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山田航と「ブラサトル」の間を縫って、好奇心のある部分にしっかりと補助線引いて一記事に仕立てる。~探してたお目当ての写真は見つかったから、替えが利かないを縦にしてここは突っ切ってみる。

さてと。

そこそこにはよく寝た。
 ただ起き抜けで最初に見つけようとしたSCRAPは
残念ながら見つからず。堂珍でも近い時期の記事だった
ので今しばらく寝かせたい部分はあるので、こちらは
今しばしベンド(留保)案件。

 でも「余計なところまで探しましょう」をひとり開催
していたら、別口で探していたものが見つかった。
 といふことで標題に繋がっていくと。

んで、懸案だったのでこちらもひとまず記事にしていたの
はこちらの記事になります。

日本鉄道旅行地図帳を使って、少しだけ「札幌温泉電気軌道」
の歴史と沿革を深く。|torov|note

 で、参照できるかと思ったけど隠れて見えない山田航の
記事は結局2016年5月に掲載されたもの、ってのは判明した
ところですけれども。

電停の名残がはっきり見えるのが南6条西23丁目付近に
あった「南六条」電停。二つの交差点が交わったような
道路に浮島のようにある中央分離帯が、おそらく乗降場
だったのだろう。

新世代歌人山田航のモノローグ紀行
「札幌温泉電気軌道の電停跡」
北海道新聞夕刊2016年5月6日掲載

でそこの電停跡と見受けられる写真がなかなか見つから
なかったと。
 「ブラサトル」の経路写真もうっすら(ってか若干
立ち切れで)見えているが、なんとはなしにスルー
されている。

私が以前仕立てた記事だとマイナーな地名スレや札幌人
の記事を引いて近似値までは辿り着いていたのですが。

こっちの記事だと前回の記事で紹介したなんまる跡の
在りし日姿(ユアーズなんまる時代)は確認できるけど、
って感じですね。

ってことで替えが利かないから、これはスキャン案件かなと。

という手間と好奇心の袷に時間と努力を費やしてみて、
ようやくこれかな、と。

南六条電停跡

ロードバイクを乗り回していた頃はここを通ってはいた
けれどこの視点には気付かなくて、気づいたあとはなかなか
この現地に辿り着くのも難しくなったが故に執念が
成せる業としてここまで辿り着いた、とまあそんな話でした。

 左奥に見えているケーキ屋が元銀行の建物をリファイン
して使ってる方のパールモンドール。かつてはこのあたりの
多面交差点にはなってたので綺麗なロータリーの跡も
残っていた筈ですが、もうそれも解消されてる感じの
写真になりますね。

 こうした道に遺されているロードタトゥーは貴重な
文化遺産なんですけど(特に軌道線が廃止されると痕跡
が残りにくい。まあ歩道としても使えるのでかつての
乗降所の痕跡がちゃんと遺されてるのは素晴らしいの
ですけど)、それに似た町割りを区画整理を縦にして
「ロードタトゥーの脱毛」をやらかそうしている札幌市
のアホな計画には「どうせアンタらみたいな愚業も
あっ、という間に忘れられて大概はロクなことする
モンじゃなかったな、に陥るだけ」、って感じも
するけれど。

 あのあたりはかつて大麻に住んでて母親がまだ運転
してた頃に祖母の住んでた円山公園まで行く道の道
すがらで、風情のある木造の建物やら製麺所なんかが
あって独特な雰囲気がさむざむとした入れ替わり立ち
替わりを繰り返すサッポロファクトリーができるまで
は確実にあった感じなんだけどね。

山田航と「ブラサトル」の間を縫って、好奇心のある
部分にしっかりと補助線引いて一記事に仕立てる、
でした。



#この街がすき
#札幌温泉電気軌道
#思い出はまた道に貼りついている

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