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【小説】幻獣病理医パトロギの事件簿 第四話

第一話はこちら。

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第四章「弾けた火種」

「先生! 先生! これ見てくださいよ! 昨日の件は絶対これのせいですって!」

 息を切らして駆けこんできたウィローに二人は目を丸くした。

「なんだね、ウィロー君。そんなに慌てふためいて」
「いいからこれ見てくださいよ!」

 かがんで視線を合わせた瞬間、衝撃と共に世界がモノクロになった。
 視界いっぱいに文字が踊り、いくら眼鏡をかけているとはいえ、ここまでの至近距離ではピントを合わせられない。いやそれ以前に鼻と口が塞がれて読むどころではなかった。

「ウィロー君、君の気持ちはよくわかった。だから少し離してくれないか? これでは読む前に窒息しそうだ」
「あ、すみません。で、早く読んでくださいよ」

 もごもごと返すと、形だけの謝罪をし、ウィローは肉球を離す。皺になった紙を直し、パトロギは文を読み進めた。が、みるみるうちに眉間の皺が深くなっていく。

「バジリスクがガルダの青年を毒殺しただと!? なんてことだ。これは一体誰が書いたのかね?」

 腰を浮かしたパトロギにウィローがため息交じりに答えた。

「ピクシーの記者が書いたらしいですよ。有名なゴシップ誌のところの」
「いくらいたずら好きとは言え書いていいものと書いてよくないものがあるだろう! よりにもよってガルダと蛇族の関係をつっついたのか」

 パトロギは頭をかきむしった。
 鳥人ガルダの一族と蛇の因縁はこの幻獣界でも広く知られている話である。
 蛇の精ナーガとの長年続く確執により、ガルダはどんな蛇族の者であれ、攻撃的な態度をとる。対する蛇の要素をもつ幻獣たちはそれぞれの方法で牙をむいた。そのためガルダたちが住む区画と蛇系の幻獣たちが住む区画は正反対の場所に位置している。
 記事によると穏健派であったグリドゥラがバジリスクとの会合の最中に突然倒れ、息を引き取った。これをバジリスクたちによる暗殺だとガルダたちは強く非難し、身に覚えがないとバジリスク側が反論。事態は平行線をたどり、両者の対立は一気に深まった。鳥人たちはガルダを支援し、他の蛇の幻獣たちはバジリスク側を庇う声明を発表。争いの火種は弾け、あっという間に広がった。

「でもこれがゴシップ誌だけでなく、新聞にも載ったということはこの件が当事者以外の多くの者たちの目に触れたってことになりますよね」
「だから昨日強引に警察が踏みこんできたんだろう。事件性があればそれは病理医の職域を越えているからな。その時点で私たちの仕事ではなく法医学者の仕事になる」

 パトロギは息をついた。本来ならばここで自分たちは身を引くべきだ。厄介なことに首を突っこんでも良い試しはない。

「でもここで諦めるんですか先生?」

 青灰と緋色が突き刺さる。奥に揺れる炎は、その瞳に映る己と全く同じものであった。自然と口角が吊り上がる。

「辞める……と答えるのが正解なんだろうが、途中で依頼を放り投げるのは私の主義に反するのでね。幸い仕事もあらかた片づいている。少し付き合ってもらえるかね?」

 二人の口元が弧を描き、瞳がギラギラと輝いた。

「もちろんです先生」
「やるに決まっているでしょうよそんなの」
「君たちいつの間に仲良くなったのかね?」

 息の合った反応に頬が緩む。一瞬で顔をゆがめて反論する二人の言葉がそろって、今度こそパトロギは声を上げて笑った。


「それにしてもバジリスクが仕掛けてないのは本当なんでしょうかね」
「たしかに。確証はもてないわよね」

 両者の険悪さを知っているだけに二人の顔にためらいの色が浮かぶ。パトロギは顎をさすった。

「いやその可能性は低いと思うね」
「どうしてそう言えるんです?」
「まずあの遺体には噛み跡や刺し痕がなかった。病変がもっとも酷く現れた箇所は腎臓で、臓器にも石灰沈着が広くみられたことから腎障害による痛風だと言っただろう? それはバジリスクが好んで使う毒の特徴とはあまりにもかけ離れている」
「嚙んだり毒針を刺したりしなくなって食べ物に混ぜることもあるじゃないですか。それにバジリスクには邪視があるんだし、そっちの可能性は?」

 ウィローの眼差しには未だ疑念の色が消えていない。パトロギは目の前の灰がかった青から視線を離さずに、緩く首を振った。

「いやそれもないな。蛇毒というものは口から取り入れると効果を発揮しないものが多い。従ってもしも暗殺するならば刺すか噛むかして直接筋肉か血液に毒を入れる必要がある。しかし君も見たようにあの遺体には筋肉や神経に異常はみられなかった。毒の分解に関与する肝臓の組織は変性していたが、それよりも腎臓に影響が現れているというのは蛇毒として奇妙なことではないかね? そして邪視であれば石化していなければおかしい」

 ウィローは眉根をよせて唸った。

「それはそうですけど。じゃあ第三者がバジリスクのせいにして両者の仲を引き裂こうと画策した線はないですか? 倒れたタイミングがあまりにも出来すぎな気がします」
「それを確かめるためにはやはりかの青年に聞くしかないだろうな。すべての鍵はあの遺体の中にあるのだから」

 沈黙が訪れた。既に青年の体も組織切片も警察に回収された後。まさに八方ふさがりである。諦めの雰囲気が漂ったそのときだった。
 チチチ、と軽やかな鳥のさえずりが重苦しい静けさを破った。顔を向けた三人は、パトロギを除いて驚きの声を上げた。

「フェニックス!? なんでこんなところに?」

 真紅の美しい鳥は二人の動揺に構わず、早く入れろと言わんばかりに窓を叩き続けている。パフィンがぎこちなく窓を開けると、赤は一直線にパトロギの頭めがけて飛んできた。

「まったく私は伝書鳩ではないのだがね。サーナの我儘には困ったものだ」

 胸辺りまで垂れ下がる長い尾羽を揺らしてフェニックスはぼやく。パトロギは苦笑した。

「すまないな。サーナはなんて?」
「これを読め。そこに返事が書いてある」

 頭上から落とされる白い物体。危なげなく手のひらに収め、パトロギは手紙を開いた。目を滑らせていくうちに徐々に口角が上がっていく。焦れたウィローがついに口を開いた。

「あ、あのー、そのサーナさん? って誰ですか? 今回の件と何の関係が?」
「ああ、サーナは私の知り合いの法医学者だ。ちなみにあの事件の担当になった者でもある」

 事もなげに言い放ったパトロギに二人は絶句した。

「ええっ!? 法医学者? すごいじゃないですか」
「で、でもなんでそんな人から手紙が? あまりにもタイミングが良すぎますよ」
「タイミングが良いも何も私から連絡をいれたんだ。人の手紙に返信をよこさないほど無礼な奴ではないさ」

 もはや二人の口からは何の言葉も出てこなかった。呆然と鯉のように口の開閉を繰り返しているだけだ。固まる二人をよそにフェニックスは翼を広げた。

「それでは私は帰るよ。鳩扱いするなとよくよく言い聞かせておいてくれ」

 フェニックスは再び入ってきた窓をくぐり抜けて、飛び去ってしまった。残るは床に落ちた数枚の燃えるような羽のみ。それが先ほどの展開が夢ではなく、現実であることを告げていた。

「で、でもなんでそんな方と知り合いなんです?」

 ようやく我に返ったウィローが尋ねた。

「ああ、病理学と法医学というのは学問上わかたれているが、比較的距離が近くてね。中には病理医から法医学者に転向したりあるいはその逆に病理医に転向する者もいるくらいだ。それにこの道に進む者が少ないことは君たちも知っているだろう?」

 二人は視線を交わし、硬い表情で頷いた。

「数が少ないということは必然的に横のつながりが強くなるということだ。交流の機会も多いのだよ。何よりサーナは私の同期だからな」

 ああ、とため息にも似た吐息が漏れた。パフィンがちらりとパトロギに眼差しを向けた。

「それではまずそのサーナさんにお話を聞きに行くということでよろしいですか、先生?」
「ああ、すぐに出るぞ。二人とも準備したまえ」

 パフィンは返事と共に踵を返し、ウィローも彼女の後を追った。

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