逆算。

小さい頃から夢が無かった。語れなかった。


それはある程度将来を考える時期に差し掛かっても変わることの無いスタンスだった。


高校生も終盤。友人達に置いてかれた。みんな将来を見ていた。焦った。


結局焦りのままに進学を決めた。

学生生活も終えてそれは突然訪れた。


就職した会社に初出勤。


心は真っ二つに折られた。その日1日だけで心を折るのは充分すぎる物だった。


なんてことは無い。就業中、心が折れた音が胸からして空を見上げたら世界が灰色に見えただけの1日。


どうやって帰ったか覚えてない。いつの間にか家の部屋の布団に横たわっていた。


朝、目が覚める。体を起こせない。起こせない体で必死に電話を取り「辞めます」その一言で退職をした。


わずか1日の出来事。そこから春が嫌いになった。


その後は周りへの体裁を保つために就職活動をした。また就職しようと試みた。でもダメだった。採用されても試用期間内で辞めてしまった。


「何をしているんだろう」この感覚がこびりついて離れない。生きるために仕事してるのにその命(時間)を切り売りしてるのは何故だろうと疑問に思う事に耐えられなかった。


なら終わらせてくれ。切り売りして生きるならそれはもう既に生きた心地がしない。終わってくれ、終わらせてくれ。そう願ったこともある。


それでも日々は続いていく。叫べなかった。「切り売りしたくない!」「これが生きることなら生きたくもない!」「そんなこと望んでない!」と。


結局、自身の体裁を守るために望んでもいないことを望むフリをする日々を選んでしまった。


体裁を守るために望んでもいないことを望む日々を始めた。世界から当然色は消えていった。心は乾ききって潤いを無くした。


夢を追いかけた。また働いた。引きこもりをした。環境を変えて見た。地元から大きく離れた場所に住んでみた。やれることはやった自負がある。


それでも一時的な効果はあれど、世界が色を取り戻す事も乾いた心を潤すことも叶わなかった。


それでも今生きている。まだ世界に色を取り戻す、乾いた心を潤すことは叶っていない。だけどいつの間にか強く強く握られていた望んでない望みは少しずつ手からこぼれ落ちていっている。


最近、桜を見て「もう春か」そう穏やかに思えるようになってきた。町を歩き、すれ違う人達を見て卒業や入社と言った別れと新しい出会いの季節な事を思い出す。


己を宥めるために良く、高台から町を見下ろしていた事を思い出した。昼も夜も時間さえあれば町を見下ろしていた。


その見下ろした景色がいつも僕を宥めてくれた。引き留めてくれた。


「下を見てみな。あんなに小さい。人生に起こることなんか終わりから見下ろしてみたら小さいことだよ」そう言われてるような気がして安らいだ。今感じていることが大したこと無い、小さいことに感じれた。


上を見上げたら広大な空。夜になれば星が燦々と至るところで輝いている。その広大さは「可能性はあるよ。その可能性は広がっているよ。あなたはまだ未熟。諦めるにはまだ早い。やることは沢山ある」そう言ってくれてる気がした。


下を見て小ささを、上見て広大さを示してくれているその時だけは穏やかでいられた。


死ぬことから逆算すれば折角なら身の振り方をもう一度考えてみても良いのかもね。と思えなくもない。

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