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“静かで陽気な港町” 宿 house hold

それまで私は日本海の印象を聞かれると
「隠な感じ」と答えていた。

マイナスに印象付けようとしているのではなく、削られた岩肌と荒波、湿って重たい空気が沈んでいる日本海の厳かな印象を「隠」として感じていたからだ。

けれども、今回訪れた富山県氷見市の富山湾はそれと対照的な空気が漂っていた。凪いだ海に響くカモメとウミネコとトンビの声。それに混じる漁船のエンジン音。きらきら煌めく水面の光。砂浜ではしゃぐ芝犬の顔。どれをとっても、「陽」そのもの。

そんな富山湾沿いに立地するhouse holdは氷見の「陽」を体現した、静かに光る宿であった。


house hold は「勝手口からの旅」と銘打った地域に寄り添うお宿である。建物は元々呉服屋であった4階建のビル。

1階は開かれたカフェスペース兼フロントで、2階はギャラリーと図書室、3階は長期滞在者向けの客室、そして4階が私たちの案内される客室だ。
必要な箇所には適度に手を加え、残すべき箇所は触らずにそのまま残している。

冷房の効いていない蒸し暑い階段を4階まで登る体験は不思議と不快ではない。むしろ五感を揺さぶるアクセントとして、体に纏わりつく熱気が心地良く感じる。その心地良さが「行き届かないこと」と「残すこと」の違いを明快に表していた。

客室からは富山湾と海街が望める。
白で統一され、削ぎ落とされたシンプルな客室で外を眺めていると、どこか俯瞰した気分に。日常を送る中で、視線をあげて遠くを眺めることがあまりないためだろうか、波が押し寄せて引いていくだけの景色も新鮮に映り、砂浜を犬を散歩する住人が、まるで映画の登場人物のように思える。「あぁ、そちら側に行きたい」と、街へ繰り出す衝動に駆られた。

客室にいる間は窓の外をずっと眺めていた。
夜になると、水面に明るい月の光が映り、生き物のようにゆらゆらうごめく。月は雲にかかりがちであったが、時折、晴れ間が訪れると、空気はスッと透明になり、海も一層輝きを増した。

永遠にも思える静かな時間を過ごした。馳せた時間があまりに長かったのか、愛着は富山湾に移ってしまっている。現実の向こう側にあるような、美しい富山湾。そんな世界に勝手口のような気軽さで行き来ができる体験。

朝が来ることを楽しみに眠りについたのは、いつ以来だろうか。一日が始まる瞬間を、屋上で、温まる空気を感じ、見送った。

house holdは、英語で家庭という意味を持つ。
ご夫婦で営む宿での体験は、暖かく、落ち着いており、目覚ましかった。朝食をいただいている最中、真っ直ぐな瞳を持った旦那さんが、ふと口にした言葉「宿って人生みたいなものだから」。

この言葉の意味を理解するのには、まだ時間がかかりそうだ。

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