#429D|健康ってすばらしいですね(定期)

朝!素晴らしい朝!

今朝はついに体調が回復した。ここのところ毎日寝ていたので、午前中から行動すること自体が久しぶりだ。あの鉛のような頭の重さや、鼻の奥がパンパンに詰まった苦しさもない。残っているのは何日か寝続けたことによる足腰や背中の痛みだけだ。こんなものはなんともない。

今日はどんより曇り空の日曜日。雨がやや苦手なため、いつも曇の朝にはテンションがちょっと落ちるのだけど、そんな景色も今日の私には輝いて見える。むしろ近くの山にかかる雲と霧のような小雨が特別に心地よい。健康とはなんと素晴らしいものだろうか。マーベラス!


さっそく珈琲が飲みたくなって、スローな音楽を流して豆を挽き、特別にゆっくりと過ごした時間がまた最高だった。珈琲だけではなく、時間や空間全体としての「今」を、こんなにゆっくり味わう珈琲タイムはいつぶりだろう。

失って初めてわかる素晴らしさ。その代表の1つが健康だろう。普段なら何も感じない、むしろ最近では憂鬱なことが多かった朝の時間が、これほど喜びを持って感じられるとはなんたることか。

人は差分に反応する生き物であるから、健康が続けば感動はどうしたって薄れていってしまうのだが、それにしてもここまで感動できるのなら、もう少しなんというか、心動かせていられないものだろうか。


私はこういう感覚をたびたび忘れては、こうしたショック療法的な形で思い出す。

ウンウンうなされながら寝まくっていたこの期間は正味何日だったのか?実感がわかないくらい寝た(とはいえ3日ほどだ)。やることはもちろん山積みになっているけれど、そもそものせわしなさへのストレスも、ひたすら寝ることで距離を取れたようでとてもスッキリしている。

慢性的にあった「タスクに追い立てられている」ような感覚から離れられて、自分にやれることをやっていこうというゆるさを得られた。今の局面でゆるんでいる場合かと怒られそうな状況だが、しかしこれぞグッドバイブス。


このような体験を重ねる度に、「何をやるにもまずマインドが大切なんだ」ということを思い知らされる。やることが多い時や困難な案件にでも、ナチュラルな精神状態の上でがんばることの重要性を何度でも思う。

仮にどれくらい大量に仕事を回せたとしても、それが悲壮感や欠乏感のような気持ちの上で実行されては、関係者にも後味のよくない感覚を残すだろう。当然自分へのダメージは大きい。

まず第一に「自分の機嫌を取る」こと。自分の機嫌を取れることが大人と子どもの差だと言われることがあるが、これはわかりみが深い。

いつでも自分の機嫌を取っていられるというのはけっこう高度な技術だ。なにせ機嫌は細かいグラデーションでじわじわと移り変わり、気がついた時には黒く染まっていることも多い。これに適宜気づいて白い方向に調整をかけるのはなかなかのものだ。逆に、一瞬で濁ってしまい、それをすぐに払拭するということもまた難しい。


バイブスは時と共に移り変わる。今朝感じていたフレッシュさや感動、仕事に対する落ち着いた心持ちを、夜まで維持することは不可能だ。

いつでもこのフィーリングでいたいと思えばそれがまた執着になる。移り変わる「今」に沿って、その時なりの方法でよいバイブスに入る手段を探すことが大切だ。

ある時にはアップテンポな曲にノれるが、ある時はクラシックがいい時もある。演歌が聞きたいシーンも洋楽が聞きたいシーンもある。その時々に、良いバイブスに入る鍵みたいなものを見つけていくという意識をたずさえて過ごしたい。


今回、体調を崩して強制的に身体の痛み"だけ"に意識をフォーカスさせられたことで、仕事のことを気にする余裕が消え、急き立てられていた心の状態が一旦リセットされた。

寝続けていたのだから状況は前よりも悪化しているのだが、どうであれ気持ちはゆるんだ。諸々の状況を「どうにかしなければ」といった焦りや「どうにかしたい」といった成功に固執するような気持ちを手放せている。

このフィーリングもいつまで維持できるものかわからないが、意識が外れては戻りながら、このままいい意味で結果を気にせず、バイブスを整えまくって、流れに身を任せていきたい。


今回の体調不良に心を配ってくださった方。あたたかな思いやりをありがとうございました。


p.s.

この記事を書いたのは昼前で、アップしようと最終確認している今は22:40なのだが、昼過ぎからまた体調が落ちて、なかなか完治まで進まないしつこさ。身体がしんどくなるとテンションも意識もグッドバイブスからは外れる。道のりは遠いが、今朝のテンションを込めたこの記事を残すことで、今後も思い返してグッドバイブスの呼吸常駐の礎にしたいしょぞん

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