見出し画像

#034_瀬尾まいこ『夜明けのすべて』


✴内容紹介

 主人公の藤沢さんは、重いPMS(月経前症候群)で感情をコントロールできなくなってしまうことに悩んでいる。ある日、ひょんなことから同じ会社の山添くんがパニック障害であることを知る。互いの状況を知ることになった2人は、もしかしたら自分が彼/彼女を助けられることがあるかもしれない、と考えるようになり、友達でも恋人でもない距離感で交流を深めていく。

✴感想

 映画が話題になっていて、原作の存在を知った。私の瀬尾まいこさんの本に対するイメージは「優しい」、「あたたかい」だ。この小説も、まさにそのイメージ通りの読後感だった。映像のもつ効果というのはすごいもので、映画そのものは観ていないのだが、予告動画かなにかで見た上白石萌音さん演じる藤沢さん、松村北斗さん演じる山添くんでずっと脳内再生されていた。最後まで読んでみて改めて、この配役はピッタリだな、と思った。

 藤沢さんも山添くんも、自分の意思が及ばない体の不調に悩まされて、苦しんで生きている。これまで私は、こういう慢性的な体の不調に悩む人を主人公にした小説はあまり読んだことがなかった気がする。でも、物語の中で2人が勤める栗田金属の社長が「心身ともに迷いなく健康な人ってそうそういないもんだよね」と言ったように、生きていく上で心身の不調というのは絶対避けられないものだよな、としみじみ思った。藤沢さんと山添くんの苦しみを矮小化する意図はないけど、例えば、低気圧のときは頭痛に苦しんだり、生理痛がひどくて外出できなかったり、そういうことは日常生活でよくあることだよな、と。それが描かれているのが、この小説の静かな凄さになっているのかもしれない。

 最後、山添くんは少し前向きになって、薬を減らそうとしてみたり、会社で新しい企画を出してみたりする。明るい未来を思わせるラストだ。でも、実は外から見た2人の状況は物語の冒頭から変化していない(山添くんの髪型は変わったけど)。何か大きなことを達成したわけでもない(山添くんが自転車をゲットしたけど)。その後、順調にいくかどうかも描かれていない。藤沢さんと山添くんが「互いに助け合える人がいる」、「自分のことを気にかけている人たちがいる」と感じることができるようになっただけだ。でも、そこには確かに、小説の冒頭ではまだよく見えなかったほんのり光るような優しさとあたたかさが感じられる。私は、このラストで良かったな、と心から思う。

✴印象に残ったところ

・藤沢さんのキャラクター

 藤沢さんは、ものすごく気遣い屋の真面目な人だ。PMSの症状改善のために食べものや飲み物に気をつけたり、定期的に運動をしたり、細やかなしっかりした人なんだな、というのが伝わってくる。
 でも、山添くんの前だとちょっと違う顔が出てくる。急に山添くんの家に髪を切りに行ったり、何も言わずにお守りを郵便受けに入れたり、いきなりおにぎりを差し入れたり、「突拍子もないこと」をしでかすのだ。なんだか真面目にとぼけていてかわいい。

「藤沢さん、意外に大胆なんですね」
「大胆?」
 気が弱くておとなしい。私は子どものころからそんな評価しか得たことがない。大胆なんで自分とはかけ離れた言葉だと思っていた。ただ髪の毛を切ろうと思い立って何も考えずに来てしまっただけだけど、確かにこの状況は十分大胆だ。そうか。私でもそんなふうに言ってもらえるんだ。そう思うと、気分がよかった。

瀬尾まいこ『夜明けのすべて』文春文庫,p.66

 人に対してどうふるまうか、ということを気にしてそわそわとする藤沢さんにはすごく共感した。終盤、虫垂炎の手術を終えて退院するとき、同室だった患者さんに挨拶してから去るか悶々とするところ、結局山添くんが持ってきてくれたテレビカードを渡して和やかに会話を交わしただけで心が「すっと」するところなど、分かる分かる、と頷いてしまった。

 藤沢さんはまじめだしきちんとした人だけど、自己評価が低い。そんな藤沢さんに対して山添くんは「藤沢さんは、人に喜んでもらうのが好きなんですよ」と言う。あれこれ考えて、人のためにたくさんの準備を惜しまないところが好きだ、と思う。

 映画を見たり、部屋の模様替えをしたり。それなりに好きなことはある。でも、希望と言えるようなものを持ったことはなかった。他人とうまくかかわって、穏やかに過ごしたい。苦手なことを避けて、嫌な思いをしないように。一日が終わるたびに、週末になるたびに、ほっとする。ずっとそんな感じで生きてきた。やりたくないことはある。だけど、私にやりたいことなどあっただろうか。
「藤沢さんは、人に喜んでもらうのが好きなんですよ」
 ぼんやり考え込んでいた私に、山添君が言った。

同上,p.256

寒い十一月の土曜日。髪の毛を切りに来た藤沢さんが、ハンドクリーナーやらごみ袋やらを出してきたことを思い出した。突拍子もないことをしてしまえるところじゃなく、俺は藤沢さんのそういうところが好きなんだ。そう思った。

同上,p.231

 ここで私がいいな、と思うのは2人が友達でも恋愛関係でもない、というところだ(私としては「友達」とは言ってもいいんじゃないか?と思うような仲の良さだが、この2人は否定するだろうと思う)。でも、それでも、2人は良いところを認め合って、うれしいことがあったら喜び合って、お互いを気遣って助け合うことができるのだ。そのことが、この2人が得た気づきであり救いだったんじゃないかな、と思う。

・自分の身体と一緒に、前向きだったりそうじゃなかったりして生きる

「すごいですね。体って」
「本当に。虫垂炎になったって、穴開けて手術したって、三日くらいで復活するもんね」
「すべてではないだろうけど、回復させる力がぼくらにはあるんですね」
「うん。そうだね」
 藤沢さんはにこりと笑った。

同上,p.230-231

 それぞれの心身の不調に苦しめられる2人は、物語の終盤に上のような会話を交わす。「すべてではないだろうけど、回復させる力がぼくらにはあるんですね」という言葉に、笑顔でうなずいてくれる人がいることは、どんなに心強いことだろう。

 人は生きている限り体から離れられないし、そうすると体の不調からも逃れられない。でも「回復させる力」が備わっているんだ、と前向きになることもできる。「明日は何をしようか」と考えることもできる。そしてそうであると同時に、そうじゃないときがあってもいいのだ。これは、そういう「優しい」物語だ。

ペダルを漕ぐたびに、春の風が体に触れる。明日は何をしようか。そんなことを考えながら自転車を進ませた。

同上,p.270

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?