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避けて通れないお金の話-でも豊かな生活って遠くないのかも

「元教員」でも生きていけるって証明したい。そのために「お金」は避けて通れない話題です。

教員の代名詞とも言える「安定」を手放すと決めた時、いざ明日で退職だという時、お金のことはやっぱり不安でした。

年収はダウン。でも僕は今日も生きていて、はるかに豊かな生活を送れている。

自分に必要な金額を知れれば、意外と難しくなかったのです。


僕に必要な額は20万円だった

独り暮らし。直売所で野菜を買い、せいろで蒸していただく。土鍋でご飯を炊き、みそ汁、卵、納豆、チーズといっしょに食べる日々。浄水器の水を飲み、小腹が空いたらくるみをポリポリ。

時間のある午前中はカフェでコーヒーを飲みながらゆったり作業。昼寝をし、身体を動かし、ギターとウクレレを弾いて、図書館で借りた本を読む。

移動は自転車、時々電車。服はあまり買わない。そんな僕の最近の日々。

豊かで、けっこう充実しています。

税金や健康保険は問題なく納め、家賃を払って暮らしを作る。半年に一回は1dayコンタクトレンズのまとめ買い。

20万円。これだけあれば僕は豊かなのでした。
(ミニマムならおそらく12万円)

もちろん生活が変わればまた変わる前提、変えればよい前提で。


最低限の金額なら、週5勤務じゃなくても手に入る

20万円。あるいは12万円。

その額ならば、フルタイムで働かなくても十分手に入れられます。

僕の場合、NPO・カフェ・小学校非常勤という定期の仕事3つで、一月に少なくとも22万円は安定的に手に入る。だから生きていける。安心できる。

この安心があるから、チャレンジもできます。

今の僕のチャレンジは、複業を通して自分の可能性を広げることであり、個人事業やオンライン体験を、収入を得られるレベルまで高めること。

僕は月30万円を一つの指標としています。NPO・カフェ・小学校非常勤で22万円なのだから、あと8万円はストレッチゴール。

この8万円を、個人事業やオンライン体験などで得られるようチャレンジする。それが自分の幅を広げるし、100年時代に自らを守る力を得ることにも繋がる。

8万円が15万円になるようなら、月40万円にチャレンジすることもできるし、他の仕事のバランスを変えることも出来る。

西野さんが言っていることを今の僕なりに形にすると、こうなりました。

最低限の金額はフルタイムでなくても得られる。だから好きに使える時間が生まれる。その時間で休むもよし、チャレンジもよし、旅もよし。

今の僕は、100年時代に自分の人生を楽しくサバイバルするために複業をしている。

そんな思いも、前回の記事には込めています。


いくら手にするのか、「自分で決める」のが大事なのでは

「安定」を手放したって生きていけると気づけて、本当に気楽になりました。

もちろん、いざという時のため、余剰金や貯金があれば尚よい。けれどそれは漠然とした不安ですから、何円あれば十分なのかハッキリせず終わりがない。それもあって「働く」が際限なくなる…

大事なのは、「何万円を手にするために自分は働くのか」自分で決めることなのだろうと思います。

そのためには、どんな生活をしたいのかデザインすること。

毎日同じシンプルな食生活、電化製品と家具は本当に本当に必要なものだけ。

僕が生活を思い描く上で、読んでよかったと思う本。

土井先生のご提案、シンプルながらも豊かな食事。

例えば洗濯機は、便利だけれど無くても十分に生きていける。毎日手洗いをして太陽を喜ぶ。毎日洗うなら服も少なくてOK。
(もちろん、子どもがいるご家庭では洗濯機はほぼ必需品でしょう)

お金をかけなくても出来ること、いっぱいあるんだなあって見直せました。


そして、お金に対して気付いた、ある当たり前のことがあります。


そもそも、プラマイゼロであれば生きていける

この当たり前のことが、ものすごく大きな気付きでした。

家賃、食費、光熱費、交通費、通信費…。月の生活費が12万円なら、12万円ちょうど稼げれば人生は続けていける。本当に当たり前のこのことに、僕は最近になって思い至りました。

収入と支出を考えた時、どうしてもプラマイプラスにしたくなります。不測の事態への備え、貯蓄や資産形成、ちょっとの贅沢。

では、いくら手に入れば十分なのか。僕はほとんど考えていなかったなあと正規の教員時代を振り返って思うのです。

いくら必要なのか=どれだけ働けば十分なのか。これを知らないことも、人が働き過ぎる原因なのかもしれない。

なので、一度プラマイゼロの線を算出してみる。するときっと、フルタイムじゃなくても大丈夫だ、となる。

とはいえ貯蓄も贅沢も大事ですから、プラマイちょっとプラスくらいでラインを決めて働く。その「ちょっとプラス」が、今の僕は「月30万円」。複業で自分を広げる上でも、よいストレッチゴール。

定期の仕事=組織に所属して、最低限の金額は安定的に手にする。
その安心の上で、新分野の仕事・個人の仕事でチャレンジを重ねる。

今の僕はそんな生き方です。

もちろん、自分がこうして好きに働かせてもらえるのはフルタイムの方がいらっしゃるから。それは忘れないように。

ちなみに、一気に出費が重なり、一時的にマイナスになるタイミングもあります。そうすると不安も出る。

でも多少の貯蓄はあるし、普段からシンプルライフで基本的に節制していますから、トータルで見れば大丈夫なんだよなあと思い直しています。


必要な金額を定め、それを手にする働き方をする。その時、実は「月給」がハードルなのかもしれない…と感じます。


月給って実はお金を浪費しやすい働き方なのかもしれない

収入の中で生活をする。そんな当たり前のことを、「月給」だと意外としづらいのかもしれません。

日給、時給、あるいは業務委託だと、収入と仕事量の関係がクリアに見えます。無駄なモノを買わなくなるのも、そうした背景が関係するのかもしれません。

僕自身の経験から立てた仮説ですが、月給制では、収入と仕事量が釣り合っているように感じづらいのかもしれません。

そのため働き過ぎていたり、必要以上のストレスを我慢していたりして、穴埋めをしようと知らず知らずお金を浪費してしまいやすいのかも…

改めて、いくら必要なのかを計算してみて、それを手にする働き方を考えることが、自分にとって大きかったのだと思います。


そしてこれは変化の時代、リスクへの対処としても有効なはず。


例えば、老後2000万円問題への対処としても

老後2000万円問題という言葉が話題になりました。それ自体の根拠を巡る議論はあります。
が、年金=国だけを当てにせず、自分でもなんとかできる力を付けておくことが必要ということはもちろん納得できる話。

収入が確保され、畑をやれば尚のこと不安は解消され、おしゃべり仲間も頼れる相手もいる。

全てを貯金でまかなおうとするとプラマイプラスの考え方になって際限が無くなるけれど、自分で設定した金額の中で生活して、できることや信頼のおける関係を広げていけばお金に拠らない自信がつきそう。

そもそも収入が複数あることの安心もある。30万円の一本の仕事が無くなると痛いけれど、5万円の仕事が一つ出来なくなってもその額なら対処のしようがある。


※蛇足ながら。退職を考えている方へ、貯金の話


いつでも、いっしょに考えましょう

僕はキャリア論もお金論も専門外ですが、だからこそ経験からの発見は得られていると思います。

僕の、実体験に基づいた工夫がお役に立てそうでしたらお声かけください。

もちろん教員の方に限らずです。

僕にお渡しできるものをもって、いっしょに考えたいと思っています。


追記:ほとんど同じことが書いてある本に出逢いました。

しかもこの方、僕が今住んでいる街にお住まいだったようで。お世話になっているカフェマスターが「読んでみて」と貸してくれた一冊なのですが、なんだかご縁を感じます。

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