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ノギ戦記Ⅱ ~聖塔の章~

この物語はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありませんが、乃木坂46を知っているとより一層楽しめるかもしれません。

0.前回までのあらすじ

王国軍と妖異軍の攻防は終息に向かいつつあった。王国軍宰相・マナツは予算成立において枢機卿すうききょう陣営と対立。頭を悩ませる日々が続く。妖異軍についてはとある王が統一し連合する動きがあるとの報が入る。一方、新生の第四師団長・サクラは王国軍の名将・アスカと演習において互角の戦いを繰り広げる。それを総大将・マイに認められ、妖異軍との決戦の先鋒を任されることになった。戦雲は確実に王国を飲み込もうとしていた。


1.あらかじめ決められたタクティクス


ー新都シンクローニ・軍議室
目を閉じる。呼吸を整える。力を感じる。
目を開き、じっと机の上を見る。カードを繰り、並べ、開いていく。
開かれた最後のカードは『塔』のカードだった。
「うーん」
カナの眉間にしわが寄る。『塔』のカードは大昔にあったといわれる『聖塔』という巨大な塔に雷が落ちている様子が描かれているものだ。
「不吉ね」
「どうしたの?カナリン」
声をかけられた方向を見るとヒナだった。幼い頃から見ているが、いつ会っても年齢を尋ねたくなるような色気をしていた。中身は温厚で寛容、どこか危うさをはらんだ人の良さだった。知恵も落ち着きもあるのに戦の時はとにかく敵陣に突っ込んでいくのも危うかった。いい意味でも悪い意味でも目が離せない子だった。
カナの話はだいたい聞いてくれた。いい策もひどい策も否定せずに聞いてくれた。彼女の温和さに当てられると、話しているうちに策の成否に気づくことも多いのだ。マナツとはまた違う信頼を置いていた。
「これ、『塔』のカード、予期せぬ不幸を表すんだけど、今度の戦を占ってみたらこれなわけ。どうもヤな予感がしてね」
「えー、怖いね」
彼女の反応は正直だ。眉の間に力を込めて難しい顔をしている。
「みんな出て行っちゃったし、私にできることといったら、戦略に抜けがないか確認することぐらいかな。チマ、手伝って」
「分かった」
彼女の呼び名はヒナチマだったりチマだったりした。今考えれば、その呼び名すら愛らしさを加えるような気がした。
机に王国全土が描かれた地図を広げる。斥候せっこうが集めた情報を頼りに王国軍と妖異軍の兵に見立てた駒を並べていく。最前線となるデーブレーク砦に二つの軍が集結している。第二、第三師団領にはさしたる妖異軍の姿は見られない。それでも急襲に備えるだけの兵力は配備してあった。守るものが大きくなれば、それだけ分散して警戒しなければいけなかった。以前は乾坤一擲けんこんいってきの勝負を何度も繰り返していたのだ。そういう時代は過ぎていた。今回は大兵力で必勝を期していた。
「本当に妖異軍の兵力はこれだけかな」
ふと、疑問がわき出てきた。
「え、これ以上増えるってこと?」
「最悪は想定しておかないとね」
地図の上の妖異の駒を増やしていく。最近、妖異軍の中で連合の動きがあると外交筋からも斥候の探索からも報告があがっていた。マイも前線からの報告書の中で触れていた。どうやら間違いはなさそうだった。
「例えば、共和国、連邦と向かい合っている戦力を王国に向けたら?」
「今までの3倍だね、大変だ」
一度に3倍の兵力と戦うのも大変だが、手薄なところを狙われることも恐れなければならなかった。籠城でしのぎつつ、援軍で打ち払う。国土の荒廃も覚悟しなければならないだろう。だが、”心優しい”王国の将たちにその荒廃が許せるのだろうか。民を救うために少ない兵力で飛び出していかないだろうか。その飛び出していきそうな一人が目の前にいるヒナだった。
「チマ、各師団領に、敵が来ても、援軍が来るまでじっと我慢するように伝令を出して。それとミリアとレンカにデーブレークへ援軍に行くように伝えて。今からじゃ間に合わないかもしれないけど」
「うん、すぐ用意してもらうね」
ヒナが軍議室を出ようとしたところで、マアヤが入ってきた。
「ん?何してんの?」
「マアヤの苦手な話」
げ、と苦い顔をマアヤは隠さない。頭脳労働は彼女にとってご遠慮願いたいものらしい。その代わり武勇は王国でも五指に入るほどで、大将格の護衛として心強い存在だった。
「マナツは?一緒じゃないの?」
「まだ時間かかるんだって。大変だよね」
戦が始まるというのにまだ枢機卿すうききょうたちはごねているらしい。
ふつふつと怒りが腹の底から湧き出てくるようだった。
ふと、マアヤが机の上のカードを手に取る。
「カナリン、これ好きだよね」
「まあね。それが?」
「いや、頭いいのに占いもできるってすごいなぁって思っただけだよ」
マアヤはこちらが照れくさくなるほど率直に褒めてくれる。顔を赤くして横を向いたカナを見て、ヒナが笑い始めた。
「あー、恥ずかしがってる」
マアヤの指摘に思わず口元が緩む。
「もう、いい加減にしてよね」
口調の割に声まで笑っていた。三人で笑い合う。
大事にしたいのはこういう日々だった。
守り抜きたいのは誰かの笑顔だった。
自分の頭脳はそのためにあるのだろうと心に決めていた。


ーライブライト郊外
穏やかな光が降り注いでいる。
爽やかな風が吹き抜けていく。
静かでゆったりとした時間が流れている。
寒さが緩んだ冬の日。お出かけにはいい日だった。
春になればいっぱいの緑がこの大地を埋め尽くすだろう。
光に照らされ、風に揺れる若草を思うと心が満たされていく。
ユリは街の喧騒から離れたこの場所が好きだった。
うーんと背伸びをする。空に手が届きそうだった。
隣ではミオが眠っていた。風邪をひかないように上着をかけてあげた。
最近は戦時で忙しい。幸いにも第四師団領には妖異軍は侵攻してきていないが、仲間たちは遠征の途にある。ユリは仲間の無事を祈るしかなかった。そして、祈ることしかできない自分を不甲斐なく思った。
戦は嫌いだ。それなのに王国の窮状は見ていられなくて、いつの間にか仕官していた。自分はまだまだ及ばないところが多い。それでも気持ちは仲間と共にあった。
「わ、寝ちゃってたね。上着かけてくれて、ありがと、ユリちゃん」
ミオは起きるなり慌ただしく手足を動かして礼を言った。小動物を思わせて愛らしい。最近は師団の任務で忙しくしていた。王国を創り上げてきた先人たちにひどく敬慕の念を抱く彼女にとって、仕官して働くことはどうやら天職だったらしい。そして仲間たちにも優しく接するのが彼女の美徳だった。
「ね、ユリちゃん何読んでいるの」
「『聖塔物語』って王国の古いお話だよ」
ユリは本を愛していた。自ら筆を執ることもあったが、まだ世には出していない。『聖塔物語』は王国の書庫から借り受けたものだ。
「昔は、人間と妖異は同じ種族だったの」
「そ、そうなんだ」
「みんなが協力しておっきな『聖塔』を建てて神様のいる天界に手を伸ばしてみようってなったの。そしたらね、神様がね、怒って雷を落として『聖塔』を壊して、人間と人妖、人獣、人鬼に分けたの」
「いじわるな神様だね」
ミオの言う通りだった。人同士であれば、話し合いで解決できることもあるだろうが、妖異は奪い尽くすことしか頭にないようだった。だから戦うしか道はないのだ。果てのない戦いを選ばせた神様は何を思っていたのだろう。
「ちょっと冷えてきたね、帰ろう、ユリちゃん」
「うん」
馬丁ばていの手を借りて馬車に乗り込む。サクラやハルカのように自在に馬を乗りこなせればよいのだが、ユリの乗った馬は走ろうとはしなかった。どうやら、不安が馬に伝わるらしく、ゆっくり歩いてくれるのだ。戦場ではとても使い物にならないだろう。
二人を載せた馬車が街道を走っていく。馬車を囲う”ほろ”の隙間から冷たい風が入ってきた。あんなに明るかった空が雲に覆われ暗くなっていた。
ふと道端の人影が目に入った。
「止めて、止めてください」
ユリの思わぬ大声にミオも馬丁も驚いて、馬車も慌てたように急停止した。
ユリが元来た道を戻る。涼やかな顔をした女性が倒れていた。顔は土埃で汚れている。何とか息はありそうだ。
「この方を馬車へ」
馬丁の手を借りて、馬車へと連れて行く。改めて顔を見て驚いた。
「ミユちゃん?」
「え?」
ミオも驚いて声をあげた。第四師団に入る直前で別れたミユがここにいる。
どうしてかは分からない。ただ嫌な予感がこみあげてくる。
冬らしい肌を刺すような寒さを含んだ風が吹いた。
大戦の予感がする。ユリは身をすくめて風をやり過ごすしかなかった。


ーデーブレーク砦・幕舎
マツは地図を睨んでは虚空を見つめるということを繰り返していた。その左手には兵糧のパンが、右手には筆が握られている。物見からあがってくる情報を聞き出しては地図に書き込んでいる。その間、器用にも口が止まることはない。どうも考えるには頭に栄養を与える必要があるらしかった。
砦から南西へ平原が広がっている。大軍の利を生かすため平原に布陣し、妖異軍を待ち受けて追い返す。大軍を見れば、妖異たちが何もせずに帰っていくかもしれないという淡い期待も抱いていた。だが、物見の報告によれば、真っ直ぐこちらに向かってきていることは確かだった。
軍議の時間だった。すぐ横でシオリが物見からの報告を伝えている。何事もそつなく適切にできる彼女のような人材はいくらいても足りなかった。それでも、シオリは自分の才をつゆほど誇りもしなかった。それがまた皆に寵愛ちょうあいされる要因だった。
第四師団が軍議に呼ばれる時点で先鋒を任される予感は幕舎に満ちていた。モモコとユウキも、ミオナもそうだった。結局どこかのタイミングでそういう経験は必要とされていた。
「これより布陣を伝えます」
シオリが報告を追えると、総大将として上座に座るマイが凛とした声を発した。幕舎に緊張が走る。
「先陣は第四師団に、中央後ろに第一師団、左翼に第三師団、右翼に第二師団、詳しくはマツから話してもらいます」
「うん。じゃあ、地図を見てください。中央の第四師団はそこで妖異の攻勢を受け止めてもらいます。その間に第三師団と第二師団が平原の端っこを通って、中央の敵を囲んでやっつける、そんな感じで考えてます」
話をしながら、地図の上をなぞっていく。みんなの視線がそこに注がれる。
「イクちゃんとカズミンは第四師団を後ろから支えてね。アスカとミナミちゃんは今回は遊軍です。苦戦しているところがあったら助けてあげて」
はい、や、分かった、などそれぞれの返事が飛んでくる。異論はなさそうだった。ただ第四師団の子たちは緊張が目に見えていた。
「それでは、最善の努力を、民のための感謝を、民の笑顔のための勝利を、みんなで成し遂げましょう」
「ハイ!」
レイカが士気を高めるために掛けていた声。マイに代わって少し奇妙な感じがした。それでも全体が引き締まるような効用はあるようだった。皆の目に力がこもったように光が差した。
マイはずっと力を与えてくれた。「勝利の女神」とは戦のあるところどこにでも祀られているが、彼女こそがそうだとマツは信じて疑わなかった。妖異に襲われたマツを助けてくれたのがマイとの出会いだったし、マツが失策をしでかした時も𠮟咤激励して戦列に戻してくれたのがマイだった。
ナナミと合わせて「三天女」とか「ノギの三将」とか「御三家」とか言われていた。恥ずかしかったが、嬉しかった。ナナミが旅にでる日、マイのことを託された。それも嬉しかった。マイを支えることは運命なのだと思った。
いつの間にか皆が幕舎から出ていくのを見送るマイの横顔に見とれていた。それに気づいたマイがこちらに向く。
「うん?マチュ、どうしたの」
二人でいるとマチュと呼んでくれる。それも嬉しかった。
「ううん、今日も綺麗やなって」
「っもう!」
照れて赤くなるマイは実に可愛らしかった。こういうマイを引き出すことができるのも自分の自慢といってもよかった。
ふと、視線を感じて入口を見るとエリカが様子を窺っていた。
「も~、また二人でいる~」
エリカは嫉妬の目でこちらを睨んでいた。
マツは自慢げに胸を張る。それを見て、マイが笑いだすと三人で笑った。
他愛もない会話だった。何より大切な時間だった。


2.私、耐える


ーデーブレーク平原・王国軍第三師団
妖異軍が前進してくる。
その轟音を耳にして、采配を持つ右手が震える。
「ヨダ様、そろそろ」
「ま、まだです」
副官が攻撃の指令を催促するが、ユウキは今にも飛び出しそうな配下を自重させていた。
(大丈夫、作戦通りにやれば勝てる。ナナセさんのようには戦えないけど)
憧れの人が浮かんだ。ナナセはマイと王国軍の柱石として並ぶ存在だった。守護神と崇められていた。ナナセがいれば、妖異軍の執拗な攻撃も無力だった。犠牲は恐ろしく少なかった。そのくせ戦果は異常なほど大きかった。
第三師団は攻撃をモモコが、守備をユウキが担当することで成り立っていた。自分には攻撃の”機”というのが分からなかった。それに、臆病だった。それなら、粘り強く守りを固めている方が楽だった。
(モモちゃん…)
モモコは気を病んでふせせっていた。元々、気性に不安定なところがあった。第三師団の大いなる矛がいないのだ。代わりにミヅキとウメが攻撃役だったが、モモコを心配しないということはなかった。
妖異の突撃を防ぐ柵の内側に盾を並べて、陣地を築いた。ここを守り抜けば、ミヅキやウメがどうにでもしてくれる。そうやって妖異が退けば、追撃すればよかった。追撃が遅くなったとしても確実に勝てる方法を選んだ。
妖異を弓の射程内に入るまで十分引きつけた。右手を高く掲げる。
「放て!」
精一杯の大声と共に弓が放たれ、空に放物線を架ける。断末魔と共にバタバタと妖異たちが倒れた。妖異といえど死を見つめることに慣れるはずもない。胃が飛び出そうになることはいつものことだった。
土煙の向こうにあり得ないことが起きていた。矢の突き刺さった妖異がむくむくと起き上がり、こちらへ向かっていた。心臓が縮みあがった。
「も、もう一度、放て!」
自分の動揺をかき消すように、命令する。兵も動揺は隠しきれていない。矢が飛ぶ瞬間にズレが出始めていた。
矢の突き刺さった妖異は何度矢を受けても、そのまま向かってきた。このままでは直接、剣や槍を交えて戦わなければならない。兵の士気は目の前の異変を受け止められず、極端に下がっている。相当の犠牲を覚悟した。
「槍を取って下さい。柵の内側から出ないで!」
ただひたすら耐えるだけだった。反攻の糸口も見えない。
ふと、ナナセの言葉が脳裏に浮かんだ。

「ユウキ、ただただ守っててもおもんないで」
「おもんない、ですか?」
「そう、おもんない。戦はおもろいほうが勝つしなぁ」

そうやって浮かべた笑みは忘れられなかった。
守護神でもなんでもなかった。悪魔的なものを感じた。
その時から憧れは畏敬いけいへと変わった。
自分は真似できない何かがあると思った。
「柵が倒されようとしています。いかがしますか!」
副官の大声で我に返る。自然と足を踏み出していた。
ついに、柵が倒された。矢に倒れた味方を盾にしていた妖異が、それを捨ててこちらに向かってくる。ユウキの小ささに侮っている目をしていた。
無性に腹が立った。
大斧で打ちかかってくるのをかわして、首筋への一撃で倒した。周りの兵がそれを見て沸き立つ。
「負けません!私たちは!」
兵を鼓舞する。それに応えて、兵も躍動する。
たったひとつのことで、形勢は持ち直しつつあった。
負けたくなかった。妖異にも、憧れを抱いた人にも。


ーデーブレーク平原・王国軍第二師団
「シンウチ様、左翼に兵が足りません!至急救援を」
部隊長の言葉は何度目だろう。分かり切ったことだった。
シンウチは姓で、名をマイという。悪いことに「軍神」と同じだった。
だからといって「軍神」のように戦えるわけではない。自分の実力の範囲でしかできることなどないのだ。
「こっちから援軍を出すからそれで何とかして」
援軍といってもごく少数だった。兵のやり繰りに頭を悩ませていた。
第二師団は精強だった。他国との交易の要衝を押さえるだけあって、鍛え上げてきた自信はある。それでも少数だった。農耕ができる土地が少ないとあっては、民が集まらないのも無理はなかった。
与えられた役割は拠点の防御や街道の確保など、少数でも粘り強い戦いが求められるところが多かった。もっと兵が多ければ、戦機を決定づける働きができたと思うことも少なくはなかった。
師団長のミオナはほとんど本陣にはいなかった。ヒナコと先陣を切って敵を攪乱している。今も前線で敵に打撃を与えている二人の姿が見て取れた。そうなると自然と自分の役割は本陣の防御ということになった。
「前線の兵を入れ替えるわよ。第二軍、前進」
兵を下手に疲れさせるわけにはいかない。それに妖異軍の攻勢も今までよりも明らかに激しいものだった。分厚い壁に向かっている、そういう印象さえ受ける。戦力を消耗しては負けさえ覚悟しなければならないようだった。
「次、ヒナコの方、右へ前進するわよ」
誰かが囲まれそうになると他の2人が敵の背後を突く。それで戦線は保っていた。ただ、受けの戦法だった。とても敵を突破できるものではない。
ヒナコが囲まれていた。武勇で後れを取るとは思わなかったが、身動きがとりづらそうではあった。
「フナちゃん、本陣頼むわ。ちょっと行ってくる。すぐ帰ってくるから」
本陣を任せる将も欠いていた。自分の副将を使わなければならない。突破の戦力が足りないのも当然だった。
直属の麾下きかだけ率いて右翼に向かう。ヒナコが槍を振っているのが見えた。敵は遠巻きに取り囲みつつあった。徐々に包囲が狭まっている。
ヒナコを後ろから切りつけようとした敵を弓で射落とした。それに気づいたヒナコが槍を高く上げて応える。
「ったく、世話が焼けるわね」
そのまま、2つ、3つと妖異を射倒していく。それを合図に麾下が妖異を蹴散らしていく。敵わないと思ったのか、妖異たちが逃げていった。ヒナコに見えるように弓を高く掲げた。
「運命あるんだからね。死なれると困るのよ」
年齢も風貌も中身も違うのに、なぜか同じ時に同じことを経験することが多かった。ヒナコがそれに気づいて”運命共同体”と言っていた。妹のような存在だが、苦労は分かち合ってきた。そういう存在は悪くないと思った。
一時的な不利を打開はできたが、まだ戦局は決定的に有利とは言えなかった。ミオナもヒナコも駆け回って、糸口を探っている。
焦れてはいなかった。こういう時は耐えるだけだった。
ただ、私たちには耐える時間が長すぎる、そう思った。


ーデーブレーク平原・王国軍本陣
「ぷはぁ~。美味しい」
桶に汲まれた水を飲んで一息つく。第四師団の支援にあたっていたカズミは、エリカと代わって本陣に戻ってきていた。
本陣は平原の少し高いところに置かれている。全軍が見渡せる位置だ。どこを見てもお互いの軍勢が譲らず、膠着こうちゃく状態になっている。
「シオリちゃん、第三師団に援軍を。自分で率いて行って」
「はい!」
マツの指示が飛ぶ。ここまで苦戦することはいつ以来だろうか。大将のマイの顔にも厳しい表情が見て取れる。
懐から軍学書を出す。カズミ自身、本の虫で、どこでも手放せなかった。自分で注釈書を書いたこともある。今はこれまでの戦史をまとめていた。
「妖異のこういう戦い方は今までないなぁ」
こちらの手の内を見透かされているようだった。戦力を重厚に、隙なく運用されては大軍で包囲するのも難しい。それに、斥候の調査よりも兵力は増しているようだ。必勝を期した戦いにほころびが出始めていた。
「カズミン、どうやった」
「かなり手ごわかったよ。やっぱり何か変わってるみたいだね」
「そうかぁ。こっちもやり方を変えんとあかんかぁ」
マツはカズミの意見を聞きながら新しい策を考えている。いつもは可愛らしい横顔は険しさを増して、美しさが強調されたものになっていた。
マツの訛りに、カズミはふとナナセのことを思い出した。
ずっと仲はよかった。人前では無口で自分の考えを押し通すような人ではないのに、カズミには素を見せていた。実のところ、強情で奔放で子供っぽいところも多かった。そこに魅かれるものがあった。
戦場では先頭を駆けるナナセの背中を守っていた。ナナセの背中を押すことはカズミしかできないと言われたこともあった。”守護神の番人”などと渾名あだなされることもあった。
本当はナナセに引っ張ってもらっていた。自分が先頭に立つつもりもあったが、彼女の背は守らずにはいられなかった。ナナセは平気で生死の淵まで戦っていた。妖異はそれを恐れたが、兵士がついてこれないこともあった。自分がナナセを”こちら側”に踏みとどまらせる役目だと思った。
そして何より、ナナセと駆けるのは楽しかった。
「ナナセがいればどうするだろうね」
ふと、マイがこぼした。自分と同じことを思っているらしかった。
「戻りました」
アスカがミナミと代わって本陣に来た。後ろにサクラを連れていた。
「ちょっと、なんでサクラちゃんがおんのよ」
「思いついたことがあるから、作戦の許可を貰いにきた」
アスカからそんなことを言うのは珍しいことだった。ましてや年下のサクラを連れていることに感慨深いものがある。
「ここに飛び込みたいんだけど」
アスカは地図のある点を指し示す。敵のど真ん中といえる箇所だ。案の定、マツが指摘した。
「そんな危ないこと、アスカちゃんが囲まれて終わり…」
「だから、反対からも入ってもらう」
「それでサクラちゃんを呼んだわけね」
マイの視線がサクラに注がれる。カズミはずっとサクラが気になっていた。ナナセが王国領を去るときにささやいた、「あの子は私に似ている」という言葉が引っ掛かり続けていた。
「どう?サクラちゃん、行ける?」
「アスカさんのおっしゃることなら、不安ですが、頑張ってみます」
下を向き、目を泳がせて自信なさげに答えた。それでも、カズミはサクラに眩しいものを感じた。何度も目にしてきた、先頭を走るものが放つ光を。
「分かった。こっちは全力で前線を支援するから、いってらっしゃい」
マイも、似たものを感じているのかもしれない。決断は早かった。
カズミもふたたび剣をとった。マイと無言で頷きあう。
先ほどとは違う軽さだった。
何かに導かれるように前に踏み出していた。


3.隙間


ーデーブレーク平原・王国軍第四師団右翼
ここで失敗すれば、自分だけでなく、王国軍全ての将兵の命が危険にさらされるだろう。そう思うと剣を持つ手が震える。不安が馬に伝わるようで、首をこちらに向けて様子を窺っている。
「ごめんね、心配させちゃって」
首筋を撫でてあげる。それに満足したように首を振って応えてくれた。
サクラの騎馬隊が抜けたせいで敵が中央の第四師団に集中している。好機とばかりに妖異たちの攻撃が激しさを増していた。中央突破を狙っているのだろう。マツはきっと気づいているはずだ。本陣からも兵を割いて、これを支えていた。ギリギリの攻防が続いている。
師団の中央ではハルカが渾身の采配をふるっているはずだ。アヤメもそれを支えているだろう。自分だけが、くじけるわけにはいかなかった。
「皆さん、騎乗を」
なぜアスカは自分を指名したのか。演習では、ただアスカに翻弄されていただけだった。自分でできる限界のことをしたに過ぎなかった。それでも、サクラはアスカに食らいついている、というように見えたようだ。
なぜアスカの申し出を受けてしまったのか。サクラを正義の人や優しい人のように言う人もいた。自分はただ嫌われたくなかっただけだった。師団長に見放された兵や民の悲壮な顔を見たくなかっただけだった。
それでもここにいた。自分の心に素直になれば、妖異からこの大切な国を守りたいのは事実だった。
暗色に満たされた妖異の軍勢を見渡す。剣を振り上げようとした時、
「眩しい…」
突然、光が目に飛び込んできた。目の前が光で真っ白になる。
この光に向かって駆けてみよう、なぜかそういう気持ちになった。
無言のまま馬を走らせる。後ろから誰か付いてきているかは分からない。
光を防ぐように妖異たちが出てくる。ひどく邪魔だった。
「どいて」
切り結ぶ暇も与えず、妖異が倒れた。ひとつ、ふたつと倒していく。
光に向かって道ができてきた。幸い邪魔する妖異も少ない。
馬を走らせていく。心地よい気すらした。
光の源にたどり着いた気がした。いつの間にか眩しさは消えていた。
「あれ?誰も、いない」
サクラの後ろで、妖異と王国軍が戦っていた。一人で駆けてきたのだろうか。一気に不安になる。元来た道を振り返ると、少しして配下が必死の形相で妖異の軍勢の間から出てきた。安心した。
「サクラちゃん、そのまま駆け抜けて!」
第四師団の左翼から敵を突破してきたアスカがすれ違いざま、叫んだ。
サクラの任務はこのまま中央の妖異の後背をすり抜けて、第三師団を攻撃する妖異に突っ込むことだった。アスカは第二師団の敵に突撃していく。
ほとんどの配下が出てくるのを確認するとサクラはまた、馬を走らせた。
幸い追ってくるものはいなかった。妖異軍は背後を取られたことに動揺が広がっているようだった。
また、光が見えた。目の前が白く塗りつぶされていく。
もうためらいはしなかった。駆けだしていく。
戦の喧騒けんそうは、妖異の悲鳴へと変わっていった。


ーデーブレーク平原・王国軍本陣
「では、この度の勝利を祝って、乾杯!」
「かんぱ~い!」
マイの音頭で祝宴が始まった。
兵たちも思い思いに散らばって宴を楽しんでいる。
といっても、酒宴と呼べるほど酒の類は持ってきていない。過ごせば、余計な騒動が起きかねないからだ。
酒が好きなものは一杯の盃を、飯が好きなものは米や肉を褒美としてもらっている。そこここで歌を歌うものも出始めていた。
アスカとサクラが妖異軍を切り裂き混乱させたとき、マイは全兵力を投入した。浮足立った妖異は我先にと逃げ出した。追撃戦も行われたが、それなりのところでマイは軍を停止させた。完全な勝利は国全体に緩みをもたらす。それはできるだけ避けたいとマナツとも話していた。
それでも枢機卿はマナツに難癖をつけてきているようだった。この度の勝利で、余計に軍費削減と言い出しかねなかった。その時は自分も乗り込んでやろうと密かに考えていた。ひと睨みすれば枢機卿も縮みあがって、マナツの考えたことに首を縦に振るだろう。
そんなことを考えながら飲んでも、酒は美味しくもなかった。それよりはこの度の勝利を喜ぶべきなのだろう。苦戦する時間は長かったものの、諸師団の奮闘により、思ったよりも少ない犠牲で済んだというのが報告から上がってきていた。ただ、犠牲になったものは確実にいた。心の中で弔った。
殊勲賞のサクラは周囲を年長者に囲まれて、称賛を受けながら照れていた。自分の手柄ではない、アスカさんについていっただけだ、断片的に聞こえる彼女の言葉は謙虚そのものだった。
もうひとりの殊勲であるアスカは相変わらず幕舎に隠れた端の方にいた。いくら言っても、人と群れようとはしなかった。大功を立てている割に目立とうという気持ちはこれっぽっちもなさそうだった。
マイが近づいてくると、アスカは途端に顔を赤らめた。かがり火のせいだけではないだろう。
「ありがと、助かったよ」
「ふふ、なんとかなったよ」
照れて盃で顔を隠そうとする。いくら小顔の彼女でも、完全に顔を隠すことなどできない。隙間から見えるアスカは妹そのものだった。
「これで落ち着くといいわね」
「うん」
アスカにしては力強く答えた。国の平和を願う気持ちは誰よりも強いのかもしれない。王国軍の皆が戦い、傷つくのを彼女は本心で嫌っている。だからこそ信頼がおけた。彼女の強さでもあった。

アスカの元を離れ、宴席を回っていく。みんな喜びや安心を表に出しているが、どんよりした雰囲気を醸し出している一団があった。ユウキだった。
「ヨダちゃん、どうしたの、そんな暗い顔して」
彼女より年上でユウキと呼ぶ方が珍しい。姓のヨダで呼んだ方が彼女の持つ愛らしさを表現できそうだった。
「も、申し訳ありません。大きな功をあげられずに」
憔悴した様子で、泣きそうになった顔をしながら言う。確かに第三師団の大将としての戦果はそれほど大きいものとは言えなかった。防御線を突破されたとも聞く。サクラの急襲がなければ、危うかったかもしれない。
「じゃあ、私たちの戦果も小さいものね」
横で酒をたしなんでいたミオナが冷ややかな声で言い放った。第二師団もアスカの力を借りた部分が大きいと思っているようだ。
「ちょっと、ミオナ、いい加減にしなさい。そういうこと言わないの」
申し訳ありません、と目を伏せる。こういう少女らしいところは出会った時から変わらなかった。大人になったようで、もっと認められたいと心の底では思っているのだろう。
「ヨダちゃんも、今日勝てたのは皆のおかげなんだから、あまり悪い方に考えないようにね」
「ありがとうございます…」
消え入りそうな声をしている。彼女が自信を持つようになれば、第三師団の在りようも変わっていくのかもしれない。時間はかかるかもしれないが、希望は大きかった。

宴が終わり、皆が寝静まった夜、マイは目が開いた。
エリカやマツたちも、星空の下、可愛らしい寝顔を見せている。
ふと丘の頂に人影が見えた。近づいてみるとウメだった。
「こんな遅くにどうしたの?」
「マイ様、見つかっちゃいましたか」
恥じらって顔に朱が差しているのが暗がりでも分かる。特にマイに憧憬どうけいを抱いているということも知ってはいた。
「こうして戦歴を残して、後で振り返るようにしておこうかなと。」
「記録係の人に任せておかないの?」
「自分で感じたこともありますので」
「偉いね」
マイが褒めると照れて、うつむきがちになる。長身の彼女が縮こまったような気がした。
「明日も早いんだから、ほどほどにね」
跡を継いでいくものたちが努力を絶やさないことは、自分にも民にも幸せなことだ。そしてその幸せがもっと大きなものになっていけばいい。
頂から降りて、幕舎の方へと戻っていく。
見上げると、今日は特に星が綺麗だった。
「届きそう」
幼いころに戻ったように手を伸ばす。指の間から流れ星が流れていく。
突然、後ろから何かが身体を貫いたような気がした。
光のようでもっと禍々まがまがしいものだった。背に悪寒が走る。
もうすぐ届きそうだった星が遠のいていく。
なぜかは分からないが、倒れようとしているのだけは分かった。
脚に力が入らなかった。地面の冷たい感触がマイを迎い入れてくれた。
天に手を伸ばそうとしたからかな、マイはそんなことを思いながら、ゆっくりと瞼を閉じた。


ー聖塔の章・終ー

ここまで読んでいただきありがとうございました。
次回、『逆鱗の章』。ぼちぼち書きます。

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