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【小説】幻獣病理医パトロギの事件簿 第九話

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第一話はこちら。

第九章「裁判」

「すまない、どいてくれないか」
「すみません! 急いでいるんです! 道をあけてください!」
「だからどいてって言っているでしょ! どいてくださいよ。まったく自分の図体がどれほど大きいのかわかっちゃいないんだから」

 押しのけられたリザードマンが睨みつける。謝罪代わりに頭を小さく下げることでそれを躱し、再び幻獣たちの波にもぐった。

「ものすごく早く出たのにこれじゃ裁判が始まるまでにたどり着きませんよ」

 ウィローが口をとがらせる。よく整えられていた毛並みは既に無惨な有り様と化していた。
 パトロギは腕時計に目をやった。たしかにこのままでは裁判が始まるまでにたどり着けそうにない。十分な余裕をもって出ていたはずだが、予想を遥かに超える群衆が詰めかけたせいで、前に進むだけでも一苦労だ。パトロギの額から冷たい汗が一筋流れた。

「まずいぞ。遅れるわけにはいかないんだ」

 何か手立てはないものか。そう、たとえば空を飛ぶことができたら――

「やあお困りかい? お三方」

 突如降ってきた声に三人は顔を上げた。そこには真紅の鳥と翼の生えた白馬が浮かんでいた。目があった瞬間、フェニックスが片目をつぶった。

「サーナから頼まれてね、特急便を用意したよ。まああいつがもう少し早く連絡をくれればこんなことにはならなかったのだがね。さあ乗って!」

 ペガサスは追い払う仕草をみせた巨人に見事な蹴りをいれ、いななきを轟かせる。周囲がのけぞり、距離を置いたが、それでも馬一頭が降り立つ空間はできなかった。

「でもこれは乗れても一人だけではないかね?」

 用意されたペガサスはどう見ても一人しか乗れそうにない。小柄なウィローであればパトロギとペガサスの間に挟みこめばいけるかもしれないが、パフィンは無理だ。しかも今日は資料や書状をいれる鞄を抱えているので、ウィローも難しい。

「いいんです。先生行って! 私たちは後で追いつきます!」

 翼をはためかせてパフィンが押し上げようとする。よろめきそうになる細い身体をウィローが支えるが、パフィンが浮かび上がるのならばともかく、大の男を持ち上げるのは不可能だ。ペガサスもできる限り近づいてくれているが、ギリギリ背まで届かない。と、そのときだった。
 ぐっと視界が上がり、さらに身体も安定する。振り返ると、四方八方から様々な腕が伸びて、パトロギを持ち上げている。

「急ぎの用なんだろ? 早く行ってやんな。あとこんな嬢ちゃんに支えてもらうんじゃないぜ。男が廃る」

 にっと笑ったのはヒョウの獣人だ。支えてくれている他の者たちも同じような顔つきでパトロギの背を押した。

「おしゃべりはすんだか? じゃ、しっかりつかまっておけよ。落ちても俺は責任とらねえからな」

 声高に鳴くと、ペガサスは風のように空を翔けた。
 空中を飛びまわる妖精や幻獣たちを蹴散らし、ペガサスは一直線に裁判所へと向かっていく。パトロギは振り落とされないよう首にしがみつくだけで精一杯だった。無理にウィローを乗せなくてよかった。もし乗せていたら、彼を気にかけるだけの余裕はない。

「おい空からペガサスが!」

 裁判所の前には多くの記者たちも詰めかけていた。羽ばたきの音に顔を上げた記者たちの顔に驚愕がさざめきのように広がっていく。どこからともなくシャッターを切る音も聞こえてきた。

「まったくうるさい奴らだ。ほらどけどけ! 重要参考人の搬送中だ!」

 鼻をならしてペガサスはいなないた。あっという間に群衆が割れ、ちょうど受付の前に馬一頭降りられるだけの円ができた。

「すまない。ありがとう」
「礼を言うのは後にしな。もう裁判は始まっているんだぜ」
「ああ、後で礼をさせてもらう!」
「おう。礼はヘリオス庭園の特上にんじんでいいぜ」

 手を上げてパトロギは走り出す。ペガサスは翼をたたみ、悠然と尾を揺らして勇敢なる者の背を見送った。
 身を乗り出して受付のカウンターに鞄を叩きつける。紙に視線を落としていた漆黒の犬の三角耳がこちらを向いた。

「グリドゥラの毒殺疑惑事件の重要参考人として呼ばれたパトロギだ。案内してもらえるだろうか」
「人間がか? 何かの間違いじゃないだろうな」

 鬼灯の瞳がじろりと見下ろす。

「ああ。書状はちゃんと持っている」

 鞄から一枚の紙を引っ張り出して押しやる。ふむと頷いてブラックドッグは隅から隅まで目を通した。

「……たしかに本物のようだ。だが本当にお前なのか?」

 その顔にはありありと人間なんぞがやれるのかと軽んじる色が浮かんでいる。パトロギは低く言った。

「ここで押し問答をする暇はない。書状が本物だとわかったのだろう? 通してくれ。それとも種族が違うというだけで君は職務放棄するようないい加減な仕事をするような奴なのかね」

 たじろいだかのようにブラックドッグは顎を引いた。

「……いや悪かったな。通ってくれ。裁判はここから左手に進んだ先にある第一法廷で行われている。一番大きな扉があるはずだからすぐにわかるはずだ」
「ありがとう」

 聞き終わるや否やパトロギは飛び出していた。
 豪奢な絨毯が敷かれた室内にくぐもった足音が短い間隔で響く。左に曲がればすぐにパトロギの二倍はありそうな木の扉が出迎えた。両側には虎の獣人が警備をしていた。

「すまない。ここに重要参考人として呼ばれたんだが、どこから入ればいい?」

 書状を突きつけながら話しかけると、二人は顔を見合わせ、隣についた質素な扉を指差した。その扉はパトロギよりもやや高い程度だ。パトロギは礼を言って扉を開けた。

「さてここで重要参考人にとして病理医のパトロギを召喚したはずなのだが――」
「申し訳ありません。少々遅れてしまいました」

 バタンと扉の開閉音に会場が静まり返った。一斉に数多の視線がパトロギに突き刺さる。

「いやちょうどだ。謝る必要はない」

 厳かに述べたのは裁判長の獬豸かいちだ。オリエント区の極東奥地に住む竜のような顔に獅子の身体、豊かなたてがみと尾は麒麟に近い。頭には天に向かって伸びる一本の太い角が生えていた。公正を司る幻獣らしい堂々とした佇まいは思わずこちらまで背筋が伸びる。

「ではパトロギ、お前は被害者グリドゥラの死体を検死したとのことだが、その見解を述べてもらえるか」

 パトロギは息切れした呼吸を整えるために大きく深呼吸した。そして会場をぐるりと見渡す。
 羽を逆立てているガルダたちと、鎌首をもたげたバジリスク、もとい数多の蛇の幻獣たち。好奇の眼差しを隠しもしない妖精、獣人、その他の観衆たちを。

「はい、まずは結論から言いましょう。グリドゥラさんを死に至らしめたのはバジリスクではありません」
「ほらみろ。我らは無実だ。ガルダたちのとんだ言いがかりだったのだ!」
「何を馬鹿なことを! バジリスク以外に誰がグリドゥラを殺せるというのだ」

 バジリスク側からは喝采が、ガルダからは悲鳴混じりの怒号が飛んだ。

「静粛に! 静粛に!」

 獬豸が場を収めようとするも、騒ぎは収まらず、より一層激しさを増した。熱気は渦を巻き、制御不可能な竜巻と化していく。と、次の瞬間だった。

「静粛に!」

 空気が震えるような大声が響き渡った。しんと全員が口を閉ざした。

「これ以上私の言うことを聞けなければ出ていってもらいますよ。私の角で串刺しにしてね」

 じろりとねめつける獬豸の目は据わっていた。気まずげに両者は腰を下ろす。

「あなた方もです。傍聴と言えども裁判の邪魔をするならばそれ相応の罰を下します」

 群衆たちは俯いた。獬豸はパトロギのほうを向いた。

「参考人、ではなぜそのような結論に出たのか、納得のいく説明を求めます」
「はい。ではまずこれを見てください」

 取り出したのは一枚の紙だった。白紙に描かれているのは一本の線が突出した棒グラフと二本のピークが重なる山型のグラフ。
 獬豸が眉を上げた。

「これは?」
「これはグリドゥラさんの血液分析から算出したある物質の濃度となります。この棒グラフを見てください。ある物質が異常に高い値を示していることがわかるでしょう。下のグラフはその物質を同定したものです」
「それがバジリスクの毒ではないのか」

 ガルダの一人が睨みつける。パトロギは首を振って懐からある箱を取り出した。

「いいえ。下のグラフの黒線がグリドゥラさんから検出された物質の線。そして青線に含まれていた物質はこれから抽出したものになります」
「熱さまし用の薬!? そんなものがどうして!」

 ガルダの女性が悲鳴を上げた。この顔はみたことがある。たしかグリドゥラの母として新聞に出ていた女性マータだ。

「いやよく見てみろ。あれはミノタウロス用の熱さましだ。俺たち用じゃない」
「ええその通りです。これは街中で普通に売られている解熱鎮痛剤です」
「そんなものがなぜ」

 青年の母は崩れ落ちそうな勢いで叫んだ。

「それを今から説明します。全ての不幸はグリドゥラさんがベスティアで質の悪い風邪を引いてしまったところから始まるのです」

 カツ、と靴音が鳴った。

「グリドゥラさんは街についてから一度発熱を起こしています。そして街の薬局でこの薬を購入した。そうですね?」
「ああ。それは薬局側からも証言がとれている」

 仏頂面でミノタウロスの警部補が頷いた。

「ベスティアは獣人の街です。そんな街中で鳥人用の薬が売っているでしょうか。売っていないでしょう。だがこのまま帰るわけにもいかない。ベスティアからグリドゥラさんの住居までは時間がかかる。ようやっとのことで取りつけた会合をたかだか体調不良で駄目にしたくはない。彼は熱に浮かされながらそのようなことを考えたのでしょうね。そして一番強力な薬を、と頼みこんだ」
「それで出てきたのがそれというわけか。だがどう見てもガルダにミノタウロス用の薬を差し出すか?」

 ガルダの男が唸った。最も美しく輝く翼に、気品ある身なりからしてガルダの長のようだ。

「対応した店員にも話を聞いたが、何というか杜撰というか、怠惰というか……あまり勤勉でないことはたしかだったな」

 警部補が歯切れ悪く答える。途端にガルダ側が騒がしくなったが獬豸の咳払いでざわめきはすぐに収まった。

「とにかくグリドゥラさんはこの薬を手にしてしまった。効き目は抜群だったのでしょう。まあミノタウロス用のものなので当たり前なのですけどね。ですがすぐに違和感を覚えます。喉が渇いて仕方がなくなったのです。そこでようやくグリドゥラさんは病院を受診しました」

 パトロギは指を二本たてた。

「第二の不幸は対応したリカント医師に服用した薬の名称を正確に答えなかったことです。彼はリカント医師に熱があったが、解熱剤を飲んだので大丈夫だと答えています。リカント医師は点滴を勧めましたが、結局彼は断っています。彼の中ではそこまで大したことだとは捉えていなかったのかもしれません」
「一つ疑問に思ったのだが、熱が下がったのなら判断力も戻るはずではないのかね? 大きくミノタウロス用と書かれているのだし、そこで気づくことができないのか」

 獬豸が問いかける。パトロギは言い淀んだ。

「それは――」
「あの子、昔からちょっと抜けているというか変なところで視野が狭くなっちゃうの。大事な会合も控えていたことだし、ろくに確認もせず安心だという思いこみが先走っちゃったかもしれないわ」

 その窮地を救ったのは意外にも彼の母親だった。目元を手巾で押さえながら彼女は証言した。

「なるほど。ではパトロギ、続きを」
「ええ。その間、彼の間では恐ろしいことが起こっていました。この薬の成分は鳥人に対し、強い腎毒性を示します。小さな白い粒は確実に彼の腎臓、そして命を刻々と削る死神となったのです。
 ただでさえ鳥人の腎臓というのは獣系の幻獣に比べて薬物、毒物の処理機能が弱い。そこへミノタウロス用の、濃度の高い薬物が血液にのって一気に流れこんでくればひとたまりもないでしょう。彼が異様な渇きを覚えたのは腎臓が弱っていたサインの一つだったのです。
 その証拠に病理解剖を行った際、彼の腎臓は膨れ上がり、特に薬物の影響を受けやすい外側の細胞に酷い壊死が見受けられました。腎臓が弱ると、不要物の処理もままならなくなります。そしてそれが全身に広く石灰が沈着する、痛風様の症状として表れた」
「たしかに私たち用のは身体が大きいだけあって薬の成分も多くならざるを得ませんからな」

 警部補が呟いた。パトロギは首肯して再びガルダたちを見た。

「警察の調べによると、彼はこの薬の半分以上を使ってしまったようです。その結果、このように異常な数値が確認された。ここまで数値が高いと腎臓へのダメージは相当なものでしょうね。さらにこの薬はあくまでも熱を下げるだけであり、風邪の原因自体を治すわけではないので、風邪は風邪で着々と彼の身体を蝕み、余計に抵抗する力を奪っていったのだと思われます」

 喉が鈍い痛みを訴え、舌が引きつる。パトロギは一旦大きく息をついた。

「第三の不幸は、彼の限界が最悪のタイミングで訪れてしまったということです。鳥人の腎障害は時としてほとんど症状が現れぬまま進行し、突如倒れてそのまま亡くなってしまうという事例があります。彼は喉の渇きと時おりぶり返す発熱くらいしか自覚のないまま、命を自らの手で削り続け、会合の最中に最後の糸が切れてしまった。これが検死の結果と状況証拠から導き出した私の推論です」

 誰も言葉を発する者はいなかった。もう一度全体を見渡し、パトロギは最後にグリドゥラの母親と長の顔を見据えた。

「第四の不幸は、彼はバジリスクを貶めようとしたのではなく、むしろその逆。長年にわたりいがみ合う両者の仲を取りもとうと努力した結果起きてしまった悲劇だということです。この中のどれか一つでも違っていればまったく違う結末が訪れていたことでしょう」
「ああグリドゥラ……なんてこと」

 ついにマータは泣き崩れ、その場にしゃがみこんでしまった。すすり泣きが場を満たし、鎌首をもたげていたバジリスクでさえも痛ましげな眼差しを彼女に送った。

「つまりグリドゥラの死因はバジリスクの毒でも、第三者の悪意によるものでもなく、彼が服用した解熱剤による薬物中毒だと、そう言いたいのかパトロギ病理医」
「ええ、全て説明がつくのはこれしかないのです」
「だが本当にバジリスクが何も手を下さなかったのか?」

 長の鋭いこげ茶がパトロギをじっと見つめている。その視線を真正面から受け取めてパトロギは口を開いた。

「事前の調査結果でも示されていますが、バジリスクの毒は彼の身体から検出されておりません。刺し傷などは見つかっておらず、神経にも病変はみられませんでした。皮膚などがただれた箇所もなし。何よりあの場で殺めれば最も疑われるのはバジリスクだと言うのにわざわざ分かりやすく会合の場で暗殺を企てる理由がない」

 長が黙りこむ。

「警察の調べでも不審な者は見つからなかったことから第三者の介入も考えにくい。そして遺体は犯人が誰であるかを物言わずとも雄弁に語っています。これは事件などではありません。数多の不幸が折り重なってしまった上にできた事故なのです」
「だから我らは最初から何もしてはおらぬと主張し続けてはいたではないか! それを貴様らが不用意に騒ぎ立て、我らのみならず同胞たち、果ては僅かに我らの特徴をもつ者たちまで迫害しおって。この報い、今度は貴様らが受ける番だぞガルダ!」

 邪視を遮光するレンズをかなぐり捨てる勢いで大蛇は吠えた。背後からも一斉に野次が飛び出す。噴出した恨みの矛先はガルダだけでなく、その場に居合わせた聴衆や裁判員たちにも向けられるほどの苛烈となっていく。獬豸が宥めようにも今度は勢いを削ぐことができず、蛇たちはまさに暴徒化する一歩手前まできていたそのとき、凛とした声が場を打った。

「失礼ながら一言よろしいでしょうか」

 全員が発言の主を見る。それは一人の人間から発せられた声であった。

「なんだ」

 じろりと蛇の王がパトロギを見下ろした。

「お気持ちはわかりますが、今ここで激情に任せて叩くのは得策ではないと思いますが」
「貴様に我らの何がわかる」

 視線だけで射殺せそうなほど鋭利な眼差しが向けられる。しかしパトロギは動揺一つ見せることなく落ち着きはらっていた。

「わかりますよ。私は人間ですから」

 会場がどよめいた。バジリスクも口をつぐむ。平等を謳いながらも確かに存在するヒエラルキー。人間であるパトロギの一言が一体どのような意味を持つのか察せないほどバジリスクも馬鹿ではなかった。

「……人間ならば、我らがどのような立場に堕ちたか最もよくわかるであろう。なぜ止めに入る」
「先ほど私はこの事件が数多の不幸で成り立ってしまった事故であると述べました。ですがまだ彼の不幸は続いています。それは今のこの状況です。取り持つどころか両者の溝を深くし、多くの者たちを傷つけてしまった。彼は悔やんでも悔みきれないでしょう」
「ガルダに同情せよとでも? 意図しようがしまいが、結果として我らを貶めたのは事実だろう」

 バジリスクが忌々しげに吐き捨てた。背後でも多くの蛇たちが頷いている。

「ではあなた方も同じ立場に堕ちるのですか」
「なに?」

 琥珀色の瞳が吊り上がり、威嚇音が辺りに満ちる。口元から一滴雫が垂れた。落下した透明な粒は煙を上げて床を溶かす。

「ガルダたちはたしかに間違いを犯しました。ですがここでガルダを完膚なきまでに断罪すれば新聞で報じられた誹謗中傷がまことになってしまいます。一時の感情に任せ、本当に周囲の信を失うのはあまりにも損失が大きすぎやしないでしょうか」

 バジリスクは舌をちろちろと出し入れしているだけで何の返事も返さない。ただ視線はパトロギから逸れ、その足元を映していた。

「蛇の王よ、ここで寛大な態度を見せれば、周囲があなた方を見る目は劇的に変わるでしょう。それに私は何も指をくわえて何もするなというわけではありません。ここであなた方がその身体に見合った器の大きさを示せばガルダに借りを作れます。ガルダは貸しを踏み倒すような矮小な者たちではない。そうでしょう?」

 パトロギはガルダの長に視線を送った。彼はこわばった顔で頷き、バジリスクに向き直った。

「この度の騒動は我らが早合点してグリドゥラの遺志を無視した挙句、あなた方にも濡れ衣を着せ、酷い中傷に晒してしまった。ガルダを代表し、この場で謝罪しよう」

 長は地に頭をつけるかと思われるほど深々と頭を下げた。バジリスクたちが息をのむ気配がした。誇り高きガルダの長が忌み嫌う蛇たちに頭を下げるなど、この場にいる誰が想像できたことだろう。

「我らは貴殿らの名誉の回復に全力を尽くそう。それが我々のできる贖罪だ」

 ガルダの長はもう一度深く頭を下げた。それに倣い、他のガルダたちもこうべを垂れる。バジリスクは険しい顔で巨躯を揺らしていた。どれほどの間であっただろうか。流れる時の一秒、一秒が永遠のような長さだ。が、実際には時計の長針が一個横にずれた程度の逡巡であった。

「……たしかにこれで我らの品位を地に堕とすのは愚の極みよ。ガルダもとい根も葉もない戯言を書きおった羽虫どもが記事を撤回し、謝罪するというのならば今回は手打ちにしてやろう。ガルダに借りを作るまたとない機会でもあるからな」

 バジリスクは強い眼光で記者たちを睨みつける。事の発端となったピクシーの記者が聴衆の席で居心地悪そうに肩をすくめた。中には不満そうに唸り声を上げる蛇たちもいたが、バジリスクが軽く尾を振ると口を閉ざした。

「裁判長、この度の件で蛇系の幻獣たちは非常に深い傷を負っております。彼らに対し適切な支援と早急な名誉回復が妥当かと」

 パトロギの訴えにうむと獬豸は頷いた。

「では判決を下す。被告バジリスクは無罪。ガルダたちは謝罪と彼らの信を取り戻すことに力を尽くすこと。記者たちは事実無根の記事を全て削除し、真実を伝えること。この際、ガルダたちを不当に貶めることがないよう細心の注意を払うこと。以上、閉廷!」

 すっと立ち上がった獬豸はそのまま法廷を後にした。扉が閉まった瞬間、どっと疲れが押し寄せる。周囲の喧騒が大きくなり、耳をふさぎたいくらいだ。
 とにかく二人と合流しなければ。ふらつく足を叱咤し、パトロギは足を踏み出した。

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