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【山陽バスむかしさんぽ】(16)福田川と日向の車庫

福田川は名谷駅前の落合池を水源に、名谷、垂水を流れて大阪湾へ注ぎます。垂水駅近くでは河口が近いために川幅もゆったりと広がっています。橋の上を黄色い山陽バスが行きかっていました。

福田川と山陽バス

「(1)商大筋交差点」で訪ねた通り、1936年に垂水駅~商大前間の路線を開設した当初の山陽電鉄バスの垂水営業所は国道2号線沿いにありました。しかし、山陽タクシーと「同居」していたこの営業所は収容能力わずか9両で、戦後、急速に進んだ垂水の住宅開発による路線拡大に伴う車両増にはとても対応できるものではありませんでした。

国道沿いの車庫に代わって、福田川沿いの日向地区に用地を確保して営業所と車庫が設けられたのは1960年10月のことでした。この新車庫は収容能力25両と旧車庫の三倍近くにとなり、山陽電鉄バスの事業拡大に貢献することとなりました。

日向地区に設けられた山陽電鉄バスの新しい営業所ですが、跡地は民家やコンビニになっています。車庫としての痕跡は見当たりませんが、土地の区割りにかつての営業所用地の面影が残っています。

日向地区の営業所跡地のコンビニや民家

福田川越しに営業所用地を眺めてみました。川の流れや背後に三菱重工の社宅を眺める景色はそのままです。かつては川沿いにガードレールも何もなく危なっかしいように思いますが、今では堤防が設けられています。家並みもすっかり馴染んでいて、景色からはこの場所に車庫があった面影は感じられませんでした。

日向地区の営業所跡地

電鉄垂水駅に近く便利な立地のここ日向の新車庫ですが、垂水の開発に伴なう事業拡大によって路線数や運行本数が増えるとこの場所でも手狭となってしまいます。このため、さらに広い土地を求めて、車庫と営業所は現在の清水が丘へ移されることとなりました。この場所は当時路線を拡大しつつあった舞子・多聞方面への配車にも便利な立地でした。

清水が丘にある現在の山陽バス垂水営業所

残された日向の車庫跡の土地には後に垂水東口バスターミナルのサブバスターミナルの垂水鈴木橋停留所として使用されることとなりましたが、このお話はまた改めてさせていただきます。

廃線跡調査が一つのジャンルとして成立している鉄道趣味に対して、バス路線は休廃止されればそこはただの道路になってしまいます。そのせいか、「廃バス跡」の調査はバス趣味の世界でもかなりマイナーな分野なのが現状です。しかし、「廃バス跡」の調査からは忘れられ、失われてしまったちょっと昔の町の姿が見えてきます。この「山陽バスむかしさんぽ」シリーズでは、今の神戸や明石を歩きながら、かつて走っていた山陽バスと昔の町の面影を辿っていきたいと思います。

参考文献
山陽電気鉄道株式会社『山陽電気鉄道百年史』(2007年)
山陽電気鉄道株式会社『山陽電気鉄道六十五年史』(1972年)
関西図書出版社『観光と産業の神戸市住宅地図 垂水区東部 昭和40年』(1965年)

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