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私の話になんて誰も興味ない〜WAISで人生の答え合わせ③

先日受けたWAIS-Ⅲの結果を受けての、人生を振り返るシリーズ。
3回目は「知覚統合」と「言語理解」のギャップから来るエピソード。


兄が特別、言語能力が高かったんだと今なら思う。でも、国文学を研究してきた言葉に厳しい母に認められたいと願うなら、言葉をうまく操る能力は必須だった。言葉として出てこないと、順序立てて説明しないと「この子は頭が悪い」という烙印を押されるのだから。

自分の話をするのが苦手である。
今でこそ、少し考えが緩んで、話したい場面では頑張って話すようにしているけれど、もともと引っ込み思案で内弁慶、人前で自分のことをペラペラ話すことはない。
それでも家の中でくらい、まとまらない話を聞いてほしい。よく夢を見ていたので、朝から夢の話を親に話していた記憶がある。

でもある時、ピシャリと言われた。「その夢の話はいつ終わるの?」。今になって考えると、忙しい朝に夢の話をダラダラ話されたら(頻度はわからないけれど)そう言いたくなるのも分かる。
でも、私の夢の話は自分のイメージを外に出していたわけで、一緒に「どうなるんだろう」とワクワクして付き合ってほしかったんだけれど、そうか、簡単なあらすじとかオチとかだけが必要だったんだ。話の上手な兄のように。まとまった話、ちゃんと盛り上がりもあってオチもある話。4歳も離れた兄と話の上手さを比べられたことで、私話をすること自体が怖くなった。

そんな私の「話嫌い」を決定づける出来事が起きた。小学校高学年のとき、私の好きだった漫画の巻末に作者の飼っている猫の漫画がおまけで描いてあった。新しい巻が出るとまずそれを読んで、家族に「こんな話が載っていたよ!」と話して一緒に見るのだ。
だがある日、「今回はね、、、」と話し始めると母と兄が目くばせをし合ってニヤニヤしている。話し続けるも、こんな状況では話しにくく、私は途中で泣き出してしまった。そして「どうせ私の話が長いって思ってるんでしょ!」と二人を責めた。
結論から言うと、母と兄は私に内緒ですでにその漫画を見てしまって、それについて私が話し始めたので、気まずくて笑っていたそうだ。
「私の話し方が悪かったんじゃなかったのね!」とはならなかった。泣き出してしまうほど、上手に話さなければいけないプレッシャーがあったこと、そしてそれに対する共感もなぐさめもなく、片付けられたことがショックだった。

成長しても、兄のように上手に言葉を扱えなかった。私の話し方はどうも要領を得ない。分かってもらいたいと思うと言葉を尽くさなければいけないし、でもそんなに長くは持ち時間はないはず、と思うと焦ってものすごく短くなったりした。 
「持ち時間」、つまり尺をすごく意識していた。話している最中に、相手の反応もすごく気になった。
尺と反応を意識しながら自分の話も組み立てていくので、大人数だと気にする範囲が単純に増え、焦りが生まれる。結果、「私の話はもう大丈夫です」とばかりに、一言だけ言って後は聞き役に回ることが多かった。私の話はますます伝わりづらくなった。

誰かが話している時も、周りの人の顔を見て、「この人は聞くのを楽しんでいる」「この人は楽しんでいなくても、この場はこれでいい」「この人は話したいことがある」などを感じ取って、話したいことがある人に話の切れ目で振れるように、とか配慮することもしていた。
あまりみんなが楽しんでいない会話をずっとしている人がいると、責任感から話題を他の人に振っていた。私にとってコミュニケーションや大勢の集まり、特に飲み会などは「疲れる場所」だった。

今回のエピソードは、単純に私の特性だけの問題じゃない。
私の特性と、それが悪とされる生育環境によって、自己否定が加速していったことによって起きた問題なのだ。

もし私のまとまらない話を、遮ることなく、愛情を持って聞いてもらえてたら
私は「自分の話には誰も興味がない」という、子どもにとってはかなりつらい考えを持たずに済んだはずだ。
話が上手にできないからって、頭が悪かったわけじゃないのに‥母には、大人になった今も言われる。「子どものときはあまり頭が良くないと思っていたけど、大人になったら変わった」と。
それは必死に言語化するために頑張ったから。

今、私は息子の話を、ゆっくり、ずっと、興味を持って聞いている。興味があるからそうしているだけだが、それは私の癒やしにも繋がっている気がする。
特性があって、それに合わない環境で生きてきたら、少しずつ歪む。

その歪みを正していけるのは、大人になった自分だ。

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