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【小説】兵士怪談 第三夜

前作「兵士怪談 第ニ夜」の続きです。

また別の新人の奇妙な話、そして兵士たちの結末とは?
これで完結です。

「なあ、もうこれおかしいだろ! 三日、三日だぞ!」

 先輩兵士が喚きちらす。

「そんなことを言ってもしょうがないだろう。今日当番の奴が急に体調を崩してしまったのだから」
「でも三日連続ですよ! 三日! おまけに今日は夕食食べ損ねるし、全くツイてない」

 まだ喚いている彼に老兵はため息をついた。

「それを言うなら、お前につき合う羽目になって、夕食を逃した私のほうが嘆きたいくらいなんだがな」

 今日彼がやるはずだった砦の草刈りが終わらず、手を貸してしまったがために老兵も夕食を逃して腹が空いていたのだった。

「あーあ、今日はせめて昨日の新人みたいな奴じゃないといいんだけどな。あれ? 今日もあと一人は新人でしたよね?」
「ああ。そうだな」

 頭の後ろで手を組み、先輩兵士は独り言のように呟いた。

「なんか最近新人多いですよね。何で今の時期に急にとるようになったんですかね」
「隣国が不穏な動きでもしているんじゃないのか? 他の場所でもとり始めたと聞いているしな」
「どうせこっちには攻めてこないのに心配性ですよねえ」
「そうだな」

 二人分の笑い声が響き渡る。以前にも妙な時期に新人を多くとるときがあったが、特に何も起こったことはない。だから隣国の動きがあったかもしれないというのは一種の冗談みたいなものだった。

「今日の当番はここであっているか?」

 聞き覚えのない声が突然後ろから入りこんでくる。振り返るといつの間にか男が一人立っていた。扉が開く音も足音さえ聞こえなかったため、老兵はぞくりとした。

「あ、ああ、お前が今日見張り番にあたる新人かね? それならばここであっているぞ」
「そうか」

 言葉少なな男だった。ただ、どこか抜き身の剣のような鋭さをもった男だった。

「はあ、今日も野郎だけかよ。昨日みたいに可愛い女中さんとかきてくれねえかな」
「女中?」

 新人が眉を上げた。翠玉が興味深げに先輩兵士を映す。

「ああ。昨日はすっげえ可愛い女中さんがなんと、俺たちに夜食の差し入れしてくれたんだぜ? ま、ムカつく新人も一緒だったけどな」

 鼻をこすりながら先輩兵士は続けた。

「アイツさえいなきゃ、俺はあの女中さんと仲良くなれたのになぁ」
「いや、お前はどうみても脈なしだったぞ」
「そんなことないでしょう!」

 ムキになる彼をみて老兵は笑みをこぼした。

「ちょっと何笑っているんですか! そこの新人も見えているんだからな!」

 振り返ると新人も微かに口角を上げている。笑った顔はまだ幼さが見え隠れしていて、老兵は目を見開いた。冬の中の陽だまりのような笑みだった。
 よくよく見ると童顔なのか、それとも年齢が意外と下なのか子供らしさが残っている。だが彼はすぐに口角を元の位置に戻してしまった。

「にしても今日もどうせ何もないからなあ」

 先輩兵士がぼやく。続く言葉が容易に想像できて、老兵は苦笑した。

「おいお前、なんか面白い話もってねえか? 例えば怖い話とかさ」
「あれだけ怖がっていたのにまだ聞く気があったのか」
「もう二日もきき続けましたからね。どんな話がきてもへっちゃらですよ」

 先輩兵士が胸を張って答える。きょとんとする新人に老兵が言葉を添えた。

「この当番はただ暖を取りながら交代の時間がくるか朝まで待つだけだからな。いつも暇を持て余すんだが、ここ二日は新人たちがそれぞれ怪談話をしてくれたんだ」

 彼はじっと老兵の顔を見つめている。

「お前も何かもっていれば話してくれないか? まあ無理にとは言わないが」
「流石になんか一つくらいあるだろ?」

先輩兵士が腕を回して尋ねた。新人は顔をしかめたが、やがてぼそりと答えた。

「……一つだけなら」
「じゃあ頼めるかね?」

新人は頷くと口を開いた。

「これは俺が聞いた話なんだが――」


 ある男が道を歩いていた。鳥もねぐらに帰る夕暮れ時、重い荷物を背負い、足を動かしていたときだった。

「もし、そこの方」

しわがれた声が傍らから聞こえて男は顔を上げる。するとすぐ横に使い古したフードで顔を隠した老人が立っていて、男はぎょっと飛び上がった。
 だが話しかけてきた者がボロボロの服をまとった老人だと気がつくと男は悪態をついた。

「おい、驚かすなよ爺さん。物乞いなら他をあたってくれ。俺は今急いでいるんだ」

 男は歩き出そうとする。しかし男は立ち止まってしまった。通り過ぎようとした男の腕を枯れ枝のような手が掴んでいたからだ。

「おい、いい加減にしろよジジイ」

 声を荒げる男に老人は言った。

「○○という者を知りませんか」
「は?」

 突然飛び出した名前に男は面食らった。固まる男に老人は繰り返す。

「○○という者を知りませんか」
「し、知らねえよ。大体その名前はこの国じゃありふれた名前だろ? それだけじゃ誰のことを指しているかなんてわかるはずがねえだろうが」

 老人が尋ねた名はその国で一般的な男の名前の一つであった。

「それならば問題ありません。この村出身でその名前は一人しかいませんから」
「は? 村?」

 男は周りを見渡した。辺りは黒々とした大地が広がっているだけだ。草木一本も生えていない侘しい光景には到底人が住んでいたとは思えない。

「彼にここに来てくれないかと伝えてください」

 男が黙っている間に老人は話を進めていく。

「おい、俺は引き受ける気なんて……」
「それでは頼みます」

 男の言い分も聞かず、老人は深々と頭を下げるとふっと消えてしまった。

「は!? おいちょっと」

 慌てて老人を探してみるも老人どころか人影一つ見えず、男はしばらく呆然と突っ立っていた。


「まさかそれで終わりじゃねえだろうな?」

 先輩兵士がつっかかると新人は首を振った。

「流石にこれでおわりじゃない。まだ話はある」

 そしてまたぽつり、ぽつりと語りだした。

 その後、男は気味の悪さを覚えながらも、都へと急いだ。都につくとやるべき仕事が山積みでおかしな老人の頼みなどすぐさま忘れてしまった。
 そうして数日経ったときのことだった。ある話が耳に入って男は愕然とした。

 ある女が不気味な親子に出会ったという。それはまだ日すら昇っていない早朝のころだった。ひどく粗末な着物をまとった親子が女を呼び止めたらしい。女はなるべく早くその親子の前を通り過ぎようとしたが、腕を掴まれて頼み事をされたそうだ。○○という者へこの場所に来るように伝えてほしいと。

 その名前は男が頼まれた名前と全く同じものであった。まさかと男は嫌な汗が流れるのを感じた。同時にあのときのことがまざまざと脳裏に浮かぶ。男は知り合いに頼み込み、その女に会いに行った。

『あの、アンタが出会ったっていう不気味な親子について聞きたいことがあるんだが』

 男が切り出すと女は露骨に嫌な顔をした。

『またかね。わたしゃ、あんな不気味な出来事思い出したくもないのに、どいつもこいつも根掘り葉掘り聞いてくるんだから』
『そこは都にほど近い荒地じゃねえか?』

 女はぎょっと目を見開いた。

『どうしてそれを……誰かから聞いたのかい?』
『いや実は俺もそこで妙な老人に会ったんだ。アンタと同じ頼み事もされた』

 女は血相を変えて詰め寄った。

『アンタ、あれについてなんか知っているのかい!?』
『いや、俺も知らねえんだ。あそこに村があったことも知らねえ。アンタは○○って男を知っているか?』

 女は力なく首を振った。

『わたしゃ何も知らないよ。なんだって私なんだい』
『俺もそう言いてえよ』

 二人で話し合ったが、その○○という男は知らないし、伝手もないので結局また何かあったら相談しようということでその日は別れた。

 だが数日経つとまた同じようなことを経験した者が現れた。今度は子供数人と出会ったらしい。その数日後には男と出会った者が、さらには男が老人と会う前にも若い女と出会った、青年だったが出会ったという者が次々と現れだした。

 呼び止める人物は年齢、性別、時間帯全てバラバラだったが、俯いていて顔がわからないこと、場所、言われる頼み事は一致していた。あまりに続くのでついに男たちはその○○という男を探すことにした。探し始めると意外にも目的の男はすぐに見つかった。
 というのもその村出身の者はその○○という男以外残っていなかったからだ。

『――というわけなんだ。会いにいってやってくれねえか』

 男たちは事情を話して彼に頼み込んだ。彼は呆然とした様子で言った。

『会いにいくも何も、俺は時間があればそこに行っているぞ』

 彼はゆっくりと語り始めた。荒地だったと思っていたところは確かに村があったらしいこと、大火災により彼以外生き残らなかったこと、草木を植えても植えても枯れてしまうこと。

 彼は男たちに尋ねた人々の特徴をなるべく詳しく教えてくれるよう請いた。男たちが教えると彼は絞りだすようにこぼした。

『その何人かに心当たりがある』
『もしかしてソイツらは……』

 躊躇いがちに尋ねると彼は悄然とした様子で答えた。

『ああ。その村の人たちだ。もう死んでいるはずのな』


 松明の周りを舞っていた蛾が罠にかかった。暴れ回る蛾を嘲笑うかのように糸は絡みつき、どんどんドツボにはまっていく。潜んでいた狩人が足を持ち上げた。八つの目と翠玉が一瞬交わる。
 が、老兵たちは気がつく様子もなく、新人の話を聞き入っていた。


『とりあえずあそこに行ってみよう。花でも供えてもうでないよう皆に言っておく。わざわざ伝えにきてくれてありがとう』

 彼は礼を伝えるとその場を去った。それからというものとんと奇妙な人々の話は聞かなくなった。

「けどな、その生き残りは何度行っても、何度頼み込んでも結局村人の誰一人として会うことが出来なかったんだ」

 語る翠玉にはどきりとするような深い哀しみが浮かんでいた。

「もしかしてお前は……」

 老兵が言いかけた言葉を退屈そうな声が遮った。

「それだけかよ? じゃあその幽霊たちは花供えて満足して、はいよかったねで終わりなのか? 全然怖くねえじゃねえか」

 浮かんでいた哀しみの色が噓のように消える。新人は何てことのないように平然と答えた。

「いや、その後も時折見る奴がいるな」
「は!? ソイツはちゃんとその跡地まで行ったんだろ? 何で出るんだよ?」
「知るか」

 にべもない言葉が返ってくる。

「俺が聞きたいくらいだ。赤の他人の前には現れてくれるのに何で……」

 最後のほうの言葉は火のはぜる音にかき消え、二人の耳に入ることはなかった。

「でもよ、これでお前の話が終わりなら暇つぶしになるもんねえじゃねえか。まだ時間は残っているんだぜ?」

 先輩兵士が愚痴をこぼす。老兵も扉を見やったが、まだ交代の兵士が来る様子はない。

「大丈夫だ。まだ一つやることが残っているからな」

 新人が立ち上がる。

「お? なんだまだ面白い話でもあんのかよ? そういうことは先に言えよな」

 老兵も彼を見上げた。彼の顔は凪いだ湖面のように静かであった。一体何を話してくれるのだろうか。

 蛾の羽ばたく力はもう弱弱しい。糸の上を狩人がゆったりと歩いていく。蜘蛛はついに哀れな獲物に牙を突き立てた。

パッ

 鮮やかな赤が飛んだ。

「……は?」

 石壁には綺麗な赤が散っている。老兵は何が起こったか分からなかった。
 なぜ生意気な後輩は倒れているのだろう。その喉に突き刺っているのは何だ。鈍い光を放つそれはひどく現実味がない。

ガシャン

 金属音が響いた。何かが倒れたのだろうか。壁に飾られた松明が真正面に見える。赤々と炎は燃えていた。それにしてもなぜ松明が正面にあるのだ?

 老兵はようやく気が付いた。自分が見ているのは天井だ。しかし自分がなぜ仰向けになっているのかはわからない。

「悪いな。これも俺の仕事なんだ」

 新人がゆっくりと近づいてくる。その手に握られているのは鈍く煌めく刃。

「まあ、この後のほうが地獄だからな。せめてお前らは一瞬でやってやる」

 何の感情も読み取れない瞳だった。剣が無情にも振り下ろされる。老兵の意識はそこで途切れた。


 男は歩く。重苦しい鎧はなく、腰につけていた愛剣だけを身につけて。廊下には倒れ伏した兵士たちが転がっていた。それに見向きもせず、淡々と歩いていく。

「あー重かった。なんでこの国の奴らはこんな重い甲冑着ているのかねえ」

肩を回しながらやってきたのは翡翠の目をもった男だった。鎧は脱ぎ捨てたのか軽装である。

「問題は?」

 にやりと口元が弧を描く。

「なし。万事順調だな」
「ならいい」

 外に出ると駆け寄ってきた影が三つ。

「隊長!」

 声をかけたのは一人の青年であった。きらきらと若葉色が男の顔を映す。青年はまるで犬が尻尾を振るように駆け寄ってきた。男は青年に顔を向けると問う。

「そっちも問題なしか?」
「もちろんです。僕の可愛いこたちはちゃんとやってくれましたよ。よほどのことがない限り寝ていますし、仮に起きても体は動きません」

 うっとりと微笑む彼の手元には小瓶が握られている。

「まあ、夕食を食べ損ねた奴は別ですけどね」

 おかげで無駄な手間がかかりましたと彼は吐き捨てた。

「その手間は想定内だ。それに大方はお前のおかげでやる手間が省けたからな。よくやった」

 男の褒め言葉に彼は目を輝かせた。

「これくらいなんてことないですよ! 隊長のためならばいくらでも」

 男は軽く頷くと残りの二人に目を向ける。

「ちゃんと夕食に盛っておきましたから女中たちも問題ないかと」

 女がにこりと微笑んだ。

「……俺のほうも特に問題ありません。火は放ちましたから、もうすぐ全て炎に包まれると思います」

 もう一人の青年もぼそぼそと答える。

「そうか。お前たちもよくやった」

 二人は顔をほころばせた。

「いえいえ! 私が一番簡単な任務でしたから」
「俺も特に難しいことではありませんでしたし……」
「もう! こんなときくらいはっきり喋りなさいよ!」

 女が青年の背をバシバシと叩いた。その様子を見ていた男が尋ねた。

「そういえばなぜ昨日だけ訪れたんだ? 一昨日は幼馴染もいたんだから、てっきり一昨日も来ていたものだと思ったんだが」

 女は一瞬きょとんとした顔をしたが、すぐに得心顔になった。

「ああ! すみません。一昨日も夜差し入れしようと思ったんですけど、ちょっと場を抜け出す時間があまり作れなくて。情報交換くらいしか出来なかったんですよ」
「帰りがやけに遅いと思っていたらそういうことか。じゃあ女としけこんでいたっていうのは訂正しないほうがよかったか?」

 隣の男がからかう。無口な青年はうろたえた。

「いや、しけこんでいたとかそういう訳じゃなくて……」
「そうですよ。もういやですね、副隊長ってば。情報交換しかしていませんよ」

 女はころころと笑った。副隊長は翡翠に哀れみをのせて青年の肩に手を置いた。

「まあ、険しい道のりだが頑張れよ」
「副隊長!」

 無口な青年が声を荒げるともう一人の青年が二人の間に割り込み、副隊長を睨みつけた。

「ちょっと何いじめているんですか。アンタ、ちゃんと自分の仕事やったんでしょうね」
「もちろん。報告はちゃんとしたろ?」

 後半の言葉は男に向けたものだ。

「ああ。本当にお前には任せてばかりだな」

 副隊長は満足気に笑みを浮かべた。対照的に気の強い青年は面白くなさそうに眉間に皺をよせる。

「アンタ、報告はちゃんとしたって言いましたが、僕、彼女が倉庫で奇妙な事件に巻き込まれていたことなんて知らなかったんですけど。ちゃんと共有すべきことは言うべきでは?」
「あれはもう済んだし、コイツにはちゃんと言っておいたぞ?」

 副隊長は男を指差して口角を上げる。青年が眦を吊り上げ、口を開きかけたそのときだった。

 鈍く大きな音が響き渡る。五人が一斉に顔を向けると、砦の一部が焼け落ちたようだった。離れていても熱気が頬にあたる。

「それにしても間抜けな奴らですね。いくら山に阻まれていたとしても、絶対に攻め込まれることはないと何の対策もしてこなかったんですから」

 若葉色には荒れ狂い、砦を飲み込まんとする炎が映っていた。

「山の洞窟を掘り進めて、整備して抜け道を作ったことに全く気がつきませんでしたし、僕たちが潜り込んでも気がつく素振りすらないなんて。まったく誰も彼も吞気なものです」

「だが、そのおかげで俺たちの任務は随分やりやすくなった。後は抜け道からくる後続の奴らを手引きしてやるだけだ」

 男はすっと目をそらしながら答える。

「お前らいくぞ。いつまでも眺めているほど暇はない」

「「「はい!」」」

 三人は姿勢を正して答えた。踵を返す男に副隊長が声をかける。

「この砦が落ちたのをこの国の奴らが知るのは早くても数日後だというのに? 今回はずいぶん急ぐな」

 翡翠は見透かすように笑っている。男は副隊長に責めるような眼差しを送った。

「……炎は嫌いなんだ。お前ならよく知っているはずだろ」
「副隊長」

 若葉色が非難の色に染まる。副隊長は肩をすくめた。

「へいへい、悪かったよ。にしても」

 もう一度砦に目をやって副隊長は嗤った。

「これでしばらくは賑やかですねえ、先輩」

 男は副隊長を一瞥するとため息をついた。

「その先輩とやらはこの光景を見ていないがな。まあ」

 暗闇にその赤は嫌味なほどよく映えている。

「この国の連中はしばらく怪談話をわざわざする必要もないくらい忙しくなるはずだ」

 険しい山に空いた洞窟から規則正しい足音が近づいてくる。男は皮肉めいた笑みを貼り付けた。

「幽霊なんかよりも生きている奴らのほうがよほど恐ろしくて、退屈する暇もないからな」

 五人は今度こそ振り返ることなく歩き出した。

 この国の人々はこれから長く賑やかな夜を過ごすことになるのだろう。それこそ夜も眠れぬほどに。

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