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「接客」を義務教育に組み込めばこの世のクレーマーは消滅する説。

世の中には自分で体験してみないと分からないことがある。

その中の1つとして僕が体験しておいて良かったと思うことは接客である。

これは別に接客の仕事内容を学べて良かったというわけではなく、接客という立場から人に接する経験をしておいて良かったという意味である。

僕自身そんなに長く接客をやったわけではないが、アルバイトのときのコンビニ、ファミレス、そしてコールセンターと、初対面、そして一期一会のお客さんと触れ合うことは多かった。



まず、接客の経験がある人は店員さんに対しての気持ちが良く分かる。

だからより良い客であろうと言う意識が勝手に芽生える。

そう、かつて自分が接客していた時にいた「本当に迷惑な客」「理解し難い客」を身をもって体験しているのでどちらかと言うとお客の立場でも「私も元は店員です。大変なこと多いですよね。」みたいな感じで店員さん側に寄り添う意識の方が強い。

居酒屋の店員さんだった人は自分がお客さんになった時にたとえ1回しか行かない店だとしても自分がやられて迷惑だった事は決してしないと思う。

コンビニでもファミレスでも。そこに理不尽な思いを経験して悔しかった自分が見えるから。

この世の中で触れ合う多くの人は「お客」と「店員」の立場同士。

だからお客側の視点だけでなく、店員さん側の視点を持っておくことで多くの人の見方を学ぶことができる。

たとえば僕がコンビニでアルバイトしていて印象的だったのはレジで会計の時に「お願いします。」と一声かけるお客さん。

これは本当に全体の4分1くらいの人だった気がする。

この「お願いします。」一言なんだけどそこに思いやりというか人柄が現れるような気がしていた。だからそういう人が好きだったし、僕もそれをマネするようになった。高校生のときのことかな。

また逆にお会計の時にお金を投げるようにトレーに置く人。これだけの一動作だけでもその人の人間性が見えるような気もした。あぁ、こういう人は物や人に対しても雑な扱いをするんだろうなと。

だから僕はお金は丁寧に扱おうと決めた。


それが本当にその人を表す正解かどうかは分からないけど、そういった目で見られる事は間違いないだろう。そういった人たちを見る中で、自分の振る舞いが相手側にどういう印象を与えるのか自分の行動を省みて考える癖がついた気がする。


クレーマーと呼ばれる人は何かを得ようとして声高らかに要求を叫ぶ時に、同時に大切な何かを失ってるかもしれない。

僕は昔から思っていた、中学生の時に職業体験というのがあったけど、あれを接客体験にしてみたらどうかなと。

全員一度は学ぶ価値があると思う。もはや必修科目でも良いかもしれない。週に1回コンビニでレジ打ちさせてもらった方が道徳の何倍も役に立ちそうだ。


そうすればこの日本でクレーマーと呼ばれる人が将来的にはかなり減ると思う。お客様は決して神様ではないことに気づくはずだ。


どこまで言ってもみんな人間なんだから、客になって偉くなったと思ってる人は大きな勘違いだ。あくまでもサービスはお金との等価交換。

そのことを忘れないように自分自身も気をつけたい。


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