霞ヶ関文学研究1 観光 DX 推進による観光地の再生と高度化に向けて①
行政文章ってとにかく硬くて、意味ねえよなって思う方が大半だと思うのですが、私こうした文章読むの好きなんです。
霞ヶ関文学と揶揄されることもありますが私としては高度な読解能力と、国語における古典の婉曲表現や前提知識など、読むべきポイントを押さえると面白いんですよ。
その面白さとすごい単位の予算が注がれている源流の会議がどんなことを考えているのか解説していきます。
https://www.mlit.go.jp/kankocho/iinkai/content/001596701.pdf
もうこの資料が超絶面白ろい!
久しぶりに頭に稲妻落ちました。検討委員会を務める雪国観光圏の井口さんと仕事をしたこともある縁もあり思い入れ抜群の資料です。
この世間の95%くらいの方にはマジで面白くないとこを観光業に行き、公共事業で飯を食っている私としてはこの世間の反応を少しでも緩和していけたらという気持ちでキーボードを叩いています。
はじめに、ってちゃんと読みましたか?
既知の事実が書かれててなんの発見もない!と思ったあなた。きっと掃除機を買ってもマニュアルは読まず、本を買ってもはじめにを読み飛ばして本題に行くタイプでしょう。(決めつけは良くないですねw)
この当たり前を最初に何故書くか?
それはこの書類を後世の人が読んだり、どういう時代背景においてこういう議論されたかを明らかにするためにあるのです。
つまり今、観光で働くあなたのためだけに、この文章は書かれていないんです。観光外の人に課題を理解してもらったり、後の時代よ人が何故あの時にこういう議論がされ判断されたのか、判断の土台を記すためにあるんです。
YouTubeのレコメンドとかに慣れすぎて、私にとってベストなコンテンツに染まった人には苦痛ですらあるかも知れませんが、行政文章には普遍性(時や場所を超えても理解できる内容)が求められます。
ちなみに私の父は国立大学の先生していて最後のキャリアは、文科省と一緒に防衛省や経産省や外務省との予算の取り合いの中で初等教育に投資するのが識字率の向上は経済発展に繋がるし、道徳教育は犯罪の抑止につながり警察や刑務所のコストを下げれられると、どこからどういうエビデンス引っ張ってきたのか知らんけどそんな仕事をしてたそうです。
もう、このはじめにの最後の文なんて痺れますよ。
「読んでいただきたい」「切に願う」って、国が超絶お願いしてるわけです。それをどれくらいの観光に関わる方が読んでくれるんだろう?どれくらいの方が理解してくれるんだろう?と思うと、国や観光庁も万能で強権的な存在ではなくなんだと私は捉えています。
つまり観光庁は霞ヶ関の一機関でしかないので、観光のDXに議論することが国益につながることは最初に宣言をする必要があるわけです。そして、あまり広くは周知されいませんが、国と地方は2000年の地方統一法によって「国と地方は主従関係から対等の関係」に変わったため、上から目線ではなく協力してね、ってトーンに変わったわけです。
続いてこの課題については生々し過ぎます。とかく平均値やグロスで語りがちですが、家業で継いでいる小規模な事業者がマジョリティだってことなんです。私も観光庁の専門家として地方に行って課題をヒアリングすると「とにかく特産品をタダにしてくれたらお客さん連れてくるから、あなた何も考えなくてもいいんですよ。とにかくタダにしたプラン作って」って代理店が宿泊事業者に言われてたんです。って話を聞いたことがあります。これがたまたま数少ない一つのケースだったらいいんですが、日本全国安く買い叩いて、事業者側に考えさせない(教育を与えない)ってなってたら悲劇ですよね。そりゃここに書いてあるような課題については現場を知るものとしてはそうだなと思う。
ただこれを読む人が、行政(観光以外も見る人)、地域づくり法人(主に観光がメインの組織、旅行代理店、宿泊事業者、観光に関連するベンダー、観光に関連しない人(主に消費者として関わる人)が読むかによって課題の捉え方は違う。
ここはふむふむですね。80%近くが中小零細であれば、大手旅行代理店や観光ベンダーが考えるようなIT環境を入れるのって結構大変ですよ。これは東京で働く自分が常に気をつけないといけないことで、東京で標準的に整備されていることを地方に当たり前に求めるのは時として暴力となってしまう。
そして「これ普通だから(お前らここに追いつけよ)」って意図的にそうしたスタンスを取る人はもはや人はついてこない。ただの統計的な事実を把握していない人や説明が下手な人と見られてしまうというのが私の見解。東京のコンサルさんは役に立たないという声を地方に行くと聞くことが多く、それが東京の一方的な問題でもないと思うが、実態をちゃんとして対話していればこんな風な悪いレピュテーションには少なくともならない。
ここがマジで痛快。
ここまでちゃんと書くか?って原文書いた人も書類を認めた観光庁も公開を承認した方に拍手を送りたい。
現場がよくなくてもメンツを保つために悪いことは言わず世間が待つのを忘れるスタイルではなく、持続的改善のためにはちゃんとレポートするって勇気のあることです。
税金仕事っ政治が絡むのでマーケティング的に正しい報告をすべきことでも野党の攻撃材料になってしまって炎上しちゃったりして、合理的なプロセスを踏めないことってけっこうあるんです。そのリスクを回避するために隠すと、このやり方でいいのかよってなって繰り返されてしまうのです。
なのでこれを読んで、DMO政策がうまく行ってないやんって責めちゃダメですよ。そんなことすると2度とこうしたレポートが出されなくなって、オープン議論しながら持続的に改善されるってことが起こらなくなるので
これもベンダーロックだよね。部分最適を考えた結果ですよ。観光ベンダーの立場上、読んでて辛いです。仕事って誰のためにあるのか?
認識不足や検討できる人材が不足って笑けてきませんか?観光は日本の次の柱で成長産業なわけですよね。私の見立てですとこれまでの大手旅行代理店が作ってきた時代とデジタル・インバウンド・地域づくりの時代において似たようなことなんだけどやってることは全然違うってことにどこまで物事の見方を変えるかが大事です。
レゲエの神様ボブ・マーリーが「雨を感じられる人間もいるし、 ただ濡れるだけの奴らもいる」と明言を残しているように、「観光」ってどこか普段の生活圏とは違う場所に行く行為を「世の中や人生を豊かにする行為」と捉えるか「金を落とす手段」と捉えるかです。
ここは手法の話なのでふむふむというかんじですね。まあこうするよねってことかので突っ込む点はないですよね。
そしてヒアリング
作業負荷が大きいことやメリットが理解できないって書いてありますが、観光ベンダーとしては、許諾とるの大変なんですよ。お金で申し込んでいるメディアサービスなら相手も乗り気ですが、公的機関がやるのは結構大変。
さらに合意が取れていない地域においては、A店もB店も等しく税金を払っているのに何故A店だけ載せるのか?とBやCからクレームが入ることを恐れAもBも載せない(つまりユーザーにとっては何も嬉しくない)サイトになっちゃうんですよ。
で逆にAもBもCも載せようとすると辛いのはベンダー側で、サイトを価値あるものにしようとすると、どうしても選別が必要なのに旅行者にとって魅力的じゃない資源を紹介するためにコストを取らないといけなくなる。
この辺りの地域の実情と製作者目線が両方わかる人プロジェクトに入れないときついよ。ほんまに。
ダウンロードされないアプリいっぱいあったねぇ。コロナ前は
提案ですが、使う事に責任持たず、作ることとに頑張るベンダーはネグレクトと呼んだ方がいいんじゃないですかね。ベンダーが夫で、地域が奥さんで、アプリや事業が子どもだとしたら、子作りは頑張るけど子育てせずに去ってく元夫ってキツいよね。
有効活用できないって言っても、これも子作りするという行為(とそれに付随する対価)が目的で、子育て考えてないよね。しかも目的や理解がないままとりあえず子作りきつい。ベンダーはともかく仕事が欲しいから、嘘はつかないにしても「大事なことを説明しない」ってことは結構ある。
ただベンダーだけが悪いわけではなく「上がもうアプリを作ると、公約で言っちゃいましたから」的なもうやるしかないってケースもある。
これまでの経緯はなんでもいいけど、アプリをダウンロードしてもらうって結構な広告コストかかるし、人生で一度行くか行かないかわからない場所のアプリなんて入れないよ。そんでそのアプリの養育費がその中から生まれる構造ならいいけど、税金を常に注がないと無理ならそのアプリ(子供)は栄養失調になってしまう。
プロジェクトに関わる人は、その覚悟を持って「やるか、やらないか」を判断してやり切ってほしい。
これを読んでいると地域全体でDXしようぜ!って崇高な理念は、いいシステムがあるかないかって技術面の問題よりも、これまでのお取引や慣習とか個々の事情の方が多いんだなと
よく民間企業を担当している営業の人と意見が食い違うんだけど、企業の場合、取締役会や株主が「やるぜ」って言ったら「人事権」を最終的に握っている側がグイグイ推進できるところが公共政策の違い。
県庁や市やDMOが方針を打ち出したところで、ここに経済活動をしている事業者(一人一人社長さんがいて仕切っている)が従うか、協力するかは未知数である点。独裁国家であれば強権を発動できるんでしょうけど、憲法で国ができることに対して色んな制約がある点を忘れちゃいけない。
そして裏を返すと地域のことに愛があり、協調できる地域は恐ろしいほどのイノベーションのポテンシャルを秘めているということ。
こればっかりは「人間関係」とか「信頼感」だったり、その地域ぶっ飛んでしまうかもしれない「危機感」とか色んな条件がそろわないと、まだ難しい。でも隠岐島の海士町をはじめ、全体最適動いている地域は存在するので
これも超わかる。だってデータを使って合理的に物事をしようとしても、地域全体から税金を預かっているって短期的な公平の観点で色んな制約が入るもん。
例えば三重県で言えば北部の名古屋に近い地域の工業地域が税としては多く収めているけど、観光って文脈で言えば南部の熊野古道に近いところにポテンシャルがある。北部の税金を南部の観光に注いだ際に、長期的に見れば県の税収が上がるからいいじゃんとはならないんですよね。なかなか。
それは地方交付金ってのがあって、税収が赤字の自治体がほとんどなのでその足りない分を交付金で補填されるので、短期的に税収を増やそうが増やさなくても今のルールで見るとあんま変わらんって不都合な真実もあります。
ただ私がなんでこんなめんどくさいことを言っているかというと「国と地方は対等である」としれっと2000年にルールが変わったということは、地方交付金がある時に減っても「国は責任を取らんよ」という解釈が成り立つということです。
もちろん国防上、離島とか半島とか人が住んでいてくれないとリスクがあがっちゃう地域もあるけど、人口が減っていく日本において全体を維持させていくことは無理なんじゃないかなと
地方創生って優しい明るい言葉は素敵だけど、総合的に考えると楽観はできない残酷な言葉だなぁと思っている人はどれくらいいるのか
ここのレポートの部分もエグられる気持ちもいるんじゃないかなと思います。
「経営人材がほとんど存在しない」って国の資料が認めているわけですから、ベンダー側がやることは、彼らから短期的に金を奪い取ることでなく、末長くお付き合いができるように地域を育てるために知識と経験を解放することです。
地域がなんでもわかっているわけではないし、都市部のように知見が集約するところは専門分野を担い、地域でできることはどんどん地域でやってもらったほうがいいですよ。
ちょっと長くなってしまいますのでここから先は
こちらのエントリーをご覧ください。
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