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ようやく万事調いました。北海道の「オランダせんべい」。「#北海道のここがえ〜ぞ」

寝かせながらも徐々にビルトして
一本は仕上げたのですが、月末の
今日はまだ一本も上げてない。
 まあぶっちゃけリライトメインかつ
厭な身の上話が載っかっているので
構成にも自信がないからゴテゴテと
オカズを付けたくもなったわけで。

といふことで史料を読んだけど見当たら
ない、の最後も見つかり、先達もいた
から省くところとビジュアルは任せられる。

後はそこからの補正だ、が定まったので
本日は「#ケンミンネタ」。「オランダ
せんべい」と参ります。

例によって、ベースは大体この二冊から
固めて紹介するのが定番になって来ま
したが。

「わくわくおやつ手帖」はなつかしい
おやつの括りでp88に記載されています。

まず、「オランダせんべい」と呼ばれる
ものから(わりとコンビニ流通くらいは
してるので)米菓の方を別立てにしておく。
 酒田米菓の「オランダせんべい」は
米菓タイプで酒田地方の「オラんだ(俺
のだ)」から来たと言われているのは
(なんか今日家にだだちゃ豆味は来てた
にせよ)この項目では除けていくしかない。

で主に言われていたのは平戸と根室、
って話になってたかと。

でnoteには先達さんがイラスト付きで
あったんだっけ。
(「#北海道のここがえ〜ぞ」って結構
今も憲章タグからDタグ(大輔タグ)に
格下げられてるまさに「リアルにおさむい」
状態だし。もう少し使い道、ありそう
だけど)

でも流石に四年前でかつ説明文の
ファクトチェックがぐにゃぐにゃ。
なのでまずここからの変化部分と
裏打ち補強からDIY(自分の力で
なんとかせにゃ)しようかと。

まずこの御時世で次々縮小した
「北海道くらし百貨店」のノルベサ店は
閉店。逆に千歳空港のほか、アリオ札幌
に現在は店あるんだっけ「北海道くらし
百貨店」(もとよりサツドラの系列店)。

あと先達さんは諸説ありで濁してますが、
長崎・平戸のおらんだ煎餅がルーツで
北前船ルートから函館・根室と伝わった
説が有力。本家長崎・平戸の江代製菓には
「オランダ煎餅」もあるが、「おらんだ焼」
の形状がホントにそっくりなんだそうで。
(但し平戸の方はしっかり焼き上げる
パキッとした煎餅である模様)

で、根室に伝わったふにゃんとした
オランダせんべいは何軒もの製造元が
あったそうで、今も残されている端谷
菓子店は石川県でうどんや素麺を作って
いた製麺所がルーツ。配給統制時に
外されたことから行き詰まり、八戸から
道具を取り寄せて南部煎餅屋に転身して
いたことから「端谷菓子店」に。

オランダせんべいを作るきっかけは、
知人の勧めだった。(創業者・端谷)
秀雄さんの記憶によると、根室には
少なくとも戦時中から、オランダせん
べい店があったという。端谷菓子店が
作りはじめたのは昭和42(1967)年
頃のことで、他所と同じように4分割の
表面に靴底のような模様が圧された
型を使った。

塚田敏信「ほっかいどうお菓子グラフィティー」(亜璃西社)p178-179

需要の元に関しては普及した理由が
こちらに述べられている、と見るのが
正鵠を得ているか。

漁師が船で食べられるおやつとして定着し、
根室の港に広まっていった。

 特筆すべきは、独特の質感。煎餅は折ると
割れるが、オランダせんべいは割れず、
「くにゃん」と曲がり元に戻る。
直径約16センチの丸型で表面は網目状。
薄くて、しっとりしたワッフルと言えば
合点がゆく。

田島ハルの食いしん簿 11食目
オランダせんべい(2020年1月22日(Mi.水)
朝日新聞夕刊道内版掲載)

数年前からは札幌にも進出して来ていて、
はじめは西区の奥地だったが、一度店に
行けた時は山の手に直売店が出来てた。

なんとかロードバイクで行って買えた
けど、その更に坂の上にある「おにぎり
あたためますか」御用達のうどん屋は
そのタイミングでも麺が切れて入れ
なかった、といふ思い出もあります。

まあ独特の食感はクセになるので
見かけたら試して下さい「オランダせんべい」、
といふことで。

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