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遠くの止まり木

ここ1〜2年で味覚がだいぶ変わって、甘いお菓子を食べると体が重たく感じるようになった。でも内面は甘いものを好きだった頃のまま生きてるのでうまくいかない。こないだ無性にホットケーキが食べたくて、食べたんだけど「少なくとも向こう3年はもう食べなくていいや…」と思うだけだった。かなしい。

代わりに野菜の甘味や匂いに敏感になった。「もしかして、ニラって美味しい…!?」と気づいたのは嬉しかったなぁ。

毎月取り寄せている星屑珈琲の豆も、色々な味と香りが感じられる。浅煎りの酸味が美味しいと感じたのは、ここの豆が初めてだった。

小さな手廻し焙煎機を使用しています。一度に焙煎できるコーヒー豆の量はごく僅か。非効率なこと極まりない商いではありますが、一粒一粒に目と手が届く、豆との距離の近さみたいなところが気に入っております。

「大きな業務用の焙煎機よりおいしいかというと、そんなことはないと思います。」なんて書かれてるけど、ちょっとそれはちがうと思う。どちらのほうのおいしさが上か下かという話ではなくて、種類のちがうおいしさなのだと思う。

コーヒーは好きなわりにこだわりがあまりないから、色んなところで豆を買ったり飲んだりするし「今日はどうしてもインスタントのうっすいコーヒーが飲みたい!」という日すらあるのだけれど、どれがいちばん美味しいかは決められないし知ったこっちゃない。ただ傾向として「こだわりの超希少豆」とか「究極のブレンドをプロのたしかなハンドドリップで」とか言われると「あー、はいはいはい。うるさいうるさい」と思ってしまうことがある(失礼なことに)。

たぶん、気の込め方のもんだいなんだと思う。強い気のこもり過ぎたものや、大勢から集まった大きな気というのは苦手なんだ。自分が負けて消えいりそうになるから。

そう考えると、星屑珈琲の気の込め方はすごくいい。人の手で炒るということは、豆とつきあった時間が込められているということだ。大きな業務用焙煎機なら均一でムラのない安定した味が得られるし、それはそれでいいことだ。どっちのほうが優れているというものでもないけれど、どっちが好きかと言われれば私は星屑珈琲の豆が好きだ。

そもそも店の信条を「群れない魂の止まり木」とするところに、なにもかもが現れていると思う。ほんとは今年の3月に行けるはずだったんだけど。いつか訪ねられる日まで止まり木が静かに佇んでいてくれますように。