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【小説】回想、あるはなについて(3) あんず 

前作「回想、あるはなについて(2) 朝顔」の続きです。

第一話はこちら

不完全なワンダーランドにでてくる妖怪はなの過去話。
森で知り合った下級武士の娘一女いちめとは、はなにとってこれまでの誰よりも仲のいい友達となっていた。
二人の交友は数年経っても続いていたが――

それから何年も経ち、野山を駆け回っていた少女は畏まった言葉遣いを身につけ、背もぐんと伸びた。いや背に関しては伸びすぎて、身長の低い男ならば抜かしてしまうほどだ。それ故に可愛げがないと言われていたが、はなは彼女の高い背が好きだった。杉の木のように真っ直ぐな背は彼女の凛とした雰囲気をより際立たせるようだったから。

だが、言葉遣いが変わったとしても、体がすっかり成長したとしても二人の関係は変わらなかった。それに一女の本質自体は変わっていない。
その気質を体現するような、真っ直ぐな髪をもっているというのに、結うのを嫌がり、自室で会うときはおろしたままでいるなどいかにも彼女らしい。

せっかく絹糸のようなきれいな髪なのに、と言いながらも腰あたりまであるそれを手で弄ぶのは密かな楽しみだった。

今日もいつものように二人で団子屋に寄ったときのこと。
ここの店主は盆栽が趣味で、なかなか粋のある鉢が何個か店先を飾っている。この日は淡い紅色のあんずが控えめながらいじらしい姿を見せ、客たちの目を楽しませていた。

はなは団子を覆いかくす餡子がのったあん団子は特にお気に入りで、いつもそれを頼む。目を輝かせて団子に手をのばすはなをじっと見つめていた一女がふいに口を開いた。

「そういえば、はなは姿形が変わりませんね」

瞬間、口の水分が一気に引いていくのを感じた。舌に残っているはずの餡の甘みも感じない。

「そ、そんなことないよ。ほら、ちゃんと背だって伸びているよ? そりゃいっちゃんに比べれば全然伸びていないかもしれないけどさ」
「いえ全く変わっていませんよ」

断言されて口を閉ざす。口内はすっかり乾いているというのに、握りしめた手のひらは汗が滲んだ。

「はなは」
「ごめんねいっちゃん。私、急用思い出したから帰るね!」

一女の言葉に声をかぶせて、素早く席を立った。

「じゃ、またあし」

た、と言いおわる寸前で手首を掴まれる。

「ちょっと待ってください、はな」
「い、いっちゃん? ごめんね、本当に急がなくちゃいけなくて……」

自分の鼓動が一女に伝わってしまいそうで、どうか伝わらないでくれと願いながら、恐る恐る彼女を見る。彼女の真っ直ぐな黒い瞳はこちらを見透かすように貫いていた。

「前から思っていたのですが、もしかしてはなは、」

耳をふさぎたいのに片手を掴まれているせいで塞ぐことができない。恐怖に目を見開いたまま、刑を告げられる罪人のようにはなはただ待つしかなかった。

「人ではないのではありませんか」

時が止まった。二人の間を乾いた風が吹き抜ける。店先のあんずの花が一つ落ちたような気がした。

「もし、そうだと言ったら、いっちゃんはどうするの」

震える唇を動かしてはなは答えた。
軽蔑するか、恐怖で怯えるか。或いは退治してやると睨みつけるだろうか。どの道今までの関係が崩れることは確実だった。

掴まれていないほうの掌に爪が食い込む。この場から消え去る算段を立てながら、彼女の言葉を待った。

「いえ、ただ確認したかっただけですが」
「え?」

しかし彼女はその黒に軽蔑も、恐怖も、怒りすらのせず不思議そうにこちらを見た。

「それだけ?」
「はい。それだけですね」

ぽかんと口が開く。黒は依然としてこちらを見つめているだけで、そこに嘘の気配はない。

今自分は間抜けな顔をしているだろう。今まで自分の正体が露わになったところで嫌悪を示さない子がいただろうか。そんな人など故郷の村人たちだけだと思っていた。

「え、えっと、その、いっちゃんは私が人じゃないって知ってなんかないの?」
「何かとはなんですか」
「そ、その、怖いとか、今までだましていたのかとかさ」

彼女の表情がむっとしたものに変わる。

「はな」

強い光がはなを捉えた。

「私がはなが人でないと知ったところで関係を切るような、そのような浅はかな人間だとあなたは思っていたのですか」

心外ですと吐き捨てる彼女の顔にはありありと不満が現れていた。

「い、いやそういうわけじゃないんだけどね? ほら、今までの子たちはそうだったから」

もごもごと歯切れ悪く答えると、一女は眉間の皺を深くした。

「あなたが今まで他の方々とどのような付き合いをしてきたか知りませんが、私はあなたが人であろうが、そうでなかろうが気にしません」
「じゃ、じゃあなんで聞いたの?」
「ただの好奇心です」

さらりと言われて体から力がぬけていく。他に人がいなければへたりこんでいただろう。

これではいつ正体がばれてしまうか戦々恐々としていた自分が馬鹿みたいではないか。
周りの客たちは二人の様子を気にすることもなく、自分たちの話に花を咲かせている。どこかで烏が間抜けな声を上げた。

「せめてそういうことは場所を考えて言ってよ……」

はなができることは精々恨み節を唱えるくらいか。こちらの言い分に一女はふむと頷いた。

「そうですね。それは失礼しました。では場所を変えましょうか」

立ち上がった一女はさっさと歩き出す。はなは半ばやけくそ気味に彼女の後を追いかけた。


「それではなは一体何の妖怪なんです? 人と変わらない姿ですし、狐や狸の類ですか」

自室でお茶をすすりながら、一女は問うた。予想内の言葉に苦笑いを浮かべる。

「狐や狸だったらかわいいものなんだけどね」

そうであったらどんなによかったか。残念ながらそのような獣の類ではない。

「でも説明するのは難しいなあ。絵草子に書かれているような有名な妖ではないから」
「では何なのです?」
「うーん、複雑な上、長い話になるし、上手く説明できないかもしれないけどいい?」
「構いませんよ」

彼女はこくりと頷いた。はなは一度己の手を握りしめると息を吸った。

昔ね、あるところにお姫様がいたんだ。とてもきれいで優しいお姫様が。でも子供ができない身体でね、それがわかった途端、夫に暗い蔵に閉じ込められた挙句、最後には狂人扱いで殺されてしまった、それはそれは可哀想な姫様がいたんだ。

「そのような話があったのですか? それほど酷い話ならば歌舞伎の題材にでもなっていそうですが」
「それは後で説明するね」

目を丸くした一女にはなは微苦笑した。彼女の疑問はもっともだがそれにはちゃんと訳があるのだ。

「いえ、話を遮ってすみません。どうぞ続けてください」

一女は軽く頭を下げる。いいよ、気にしてないからと手を振って、再び口を開いた。

その上、ろくな供養もせず打ち捨てられるように葬られたから、その優しかった姫様もついに怨霊になってしまったんだ。彼女は夜な夜な現れては見つけた人を手当たり次第に殺していったの。夫が住む屋敷へ徐々に近づいていきながら。

陰陽師を呼んでも全然駄目で、対峙した彼らは皆、次の日には首無しになっていたわ。幼い子供と逃げ出した人々を除き、その夫の一族だけになったとき、彼女は夫の一族に末代まで祟る恐ろしい呪いをかけてその地を去ったの。

その邦は当然なくなったけど、肥大してしまった姫様の怨みはとどまることを知らず、人であろうが、妖であろうが、見つけた者は襲いかかってね。どちらからも恐れられる存在になったんだ。

その頃、わずかに生き残った人々に当時の高名な陰陽師は言ったわ。恐怖がより彼女の力を助長してしまうから、彼女の名を口にするな。忘れて昔のものにするのだ。過去に封じ込めよ、と。それで彼女は今日こんにちまで名前すら伝わっていない。だからその話も当然伝わってないんだ。

「ですがはなにそのような恐ろしさは微塵も感じませんが」
「そう? ありがとう。でも姫様と私には密接な関係があるんだ」

嬉しそうにしながらもどこか儚さを感じさせる笑みに一女は眉をひそめたが、無言で続きを促した。

力はそれ以上強くならなかったとはいえ、すでに相当な力をもっていた姫様は何百年も恐れられてきたのだけど、ついにとある僧たちが立ち上がったんだ。今まで何度も化け物退治をしてきた十人が集まって、姫様を封じることにしたの。

死闘の末に歴代最高とまで言われた一人以外みんな亡くなったわ。
でも、代わりに姫様を封じ込めることに成功したの。戦いの後に突如現れた一人の赤ん坊の中にね。

「それがあなたというわけですか、はな」
「ええそうよ。いっちゃんは妖怪がどのようにしてできるか知ってる?」
「いいえ、知りませんね」

予想していた反応と寸分違わぬ答えが返ってきて、はなは小さく笑った。

「妖怪の生まれ方は二種類あるの。人間の思いからできるものと妖怪が産んだものとね」
「はなは前者ということですか」

はなはこくりと頷いた。

「そう。ただ姫様の力とじっちゃん――ああ、その生き残った僧で私の育て親なんだけど――とそのお仲間さんたちの力がぶつかり合い、複雑に絡み合った結果生まれたものだから、多くの人間の思いからできる普通の妖怪とはそこがちょっと違うけど」
「思いというのは……」

首をかしげる一女にはなは微笑んだ。

「ほら、例えば暴れ川に供物を捧げて鎮めようって考え方があるでしょ。理不尽なものや訳のわからないものへの畏れ、それから私たちは生まれるの。たまに付喪神みたいに愛情から生まれる場合もあるけどね」
「でははなはその姫に対する畏れから生まれたと?」
「うーん、それはちょっと違うかなあ」

訝しげな視線がこちらに突き刺さったが、笑みをたたえて受け流す。

「さっきも言ったように拮抗した異なる力のぶつかり合い、それと姫様に残っていた優しさやどんどん暴走していく自らを引き留めようとする良心でできているんだよ」
「怨霊なのにそのような心が残っていたのですか」

先程まで聞かされていた人物像にはそぐわない単語が出てきて、一女は目を見開いた。

「うん。だって元々はすごく優しい人だったんだから。こう聞くと皮肉なようだけど、とても子供好きな人でもあったんだよ」

そうは言ったはものの、彼女の顔には信じられないと書いてある。

「本当だよ。私の言うこと信じられない?」
「いえ、信じますが……」
「ま、そう思うのも無理ないけどね」

戸惑う彼女に微笑んで、はなは続きを話し始めた。

じっちゃんはね、その赤ん坊をはなと名付けて育てたんだ。始めは普通に成長していったんだけど、その子が八つか九つになった頃からかな。一切成長しなくなってしまったの。おまけに姫様と全く同じ力をもっていたものだから、じっちゃんは確信したわ。この子は人ではないのだと。紛れもなく妖の類であるのだと。

「こんな感じでね」

はなは手をかざす、すると足元から夜より深い刀身が現れた。

「こうしてみると改めてあなたが人でないことが実感できますね」

が、やはり一女には怯えの色は一切なく、ただ興味深そうに眺めているだけだ。

「普通こんな禍々しい刀を足元から出しておいて、純粋に感心する人なんていっちゃんくらいだよ。あっ、そうそうこんなこともできるんだよ」

物陰からイネ科の葉を大きくしたような漆黒の刃が現れた。ぐんと伸びるそれを彼女は不思議そうに見上げている。

「これ、切れるんですか」
「うん、とってもよく切れるよ。だから手を触れないでね」

誤っても彼女を傷つけることのないようそれらをすぐに引っ込めた。

「ね? 気味悪いでしょ」

誰がみても自分の力の禍々しさは否定できない。はなは自嘲の笑みを浮かべるもそれにつられることなく彼女は首を振った。

「そうですか? たしかに清らかさはありませんが、その力で多くの人を救ってきたのでしょう? それを顧みれば忌むべきものというよりはむしろ愛おしさすら感じますが」
「えっ? そ、そうかな」

率直な褒め言葉をもらうとは思わず、はなは大きく狼狽えた。こちらのほうがずっと年上だというのに、一つ褒められただけで動揺してしまうのが気恥ずかしくて、咳払いをする。

「まあ、とにかくじっちゃんは私に人間社会の知識を教え、人を愛するということを教えてくれたの! だから私は人が好きよ」

そのせいで一部からは疎まれているけどね。よぎった思いは微塵も表に出すことなく、ぱっと手を広げてはなは晴れやかに笑った。

「なんだかはならしいといえばはならしいですが、本当にその怨霊の姫様が混じっているとは思えませんね」
「まあ姫様と完全に同じというわけじゃないからね。赤の他人と呼ぶほど遠くもないけど」
「はなは人が好きと言いましたが、その姫様も好きなんですか?」
「もちろん! 私は姫様のことが大好きよ。私の大事な家族の一人だもの」

たとえ世界の全てから忌み嫌われる怨霊だとしても、呪詛を吐くような人物であったとしても、はなにとっては哀れで愛すべき人なのだ。もし姫が世界に対して恨みをこぼすというのならば、その分自分が世界の素晴らしさを教えてあげよう、そう誓っている。だってこんなにも世界は愛に溢れているのだから。彼女の悲惨な人生だけが全てではないのだから。

「家族ですか。あなたにとってその育て親の方と怨霊の姫様は同列なのですね」
「そうだね」

ぽつりと呟く一女の言葉に頷いたそのときだった。

「次点で私どもも含まれますか」

突如割り込んできた男の声に二人は飛び上がった。振り向くといつの間にか後ろに影が佇んでいる。

「ちょっと影! いきなり出てこないでよ」

じろりとねめつけたが、彼は意に介す様子もない。相変わらず生意気な態度である。

「えっとはな、そちらの方は……」
「失礼いたしました。私、はな様に仕えております影と申します。どうかお好きなようにお呼びください」

困惑する一女に影は恭しく一礼する。

「影? 名前などはないのですか?」
「はい。特にはございません」

戸惑いの視線がこちらに移り、はなは小さく肩をすくめた。

「そういえば何だかんだいって決めてなかったね。他二人には大喰らいと悪戯って名前つけたのに。よくよく考えたら、影から飛び出す影って紛らわしいよね」
「大喰らい? 悪戯?」

次々と出てくる新しい単語に一女は疑問符をとばしている。

「ああ、ごめんね。もう二人私に仕えてくれている子がいるんだけど、そのうちの一人が何でも食べるから大喰らいってよんでいるの。もう一人はイタズラ好きだから悪戯って呼んでいるんだ。この子たち姫様のときから仕えてくれているんだよ」

傍らの影がさらに丁寧な説明を付け加える。

「失礼いたしました。姫様及びはな様に仕えている者は私含め三人おりまして、私以外に大喰らい、悪戯という名がついているのです。大喰らいは食事に関すること以外興味がない上、あまり意思疎通もできない者ですので、口頭の説明のみでお許し願います。もう一人は以前姫様の逆鱗に触れてしまいまして、しばらく出てこられない状態なのですよ」

一女の顔に納得の色が浮かんだ。

「なるほど、事情はわかりました。ご存知かもしれませんが、はなの友人の一女と申します。よろしくお願いいたします」

彼女も姿勢を正してきちんと挨拶を交わす。

「ええ、はな様がいつもお世話になっております」
「影は、攻撃はできないけど陰があるところならどこからでも移動することができるよ。あと、姿形を自由自在に変えることができるのも特徴だね」

影は妖との戦いには参加できないものの、情報集めや雑用に関しては右に出る者はいない。まず他二人はこちらのいうことをきちんと聞いてくれるかどうかから始まるので比べるのもあれだとは思うが。

「この際決めてしまえばどうでしょう。一人だけ名無しでは可哀想ではありませんか」
「それもそうだね。うーん……じゃあ幻影」

少し考えこみ、頭に浮かんだ名を口に出す。

「なぜですか?」
「またおかしな名前を……」

二人の視線がこちらを向く。

「だって気配薄いし、本来そこにあるはずのない影じゃない。だから幻影」

我ながらしっくりくる名前をつけられたのでは? 自画自賛するはなだったが、影の反応はいまいちだった。

「……やっぱり影のままで結構です。なんかぞわぞわしますので」
「はあ? 主の言うことが聞けないわけ?」
「ですが鳥肌がたつのは事実なんですよ、ほら」

腕を差し出されたが、黒々とした表面には何の変化も見られない。

「いやこれのどこが鳥肌なのよ。あなたの肌、鳥肌なんてたたないでしょ」「いえ、よく見てください。ちゃんとたっています。一ほどですが」
「いやわかるか!」

思わずつっこんでしまった。そんな豆粒にも満たない浮き上がりなどわかるはずもない。

「はな様、人様の家で大声を出さないでください。みっともない」
「誰のせいよ、だ、れ、の!」

軽快なやり取りに一女が吹き出す。

「二人とも仲がいいのですね」

微笑ましくみられて、落ち着かない気持ちになる。はなは誤魔化すように頬をかいた。

「まあ、生まれたときから仕えてくれているからね」
「付き合いは長いですからね。精神がいつまでも幼いままで苦労しております」
「ちょっと影!?」

よよよと泣きまねをする影に食ってかかっていると、ついに彼女が大きく体をゆすって笑いだす。うららかな日差しの中、軽やかな笑い声が響きわたった。


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