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【小説】神の贄 中

謎の人物に妹を攫われたジル。目を覚ました彼だったが、ある違和感に気づいて――?
前回は下記になります。

神に中指をたてる系少年の話。次で終わります。


「……おい……ル! ジル!」

 何者かに揺さぶられて、ジルの意識は浮上した。重い瞼を開くと心配そうに覗きこんでいるラウルと目が合った。

「おい大丈夫か。お前家の前で倒れていたんだぞ」

 倒れていた? 体調は悪くなかったはず。いやそんなことはどうでもいい。何か大切なことを忘れている気がする。もやがかかる頭を振り、必死に彼方に消えてしまいそうなものへと手を伸ばす。鋭い痛みが走ったが、構わなかった。今追いかけなければきっと後悔する。心の奥底で警鐘が鳴った。ジルは霞をかきわけて逃げるそれの尻尾を掴みとる。瞬間、脳裏に光が弾けた。

「そうだ、ニーナ! ニーナは? 探さなきゃ。あいつから取りかえさなきゃ!」

 ジルは勢いよく跳ね起きる。ラウルは不思議そうに目を瞬いた。

「ニーナ? 誰のことだ?」
「はあ? お前なに言ってんだよ。ニーナだよ、ニーナ! 俺の妹の」
「いやお前に妹なんかいないだろ。ずっと一人だったじゃねえか」

 この期に及んでふざけているのかと友の目を見たが、悪ふざけの色は一切見当たらなかった。
 まさか、そんなことがあるのだろうか。妹がいない? しかも記憶も消えている?
 へたりこんだジルにラウルは案ずる色を強くした。

「おい大丈夫か? なんか変なものでも食ったのかよお前」
「……悪い。ちょっと一人にさせてくれ」

 未だに痛みを訴える頭を押さえてうずくまる。とりあえず状況を整理したかった。

「でもさ……」
「頼む」

 ラウルは納得のいかない顔をしていたが、悩んでいることがあったら言えよ、と言い置いて帰っていった。
 むしろを敷いただけの寝床は一人分の毛布が転がっている。薄っぺらで、つけてもつけなくてもほとんど変わらない布切れだったが、二人でくるまれば厳しい冬の寒さも和らぐような気がしたものだ。隅に転がるのはクマの人形。ゴミの中から見つけた片目のとれたそれを、ニーナは毎晩大事に抱えて眠っていた。妹の安らかな寝顔が浮かんだ途端、かっと熱いものが身体を駆け巡った。
 硬い地面に爪を立てる。中に砂利が入りこんだが構わなかった。

「そうだ。カミサマがなんだってんだ」

 大事な妹だ。ただ一人の家族だ。それを奪うのならばカミサマだろうが何であろうが容赦はしない。ジルは乱暴に頬を拭った。
 あの野郎に一発は拳をあててやらなければ。だがまずは現状の把握だ。カミサマとやらの居場所も探らなければならないし、やるべきことは多くある。ジルは地面に伏せたクマを小脇に抱えて立ち上がった。


「つまりニーナのことを覚えてるのは俺一人ってことか……」

 仲間たちに聞きまわり、馴染みの店にも寄ってわかったことは残酷な現実だった。妹の存在は誰一人として覚えていなかった。覚悟はしていたが、白昼夢を見ているような気分だ。自分以外妹の存在が頭から抜け落ちてしまっているというのは。
――本当に?
 仄暗い声が囁く。おかしいのは自分ではないのか。孤独に耐えかねて妹の幻想を作ってしまったのではないか。足元が揺らぐ度にぬいぐるみを抱きしめた。微かに妹の温もりを感じた気がした。

「しっかりしろ。兄貴の俺が頑張らなくてどうする」

 ジルは頬を叩いて再び歩き出した。
 だがより厳しい難題がある。それはあのカミサマとやらがどこに行ったかわからないことだ。手がかりがあると思われるのはただ一つ、大聖堂だけである。が、みすぼらしい孤児一人いれて話を聞いてくれる連中だと思うほど、ジルはおめでたい頭をしていなかった。

「ここはやっぱり忍びこんでみるしかないのか」

 字が読めないので書物をみても何もわからないだろうが、教会の中には伝承を模した絵があるという。やる価値はあった。そうと決まれば作戦を立てなければならない。幸いにも今日は祭りの日。夜が明けるまでは普段閉ざされている門戸も広く開かれている。一番いいルートはどれになるだろう。考えを巡らせていたジルは無意識のうちに懐の巾着に手を伸ばしていた。重みのある巾着に指が触れた瞬間、薄茶の目が大きく見開かれた。

「いや忍びこむ必要すらないな。正面からいけばいい」

 閃いた考えは、考えれば考えるほど上手くいくように思えた。そうと決まれば早速行動だ。ジルは弾けるように駆け出した。


「おや坊や、親御さんとはぐれちまったのかい?」
「そうなんだ。ねえおじさん、あの絵は何を示しているの?」
「ああ、あれはね――」

 身なりが変わればこうも人の対応は違うのだろうか。ジルはベラベラと喋り続ける男のうんちくに愛想よい笑顔を返しながら内心驚愕していた。
 あの後古着屋に駆けこんだジルは店主にできるだけ清潔な服をくれるよう頼みこんだ。主人はジルを一瞥して訝しげな眼差しをむけたものの膨れた巾着をとり出せば無言で何着か服を見繕ってくれた。その中から一番清潔そうにみえる服を購入した。巾着は羽のように軽くなってしまったが、後悔はしていない。薄汚れた顔は何度も川で洗うことでなるたけこざっぱりさせ、服を着替えれば、少なくとも平民にはみえる。間違っても路地裏にたむろする孤児の姿ではない。
 祭りのときだけは貴族や金持ちだけでなく、一般市民も大聖堂の門をくぐることができる。拒否されるのは路地に住み着くしかない貧乏人だけだ。ジルもあっさりと通されて拍子抜けしたくらいだった。

「――それでだね、大司教様の祈りを聞き届けた神様は北西の小高い丘の上から今も見守っているそうなんだ。ちょうどそれが描かれているのが目の前の絵だよ」

 指さした先には金糸の刺繍を施した純白の衣を羽織った男が跪いた男を見下ろしている。相対した奴とは似てもつかない格好だったが、被った傘はまったく同じものだった。

「傘で神様のお顔が隠れているのは他にない意匠なんだが、まあそれをぬいてもこれは圧巻だよ。壁面いっぱいに描くことで生み出される圧倒的な迫力、細部までこだわりぬいた画家の技巧! ごらんあの服のひだを! あそこまで描きこめる画家は百年に一度でるかでないかだ」

 男は唾を飛ばす勢いで熱狂的に語る。しかしジルの耳には意味のない羅列にしか聞こえなかった。それより気になったのは男のある一言。

「北西の丘……」

 北西の丘にいけばあいつに会えるのか。そこに妹がいるのか。ギリリと歯を食いしばる。妹は絶対に救いだしてみせる。神がどうとか知ったことではない。

「これを描いた画家の名は残されていないが、王都のとある貴族の館にも似たような技法で描かれた絵があってね。同じ人物が描いたという説が有効で――」
「おじさん、ありがとう。よくわかったよ」
「ちょ、ちょっと待ちたまえ。まだ話は……」

 ジルは貼りつけた笑みすら捨てた。押し合う人々をかき分け、出口に向かって進んでいく。逆走するジルを人々は迷惑そうな顔で睨みつけ、ときには舌打ちと共に突き飛ばしてくる者もいた。小さな身体はそれだけで容易く流されてしまう。が、足を踏ん張って器用に人々の間を縫い、何とか入口の門にたどり着いたとき、既に夜の帳はおりていた。燃え盛る炎から出た火花が星の代わりに夜空を彩っていた。
 北西の丘は徒歩で行くのならば三日はかかる。今から出立しても賊にあたる危険性が高まるだけだ。ならば今すべきことは旅の準備である。
 後ろにそびえ立つ大聖堂は豪壮な容姿も相まって、まるでのしかかってくるようだ。赤々と照らされる石造りの建造物は無言で訴えていた。諦めろ。屈服しろ。こうべを垂れろと。
 誰が諦めてやるもんか。俺は妹を再びこの腕に抱くまで死んでも食らいついてやるからな。
 舌を突き出し、ジルは大聖堂を後にした。


 一度しか使わなかった服は丁寧に折りたたんで翌朝古着屋に売り払った。はした金にしかならなかったが、昨日のあまりと合わせれば三日分の食料をまかなうくらいにはなった。クマをそっと寝床の隅に置いて、出発しようとしたそのときだった。

「おいどうしたんだジル。まるでどこか行くような格好をしてよ」

 顔を出したラウルが眉をひそめた。ジルは無言で荷物を背負った。元々荷物なんてあってないようなものだから食料と毛布、一枚しかもっていない着替えしか入っていない軽い袋だ。
 唯一普段の格好と違うのは夜拾ったオークの棍棒。あの野郎を殴るために、腰にさしている。

「おいジル! お前本気でどこか行くのかよ」

 肩を掴んだ友につっと視線を投げた。びくりとラウルが後ずさる。その瞳に怯えの色が浮かんでいるのを見つけ、ジルは不思議に思ったが、今は聞く気もおきなかった。
 感情の抜け落ちた顔に、目だけが抜き身の刀のような光をぎらつかせている。しかし鏡がないのだからジルには知る由もない。

「……六日ほど出かけるつもりだ。もしも二週間経っても俺が戻って来なかったら死んだと思って忘れてくれ」
「はあ!? おい、お前それはいったいどういう……」
「どうでもいいだろ。俺は行かなきゃなんないんだ」

 友の手を振り払って歩きだす。眩い光がさす表へと。きらめく陽光が大聖堂でみた奴の服を思い起こさせ、苛立ちが増す。

「おいジル!」

 必死の様相を帯びた友の声ももうジルには届かなかった。胸の内にあるのは唯一の家族、それだけである。

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