だけではどうにもならないと思い、使者は出していた。来るかどうかは分からなかったが、アヤノは来ると思っているらしい。
「それで、商船は無事に着いたの?」
「はい、積み荷もいっぱいありそうでした」
案内された先にはでかでかとカワゴ商船と書かれた大きな船があった。
舳先から船頭が飛び降りてくる。こちらを見るなり、会釈をしてきた。
「あんさんがコトコさんかい?」
「そうだけど」
「こらまた別嬪さんじゃあ」
「ありがと」
「ウチのお頭も挨拶したいと言っとりやしたが、あいにく別件が入りやして、積み荷だけでも受け取ってくれっちゅうて」
「よろしく伝えておいて」
「へぇ、そいじゃあ降ろしやす」
船頭は乗組員にテキパキと指示を出していく。
商船会社の長は元は王国の一員だったが、会社経営に乗り出すうちに多忙になって王国中枢からは離れていた。コトコもよくしてもらっていた。
「この積み荷っていったい何ですか?」
「後で話す」
自分の悪い癖だった。必要以上に言葉を紡ごうとは思わなかった。アヤノは慣れているのでそれでいいだろうが、初めて会った人は戸惑うだろう。
商船は王国内だけでなく海の外へも行っていた。そこでは王国の酒、鉄、木材などが珍重されるそうで、大きな儲けを手にしていると聞いていた。
ガラガラと大きな音がして、馬車がこちらに向かってくる。それも、かなり大規模な一団で群衆の目を引いていた。
「これとこれは分けて載せてほしい」
「分かりやした」
ぷっくりと膨れ上がった俵ときらびやかな宝物箱がそれぞれ馬車の荷台に積まれていく。どちらに価値があるかは受け取る人によって違うのだろう。俵いくつで宝物箱になるのか、コトコは知らなかった。
「じゃあ、行こっか」
「行くってどこにですか?」
「アヤノはこの俵を積んで第三師団領に向かって。もうすぐそっちでも大きな戦が起こる。兵糧がないと負ける」
「兵糧が足りないのは第二師団さんのはずです。私たちは…」
「もう集めてるの?王国中で足りないのに?」
「それは…」
アヤノは逡巡していた。この決断で第二師団を見捨てることになるかもしれないのだ。背中を押してやる必要があった。
「こっちはこっちで何とかする。早く乗って、行って」
「コトコさんがそういうなら…」
とりあえず信じてくれたようだった。
馬車がゴトゴトと先ほどよりも重い音を立てて走り始める。後ろの幌の隙間からアヤノが心配そうにこちらを見ていた。別に手を振るわけでもなく、コトコは目線をそらした。
「これからが大変かな」
宝物箱を前に小さなため息をついた。
馬車に乗り込み港を振り返ると、カモメが優雅に旋回していた。
普段は気にも留めないのに、今日ばかりは少し羨ましく思った。


ー直轄領皇都・グルーカ、宮城本殿
コトコからするとこの城は”伏魔殿”そのものだった。
この城に住まう人々が妖魔よりも魔物に見えた。
唯一皇王だけはコトコに理解を示してくれてはいたが、所詮枢機卿の操り人形にしか過ぎない。彼はそれも理解し、慎重に言葉を選んでいた。
それを知ってさえいれば、この目に映るきらびやかな装飾も派手な調度品も全てが無機質なものにしか思えなかった。
レナはその一角、装飾が施された椅子に居心地悪そうにいた。
こちらに気づくなり、顔に怒りの色がさっと満ちた。
「ちょっと、コトコ。今度ばかりはどういうつもり?私に、というか宰相に無断でアヤノちゃんを第三師団領に向かわせたって。それに、勝手に枢機卿会議まで開かせて…」
「城のみんな、助けたくはないの?」
「そ、それは助けたいけど、今これとは関係ないでしょ」
不意のコトコの質問にレナはあっけにとられている。その間もコトコは謁見の間への足取りを止めなかった。
「ねえ、枢機卿の了解を得ることなんて今はないわよ」
「今日でみんなの食べ物の心配は解決する」
「え?」
「いいから見てて」
金銀で彩られた豪華な扉を開ける。
重い音がして、謁見の儀で集まったものたちが目に入った。
コトコを毛嫌いし、侮蔑の目で見る枢機卿も多くいた。
皇王が目で合図をし、この場を取り仕切る上座の枢機卿が口を開いた。
「本日は貴殿より発議があったと聞いているが」
高圧的な話し方。聞いているだけで耳の奥がかき回される思いがした。続いて、枢機卿たちのささやき声。戸惑いや嘲りが聞こえるようだった。
「はい、では、よろしくお願いします」
扉の向こうに呼び掛けるとガラガラと荷台が引かれてくる。謁見の間には不釣り合いなその光景に枢機卿は困惑の色を隠せないでいる。
「何たる真似ぞ。この場を汚すつもりか」
「まあ、見て」
ひとつひとつ丁寧に運ばれてきた”もの”が枢機卿一人一人の目の前に置かれていく。華美に装飾された宝物箱だった。
開かれた箱を見て、議場の中にざわめきが広がる。箱の中には王国では珍しい玉や翡翠などの宝石がぎっしりと詰まっていた。
「何じゃこれは」
「み、見事な逸品よ」
「ふん、ようやく我らに進物を供する気になったか」
隣を見ればレナは開いた口が塞がらないといった顔をしていた。
「タダではあげられません」
「何!?」
「みなさまが貯め置かれている食糧と交換になります」
一瞬の静寂の後、怒号が議場に満ちた。
最も上座の枢機卿が罵るように言い放つ。
「このような高価なものと交換できる食物など存在せぬ。我々に飢え死ねというか!」
「まあ、まずは隣の人と宝物の量を比べてみて」
あふれかえるように入っているのは上座の枢機卿に多く、下座の枢機卿にはわずかばかり、そもそも宝箱が運ばれてきていないものもあった。
「それがなんじゃ!」
「運ばれてきた宝石の量はみんなが隠している蔵の中身の量。それなら飢えることも考えなくていい。あと、箱の蓋の裏に手紙が入って…」
慌てて箱の裏を確認し、手紙を探る枢機卿。そしてその手紙を見るなり一斉に蒼ざめる。隠してあるはずの蔵の位置が載っている地図だったのだ。
「何も”必要な分”は取ろうと思わない。いつか売ろうと思ってたのだろうから、今買い取ってあげるだけ」
二の句が継げない枢機卿を目の前に、皇王の方を振り向き奏上する。
「これでこっちの兵糧の問題は何とかなったから、後はこの人が何とかする。それでも問題があったら、よろしく」
「うむ、コトコよ、私に任せよ。王国の忠臣に問う。この中に、王国宰相府に異論があるものはいるか?」
皇王は前に乗り出して問いかける。議場はしんと静まり返って答えはない。
「異論はないと見える。レナよ、急ぎ宰相府に戻り予算案を議題とせよ。今の状況であれば、易々と原案通り承認できるであろう」
「は、はい!」
最上位の枢機卿は何か言いたそうにしたが、皇王が目線を向けるとすごすご引き下がった。コトコが無言で皇王に一礼しあっさり踵を返すのに続いて、レナが慌てて頭を下げ退出した。

宮城の外に出るなり、レナが詰問してくる。
「ちょっと待って、あんな宝物どこから?」
「カワゴ商船の積み荷。詳しくはアヤノに聞いて」
「資金は?うちにはそんなお金ないわよ」
「スターシアのお城を建てる時に採れた石。外の国では結構高く売れるんだって。まあ、甘くは見てもらったけど」
「それでも足りないでしょ?」
「あとは…王宮の倉庫からちょっと」
「まさか、売り払ったの?」
「必要ある?あれ」
レナは絶句している。皇王の許可は貰い、代々の遺物は避けたつもりだが、枢機卿に発覚すれば間違いなく糾弾される所業だろう。その前に面倒なことは終わらせておくべきだった。
「で、何で枢機卿の秘密の蔵なんて分かったのよ?」
「カリンちゃんが計算が合わないってずっと言ってたし、カナさんもずっと怪しんでたし。この前貰った地図、前と微妙に変わってて、その辺りを探してもらったらすぐ見つかった」
「あの貰っていくって言った資料が…」
レナは言葉の続きを打ち切った。
ふう、とひとつため息をつく。今日は話し疲れてしまった。
迎えの馬車に乗り込んで、幌の中で横になった。
レナは、頭の中で何かを思案しているのか何も言わない。
「独り言、なくなったんだ」
「そんなにいつもいつもしてるわけじゃないわよ」
「今日は寝転んでても怒らないし」
「今日ぐらいいいわよ。コトコ活躍してくれたし」
レナにこういう態度を取られると何かむずがゆいものがある。
馬車の歩調に合わせて荷台が揺れる。
その揺れがコトコの眠りを誘った。
瞼を閉じる。心地いい空気が流れている。
しばらく、夢の中を味わうことにした。


3.あの城は生きている


ー第二師団領軍都・バリエッタ
ヒナコは新兵の訓練に追われていた。
動きはおおよそ揃ってきたように思える。
後は実戦で何とかするしかないが、初めての実戦がどうやら激戦になりそうなところに彼らの不幸があった。
ラービング橋でのヒナコの活躍を聞いて、多くの若者が集結してくれたが、また死線に向かわせることになるのかと思うと気が重くなる。
「はい!調練終わり!明日は槍を持って集合ね」
兵士たちは疲れた様子で家路につく。それでも当初よりも元気は残っているように見えた。そこここで話し声が聞こえる。
ヒナコは川のせせらぎに足を向けた。水を汲んで口をつける。冷たい水がのどを駆け抜けていった。
「ふぅ。おいしい」
ふと、キャンキャンと鳴き声がする方を見ると、3匹の犬が駆け寄ってくる。ヒナコが保護している犬たちだ。家族だと思っている。
「よしよし、どうしたの?寂しくなったの?」
一目散にヒナコの胸に飛び込み、じゃれ合う。久々の再開に喜んでいるようだった。犬のぬくもりにヒナコも生きる力をもらえる気がする。
ヒナコがバリエッタに構えている家の横には彼らが走り回れるように庭が設えてあり、そこには戦いの最中に家族を失った犬たちが何匹もいる。専属の世話人もいて、たまには外を散歩もさせるようにしていた。ヒナコ自身も妖異との戦いから身を退いたら犬たちと一緒に暮らそうと思っていた。
突然、3匹がヒナコの元を離れて調練をしていた丘の方へ向かって吠え始めた。人影が現れる。それも10や20のものではない。一部隊ぐらいはありそうだった。旗が2本、桜色と水色に染め抜かれたものを掲げている。
「みんな、こっちだよ」
犬たちをかばうように立った。その間も2本の旗はこちらに向かってきている。馬車と荷車の一群だった。ヒナコの前まで駆けてくると、綺麗に整列していく。部隊長らしき男が2人、一歩前に出た。
「ノギ王国の方でありましょうか?」
「そ、そうだけど」
「バリエッタの城に向かいたいのですが、この辺りでよろしいか?」
「えっと…」
人見知りの自分にはこういうことが咄嗟にできない。言葉が出てこないでいると、足元で心配そうに犬たちが見上げている。
ふと、ガラガラと後方から馬車の音が鳴り響いた。
「ヒナコ、ごめんごめん、知らない人たちの相手をさせちゃったね」
「レナ!ど、どういうこと?」
「サクラ国とヒナタ連邦から来てもらったの。流石に早いわね」
部隊長の方へ向かってレナは歩みを進めた。
「はっ。こちらサクラ国の剣、及びヒナタ連邦の馬にございます」
ふたつとも各国の名産になっている。
サクラ国の部隊長が剣を一振り、捧げるように持った。受け取って抜いてみると、眩い光を放つ。鞘や柄に豪華な装飾が施された宝剣だった。
ヒナタ連邦の水色の旗の後ろに白い馬が一頭、立っていた。毛色の美しさと光を放つ瞳に気圧されそうになる。犬たちも足がすくんでいるようだ。
「これ、貰っちゃっていいの?」
「ご友好の証にございます」
「ま、こちらからも出すものは出すから、今は受け取っておきましょう」
それと、というとレナは懐からふたつの書状を各国の部隊長に渡した。今回のお礼として各国の代表に見てもらいたいと付け加える。
恭しく礼をするとふたつの小部隊は見事な速度で列を整え、丘を越えていった。すぐに影が見えなくなっていく。
「早いわね。落ち着く暇もないじゃない」
「これ、ここに持ってくるように言ってたの?」
「他の国から一番近いからね。スターシアじゃ前線すぎるでしょ」
「もしかして、前から攻められるって分かってた?」
「まさか。たまたま当たっただけよ。それにこんなに早く馬とか剣とか持ってきてくれるなんて思わなかったわ」
それでもどこかに予感はあったのだろう。不足しているのは食べ物ばかりではない。新兵が持つ武器も馬も足りなかったのだ。レナの先見の明には舌を巻かざるを得ない。
レナが乗ってきたという馬車に近づいていく。犬たちは健気についてきた。
「というか、マナツさんは?放っておいて大丈夫?」
「それなら…」
「待って!馬車から離れて!」
馬車から気配がした。殺気は感じられないが、人の気配には違いなかった。剣の柄に手をかけながら素早く扉を開ける。そこにはコトコが人形のように鎮座していた。意外な再会。思わず抱きしめていた。
「コトコちゃん!」
「痛い…」
そう言いながらも振りほどくことはしない。されるがままの愛情をコトコは受けているようだった。
「どうして来てくれたの?嬉しい!」
「ご飯、持ってきた」
「すごーい!流石コトコちゃんだね」
見るとかなりの量の食糧が荷車に積まれていた。それも何台も連なっている。これを用意するのは並大抵のことではなかった。
「これ、スターシアのお城に持っていきたいんだけど」
「分かった!ヒナコが一緒に行くね」
「傷、大丈夫?」
「あ、まあ、心配いらないかな?」
「ちょっと、かな?って本当に大丈夫なの?無理したらダメよ」
レナが横から口を挟んできた。実のところ、ミオナから休養するように念を押されていた。それでも今は、城にいるみんなを助けたかった。
「大丈夫、大丈夫。部隊のみんなに出発の準備をするよう伝えてくるね」
そういってバリエッタ城へ向かおうとすると、犬たちが目に留まった。
寂しそうにこちらを見つめる。しばしの別れになることに気づいているのだろう。3匹をまとめてなでてやる。
「ごめんね。すぐ、帰ってくるから」
家族に嘘はつきたくなかった。
必ず帰ってくる、そう心に決めて、ヒナコは城へ歩み出した。


ー第二師団領・スターシア城西、フーツ山山中
夜目に見えるのは城のたいまつぐらいだった。
ミオナはそれでも目を凝らした。
城のみんなが困窮しているのは分かっていた。
しかし、城はすっかり妖異に囲まれている。
自分の連れている兵の数はわずかだった。手の出しようがなかった。
妖異の真ん中に飛び出したい気持ちはある。
だが、それは兵の命を無駄にすることでしかなかった。
歯がゆい状況が続いていた。
「お疲れではありませんか?」
ミオナを長らく支えてくれている副官の一人が囁いた。妖異に気取られるのはできるだけ避けたかった。そのため、みな小声で話すようにしていた。
「無理はいけません。お休みになっては」
「疲れているように見える?」
「はい。先ほども少しふらつかれたかと」
「そう、それはいけないわね。後はよろしく」
もう少し幼い頃は無理をしてでも留まったかもしれない。少しは大人になったというべきか。自分では気づかないことを人に見つけてもらうことも多くなったのかもしれない。
木にもたれるようにして眠る。いつでも愛刀は手放せなかった。熟睡はここ最近経験していない。いつ妖異が襲い掛かってきても起きてすぐに戦うことはできるだろう。
しばらく、うつらうつらしていると、久々に夢を見た。

大軍勢の中にいるのにミオナは孤独だった。
先頭を走っている。
第二師団の面々は誰もいなかった。
紛れ込んだ異物を見る針のような視線にさらされていた。
後ろを進んでいるのは人だというのに妖異の気しか感じなかった。
逃げだしたい。しかし、逃げだせばどうなる。
何も知らずついてくる兵たちは、第二師団のみんなは。
後ろから誰かの声がした。
「大丈夫。何でも相談してよ」
暖かい声。顔を上げる。
そこには妖異の顔をした人が立っていた。
「嫌ぁ!」
振り払って逃げ出す。
誰も信用ならない。誰が信用できる。
分からなかった。
自分の足で走るしかなかった。
耳の奥で大声がした。
「…ナ!…ミ…オ…!」
誰?誰が私の名前を叫ぶの?
その場でうずくまる。冷や汗が全身から噴き出していた。
馬蹄。奴らが追ってきた?這いつくばるようにして逃げ出す。
耳の奥の声は消えない。
いつの間にか声の方へ導かれるように走っている。
留まる方がいい?それでも足はそちらに進んでいた。
暖かい光に包まれた。

「ミ…!ミオナ!」
「ヒナコ…」
抱きしめられていた。ヒナコは目に涙を浮かべて自分の名前を呼んでいた。どうやらしっかりと眠ってしまったらしい。
冷たい夢だった。なぜか懐かしいものを感じた。
「ヒナコ。どうしてここに?」
「ごめん。でも、どうしても心配で…」
「悪く思わないで、私たちが先導してってお願いしたんだから」
「レナ、来てくれたんだ…」
レナも心配そうにミオナの顔を覗き込んでいた。
「とりあえず、ここから逃げることね。今ので妖異に気づかれたわ」
「そう…」
「ミオナ、本当に大丈夫?」
ひどい夢を見た気がして、全身に力が入らなかった。
ヒナコに肩を貸してもらいながら、立ち上がる。
視線の先にコトコがいた。馬車の陰に隠れるようにして立っていた。
「来てくれたんだ。ありがと」
「戦えるの?そんなことで?」
「コトコ…」
不意に言葉をぶつけられた。惑わせるというより突き刺さるような言葉。
ずっと前に誰かに同じことを言われた気がした。
それを言った白い影がコトコと重なる。
マイだったことを思い出して、ミオナは苦笑した。
「ヒナコ、もう大丈夫」
一人で立って、コトコに歩み寄った。
「これでいいかしら?」
ふっと笑ってコトコは馬車に乗ろうとした。
「ほら、早く逃げないと、妖異さんが来ちゃうよ」
「そうね、逃げないと」
お互いにクスクス笑った。
仲間がいる。生きる意味がある。
凍てつくような風も、星の見えない空も、跳ね返せる気がする。
笑って生きてやろう。ミオナは気持ちを入れ直した。


ー不屈の章・終ー

ここまで読んでいただきありがとうございました。
次回、『再生の章』。ぼちぼち書きます。

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