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少し視点を替えてみたら見つかるものもある。ドロップ王佐久間惣次郎と二つのドロップス。

しばらくニュースのはしばしには出ていた。
ただこれだな、と以前書き付けていたものが
出てくるまでは、と躊躇している話題があった。

 当初は『ああっ女神さまっ』のノートに書き
付けてあると思って、そればかり探していた。
視点を替えて今回は近くにあった『らんま1/2』
の写経ノートをいまさら読んでみた。

 目的の図解がちゃんとそこにあった。

 元にあったのはオカシ屋ケン太(つまりは
浅井泉で泉麻人、おつまみさんの一人で『ソロ活
女子のすすめ』の原作者朝井麻由美の父である)
の名著『おやつストーリー』で詳細は串間努の
『ザ・おかし』(1996,扶桑社)という二段構え
だった。

解説が酒井順子だけど、「olive」連載時の
助手が酒井順子だった話は有名。

 なので、「サクマ式ドロップ」は一端
昭和19年11月25日の企業整備令で廃業しており、
戦後になって二社が再興していたわけ、というわけで。
 そこから裁判にまでなったけど二社並立、
但し由緒あるサクマ式を名乗れたのは元番頭の
横倉信之助が再興した方の「佐久間製菓(1948-2023、
池袋で再興)」の方だったと。

↑ネットにある基礎知識はこれで大体拾えている。

ドロップのフレーバーの違いに触れているのは、
ここ(ハフポスト)がわかりやすいか。

サクマ式ドロップス(佐久間製菓)
リンゴ、オレンジ、イチゴ、レモン、パイン、
ハッカ、ブドウ、チョコ

サクマドロップス(サクマ製菓)
リンゴ、オレンジ、イチゴ、レモン、パイン、
ハッカ、スモモ、メロン

安藤健二
サクマ式ドロップスとサクマドロップス、廃業するのはどっち?
赤い缶と緑の缶に分かれた経緯を追った

まあ昔のデータだとサクマドロップス(サクマ
製菓)の緑缶には11種入ってたようだけど、
現在は8種になっているわけね(スモモとメロンが
残ったと)。

 でニュースソースではこぼたれている部分を
串間努の『ザ・おかし』(1996,扶桑社)準拠で
拾っておけば、まあ残尿感もなくなるであろう、
と思いたい。

ドロップ王佐久間惣次郎は13歳の時千葉・日吉
から上京、とある。八王子の稲毛屋で有平糖の
技術習得。

有平糖(アルヘイとう、ありへいとう)とは
ハードキャンディの一種で金平糖などと共に
ポルトガルから伝わったもの、って説明でいいかと。
https://getnews.jp/archives/2956783

その後は横浜の和菓子商「新杵」に入ってドロップ
の研究を命じられる。
 「新杵」の主人だった桐沢桝八は明治27年に
あったコロンビア万国博でドロップ製造機を購入し
それまで舶来品だったドロップの国産製造を
試みていたと。

 でその後独立した末に佐久間惣次郎商店を
創業して「サクマ式ドロップ」を発売したのが
明治41年で、これを西暦換算すると1908年になると。
 高温多湿の日本でも溶けない理由は透明感を
出すクエン酸と燃料に使うコークスだったそうで。

 で紆余曲折あって池袋に佐久間製菓(旧)が
創立されたのは大正9(1919)年8月8日のこと。
 大正14年にドロップ王佐久間惣次郎が永眠する
(10月21日)が、佐久間久夫が引き継ぎ、日東
製飴所出身の山田弘隆が三代目となって、中興から
末期の祖となるが、冒頭に書いた通り一端昭和
19年11月25日の企業整備令で佐久間製菓(旧)は
廃業に追い込まれると。

 なので元番頭が池袋で先に復興を果たした一方
で、三代目だった山田弘隆元社長の三男だった
山田隆重が昭和24(1949)年3月7日に再興したの
が、現在のサクマ製菓。

鬼滅の刃缶のコラボをしてたのはこちらか。

製造開始はその一年前からで、株式会社になった
のが昭和24(1949)年と沿革にはある。

で、「佐久間製菓(1948-2023、池袋で再興)」
の方が2022年11月に廃業を宣言し、
2023年1月20日に廃業する、といった次第。

 といふことでようやくここに関してちゃんと
語れる、と思ったので一つ記事にしてみました。

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