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【短編小説】お菓子をもらいに

Trick or Treat!
お化けが主役の祭りには、人の世であっても本物が紛れているかも?
駄菓子屋の老女が体験したちょっと不思議な客の話。
あまり物語には関わりありませんが、下記の「ルタバガの炎」と同じ世界線です。

「とりっくおあとりーと!」
「おかしくれないといたずらするぞ!」

 舌ったらずで、元気な声が閑静な店内に響きわたった。老女は読んでいた本から顔を上げ、その目尻をやわらかく下げた。鋭いつけ牙をのぞかせたドラキュラ少年、とんがり帽子とローブを身につけたちびっこ魔女、彼女の頭一つ分小さいかぼちゃ頭がこちらを見上げている。

「はいね。ほらチョコとあめちゃんもっていきなさい。かわいいおばけさんたち」

 わっと歓声を上げて少年少女たちは老女が差し出したかごに群がった。顔を寄せ合ってどれにしようかと相談しあう光景はみていて微笑ましい。
 あれがいい、じゃあ私はこっち、と、言い合いながら、揃いのカボチャ型のかごに色とりどりの飴玉やきらきら光り輝く包装紙に包まれたチョコレートたちが放りこまれていく。

「おばあちゃん、これ以外はだめなの?」

 ドラキュラの仮装をした少年がちらと棚に目を向けながら言った。
 棚には子どもたちが両腕で抱えなければならないほど大きな瓶がずらりと並んでいる。その中にはガムやらグミやらラムネやらがそれぞれ種類ごとに詰まっていた。隣には年季の入ったアイスショーケースがあり、カラフルな棒つきアイスたちが白の箱を彩る。
 老女は眉を下げて答えた。

「ごめんなさいね。おばけさんたちの分はこれと決めているの。その代わり、いつもよりおいしくなりますようにって魔法をかけておいたわ。それじゃだめかしら?」
「ほんとに?」
「ええ、本当よ」

 老女が穏やかな笑みを浮かべて頷くと、少年はぱっと顔を輝かせた。

「じゃあいいや! おばあちゃんありがと!」
「どういたしまして」

 老女は皺だらけの手で、子どもたちから菓子用のかごを受け取った。そのとき、魔女の少女が少年のマントを引っ張った。

「ねえ、つぎは中川のおじちゃんおばちゃんのところにいかなくちゃ。このままだとまわりきれないよ」
「あ、それもそうだよな。じゃ、おばあちゃんまた!」
「ま、まってよー」

 手を振って勢いよく飛び出していく少年と、足をもつれさせながらその後を追うかぼちゃ頭。少女はそんな二人を一瞥して呆れたため息をつき、老女に小さく会釈すると店を出ていった。老女はにこにこ笑みを浮かべながら三人組を見送った。
 十月三十一日は海外発祥の祭典の日だ。この国に根付いたのは最近のことだが、この町はそのイベントをいち早く取り入れた。
 毎年この日、あるいは三十一日に一番近い休日に仮装した子どもたちが街を練り歩き、決まり文句とともに菓子をねだる。菓子を貰える場所は決まっていて、店先に張り出されたオレンジの下地に黒字のポスターが目印だ。
 老女はこの町で長く駄菓子屋を営んでいる。もちろんこの祭りに参加しないわけがなく、町がこのイベントを立ち上げたときから顔をだしている常連だ。店先にはカラスウリの蔓とともに小さくてかわいらしいランタンが数個並び、看板にも菓子がここで貰える旨を大きく書いてある。
 今日は朝から幼さを残した声が店の空気を明るくさせていた。魔女やミイラ男、ジャックオランタンなどの定番のお化けたちから最近のアニメに出てくるキャラクターまで多種多様な姿は見ているこちらの心まで若返るようだ。
 そういえばジャックオランタンは本来カボチャではなくカブだったか。昨夜テレビで発祥の地特集か何かを組んでいたのを見かけたのを思い出す。
 石畳にレンガ造りの建物、どっしりとした中世の城に青々とした草を食む羊たち。ちょっとしたハロウィンのネタにふんふんと頷き、見たこともない異国の牧歌的な雰囲気に心癒されたものだ。
 特に印象に残ったのは現地の人々にインタビューしているときに出てきた職人。彼が作ったランタンにはカブの紋様が刻印されていた。なんでも息子の恩人とゆかりがあって、息子が気に入っているのだとか。いかにも無口で口下手な職人は、言葉少なながらも愛情がにじみ出ていて、傍目からみても微笑ましかった。彼の息子は今年も恩人の「ジャック」に会えるだろうか。

「まあでも私のところはあの子たちで最後かしら……」

 老女は入口に視線を投げかけた。開け放った戸からは眩い西日が射しこみ、店を茜色に染め上げている。
 この町の祭りにはある決まりごとがある。それは日が落ちたら子どもたちだけで出回るのは禁止というルールだ。夜は必ず保護者同伴でなければならない。その上多くの協力店が夜にはお菓子提供を辞めてしまうので、街灯に明かりが灯るころには子どもたちの姿はごっそり減る。
 ときどきパーティーを開いている家や大きなスーパーなどで仮装した子どもたちを見かけるときはあるが、夜道で見ることはまずない。
 どのみち老女の店は日が沈み終わる頃には店じまいをする。間違っても子どもたちが顔を出すことはないだろう。
 老女は椅子から緩慢な動きで立ち上がった。そろそろ店を閉じる準備を始めなければ。
 レジの金額を数え始めたとき、何かが入ってくる気配がした。

「あら? いらっしゃい。もしかしてお菓子もらいにきたのかしら」

 そこにいたのは白いシーツを被った子どもだった。目のところだけ丸く切り抜かれている、よくある幽霊の仮装だ。
 逆光で目元ははっきりと見えないが、白い布は透き通って今にも消えていきそうな儚さがあった。
 子どもは無言で老女の前までやってくると、かごを差し出した。どこにでも売られている植物で編みこんだかごを。
 老女は菓子の瓶を手元に持ってきて、例の決まり文句が出てくるのを待ったが、静寂が落ちただけであった。かごを押しつけたまま動かない子どもと、子どもの口から言葉が出てくるのを待つ老女の奇妙な膠着状態はしばらく続いた。

「あの言葉を言ってもらえる?」

 ついに気まずい沈黙に耐えきれなくなった老女は、視線を眼前の黒い二つの穴に合わせて問いかけた。
 一応ルールとして「トリックオアトリート」と言われてから菓子を渡すように決められている。何も言わずに菓子を渡すわけにはいかないのだ。
しかし子どもはやはり無言のままこてんと首をかしげた。老女は目を瞬いた。
 あのフレーズを知らずにやって来る子どもはこのイベントに参加して初めてのことである。

「申し訳ないのだけど、トリックオアトリートと言ってからじゃないとあげられないの。そういう決まりごとなのよ。トリックオアトリートと言ったらあげられるから、言ってごらんなさい?」

 老女はなるべく緊張させないよう、優しく微笑んだ。だが子どもの反応は老女の予想とはまったく異なった。
 雷に打たれたように子どもは大きく飛び上がる。わたわたと顔を左右に揺らし、数歩右に歩いたかと思えば反対側に同じ歩数だけ動き、数度それを繰り返した後、最後にこちらをすがるように仰ぎ見た。
 表情は見えなくとも、目の前の子どもが泣き出す寸前の悲痛な雰囲気を醸し出すのを察し、老女は目を丸くした。

「……もしかして声がでないの?」

 子どもは何度も首を縦に振った。
 老女は自分の至らなさを恥じた。世の中にはいろいろな事情を抱えた子どもたちがいる。声がでない子どもだっているだろう。その可能性を考えず、安易に無知なだけだと決めつけて声を出すことを強いてしまった。
 思いこみで行動してしまうのはだめね。老女は自身の固定観念に嘆息し、子どもに向き直った。

「あら、そうなの。それは悪いことをしたわねえ。ちょっと待っててもらえるかしら」

 老女は店の奥に入った。玉のれんで仕切られた奥のスペースは老女の生活空間である。靴を脱いで畳の上に上がり、箪笥の引き出しを開けた。そこには折り紙が入っていた。赤、黄、青、緑、白、黒。橙や桃色に水色。金や銀までついている。
 孫が遊びに来たとき用に買ってあったものだが、まさかこのような場面で使うとは思いもよらなかった。老女はついでに隣の引き出しから色ペンのケースを一つ取り出した。

「待たせてしまってごめんなさいね。お詫びにこの中から好きな紙を選んでちょうだいな。紙にトリックオアトリートと書いておけば、きっと他の店もお菓子をくれるはずよ」

 ペンと折り紙を差し出すと、びっくりしたように子どもはそれらを凝視した。

「遠慮しなくてもいいわ。何でも使ってちょうだい。ペンはまだインクが切れていなかったはずだけど、切れていたらごめんなさいね。まだ予備があるから、もしつかなかったら言ってちょうだい」

 呆然と固まる子どもに老女は続けた。

「好きな色はある? 私はオレンジ色が好きなの。あなたは何色が好き?」

 子どもはおずおずと黄色の色紙と赤いペンを手にした。布の中から覗いた手は荒れていて今どき珍しいほどやせ細っていた。
 老女は眉を曇らせたが、それを悟らせる前に笑顔を取り繕った。

「そう。素敵な色ね。そうだ。どうせなら英語で書いてみましょうか。きっと親御さんもほめてくれるわ」

 老女はオレンジ色の紙を手にとり、それに黒いペンで「Trick or Treat」と書き記した。子どもはじっと老女の文字を凝視していたが、ふいにペンをむんずと掴み、いかにも子どもらしい勢いのある字で「Trick or Treat!」と書きなぐった。そしてそれを老女の前に突き出した。老女はにっこり笑って出来立ての呪文を受け取った。

「とっても上手くできたじゃない。さあどうぞ。好きなのとっておいきなさい」

 子どもの表情はシーツに隠れていたが、ぱっと周りの雰囲気が明るくなった気がした。かごの中を覗きこみ、花の蜜を吸いに来た蝶々のように一つ手にとってはしげしげと眺め、また別のものをとることを繰り返していた。

「何個でもとっていいわよ。今日はもうあなたで最後でしょうから」

 小さな頭が勢いよく上がった。二つの穴からは相変わらず何も見えないが、老女には瞳を輝かせる子どもの顔が透けて見えた。
 白いシーツからにゅっと手が伸び、瓶の中身を鷲掴んだ。それでも取りきれず、指の隙間から宝石のような粒たちがぱらぱらとこぼれ落ちた。
 小さなかごにカラフルな飴玉やチョコレートたちが詰めこまれ、あっという間にかごはいっぱいになった。かごから覗く菓子たちの鮮やかさも相まって宝箱のようである。
 さらに菓子を詰めこもうとする子どもを老女はやんわり制止した。

「それ以上いれたら、お菓子がこぼれちゃうわ。また今度いらっしゃい」

 子どもは手を止めて老女を見上げた。どこか途方に暮れたような雰囲気だった。
 もしかして普段駄菓子も買えぬような家庭なのだろうか。いやあの手を見るによほど困窮した家である可能性は高い。または複雑な事情があっておいそれと来られない可能性もある。

「大丈夫よ。また来年もこのイベントはやるつもりだから。今度は別の種類のお菓子を用意しておくわ。だから来年もこの時期にいらっしゃいな」

 子どもは身を乗り出した。まるで本当? と念押しでもするかのように。老女は微笑んで深く頷いてやった。
 子どもはぴょんと飛び跳ねて、手足をぶんぶんと振り回して、店内をぐるっと一周した。そして最後に老女に向かって大きく手を振った。
 その瞬間、茜色の陽光がきらめいて、子どもの身体をすり抜けた。すり抜けた?
 啞然とする老女を置いて、子どもは光に吸いこまれるように消えてしまった。
 ふっと周りが暗くなる。どうやらあの橙の光の一筋が本日最後の太陽のきらめきだったらしい。
 狐につままれたような面持ちで、老女はよろよろと立ち上がった。おぼつかない足取りで電気をつけ、店先から顔を出す。そこには人っ子ひとりおらず、風に吹かれて落ち葉が舞い上がっているだけであった。

「まさか本物のおばけがくるなんてねえ……」

 思えば扉は閉まっていたのにあの子どもが入ってきたとき、扉が開く音が一切しなかった。声が出なかったのも幽霊だったといえば頷ける。だが怪談話では幽霊が恨み言をこぼすのがお約束だ。幽霊にもいろいろ事情があるのだろうか。

「それにしても、あの様子じゃまた来年もくるのかしら」

 ふと枯れ木のように瘦せ細って荒れ放題の手を思い出す。もしかしたら、生前は満足に食べられなかったのかもしれない。

「……来年は今年より豪華にしましょうかねえ」

 あの子が空の上でも笑顔になれるような菓子を用意できるといい。子どもを笑顔にすることは駄菓子屋としての本分だ。
 老女は伸びをして、看板を中にしまう。
 紅葉でおめかししたカボチャがカラカラと鳴った。

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