見出し画像

死に化粧。

祖母が、驚きの一言を放った。


「私も飲もうかしらね」

含み笑いで言ったその言葉と、
これから祖母の体内に注がれるビールが、
どれほどの深い感情に包まれているのか、、

それを知っているのは、この深夜のファミレス中を見渡してもきっと
僕と妹だけだ。

というか、見える範囲には僕たちの他に中年のウェイトレスが一人だけしかいない。
口がへの字に垂れ下がったまま働くその女は、
こちらのムードなど御構い無しに、

すきっとアルバイトの時間が終わる為だけに、ルーチンワークで働いているような雰囲気で、

そのオーダーを取った。

僕は祖母がビールを、いや、
アルコールそのものを頼んだのを初めてみた。

「孫と乾杯する時がくるなんて、年取ったわね。」


とおどけてみせた。

祖母にもウェイトレスの態度や曲がり口はどうでもよかったようで、

僕たちは三人でジョッキを合わせたあと、
静かにそのビールを掻き込んだ。


2015年12月28日。

僕の姉が、癌で死んだ日。

祖母がビールを頼んだのはその夜の話で、
逝ったのは、夕方のことだった。

僕と妹と祖母と叔父の4人で、その瞬間を見送った。

呼吸器の嫌な音がまだ室内に轟く中、
姉のその苦しそうな顔を、
先生がいつもの優しい姉に戻してくれた。

涙は目から出たり引っ込んだり、
感情がエラーして止まらないけれど、
これからあの世に送るために、僕と妹は、

まだ体温のほんのり残る姉に、
促されるまま、化粧をした。

姉のビビアンの赤い化粧ポーチには、
歌手である僕がライブの朝などにいつも借りていた眉毛ペンと、
パウダーファンデーションが入っていた。

僕は自分で選ぶ化粧道具より、
姉が選ぶものの方が、格段に好きだった。

姉のことは、基本的に全てを愛していたが、
僕が苦手な化粧がうまいので、
特にそれを尊敬をしていた。

今日も化粧道具を使わせてよ、とせがむたびに

『早く自分の買いなさいよ』

といつも姉に渋られたのを思い出して、
今日から姉のポーチを自由に使えてしまうことに、

なんだかまた切なくなった。


眉毛とファンデーションは僕が担当し、
妹は口紅やチークを担当した。

僕たちはその最中、

気を紛らわすように冗談を言い合ったりしたけれど、

やはり感情はエラーし、こみ上げてくるものがある。

死んだ顔に化粧は、いかにしにくい。

向こうにいってもヨレないように、
アイブロウコートまでしてやった。

僕は化粧を終えると、自分のクラッチバッグに、
姉の眉毛ペンとファンデーションを入れた。

死んだ家族のものだとしても、
なんだか悪いことをしている気がして、

妹には言わずに、くすねた。

「おねぇちゃん、おつかれさま。

本当に、よく、がんばったね、

いままで、本当にありがとう。」

と僕は繰り返し、言った。


何度言っても返事がないのが虚しかったが、
しばらくは聴覚だけは残っている可能性があるとネットで見たので、

僕は「ありがとう」を、繰り返した。


化粧をした姉はいつもとは違う顔だった。

死んでいるからなのか、
僕と妹の化粧が下手だからなのか、、、

きっと、後者だろう。

姉は、本当に化粧がうまかったのだ。

どんなに二日酔いでも、
病床の抗がん剤で青白く浮腫んだとしても、

いつだって、
自分の顔をよく見せる方法を知っていた。

今、自分の死に顔に化粧を自分でさせたとしても、
それなりの仕上がりにしたに違いない。

霊安室に送り、手を合わせたあと、

葬儀の日までご遺体を安置する冷たい部屋へと、すぐに移動した。

さっきまで「暑い?寒くない?」なんて声をかけてたのに、
数時間後にはこんな部屋に置いておくのは心が締め付けられる思いだった。

悲しむ間も無く、妹と二人で、葬儀の手配をすることとなった。

「この度は、心からお悔やみを申し上げます」

神妙な面持ちのハゲが、突然現れた。
僕と妹の担当だそうだ。

その男は、ウミガメのような顔をしていた。

ウミガメ。

どう見ても演技だとわかるほど眉をシカめ、目をうるませるそのウミガメの顔は
まさに字の如く、
亀頭のようだった。短小の。

物真似で僕たちをハゲまそうとでもしているのか?ハゲだけに?

ウミガメの、わざとらしいその顔が滑稽すぎて、
そして、
畳み掛けるオプションの説明に、嫌気がさした。

花、いくらです、ランクは?。
棺、いくらです、ランクは?。。。

どいつもこいつもこんな時にまで商売っ気を出してくるのだ。

なんだか不謹慎だなぁ、と面食らいつつも、

ウミガメは、それで飯を食ってるのだから仕方ないと思って話を聞いた。
そういえばウミガメの餌ってなんなんだろう?
そんな想像をしながら空返事を続けた。

「お化粧はどうしましょうか」

そこで僕は、ふと我に帰り、
妹と顔を見合わせた。

そこそこの料金なのである。

僕と妹はなんとなく姉のこだわりを知っていたこともあり、

一旦拒否しをたが、

プロの方がやることの大切さをウミガメに熱弁された。

結局、頼むこととなった。

___

葬儀当日。

化粧の出来栄えは、なかなかよかった。

「おくりびと」の映画で見て感じたような想いを抱いた。
お化粧をしてくださった方も、
それなりの想いとプライドを持ってやってくれたと信じたい。

それでも僕は、
なんとなく納得がいかなかった。

姉は、きっとあのファンデーションと眉毛ペンに思い入れがあっただろう。

『死人にくちなし』

という言葉をまさに目の当たりにした。

おねぇちゃん、満足しているの?

プロの人のメイクが嬉しい?

それとも自分の道具が良かった??

そんなことを心の中で口ずさむも、、
関係なしに、棺は閉じられた。


新宿に買った墓。

閉じられた瞬間、

僕は「あ!」と声を出し、
慌てて胸ポケットをさぐった。

前の晩、

泣きながら姉へ書いた手紙を、

胸ポケットから、
姉の棺の隙間に放り込んだ。

一緒に過ごした26年間の感謝を、

天国で読んでくれるかな、

なんて希望を馳せたが、
なんだか、虚しくなる一方だった。

「私は死にたくなかった」と思っている人間に、

ありがとう、と伝えるのは、
なんだか気が引けた。

おねぇちゃんがどう思っているのか、

わかればいいけど、わかる術なんてない。

死人からのレスポンスは、
遺されたものの、自由な空想のみだ。

それでもきっと喜んでいる、と信じて、手紙を放った。

そして、姉と一緒に、燃えて、煙になって、

決して晴天とは言えない空に
上手く混ざって、

消えた。


僕は3年後の今もまだありがたいことに、
歌手やタレントとして、
テレビなど人前にでる仕事を続けることができている。

当たり前だが、人前に出る仕事のときは、
化粧をしている。

引かれるかもしれないが、
大事な夢が叶う撮影や舞台では今も、

姉の遺したパウダーファンデーションと、
眉毛ペンを少しだけ、使ってみる。

化粧品も腐るので、
いっぱいは使えないのだけれど、

それが、心のお守りになってる。

我ながらキモいなぁと毎度頭を掻きつつ
きっと天国から見守ってくれて、
僕の夢を叶えてくれているのかなって、勝手に空想する。

「そんな腐ったもの捨てなさいよ」

と怒っているような気もするし、

「想い出してくれてありがとう」

と言っているような気もする。

感情の設定も自由にされてしまうからこそ、
死ぬのは、怖い。

だからこそ、
僕は、死んだ人の気持ちを、
めいいっぱい想像しようと決めたのだ。

板橋区高島平のファミレスで、

ビールを飲みながらこのブログを書いている。

そういえば、ここ、

姉が死んだ日に、祖母と妹と三人で来たっけ、

と、ふと思い出したのだ。

やけになってもう一杯ビールを頼んでみたが、
今日のウェイトレスのおばちゃんは、
えらく愛想がいい。

たまに話しかけてきて鬱陶しいけれど、
今日に限っては

その女の時給計算外のスマイルに、
なんとなく、救われた気がした。


なんとなく
もう一度そのスマイルが見たくて
届いたビールを一気に飲んでみた。

そしてまたベルを押し

「もう一杯お願いします」

と、
その女に笑ってみせた。

女も、笑った。



鳥山真翔


※この記事は2018年に他メディアに
掲載されたものを転載したものです

#創作大賞2023 #エッセイ部門

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?