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【小説】花より団子、月より兎 お花見

上記の話の続きです。これで終わります。
最後は兎たちとお花見。

 カーテンを勢いよく開けて、佳奈子は伸びをした。天気は晴天、風が運んでくるのは春の陽気。絶好のお花見日和だ。
 佳奈子は袖をまくり上げた。

「あの、佳奈子さん、僕らは一体何を手伝えばいいんでしょうか」

 おずおずと佳奈子の裾を掴んだのは大きな黒兎、あんこだ。

「じゃ、まずその手袋つけて」

 この日のためにビニール袋で彼ら用の手袋を作っておいたのだ。これで彼らの毛が混入することはない。

「え、今回は何するんですか?」

 わくわくとした顔で耳をぴょこんと跳ねさせたのは雲のように真っ白な兎しらたまだ。

「決まっているでしょ。団子作り。言っとくけど、指図はしても私は基本手を出さないからね。働かざる者食うべからず。アンタがリクエストしたんだから、ちゃんと責任もって作りなさいよ」

 長方形のフライパンにさっと油をひいて溶いた卵液を注ぎこむ。お日様色の絨毯が一気に端まで広がった。

「もちろんですカナコちゃん! じゃあまず何をすればいいですか?」
「そこのボウルに団子粉と計量カップに入った水を混ぜなさい。で、耳たぶの固さになるまでひたすらこねる。アンタたちいつも月で餅作りしているんだから簡単でしょ?」

 銀のボウルの隣には測定済みの団子粉と水が用意してある。
 しらたまはにやりと口の端を吊り上げた。

「ふふふ、月の兎を舐めないでくださいね。絶対カナコちゃんのほっぺたが落ちるような団子を作ってあげますから」
「馬鹿なこと言ってないで集中しろ。ほらこぼしそうになっているぞ」
「えっ、わわわ。本当だ」

 あんこが不安定に揺れていたボウルを支えたことで、何とか大惨事は免れた。呆れた目であんこがしらたまを小突く。
(あっちは大丈夫そうね)
 ちらりと横目で兎たちのじゃれ合いを見やった佳奈子は、目の前の調理に集中することにした。

 くるりくるりと広げた絨毯を丁寧に巻いていけば、店のようにきれいなお日様色ではないにしろ、焦げ目のない卵焼きが出来上がる。
 これで卵焼き器の出番は終了なので、さっさと流しに持っていき、代わりにフライパンをとり出した。
 ソーセージは一方に切れこみを入れ、解凍したいんげんはベーコンでくるくると巻いていく。それらをまとめてフライパンの中に放りこんだ。肉が焼ける匂いが立ち上り、思わず唾液が口内を湿らせる。

「カナコちゃんこね終わりましたよ! 次はどうするんですか?」
「じゃ、好きな大きさに丸めてちょうだい。あ、でも全部同じサイズにしてよ。茹で時間が変わっちゃって面倒だから」

 はーい、と元気のいい返事が飛んでくるのを聞きながら、佳奈子は焼き目のついたベーコンをひっくり返した。その隣ではウインナーが足を開いて、その細い足を天に向かって反り上がらせている。
 それらを皿に移し終わったとき、控えめに名前を呼ばれた。

「次はどうしますか佳奈子さん」

 皿の上に積まれた団子たちは、きれいに均一の球体だった。流石腐っても餅作りが本職と言ったところか。

「ああ、じゃあ私が入れるところまでやるから、浮いてきたら教えてもらえる?」
「わかりました」

 沸騰した湯の中に小さな月のような球体たちが、泡にもてあそばれて踊っている。ぽこぽこ、ぽこぽこと薄っすら白濁した水の中で遊ぶ団子たちは、うららかな日差しが降り注ぐ公園を駆け回る子どもたちの活気によく似ていた。
 兎たちが団子を見ていてくれている間に、佳奈子は兎たちが来る前に用意した、おにぎりたちを上段一面に詰めた。今回は人数が多いので、実家からお重を借りてきたのだ。とは言っても、格式高いものではなく、プラスチックでできた安物だが。
 一面真っ白なお重は、一見無機質な印象を与えるが、そのシンプルなデザインゆえに料理をよく引き立てる。運動会でこれが出たときには大人びたデザインに、自分も大人に近づいた気になったものだ。実際、友人たちは黒のイメージが強いお重が真っ白に塗られているのを見、口々に褒めそやした。
 ふとその角の白が一部剥げかかっているのを見つけ、佳奈子は僅かに目を見開いた。
 これが最後に活躍したのはいつだっただろうか。いつしか家族全員集まって弁当箱をつつくという機会はなくなり、もうずいぶん食器棚の奥底で眠っていたような気がする。
(って感傷に浸っている場合じゃないか)
 佳奈子は首を振って思い出を押し出した。呑気に記憶を掘り出して眺めている暇はない。やるべきことはまだまだあるのだ。
 中段のお重を取り出し、から揚げやら野菜やら、カラフルなアルミカップを広げる。配置をあれやこれやと考えていると、明るい声が飛んできた。

「カナコちゃん、浮き上がってきましたよ」
「じゃあその状態で三分待ちなさい」
「カップラーメンと同じ時間ですね! わかりました」

 しらたまの前でカップラーメンを作ったことはないはずだが、なぜ知っているのだろうか。
 疑問が顔に出ていたのか、しらたまが胸を張って答えた。

「春の食べ物だけじゃないですからね勉強したの。地球の文化に関わることはいろいろ調べましたから」
「どうせ食べ物のことばっかでしょ。自慢することじゃないわよ」

 はあ、と嘆息を落としながら、佳奈子は先ほど作ったおかずの皿に手をかざした。ほんのりと熱を感じるが、もう弁当箱に入れてもそれほど汗をかかないだろう。
 佳奈子は顎に手をあてた。
 なかなか春らしさを演出するのは難しい。佳奈子は普段特別意識して季節を取り入れているわけではない。弁当に詰めるおかずだって、いつもは冷凍食品と昨日の残り物だ。
 ここで花型に切ったニンジンやハムでも添えてやれば華やかになったのだろうが、そこまでする技量も余力も持ち合わせていない。

「まあいっか。これでも十分お花見らしいし」

 言い訳じみた独り言が落ちたが、白黒二匹の兎はこちらを振り返りもせずに和気あいあいと会話に花を咲かせていた。

「あ、カナコちゃんそろそろじゃないですか?」
「そうね。後は水で冷ますだけだからどいていていいわよ」
「じゃ、僕おかず詰めたいです」

 お手本のように真っ直ぐ手を上げたしらたまを、佳奈子は冷めた目で見下ろした。

「何言っているの。アンタの手じゃ上手く摘まめないでしょ」
「ええーでもカナコちゃん何だか悩んでいるようだったから、僕が手伝ってあげようかなって思って」

 佳奈子は目を見開いた。

「聞こえてたんだ、さっきの独り言」
「まあ、僕ら兎なので耳はいいんですよ」

 あんこが苦笑した。たしかに思い返せば兎たちの目はこちらを向いていなかったが、耳は向いていたような気もする。

「もしよろしければなんですけど、これがひと段落ついたら、皆でおかずの場所決めませんか? そのほうが楽しそうですし」
「……一理あるわね」

 リクエストした本人の意見を取り入れれば文句も言われまい。いや弁当を用意してやった時点で文句を言われる筋合いはないのだが。
 湯を切った団子たちは冷水で冷やす。具はいろいろ悩んだのだが、無難に餡子にしておいた。あだ名にその名を冠した兎がいることだし、ぴったりだろう。
 餡子は小さな蓋つきの丸いプラスチック容器にいれ、いつかの日にコンビニでもらった小さいスプーンをつける。これに各々が好きなだけつけて食べればいい。

「で、今回のおかずがこれ。仕切りはそこにあるカップ。はい、好きな用に詰めなさい。あ、でも味が移らないように注意して詰めなさいよ」
「むむむ……味の相性も考えなきゃいけないんですね。あ、でも皆カラフルだから置き場所考えるの楽しいかも」

 たしかにプチトマトの赤、ブロッコリーの緑、ニンジンの橙、卵焼きの黄色、ポテトサラダの白。ベーコンは赤に含んでもいいのだろうか? あとはから揚げの茶。思ったよりは色がある。

「カップとの組み合わせも考えたら、けっこう春らしさが出るんじゃないのか?」
「あ、たしかに! さすが先輩」

 頬をくっつけあって、ああでもない、こうでもないと言いあう兎たちを眺めながら、手早く団子たちを下段の箱の仕切りの左側に詰めた。

「あ、カナコちゃん、ここに卵焼き入れるのってどうですか?」
「いいんじゃない?」

 素早く上の段をかぶせ、佳奈子は椅子の上で飛び跳ねるしらたまに近寄った。


 ようやく弁当が完成したところで、佳奈子は重大な問題に気がついた。

「そういえばアンタたちを運ぶ袋がないわね。どうしようかしら」

 いつもしらたまをあの公園に連れて行くときは、大きなボストンバッグに入れて持ち運んでいたのだが、二匹分入る余裕はない。何より佳奈子の腕が耐えられないだろう。
 お重の他に水筒、レジャーシート、お手拭きなど持っていくものは多数ある。それに加えて二匹分の兎を抱え、傾斜が小さいとはいえ、森の中の坂を登るのだ。絶対何日かは筋肉痛に悩まされる。断言できる。
 かと言ってこのサイズの兎を連れて外に出歩くわけにもいかない。どう見ても普通サイズの兎ではない。いや世界最大のカイウサギ、フレミッシュジャイアントだと言い張れば誤魔化せるかもしれないが、それでも余計な注目を集めてしまうのは火を見るよりも明らかだ。
 あんこはともかく、しらたまはうっかりポロっと言葉を発しそうなところも恐い。人語を操る兎なんてそれこそどう取り繕っても、大事おおごとになってしまう。

「そういうと思って、いいものを持ってきました」

 じゃじゃーん、と自分で効果音をつけながらしらたまが取り出したのは、一枚の銀の薄布だった。蜘蛛の糸で作られたかのように薄く、繊細な布は日の光に照らされてきらきらと光り輝いた。

「なにこれ」
「僕らの技術の結晶、特殊光学迷彩マントです」

 しらたまは自慢げに胸を張った。しかしそれだけではいまいち概要がつかめない。佳奈子が眉をひそめると、見かねたあんこが付け加えた。

「これをかぶれば人間は僕らの姿を見ることができなくなるんです。こんな感じに」

 あんこが左手に布をかけると、あっという間に左手が見えなくなった。要するに天狗の隠れ蓑のように身につけた者が透明になるらしい。

「でもそれじゃ私も認識できなくない?」

 周囲の目を欺くことはできるが、佳奈子もしらたまたちを視認することできなくなってしまう。ふらふらどこかに遊びに行くことはないだろうが、あの公園に行くまでに交通量が多い道路も渡る。事故にあっても透明なままでは佳奈子は気づけない。

「必ず佳奈子さんの隣を歩きますので。そこは心配なさらないでください」

 土地勘もない場所で勝手に出歩こうなんて思いませんよ、と平然とした顔で言い添えたあんこに、なぜだか畳がささくれだったような苛立ちが生まれた。

「自転車とか突っこんできたらどうすんのよ。透明だから相手は気づかないわよ」
「そ、それは事前に察知して避けようかなと……。ほら耳はいいので、気配を察するのは得意なんですよ」
「アンタはともかく、しらたまはドジだから難しいんじゃないの」
「ええ、僕だってさすがにそこまでどんくさくありませんよ!」

 しらたまが抗議の声を上げたが佳奈子は黙殺した。あんこは困ったように視線を彷徨わせていたが、やがて意を決したように佳奈子を真っ直ぐ見上げた。

「では時おり佳奈子さんのズボンか裾を触るので許してもらえませんか? 見えなくなっても実体が消えるわけではありませんから。あとお時間大丈夫でしょうか」

 佳奈子は時計に視線をやった。時計の数字は予定時刻に迫っている。
 ここでいちいち小競り合いを繰り広げる時間はなさそうだ。
 佳奈子は大きなため息をついてリュックを背負った。

「まあそうね。そうしてちょうだい。アンタたちに何かあっても姿見えないんじゃ責任とれないからね」
「あ、心配してくれるんですね。カナコちゃん優しい」
「なに馬鹿なこと言ってんの。ほらさっさとそれ被りなさい」

 佳奈子はしらたまの額を弾いて玄関へと向かう。騒々しい足音が佳奈子の後ろをついてきた。


 緑豊かな公園はあちらこちらに薄桃色の花々が、若々しい緑に混じって花開いていた。まだ満開とは到底言えないが、花見が楽しめる程度には華やかな装いだ。
 青々とした芝生の上にはちらほらとレジャーシートが敷いてあるのが見える。広場では子どもたちがきゃらきゃらと笑いながら、追いかけっこをしており、その奥ではおしゃべりを楽しみながら彼らの母親たちが見守っていた。どこもかしかも春の陽気に当てられて、浮かれきっているようだった。
 しかし佳奈子が目指す場所は人が集まる広場ではない。広場の後ろにどんと鎮座する丘だ。不定期にズボンを引っ張る感触に密かに安堵しながら、佳奈子はぐっと前を向いた。


 いつもの休憩スペースにはあいにく桜の木がないので、今回は別の場所を目指す。
 夏場はそれこそ鬱蒼と茂る枝葉も、今は若葉しかついていないため、木漏れ日が白いのように点々と落ちていた。
 佳奈子は木の枠で舗装された簡素な道を歩き続ける。春先だというのに肌が薄っすらと汗ばんだ。
 頂上には視界が開け、公園を一望できるスペースが広がっている。見晴らしの良いそこには、小さな三角屋根の下にベンチが二脚と、簡易的な休憩スペースがある。普段は散歩コースを利用している老人が一息ついているが、今日は珍しく誰もいなかった。
 頂上の原っぱから少し下った先、ちょうどベンチからギリギリ見えるか見えないかの位置に目的のものはあった。
 黒々とした幹を、両腕を広げるように天へと伸ばす一本の木。薄桃色の花は五分咲きだろうか。まだ枝が寒々しいが、ぽつりぽつりとついた薄桃色の花びらの向こうにぬけるような青空があり、白い花がよく映えている。これはこれで風流なのかもしれない。
 満開になると億劫そうに花の衣を幾重にもまとう貴婦人だが、今は薄手のドレスのような軽やかな見た目をしている。人であれば、このまま春の陽気に誘われてダンスでも踊りそうな出で立ちであった。

「わあ、すごい」

 いつの間にか光学迷彩マントを脱ぎ捨てたしらたまが感嘆の息をもらした。その白い毛の上に一枚の花びらがひらりと舞い降りた。

「花見にしては早いけど、まあ混みすぎていないし、これくらいがちょうどいいかもね」

 桜咲き誇る満開の日であればこの兎たちを外に連れ出すことは叶わなかった。今の時期ならば人もまばらだ。しらたまたちでも花見できる機会はある。

「あ、そうだお弁当! お弁当開けましょうよ」
「アンタ、本当に花より団子タイプよね……」

 先ほどまでの感動はどこへやら。佳奈子のリュックをぐいぐい引っ張るしらたまを見、佳奈子は呆れた息を吐いた。


 レジャーシートを広げて、風呂敷包みを開ける。まず顔を出すのはころんと丸いおにぎりたちだ。三個ずつ並んだ三列のおにぎりの列。その中でも一際目立つのが、薄紫のそばかすをまばらにちらした真ん中の列のおにぎりたちだ。

「カナコちゃん、この紫のなんですか?」
「ああ、それはゆかりよ」
「ゆかりってなんですか?」

 あんこが首をかしげた。

「赤しそのことよ。気になるなら食べてみなさい。海苔が巻かれているのは右が梅、左がおかかだから。一応全員分作ったけど、気に入った味があれば交換してあげるわよ」

 はーい、と行儀のいい返事を聞きながら上段を脇にずらす。次にお目見えしたのは全員で配置を考えたおかずたちだ。
 左端に座ったポテトサラダは若草色のカップに乗せられ、白い花束のようだった。その脇には真っ赤なミニトマトがつやつやと滑らかな肌を光らせている。
 ポテトサラダより手前側にはブロッコリーの林と黄色のカップに乗せられたニンジンの渓谷があり、野菜エリアの右には揚げ物エリアが広がっている。
 ごろごろ岩石のように立派なから揚げと足を開いたウインナーたちがひしめき、その後ろにはいんげんのベーコン巻き、最後に右奥にずらりと整列するのは四角い卵焼きたちだ。

「こうしてみるとけっこう華やかよねえ」
「ですよね! 僕頑張りました」
「お前は位置決めただけじゃないか」
「あんこの言う通りよ。団子ならともかく、アンタこれにほとんど関わってないでしょうが」

 二対の冷ややかな視線にさらされて、しらたまはわざとらしく咳払いをした。

「ま、まあそれは置いといて……で、最後の段はなんですか」
「ああ、最後の段はデザートの段よ」

 中の段を脇によけて、ついに最後の段がその姿を明らかにした。しらたまがはっと息をのんだ。

「カ、カナコちゃん、これって……」

 最後の段は仕切りでわけられており、左側はしらたまたちが作った団子、もう半分には桃色の餅を葉でくるんだ桜もちが並べられていた。

「アンタが食べたいって言ったんでしょ桜もち。ほらリクエストどおり用意してあげたわよ」
「わあ、カナコちゃんありがとうございます!」
「ちょっといきなり飛びつかないでよ!」

 何とか体勢を保てたからいいものの、下手すれば弁当箱にあたって大惨事になるところだった。

「じゃ、とりあえず」

 手を合わせると兎たちも佳奈子の真似をして手を合わせる。春の空気に三人分の「いただきます」が響き渡った。


「そういえばなんでこの国の人たちは桜が好きなんですか?」

 あんこが尋ねた。その短い手にはラップに包まれたゆかりおにぎりが抱えられている。あんこが予想以上にこれを気に入ったので佳奈子は自分の分のおにぎりまでやった。代わりにあんこ用のおかかは佳奈子のものになった。

「え? なんででしょうね。考えたことなかったわ」

 卵焼きの優しい甘さが嚙みしめるたび、体にしみ渡る。
 卵焼きは大きく分けて出汁派と砂糖派に分かれるが、佳奈子の家は後者だった。友達は出汁派だったので、初めて佳奈子の家の卵焼きが甘いことを知ったときはぎょっと目をむいて驚愕したのをよく覚えている。
 話がそれた。いんげんのベーコン巻きを箸で掴みながら佳奈子は確認した。

「何の話をしてたんだっけ……。ええと、なんで私たちがこの花が好きかだっけ?」

 あんこが真面目な顔で首肯した。
 改めて考えると何故この花だけが特別扱いなのだろう。他にも春に咲く花はあるというのに、だ。

「なんでか春といったらこの花なのよね。入学式とか卒業式で縁あるし」

 桜と結びつくのはやはり出会いと別れの季節である春だ。学校に植えられていることも多いこの木は、別れの切なさや新たな出会いの期待という感情と密接に結びついているからか、国民の心と距離が近い。
 だがそれは後付けのような気もする。遥か昔からこの花は歌に詠まれてきた。顔も知らない先祖のときから既にこの花を愛する感情はこの国に根づいている。

「……あとは散り際が美しいから? すぐ散っちゃうし、桜って独特の儚さがあるのよね」

 はらはらと雪のように散りゆく桜は他の草花では感じない儚さがある。長い冬の果てにようやく花を咲かせたかと思えば、長くても二週間程度で散ってしまう。
 その様は胸が締めつけられるような切なさとどこか引きずりこまれそうな妖しさがあった。厳粛な「死」が可憐な花の向こうに透けて見えるなど、他の草花ではまずないだろう。
 生と死。表裏一体の生命の根源。それを体現するこの花に、人は古来より魅せられているのだろうか。

「ふうん、やっぱりよくわかりませんね。散り際の美しさより美味しい食べ物に舌鼓打っていたほうがよくないですか?」
「アンタは趣を解する以前にその食い気を何とかしなきゃ、食べ物のこと以外何もわからないでしょ」

 美しい感傷はしらたまの空気を読まない発言によって粉々に潰された。
 今になってベーコンの塩気が味蕾を刺激する。桜に魅せられて柄にもないことを言ってしまった。佳奈子は乱暴な手つきで頭をかいた。

「なんかすみません……」

 全く関係ないあんこが体を小さくして頭を下げた。

「いいわよ。別に今に始まったことじゃないし」

 妙にしぼんでしまった空気を追い払うように、佳奈子はなんてことのない顔を取り繕った。

「じゃ、アンタたちのお手並み拝見といかせてもらうわ」

 ひょいと紙皿の上に団子を二、三個のせ、佳奈子は餡子を帽子をかぶせるように真っ白な頭に塗った。

「あー僕も僕も! あとカナコちゃん、桜もちもとってください!」
「はいはい。あんこ、アンタはどうする? とっておかないと、しらたまに全部食べられちゃうけど」
「あ、じゃあ一ついただきます」

 身を乗り出して皿を押しつけるしらたまと、恐縮したように頭を下げるあんこは面白いほど対照的だ。

「はあ、なんであんこみたいな先輩からこんな後輩が生まれるんでしょうね……」
「ちょっとカナコちゃん、それどういうことですか」
「おいこらやめろ。佳奈子さんすみません」

 ますます黒い毛玉が平身低頭し、佳奈子は苦笑した。

「謝れって言ってんじゃないわよ。単なる感想だから気にしないで。ほらどうぞ」

 あんこは差し出された皿をおずおずと受け取る。しらたまは気にしなさすぎだが、あんこの気にしすぎる性格も考えものだ。
 佳奈子は団子を口に放りこんだ。瞬間、佳奈子は大きく目を見開く。

「あ、美味しい。今までで一番美味しいかも」

 自然と称賛の言葉が滑り出た。
 団子は硬すぎず、柔らかすぎず、表面は滑らかなのに、噛めば程よい弾力がある。舌触りのいい餡子が団子のほのかな甘みと重なって、割とたまっていたはずのお腹にもするりと入っていった。

「ほら、僕ら月で餅ついているんで」
「なんかドヤ顔されると腹立つわね……」
「なんでですか!」

 頬を膨らませるしらたまを適当にいなしながら、佳奈子は水筒のカップに手を伸ばした。
 そのときふいに一際強い風が吹いた。枝が大きく揺らいで花弁が舞う。天に舞い上げられた白い花びらは、雪のようにひらひらと三人の上に降り注いだ。
 水筒のカップに一枚の花びらが落ちる。波一つない、透き通った茶色の水面に一つ、二つと円が広がってカップの縁にぶつかり、消え、そして何事もなかったかのように再び静けさを取り戻す。突風で花が散らされたなど、まるで夢か何かであったかのように、そよ風が優しく頬を撫でるだけだ。
 しかしカップに浮いた一枚の花弁が、先ほどの光景が真であると伝えている。
 だがそれも徐々に水に侵食され、薄い紅を差した白がゆっくりと透けていく。唯一の証拠さえ残さない、とでも言うかのように。

「なんか少しだけ桜が好きになる気持ち理解できたかもしれません」
「え? いま?」

 ぽつりとしらたまが呟いた。佳奈子は目を丸くしてしらたまを見た。

「はい、今です」
「僕もなんとなくわかったかもしれません」

 二匹の兎は花びらが浮いたカップを見つめながらこくりと頷いた。

「なんかあれですね。僕らが超新星爆発を見かけたときの気持ちに似ていますね」
「は? なに? その超新星なんちゃらって」

 しらたまの口から桜とは全く結びつかない単語が出てきて、佳奈子は首を捻った。

「星が死ぬ時に起こす巨大な爆発です。巻きこまれた日にはたまったものではありませんが、遠くから見る分にはとてもきれいなんです。闇の中で炎が燃えてガスが裾を広げるみたいに広がって。で、それが新しい星の材料になるんです。儚さと同時に哀しいまでの烈しさを感じる。なんかそれに近いなって」

 しらたまの言葉を継いで、あんこが熱を入れて語る。だが実物を見ていない以上、佳奈子にはいまいちピンとこない。ただ生の中に死を見る桜と、死の中に生を見る星の爆発はどことなく似ているような気もした。同時に全く別物のような気もするが。

「はあ、そういうもんなの?」
「そういうもんですね」
「言葉で表すのはなかなか難しいんですけど、烈しいのに刹那的っていうか、そんな感じです」

 スマホで調べてみるとなるほど確かに美しい光景だ。宇宙の海にインクを一滴落としたかのように緑のガスがぼんやりと広がり、その縁を装飾するように蛇のようなオレンジ色の炎が複雑な波紋を描き、取り巻いていた。
 たしかに思わず見とれてしまう光景だ。だが桜はもう少しこの哀しいまでの生命力を、奥ゆかしく内に秘めている気がする。それは規模やこの国の気質が関係しているのだろうか。

「はあ、まあこんなにご大層なものじゃないけど、毎年春になったら見られるから、ま、来年また見たくなったら来なさい」
「はい、ありがとうございます」
「え、僕この季節以外でも来るつもりですよ?」
「それは知っているからいいわよ」

 落とした嘆息は爽やかな春風に乗って消えた。騒ぐしらたまを横目に佳奈子は桜もちを半分食べる。桜独特の香りと程よい塩気が、佳奈子の舌にも春のおとないを告げた。
 いっそう身軽になってしまった梢にはまだ固く閉じられた蕾と花弁が一部剝がれ不格好になってしまった花が隣りあっている。それらは賑やかな笑い声に呼応するかのように、小さく震えた。


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