見出し画像

社会を対話可能なものにするために

13年前、リディラバを立ち上げたとき、世の中に届けたいと思う"声"があった。

それは都会のためにダムの底に沈んだ村人の声であり、
寒空の下凍えながら炊き出しに並んでいる路上生活者の声であり、
忘れ去られた山の管理をする共同体の声であった。

あるいは、養護施設を飛び出し身体を売る若者の声や、
過労死寸前の医師の声、
市場構造により表現を許されないアーティストの声、
共依存して互いを傷つけあうカップルの声、
過食と拒食を繰り返す虐待当事者の声でもあった。

そしてそれは、家族や人生に絶望した昔の自分の”声”でもあった。

こう言った一つ一つの声は、決して正しい声ばかりではなかった。
時に諦めが過ぎて小さくなってしまった声であり、時に過剰な被害者意識を持った尊大な声でもあった。

論理的でない声も少なくなかった。
建設的で前向きな意見など出す余裕がないのだ。

黙ってしまう声もあった。
言葉という拙い表現方法にすることでこぼれ落ちていく感情が許せないのだ。

だけど、どの声も懸命な声だと思った。
そしてその懸命な声は、社会からの愛を求めていた。

存在を忘れないで。
この辛さを受け止めて。
希望を感じさせて。

そういう声だな、と感じた。

愛とは何か。
既にその問いには先人が出した一つの答えがある。
関心だ。

そうだ、優しい関心が相互に向けられたセーフティネットが必要なのだ。
もしも今それが存在しないならば、自分たちで作っていこう。

そうやってリディラバは始まった。

**********************

リディラバを初めてから、同時に、”声”が枯れてしまっていくのではないか、という焦りも感じるようになった。

もしもこの声たちが世の中に受け止められることがないまま、社会の側からの無自覚な無関心が続いたら、世の中はどうなるんだろう。

いまこの瞬間も、ゆっくりと無関心が社会を蝕んでいるのではないか、と。

そして、言葉にすることを諦めた先に、一部の枯れてしまった”声”は静かに実力行使に移る。
それは、きっと暴力なんだろう。
向かう先が他者なのか、自分自身なのかはわからないにしても。

13年前の当時、ぼんやりとそう思っていた。
その後、悲しい形で現実になってきてしまった13年間でもあったと思う。

誰かを巻き添いにしながら、自分の主張を伝える。
自分の命を犠牲にして、自分の主張を伝える。
声の届かない社会は、自然とそういった事件が増えていくのではないか。
もしも自分だったら、そうするような気がした。

**********************

今年の夏、元首相が銃撃され、殺された。
銃撃のニュースは、起床して最初のミーティングを始めたところに飛び込んできた。

私は前日が誕生日で、祝ってもらった余韻の二日酔いで、まだ寝起きのタイミングだった。数日前に友人が亡くなっていたこともあり、自分の命の終わりを考えざるを得ず、痛飲してしまっていた。

そんな働かない頭の中で、変な汗をかきながらテレビをつけた。

とても動揺した。

ミーティングで決めるはずだったことを一度保留にして終わらせ、その後の出張の準備を始めた。

自分だけでなく、社会全体が動揺していたように思う。

家を出て、歩き始めた瞬間、ふとこんなことを思った。
今、ぼんやりではあるけれど、この事態を想像し得たのは、社会全体の中で、”声”を拾い続けてきた我々だけなのではないか。
ここで自分たちが受け身になってしまってはいけないのではないか。
微力なことはわかっていても、意志を示す必要があるんじゃないか。

そう思って新幹線に乗るや否や、事件についての声明を出せるように社内と協議し、文章を出した。


声明の通り、我々は民主主義に対する暴力に断固として反対する。
それは何より、社会の最も根幹の基盤である「他者は対話可能な存在である」という信頼への挑戦になるからだ。

目の前の人が突然殴りかかってくるかもしれない状態で、どうして対話ができるのだろうか。何を言っても変わる可能性がない相手に対して、心を挫くことなく関わり続けることはとても難しい。

暴力に従事することなく、また異なる意見であっても議論と対話で妥協点を見出し、部分的であってもわかりあうことができる。本来自由な民主主義社会が目指してきた社会像はそういったものだったはずだ。

だけど、今の社会は逆の方向に向かってはいないか。

誰かが自分の存在を世に知らしめるために、あるいは主張を社会に伝えるために、人を殺す。
そんな社会にしてはいけないはずなのに。

今改めて、社会の対話可能性を取り戻す必要がある。
それは、言葉を変えるのであれば”連帯”を再構築するための新しい技術論を論じることであると思う。

銃撃事件のその日、寝起きの最初のミーティングの議題は、今年のリディラバのカンファレンスの実施の可否であった。銃撃事件の影響や、コロナの緊急事態宣言の可能性を考慮しても、開催は合理的とは言い難かった。実際ここ2年ほどは開催していない。そもそも開催するたびに赤字が増えるイベントでもある。

それでも、週末を挟んで、改めてリディフェスを開催し、この「連帯の再構築」を取り上げようと決めた。今の社会に必要なのは、具体論と抽象論の往復を経た上での、極めてリアリズムのある議論だと思ったからだ。そのための場は、何にも変え難い。

対話可能ということは、相手を理解することによる自己変容と、自己を理解してもらうことによる他者変容のその両方に、自分も相手も期待できている状態だ。

これは、1対1の関係であっても、相当に難しい。ましてや個人と社会とではもっと難しい。だからこそ、広義の”技術”が必要だ。

こういった社会の対話可能性を維持するための技術というのは、具体で言うならば、社会的な課題解決を評価していくための市場の創設、課題の構造を抽象化した上での新しい概念の提示、社会包摂を信条として持つための新しい教育のあり方、といったようなものだろう。

それこそ、例えば市場という”技術”には、思想信条に関わらず協働をしていくための個人間の調整を自動化する側面がある。その意味では、社会の対話可能性を担保する手段にもなり得る潜在的な可能性がある。

こういった可能性をリディフェスでは踏み込んで議論していきたい。

**********************

今年の夏以降、私は「社会の対話可能性」というこのテーマにずっと悩まされてきた。端的に言えば、届けたい”声”を持ちながら、声を届けきれなかった自分達の力のなさをとても情けなく思っている。

でも、それを情けないと思うということは、まだまだできることがある、ということでもある。

悲観的な現状認識の先に必要なのは、当事者として意志ある楽観だ。

なるべく多くの人たちと、当事者として、意思ある楽観を共有したい。そういう思いで、もう数日に迫ったリディフェスではありますが、リンク貼っておきます。

11/23に新宿に来れる人は、是非チケットを買って足を運んでみてください。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?