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【小説】回想、あるはなについて(6) 菖蒲

前作「回想、あるはなについて(5) 桃」の続きです。

「不完全なワンダーランド」にでてくる妖怪はなの過去話。
結婚祝いの贈り物を無事見繕うことができたはなは一女の結婚式の当日渡しにいくことになる。

第一話はこちら


松枝紋様の布で包んだ書物を抱え、はなは山を駆けていた。

「はな様、落とさないようくれぐれもお気をつけてくださいね」
「わかっているわよ、そんなこと!」

烏に変化した影が頭の上で釘を刺した。それに叫び返しつつ走り抜けていく。
まだ日が昇っていない森の中をはなは駆けていた。そもそも昨日からろくに寝ていない。目を閉じても頭が冴えきってしまって眠れなかったのだ。

「本当にこれだけでよかったのかな」
「今からそれを言ったところで何になります。当日になって弱腰にならないでください」

呟いた一言は影によってすげなく切られた。

「そんなこと言っていると転びますよ。ほら、そこの大きな石に気をつけて」
「えっ? わわっ」

いきなり現れた障害物に足をとられ、落としかけた荷物を慌てて持ち直す。ほら言わんこっちゃないとでも言うかのように頭上の烏が鳴いた。


「ここだよね。あっているよね?」

日が昇りだした頃だというのに多くの人の気配がする。駆け回る女たちの声に触発されて、はなもうろうろと裏口の前で行ったり来たりしていた。

「もう何度もきたでしょう、はな様。もう痴呆の気があるのですか。嫌ですね、私よりも若いというのに」
「誰が痴呆よ! 失礼ね」

影の無礼な発言に腹を立てたが、おかげで肩の力がぬけた。

「とりあえず、誰か呼べばいいのかな? あのごめんくださーい」
「はあい」

出てきたのはやせぎみで頬骨はでっぱっている中年の女だった。さぎのような大きくぎょろりとした目がこちらを見た途端、訝しげな顔になる。

「こんな時間に何かしら? 悪いのだけど、今日は忙しいから帰ってちょうだ」
「ちょっと待って!」

い、という前に別の女が走ってきた。今度は対照的に肉づきのいい女だ。彼女は恰幅のいい体を割り込ませるようにして二人の間に立った。

「ああ、違うの。その子は通してくれていいのよ」
「えっ、でも……」

目を泳がせるやせぎみの女に彼女は大きく手を横に振った。

「いいから、いいから。ずいぶん早くきてくれたのねえ。まっ、上がってちょうだいな」

ふくふくとした顔に笑みを浮かべて、女が手招きする。はなは軽く頭を下げて、中に入った。

「まだ一女ちゃんの着換えがすんでなくてねえ。悪いのだけど、この部屋で待っていてくれるかしら」

通されたのは小さく簡素な部屋であった。狭くて悪いねえという女にはなは首を振った。

「いえ、早くきてしまったのはこちらのほうなので」

ぺこりと頭を下げると、行儀の良い子ねえと彼女は体を揺らして笑った。

「そうだ、ご飯はもう食べた?」
「えっまだですけど……」
「じゃ、握り飯でもってきてあげるわ。待ってて」
「ちょ、ちょっとまって。そこまでは申し訳ないから」
「子供が遠慮するんじゃないの。ただでさえ、あなたは一女ちゃんの大事な友達なんだから」

止めようとするも、片目をつぶって、彼女は出ていってしまった。

「野菜とか持っていったほうがよかったかな」
「そうかもしれませんね」

音も立てず物陰から影が這い出てきた。今度は先ほどまでの烏ではなく、ひょろりとしたいつもの男の形の影である。

「はな様、間違っても贈り物を落したりしていないでしょうね。廊下ではしゃいで走るなどして」
「そんなこといつもでもしないわよ!」

まったくあなたはこんなときでもふざけるのかしらとはなが愚痴をこぼすと、影は続ける。

「まあでも、そんなに気にかかるのでしたら、手伝いを申し出ればよろしいのでは?」
「そうね」

頷いたのを確認した影は、はなの足元にできた暗がりにするりと溶け込んで消えてしまった。

しかし結局彼女は此度特別に会うことを許された一女の大事な友人だからと、頑として首を縦に振らず、はなは一人手持ち無沙汰な時を過ごすことになった。


「待たせてごめんねえ。ほらこっちよ」

先ほどの女がひょいと顔を出す。はなは彼女の後を大人しくついていった。

襖が静かに開く。目の前に広がった光景にはなは息をのんだ。

「お待たせしてすみませんね。思いの外、時間がかかってしまって」

綿帽子を被った一女は純白の衣に包まれていた。打掛の裏の紅絹もみが一層艶やかさを引き出している。凛とした佇まいはまさに白菖蒲のよう。

「この格好、変ではありませんよね」
「そんなことないわ! とても綺麗よ」

心の底からそう思った。冗談抜きで今の彼女が世界で一番美しいと思った。

「そういってもらえて嬉しいです」

微笑む彼女は、しかし少し不満気に続けた。

「でもこの格好、窮屈なので早く脱ぎたいんですよね。紅もとれないよう気をつけなければいけませんし」
「ええっ! もったいない。とっても綺麗なのに」

驚きの声を上げるはなに一女はわずかに顔を逸らした。

「動きにくいし、この後のこと考えると憂鬱ですよ」
「いっちゃん、その格好は野山を駆け回るものじゃないんだから、動きやすさだけで考えないでよ」

品のある化粧をしているのに彼女の発言のせいで出会った頃の葉っぱをつけ、擦り傷だらけの顔を思い出してしまった。

まったくいっちゃんは、とはなは苦笑いをこぼす。

「あ、あというの遅くなってごめんね。結婚おめでとう! これ、結婚祝いの品」

風呂敷包みを差し出そうとして、ふとある考えが浮かび、はなは手を引っ込めた。

「どうしたのですか?」

首をかしげる一女にはなは慌てて弁明した。

「いや、えっと、今渡そうと思ったんだけど、これ荷物になっちゃうから後日渡しにいったほうがいいかなって思って」
「ああ、なるほど」

得心顔になった彼女だったが、何の前触れもなくはなの手を掴んだ。

「ですが」
「あ、あのいっちゃん?」
「心配ご無用です。付き人に予めお願いしてあるので。大体せっかくはながここまできてくれたのに、それを突き返すなど非道な真似をさせないでくださいな」

にっこりと笑って彼女は言う。折れる気配がないことを感じ取ったはなは諦めて引き渡した。

「あとで見てね」
「ええ。楽しみにしておきます」

はなはそっと一女の手を握りしめた。本当は抱きしめたかったけれど、それで衣装を汚してしまうのはいやなので、それをぐっとこらえ、彼女の目を見つめた。

「ねえ、いっちゃん」
「何ですか、はな」

手に力をこめ、夜の静寂しじまのように落ち着いた黒に語りかける。

「幸せになってね。もし、もしよ、相手の人がとんでもなく嫌な奴だったり、姑が嫌がらせをしたり、何か困ったことがあったらいつでも名前よんで。たとえ蝦夷にいたって、琉球にいたってすぐに駆けつけるから」
「それは頼もしいですね」

彼女はそういって笑ったが、はなは本気だった。どんなことがあろうとも、彼女が困っているとわかれば、たとえ世界で最も遠い場所にいたとしても一瞬で駆けつけるだろう。

「嫁いでもたまには付き合ってね」
「もちろんです。またいろいろな話聞かせてください」

もう一度ぎゅっと握ってはなは名残惜し気に手を離した。広間のほうのざわめきが大きくなってきている。親戚連中が集まってきたので、そろそろ宴が始まるころだろう。

「いっちゃん、結婚本当におめでとう! あなたに幸せが訪れるように願っているわ」

はなは大輪の向日葵が花開くような笑みを浮かべて、祝いの言葉を口にした。

「じゃあ、私もういくね」
「ええ、本当にありがとうございます」

ひらりと手を振ってはなはその場を後にした。


花嫁行列は夜に出る。彼女の家の門扉が闇夜に赤々と揺らめく。はなは門外に焚かれた炎を大木の上から見守っていた。

「はな様、最後まで見送るおつもりですか」

肩に僅かな重みがかかる。烏型の影が乗っかったのだ。

「ううん。ここまでにしておくわ」
「そうですか。よろしいので?」

はなはこくりと頷いた。

「うん、いいの」

溢れんばかりの祝福は贈り物に託してきた。残ったほんのわずかな寂しさを胸に秘め、はなは行列が見えなくなるまで、その場から動かなかった。


その後贈った書物は大層喜ばれ、特に書き写した漢詩は毎晩読み返していると言われたときには照れで一女の顔をしばらく直視できなかった。

「いっちゃんの夫婦生活がうまくいっているならいいんだけどね。いかんせん夫がぱっとしないからなあ……」

一女の夫は平右衛門という名の下級武士であった。その名前に平凡の平が入っているように、容姿は平々凡々。性格も優しいといえば聞こえはいいが、一女とは対照的に女々しいとはなは思っていた。

「それははな様の僻みと思いますがね」
「うるさいわよ影」

むくれていると呆れたため息が降ってきた。

「はな様、見苦しいですよ。一女様とは上手くいっておられますのだから、何も不満に思うことなどないではありませんか」
「それでも面白くないものは面白くないの」

彼女の身長も、礼儀作法が美しいとはいえあまり女らしい性格でないことも全て受け入れているのは好感が持てるし、誰が見ても円満な夫婦生活を送っていることは明らかだ。この前あったときも、不満どころか惚気られて思わず頬を緩めてしまったほどだった。

しかし、しかしだ。せめてもう少し何かに秀でているものがあってもよかったのではないだろうか。何もお役目がないわけではないが稼ぎ頭とも言い難く、家計は火の車なところが不満でしょうがない。

「ですがこのご時世、どこの家だって家計難ですよ。ましてやこんな田舎藩なのです。何を期待しておっしゃる。それに中途半端に手柄をたてますと、見栄のために余計な出費が嵩み、より苦しい生活になることは知っておりますでしょう」
「でもさー、なんかこう、もっとあってほしいじゃない。あまりに平凡だとさ」

影はやれやれと言わんばかりに肩をすくめる。

「あの穏やかな性格と寛容さは長所だと思いますがね。一女様が満足しておられるのであれば、それでよいではありませんか。どうせはな様はどんなに顔がよろしかろうが、どんなに有能であろうが、重箱の隅をつつくようにあげつらいますよ」
「そんなことないわよ!」

しかし影は冷ややかな目でどうでしょうかね、と呟くだけであった。

「あなた本当に私に仕えている自覚ある?」
「もちろんございますよ。何をおっしゃります」

嘯く影に不満を隠しもせず、はなはぷいと顔をそむけた。

空は快いほど青い空だった。

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