_Carp_のコピー

“EMACIATED ETERNITY”

New Yorkで個展が始まります。初めての海外出展がNew Yorkというのもびっくりですが、それが個展ともなるとかなり気が動転いたします。

「個展のタイトルどうしますか?」

と突然の電話で聞かれたのは2月の終わりか3月か、あまり記憶は定かではないのだけれど「あぁ... タイトルあるんだ」とかなり重たい驚きと、今日中にタイトル決めなきゃという湧き上がる焦りで血の気が引いたことを覚えています。

てっきり例によって“丹野 徹 展”でいくのかと思って油断していたのです。作品カタログをつくって頂けるとのお話を頂いてプロフィール、作品解説等々頭の中から言葉を絞り出して空っぽになるくらいたくさんの文章を書いていた頃でしたから、脳内検索を試みるも何も引っかかってきません。制作コンセプトや作品解説などを読みなおし一言で総括できるような“言葉”を探しました。数時間が過ぎようやく見つけたのは10代の頃に書いた詩の一節「痩せ衰えた永遠の中で意識だけが冷たい」。なぜそんなものを覚えているかと言えば、その後バンド活動をした際に歌にしていたのでうんざりするほど何度も歌ったからなのですが(笑)


写真表現に於ける露光時間、時間と記憶についての解釈は全作品を通じて偏在する要素であることから「痩せ衰えた永遠の中で」を抜き出してギャラリーの方にお伝えいたしました。日本語でOKとのお言葉に甘えて翻訳をして頂き次のような形になりました。

“EMACIATED ETERNITY”

MAY 2 - JUNE 29, 2019 Opening Reception: May 3, 6-8pm

SEIZAN GALLERY
521 W 26TH ST BASEMENT B
NEW YORK, NY 10001
T: 917-409-0699
INFO@SEIZAN-GALLERY.COM
TUE - SAT, 11:00AM - 6:00PM
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あと数時間で個展が始まる。そんなタイミングでこの文章を書いています。とても美しい展示風景をNYのディレクターが送ってくださいました。

(諸事情によりそんなタイミングで東京の自宅にいるのですが...)遠い地での開催となりますが機会がございましたら是非ご高覧賜りますようお願い申し上げます。

付記:写真表現に於ける露光時間、時間と記憶についての解釈について
“現実と記憶の間にあるヴィジョンについての考察 ”
特に着目したのは現実の事象が記憶される際には必ず知覚を通過する点です。この視点に立つ限り我々はある事象に対してコンセンサスを得ることは出来ない。何故ならば知覚は身体、すなわち器質(先天性、環境適応問わず)ありきの機能だからです。 (この事を前提としながら尚コミュニケーションのレベルでの同意が可能なのは言葉/記号の力に他なりませんがこの件は差し当たり言及致しません) 視力、身長、瞳の色… 器質的個体差はそのまま知覚の差、記憶の相違としてついに他者との壁を越えることはない。 僕の記憶は“数十、あるいは数百、数千分の一”という長さでは記憶されていません。“瞬間”といってもせいぜい三分の一秒くらいのものでしょう。 認識の連写を脳内で“一瞬”という形に落とし込んだ視覚情報に音、臭いなどの様々な情報を併せてパッケージしたものが記憶であるとの仮定から出発し、現実の仕組みから創出する“未知の風景”とういうヴィジョンを決定したところで主題の完成をみました。


Artist Statement

“An exploration of vision as lying between reality and memory”
One of my primary focuses has been the fact that objects in reality must always pass through perception before they are committed to memory. As long as we view the world from that perspective, it will be impossible to reach a consensus with regard to how certain objects appear. That is because perception is a function of the body, dependent on the organs
(i.e. separate from congenital or environmental factors. Working from that assumption, it follows that agreement at a communication level can only be obtained using the power of words and symbols, but I will refrain from discussing that topic further.)
Vision, height, eye color… the inter-individual relationship between these elements determines gaps in perception that lead finally to differences in memory, boundaries between people that cannot be overcome. My memory does not record at lengths of one tenth, one hundredth or one thousandth. In terms of moments, it likely includes subdivisions as long as one-third. By beginning from the hypothesis that memory is a packaging of these continuous frames of visual information with other various data, including sounds and smells, I am able to arrive at a form of vision that generates “unknown landscapes” using realistic mechanisms. It is then that my subjects reach their completion.

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