宇宙の果てはどんどん遠ざかってる。それは見えない力のせいなのだそうだ。だとすれば、僕と君の距離も遠ざかっているのだろうか。もし、遠ざかっているなら、それも見えない力のせい? たとえそうであっても僕はその力に抗いたい。それがどうにもならない物理の法則だとしても。
回りを見れば輝いている人がまぶしい。でも考えてみれば、自分の輝きは小さいけれど、その輝きはみんなを照らす。みんなが輝けばその光がまたその人を。輝きってそうして少しずつ増えていくものかも。星だって、1つ1つはあんなに小さいのに、夜空一面の星はこんなにも地球を照らしているから。
時の流れがもっと速かったら、一生は味気なくなるのだろうか。もし、時の流れがもっと緩やかだったら、もっともっと一生は豊かになるのだろうか。でも、速かろうが、短かかろうがそれに合わせたペースでしか生きられないような気がしてきたとき、アインシュタインを思う。
昔、地球の果てでは水が滝のように流れ落ちていた。それがいつの間にか果てはもっともっと遠くになった。地球の果てだったら、もしかしたら行けたかもしれないけど、宇宙の果ては、生きている間には行けそうもない。その遠い遠い果てに思いを寄せながら、時空を旅する夢を見る。
僕たちはこの地球が好きだけど、地球は僕たちのことを嫌っているかもしれない。僕たちは太陽が好きだけど、太陽は僕たちのことを嫌っているかもしれない。自分の思いと、人の思いは違うんだ。思いが違うなら、その思いを知りたい。すごく遠回りであっても、思いが知りたい。
宇宙ステーションから地球を見ると大きくてきれいだけど、地球から宇宙ステーションを見るとまれに輝く粒にしか見えない。 ぼくらの乗っているこの大きな船はいったいどれだけ大きいのだろうと考える。そして、自分がただの粒であることを考える。輝く粒になれるだろうか。
昼間だって、僕たちの上には満天の星空が浮かんでいる。でも、たった一つ、とてもとても明るい一つの星があるから、よく目をこらさないとそれが分からないだけなんだ。ただひとつ、ときどき現れるお月さまだけが、それを気付かせてくれる。
夕方、お日様は地平線の下に沈んでいく。 でも、そのお日様はぼくたちの寝ている間に地面の下をゆっくりと回って、また反対側の地平線の下から浮かんでくるんだ。