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【短編小説】春、小樽、一人旅

卒業おめでとう。
いつもは二人で行く小樽旅行を一人で行く「私」の話。

 澄み渡るような青空の下、彼女は今までで一番きれいな姿で笑っていた。淡い黄色着物に萩色の袴、髪には太陽のような牡丹が揺れている。
 私は薄っぺらい長方形の画面についた丸を押した。カシャと軽い音がして、彼女の姿は手元の端末に永久に焼き付けられた。あまりに手軽で、この光景の重みも薄れてしまうような、あっけない終わり方だった。
 実家へ向かう特急列車に乗りこむ彼女を見送って、彼女の姿が見えなくなって、私は。私はくるりと踵を返し、その足で別ホームの電車に飛び乗った――小樽行きの鈍行に。

 小樽。札幌から電車で約一時間、石狩湾に面する港湾都市。私の一番好きな街。
 窓から一面に広がる青を眺めながら、私は電車に揺られていた。
 空の白混じりの薄い青と、海の紺碧。遠くには雪の冠をかぶった山々の雄大な影がうすぼんやりと見えている。線路脇のコンクリート塀には雪が積もり、色素の薄い空に寒々しさを加えた。
 海は穏やかだった。シーツの皺のような緩やかな膨らみが時おり押し寄せてくる以外、ほとんど白波すらもたっていなかった。
 外国人観光客らしき中年女性が歓声を上げて、スマホを構えている。
 気持ちはよくわかる。私も初めてこの光景を見たときには、思わず食い入るように身を乗り出してしまったものだ。もっとも私がこの光景を初めて見たときは、雪解けも済み、桜が風にそよぐ遅い北国の春の日だったが。

『やっぱり私は色鮮やかな夏のほうが好きだよ』
「……うん、私も」

 記憶の中の彼女の呟きに同意する。返ってくる返事はない。電車の揺れる音と意味のよくわからない外国語だけが、車内を満たしていた。


 小樽駅は硝子工業が栄えた小樽を象徴するように、駅のホームや駅舎の大きな長方形の窓たちにガス灯ランタンが揺れている。海の底のような青をたたえたオイル入れが歓迎するようにきらりと光った。
 北海道初の鉄骨鉄筋コンクリート造りの駅舎は、どこかかつての空気を残している。上を見上げれば、淡い墨を幾度も重ねたような黒い梁が年月に揉まれてやや黄ばんだ天井を支えていた。だがそれをいつまでも呆けたように眺めているわけにもいかない。
 人波にのって、私も外に出た。クアーオ、クアーオとカモメの高い声がした。
 駅を出ればすぐにバスターミナルがある。吊り下がっている案内板の文字を見、私は一瞬足を止めた。
 三番乗り場、小樽水族館行き。
 そういえば初めて彼女とこの場所を訪れたときは、バスに乗って丘の上の水族館まで行ったのだった。真正面には深い青をたたえた石狩湾と、はり出した崖や青い影となって遠くに見える山々の稜線が瞼の裏に浮かぶ。妙に頭に残るオリジナルソングがよみがえってきて、笑みがこぼれた。
 たしかにあそこは魅力的な場所だ。ここ周辺で獲れた生き物の展示も、魚の説明パネルにおすすめの料理を並べるセンスも、言うことを全く聞かない自由すぎるペンギンショーも、迫力満点のトドやイルカのショーも。
 だが止まった足は再び動き出し、バスターミナルを通り過ぎた。
 あそこを本気で見て回ると半日は費やす。既に時刻は昼を超えた。流石に一か所だけで終わるのは少々勿体なさすぎる。交通費も馬鹿にならない値段をしているのだ。
 目指すは一番思い出が多い場所。小樽で最も華やかな商店街、堺町通り商店街。
 海に向かって真っすぐ下る長い坂を私は一人、歩きだした。


 シーズンを外しているとはいえ、通りは決して閑散としているわけではなかった。家族連れ、海外の団体客を先導するガイド、腕を絡ませた男女、会話に花を咲かせる友人と思わしき女性の二人組。多くの人が雪で狭まった道を行きかっていた。
 ときどき道に侵食した雪の塊に足をとられぬよう注意を向ける。ざらめのように硬く、車が跳ね上げた泥と滑り止めの小石がまぶされたその汚い白は踏むたびに耳障りな音をたてた。石を砕くような感覚は、柔らかな新雪とは大違いだ。なぜ雪は積もりたては綺麗でふわふわなのに、時が経つにつれてざらついた硬い氷の塊と化すのだろう。
 雪靴の下でうめく氷の粒たちは、私の心の底をこすった。じゃりじゃり、じゃりじゃりと。いつまでも耳にこびりつくように。私はなるべく雪を避けられる道を選んで歩いた。
 ショーケースに並んだ硝子細工たちは、まだ冬の気配が残る色素の薄い陽光に当てられて、きらきらと表情を変えながら、道行く人々の気を引いた。
 硝子商品はコップやら皿やら実用的なものから職人のセンスが輝く芸術品まで様々だ。店によっても当然色が異なる。
 実用的なものメインで取り揃えているところもあれば、くすりと笑える遊び心の詰まった小物類を集めた雑貨屋、テーマが決まった店もあれば、硝子作家たちの作品のみを取り扱うところもある。
 硝子作家が作ったものは大抵値が張るし、まだ芸術の本質を悟るには未熟すぎていまいち良さがわからなかったが、唯一もやしを硝子で完璧に再現した作品に出会ったときは二人で腹を抱えて笑ったのを覚えている。
 透き通った白い茎の艶めき、柔らかな黄色の芽の膨らみ具合、芽と茎の角度、まさにもやしそのもので、もやし一本を再現するためだけにその職人の技巧全てを注ぎこんだのが素人目にもわかったものだから、技術の高さに感心すればいいのか、そのくだらなさに笑えばいいのか、いろいろな意味で感情を乱された作品だった。
 ただ、それも今目の前に差し出されたとして、あの日のように笑える自信はなかった。
 色とりどりの硝子のコップがずらりと並んだ店内を歩き続けても、野菜の箸置きやら目玉焼きやビール瓶のミニチュア硝子細工やら置かれたこぢんまりとした雑貨屋を覗いても、ベネチアの仮面や精巧な鳥の置物を眺めても、純粋に作品の美しさに魅入ることはできず、必ずどこかに彼女の影がちらついた。
 彼女だったら、このデザインからどのような着想を得るだろうか。彼女だったら、薄闇に灯る焚火のようなこの色合いをどのようにキャンバスの上で表現するだろうか。
 考えても詮無きことが頭をめぐる。もう今は一人だというのに。
 彼女と出会ったのは大学のサークルだった。しかし会った当初からいきなり仲良くなったわけではない。共通の友人がいたおかげでそれなりに話す仲ではあったが、せいぜい知り合いと友人の狭間を行ったり来たりする程度で収まる関係だったと思う。
 それが頭一つ抜きん出る関係になったのは、話の流れで私が趣味を打ち明けたのがきっかけだった。
 住処にしている場所は違えど、創作をしているという点において彼女と私は同士だった。まさか身近に創作仲間がいるとは思わず、お互いポカンと顔を見合わせたものだ。
 それから距離が縮まるのはあっという間だった。
 彼女とは驚くほど趣味がよくあった。私が勧めた曲は、大抵の場合彼女のお気に入りになったし、何だったら私が勧めた曲は既に知っていて、お気に入りだったなんてこともよくあった。子どもの頃見ていたアニメも、愛読していた本も、魅力的に感じる世界観や設定、何もかも。
 一体なぜ今まで知らなかったのかと首をひねるほど、私と彼女の嗜好は似通っていた。異なるのは食べ物の好みくらいなものだ。
 風が吹いた。北国の風は三月でも十分冷え切っている。私はコートの襟をぎゅっと握りしめた。

 ついに通りも終盤に差し迫ってきた。最後に私を迎えるのは褐色の煉瓦が整然と積まれたオルゴール堂本館。そしてその向かいには白磁の肌に青い椀のような屋根をもつルタオ本店が居を構えるメルヘン交差点だ。前者が落ち着きのある老紳士とするならば、後者は背の高い貴婦人のようだった。
 私が小樽を気に入っている理由の一つにこの店の発祥の地だからという理由がある。
 値段は質相応になるが、店員は親切で愛想がいいし、ロゴの青は海から空に向かっていくような美しいグラデーションで、その味からデザインまで何もかもが私の心を鷲掴んだ。
 今でもおすすめの店に真っ先に挙げるほどには好いている店である。
 しかし彼女と二人で行くようになってから、回を重ねるごとにこの店が旅行に占める割合は減っていった。小樽のことを知るたびに行きたい店が増えていってしまったからだ。
 他の菓子屋に比べると価格帯がやや上なので、まずここに行ってしまうと、予算が足りなくなってしまう。何より彼女はここの紅茶が苦手だったので、初めの頃に一、二度行っただけで自然と足が遠のいてしまった。
 今日は渋る同行者もいないので、上のカフェでケーキと紅茶を楽しんでもよかった。元々彼女と二人で訪れるようになる前は必ずカフェに寄っていたのだから。
 だが結局私の足は洒落た緑の玄関をまたがなかった。代わりに足を向けたのは向かいに位置するオルゴール堂だ。
 入口に誂えられた立派な蒸気時計は細い煙を青空にたなびかせ、今日も小樽を見守っていた。その前では写真を撮る観光客が後を絶たない。しかも出入口から流れてくる人の波ともぶつかるので、流れが滞って入口前は混雑していた。
 私は写真を撮る集団を迂回して、オルゴール堂の入り口をくぐった。
 オルゴール堂の内部はいたるところからオルゴールのどこか懐かしさを感じる優しい音が流れている。その名の通り、オルゴールを数多展示、販売するオルゴール堂は、他では見られない個性的なオルゴールが勢揃いだ。
 一般的にイメージする箱型のオルゴールから、人形に埋めこまれたオルゴール、時計つきのオルゴール、ネジを回すと観覧車や飛行機が回りだすオルゴール。非売品ではあるが、音楽と共にからくり人形が動くものや、螺鈿細工で飾りたてられたもはや芸術品の域まで達したオルゴールも見ることができる。
 組みこまれている曲は有名なアニメ映画の曲であったり、テレビやコマーシャルなどで何度も流れた曲であったりするために、流行り物に疎い私でもわかるものばかりだ。
 音を奏で続ける天使が乗ったオルゴールの台座にそっと触れる。
 オルゴールはなぜ何の憂いも感じていなかった過ぎ去った日々を思い起こさせるのだろう。楽しさだけが詰まっていた過去をよみがえらせるのだろう。
 二人で来たときは特に何も思わなかったのに、今さらその音が心にしみた。私は湧き上がってきた思いを振り払うようにかぶりを振ってその場を離れた。
 オルゴール堂を出ると、太陽は西に傾き、早いところでは既に店じまいの準備を始めているところもある。
 旅の終わりも見えてきた。最後に向かう場所は既に決まっている。


 この旅の終点に選んだのは、華やかな堺通り商店街から少し離れた、とある洋菓子屋だ。喫茶コーナーが併設されているこの老舗の菓子屋は、昔懐かしい昭和の空気を今でも残している。
 純喫茶と呼ぶにふさわしいレトロ溢れるシャンデリアや質感のいい赤いソファ、磨かれた大理石模様のテーブルが私を出迎えた。奥では白シャツに黒いエプロンを身につけた店員が紅茶の準備をしている。
 喫茶コーナーの人はまばらで、私の他には地元の人らしき老夫婦が談笑しているだけだった。
 一人用のソファに腰かけると、どこまでも沈みこむような心地よさが私を包み、自然と体から力が抜けた。
 彼女はこの店をよく気に入っていた。私が言い出さない限り、本当にどこまでも居座りそうなので、頃合いを見て引っ張り出すのはいつも私の役目だった。
 まあしかし気持ちはわからないでもない。ゆったりとした時間が流れるこの空間は居心地がいい。
 しばらくすると、紅茶と頼んだケーキが運ばれてきた。桃や水色の野花がそよぐ上品なティーカップと、ナパージュでおめかしした大きなカボチャが乗ったミルフィーユ。その隣に陶器の小さなミルク入れに入れられたミルクと丸いシュガーポットが置かれる。
 私はストレートでも平気だが、今日はミルクと砂糖も付けたい気分だった。
 私が気に入っている洋菓子店の、フルーツや花も混ざった甘くて華やかな紅茶とは異なり、純粋に一種類の茶葉から抽出したここの紅茶は飲めるのだと、彼女は笑った。そう言いながら、ミルクと砂糖をとぽとぽと溶かしていたが。
 赤みがかった橙に、ミルクが混じってあっという間に色が明るくなる。柔らかい黄赤には先ほどのような透明感はなく、柔いミルクのベールで全てを隠してしまっていた。
 口に含むと紅茶独特の芳香とミルク、砂糖の優しい甘さが口いっぱいに広がる。無意識のうちに嘆息に近い息が漏れた。
 もう次の年度を迎えるときには彼女はこの地にいないのだ。その事実が今も夢のように浮遊していて現実味がない。
 なぜ私はまだここにいて、彼女はもう数日も経てば離れてしまうのか。
 余所から来た私がこの北の大地にとどまって、この地で生まれ育った彼女が飛び立っていくというのは、ひどく奇怪に思えた。
 それでもそれが揺るぎない事実だ。私は彼女の背を見送ることしかできず、これから彼女は私の知らない遠い土地で、知らない時間を過ごすのだ。
 フォークを突き立てたミルフィーユは相変わらず硬く、底まで突き刺したはずなのに、底のパイ生地の中途半端なところで止まってしまっていた。力まかせに押しつけるうちに、綺麗に整ったパイとカボチャのビルがゆっくりとかしいだ。
 それを見つめる私はどんな表情を浮かべていたのか、濁った杏色の水面では何もわからなかった。


 うつらうつらとしながら車窓一面に広がる海を眺める。真っ赤な夕陽はちょうど窓から見て左奥の岬の影にほとんど隠れてしまって、わずかに覗く茜色の光が夜の忍び寄る空に明るさを与えていた。海は鉄のように硬質な暗い青をたたえている。行きと同じ海とは思えない顔つきだった。
 もう彼女と二人でこの海を見ることはないだろう。戻ってくるのが正月しかないならば、わざわざ友人と二人で、片道一時間もかけて小旅行することはない。しかももう幾度も訪れた土地に。
 彼女と顔をあわせるためには、私が飛行機に乗って彼女に会いに行く他ないのだ。
 しばらくは肌をこする風の冷たさが身にしみるだろう。以前の平穏を取り戻すのはいつになるのか予想もつかない。
 それでもいつかは降り積もる時間に埋もれていって、いつも通りの世界に戻るのだろう。
 それに彼女がみる世界を隣で見ることは叶わなくとも、彼女との繋がりが完全に切れたわけではないのだから。
 電車は走る。体を揺らして、思い出を乗せて走り続ける。
 瞼を閉じると、最後の太陽のきらめきが肌を撫でた。そんな気がした。

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