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私の世代が生き残るには酷な時代だったからね。何らかを弔うための記しにでもなれば。心の味蕾(みらい)、って現代詩。

まあ確かに新聞のSCRAPを長らく続けるきっかけになったのは、
大学在学中の只中で野放図な新聞の「筑紫っぽい「じゃあなリスト」を
描いてる人達」に対する温泉気分、とは別種のベースソースを
自分なりに構築することが自分自身にとって必要だな、と思って
徐々に行動に移していったことが今の糧の一つになっている。

その中には自分で自分なりに真っ当な追悼コメントが納得の
いくレベルで書けたらいいな、といふ願望が一つのレベルの
ベースになってもいる。

 それくらい1990年代のマスゴミの狂騒ぶりは、私の世代が
生き残るには酷な時代だったからね。

 そんなところからは距離を置いて、「夕方の三十分」
っぽく書いた当時の詩が出てきたから、まあこれから一年くらいかけて
阪神・淡路大震災から30年を念頭には置きつつ(史料をぼちぼち掘り出して
みようかとも思いつつ)、弔いも兼ねつつあえて記してみようかと。


心の味蕾みらい

サイの目にまで切った大根を
ちょっと深めの器に入れ
取り出したる蜂蜜をひとさじ
申し訳程度にするりかける

しばらく置く

大根は汁をどっと出し
蜜とからまり汁となる
うわずみのように浮かぶ
ぽしゃぽしゃの白いだいこんは
何とも言えぬあっさりとした
漬物みたいな味がする

放っておく

風邪引きのボーズがやっと身を起こす
汁を少しすくい取り
相応のお湯で薄める
いつもは番茶を淹れて呑んでいる筈の茶碗が
なんだかわからない記憶の水底にあったような
懐かしいファンタジアを思い出させる

遠くに一時は 消えてしまった
とおくの永遠の中の味覚
喉を潤し 心を癒す


大体30年位前に書いた現代詩として、
心の味蕾みらい、を本日はお送りしてみました。

因みに北海道なのでここで出てくる「番茶」は一番茶、二番茶の
本場の方の言い回しではなく、お茶が穫れない地域で
言うところの「ほうじ茶」のことです。
 「とみにコトバ」としてはね。




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