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【英国判例紹介】Chappell & Co v Nestle ー"sufficient"な約因ー

こんにちは。
お読みいただきありがとうございます。

今回ご紹介するのは、Chappell & Co Ltd v Nestle Co Ltd事件(*1)です。

この判例は、英国法における契約の成立要件の一つである約因についての署名な判例です。

契約法を勉強し始めてから、序盤に出くわす著名な判例であり、かつ、結論も分かりやすいので、この事件が頭にいまだに残っている英国の実務家は多いはずです。

日本の契約法では馴染みのない概念である約因についての理解が深まる判例ですので、本日ご紹介します。

なお、このエントリーは、法律事務所のニューズレターなどとは異なり、分かりやすさを重視したため、正確性を犠牲しているところがあります。ご了承ください。


事案の概要

Hardy Record Manufacturing Co Ltd(ハーディ社)は、蓄音機用レコードを製造する会社であり、チョコレート等の製造会社であるNestle Co Ltd(ネスレ社・被告)との間で「ロッキン・シューズ」と呼ばれるダンス曲のレコードを供給する契約を結びました。

ネスレ社に販売するレコードの価格は4ペンスで、ネスレ社から供給される厚紙のディスクに、広告を含む形で取り付けられていました。ネスレ社は、このレコードを、1シリング6ペンス(*2)の価格で一般に販売しましたが、購入者は、ネスレ社の「シックスペニー・ミルクチョコレートバー」の包装紙3枚も送付しなければならないという条件が付されていました。

チョコレートバーの包装紙自体に価値はなく、ネスレ社は、これらを受け取ったら捨てていました。ネスレ社は、このレコードの販売で利益を得たものの、この計画の目的は、ミルクチョコレートの宣伝と販売促進でした。

もっとも、ハーディ社のネスレに対するレコードの供給は、「ロッキン・シューズ」に係る著作権の侵害となり得ます。そこで、ハーディ社は、当時の著作権法の「小売販売されるレコードの場合に、製造者が、権利者に所定の通知を行い、所定のロイヤルティを権利者に支払うことで、著作権侵害とならない」旨を定めた規定(*3)に依拠しようとしました。

ハーディ社は、このレコードの著作権について独占的なライセンシーであったChappell & Co Ltd(チャペル社)に対して、ネスレ社のレコード販売価格である1シリング6ペンスを基準として、ロイヤルティの支払いを申し出ます(*4)。

しかし、チャペル社は、このようなハーディ社のロイヤルティの支払いは著作権侵害の例外を構成しないとして、受領を拒否します。チャペル社(原告)は、ネスレ社及びチャペル社(あわせて被告といいます。)に対して、レコードの製造・配布の差止めを求めて訴訟を提起します。

事件は最高裁まで持ち込まれます。

争点:チョコレートの包装紙は約因となるか

この事件、押さえておくべき結論は後で述べるようにか明快なのですが、なぜ上記争点が出てきたのかが、意外と分かりづらいです。

そして厄介なことに、この判例は、争点をめぐる背景は分からなくとも結論が分かれば良いタイプのものであるため、予備校本や初学者向けのテキストでは、ここが詳しく書いてありません。

実際、ぼくもこの記事を書くまで、「チョコレートの包装紙は約因となるか」という論点が、なぜ本件の争点となるのかきちんと理解できていませんでした。

約因(consideration)とは?

約因とは、約束の対価と言い換えることも出来ます。なので、今回の争点は、チョコレートの包装紙は約束の対価といえるか?とも表現できますね。

なぜ英国の契約法において、約因に注意が払われるかというと、当事者の合意が約因に基づいている(何らかの対価のために義務を約束する)ことが、契約の成立要件のひとつとなっているからです。

約因については、こちらでもう少し詳しく書いています。よければどうぞ!

事前に「通常の小売価格」を権利者に通知することが非侵害の要件だった

当時の著作権法における、上述の「小売販売されるレコードの場合に、製造者が、権利者に所定の通知を行い、所定のロイヤルティを権利者に支払うことで、著作権侵害とならない」旨の規定には、二次法(*5)が細則を定めていました。

その一つとして、権利者への通知に関して、「通常の小売販売価格」を含めることが要求されていました(*6)。

被告は、この「通常の小売販売価格」を、ネスレがキャンペーン応募者から受け取る1シリング6ペンスとして通知していました。しかし、キャンペーン応募者は、1シリング6ペンスに加えて、チョコレートの包装紙3枚をネスレ社に渡さないとレコードがもらえません。

原告は、被告の通知の「通常の小売販売価格」には、チョコレートの包装紙3枚の価値が含まれておらず、通知に不備があるため、被告の行為が非侵害とはならないと主張したのです。

ほぼ無価値の包装紙

もっとも、上述のとおり、ネスレ社は、受け取った包装紙を捨てています。彼らにとって、包装紙はごみ同然のものでした。

このような価値が著しく低い包装紙は、レコードの対価を構成するのでしょうか?この質問がYESならば、包装紙は約因となるという結論を導きます。

これに関して原告と被告は激しく対立し、争点となったのです。

裁判所の判断

原告の主張が認められて、被告による著作権侵害が認定されました。

裁判所は、レコードの対価には、チョコレートの包装紙3枚も含まれると判断しました。

考察

この判例に関して押さえておくべきことは、契約の成立要件として要求される約束の対価は、経済的に十分である必要はない、という一点です。

英国弁護士試験の勉強との関係でも、「チョコレートの包装紙=約因になる」さえ暗記していれば、まったく困りません。

今回の判例の紹介は、争点に至る背景と当時の著作権法の説明ができれば、ぼくとしては十分なのですが、それだけでは味気ないので少し補足します。

"sufficient"と"adequate"

今回のようなほぼ無価値のチョコレートの包装紙であっても約因となることについて、次のように説明されることもあります。

Consideration does not need to be ‘adequate’ as long as it is ‘sufficient’.

約因は、法律がそれを価値あるもの(sufficient)と扱うかぎり、それが経済的に十分(adequate)である必要はないということですね。どちらの単語も、英和辞典で調べると、「十分」という訳が当てられそうなのですが、約因の議論に関しては、注意が必要です。

この記事のタイトルで「"sufficient"な約因」と題したのも、横文字を使いたいからではなく、このような理由によるものです。

約因は£1でもよい

もしかしたら、法務担当者の方で、契約書レビューの際に、£1だけ支払うことを定めたものを見たことがあるかもしれません。

この奇妙な風習は、目に見える分かりやすい価値の交換が無い契約を締結する際に、約因を欠くことによる契約不成立を防ぐ念のための処置であり、支払額が約束の対価に経済的に見合う必要がないという考えに基づくものです。

ネスレは包装紙の原価などを「通常の小売販売価格」に入れて通知すれば良かったのか?

ここまでの議論を形式的に読むと、包装紙の原価(例えば1ペニー)を「通常の小売販売価格」に含めておけば、ネスレ社たちは、著作権侵害に問われなかったのでしょうか?

この疑問に対して、Tucker卿が次のように述べています。

(そのようなことが認められるならば)小売業者が各レコードを1円に100枚の包装紙を加えた金額で販売しても侵害にはならないことになり、この条文の起草者が、このようなことを意図していたとは考えられない。

そもそも、今回のネスレ社のキャンペーンのやり方だと、「通常の小売販売価格」を定めることができず、どうやっても著作権侵害となってしまうということだと思われます。

まとめ

いかがだったでしょうか。

本日は、英国契約法における約因についての判例を紹介しました。

以下のようにまとめます。

・ 約因は、経済的に十分である必要はない

ここまでお読みいただきありがとうございました。
このエントリーがどなたかのお役に立てばうれしいです。


【注釈】
*1 Chappell & Co. Ltd. and Another Appellants v Nestle Co. Ltd. and Another Respondents [1960] AC 87
*2 これは1950年代の事件ですが、この頃のイギリスでは、£sd方式が取られていました。つまり、1£(ポンド)=20s(シリング)=240d(ペンス)で計算する方法です。
*3 s. 8(1), Copyright Act 1956。なお、要件を端折っていますので、正確な文言は、こちらをご確認ください。
*4 著作権者は、Winneton Music Corporationです。彼らも原告になりました。
*5 The Copyright Royalty System (Records) Regulations 1957
*6 s. 1(1)(f), ibid


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