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“花も嵐も踏み越えて”往くが男の寅次郎!『男はつらいよ 花も嵐も寅次郎』(1982年・松竹・山田洋次)

文・佐藤利明(娯楽映画研究家) イラスト・近藤こうじ

拙著「みんなの寅さん from1969」(アルファベータブックス)より、第30作『花も嵐も寅次郎』についての原稿から抜粋してご紹介します。

 昭和四十四(一九六九)年にスタートして十三年。毎年、お盆と正月に封切られて来た「男はつらいよ」が第三十作を迎えました。この時はちょっとしたお祭り騒ぎでした。松竹宣伝部は記念のトランプやグッズを作り、夢のシーンに特別出演したSKDの踊子さんたちが、「TORASAN! 30!」と掛け声をかける特報が、映画館やテレビから流れていました。と、ファンもマスコミも、それぞれの歩んで来た日々を重ねて「寅さんも三十作か… 」と感じていました。

 その三十作目のゲストには、ジュリーこと沢田研二さん、マドンナには旬の女優だった、田中裕子さんです。お祭り騒ぎだからとは言え、作品は賑やかなだけではありません。そこは山田洋次監督。これまでのシリーズのイメージだった「奮闘努力」「失恋」の寅さんに、さらに「余裕」と「若者への恋愛指南」という新しい展開をもたらしました。思えば、第二十作記念の『寅次郎頑張れ!』でも、中村雅俊さんと大竹しのぶさんという、若いスターを中心に、不器用な恋愛青年に、寅さんが、その経験を活かして「恋愛指南」をするという展開でした。

 寅さんにはマンガの主人公のように歳をとって欲しくない。いつまでも恋をして失恋をしていて欲しい、と思うファンも多かったことも確かです。しかし生身の俳優が、現代を生きている寅さんやさくらを演じているのです。

 時代の変化、変わるものと、変わらないものを、どうシリーズに盛り込んで、新機軸にしていくか? 山田洋次監督は苦吟しながらも、次々と、いろいろと試みます。

 ぼくとしてはこの第三十作から第四十二作にかけての作品群は、オールタイムでご覧頂きたい、充実の作品群だとも思っています。

 マドンナは田中裕子さん。天下の二枚目と、三枚目の寅さんが、田中裕子さんを張り合うというイメージで宣伝展開されました。

 舞台は、大分県湯平温泉。松茸騒動があって、柴又を飛び出した寅さんが、やってきたのは大分県。馴染みの温泉旅館があるというのが旅先の寅さんの良さでもあります。湯平館のご主人(内田朝雄)と昵懇の寅さんの前に、三郎青年(沢田研二)が現れ、この宿で母親が働いていたこと。東京で二人暮らしをしていたけど、最近、病気で亡くなったこと。母親の遺骨とともに思い出の地をめぐっていることなどを話します。

 それを聞いた寅さん、いつもの仕切りのうまさで、たちまち三郎青年の母・おふみさんの弔いのセッティングをさせてしまいます。彼女に惚れていた僧侶(殿山泰司)、ゆかりの人々(梅津栄、大杉侃二朗)などが集まり賑やかに法事が営まれます。そこへ、宿に泊まっていた東京のデパートガール、小川螢子(田中裕子)と同僚の野村ゆかり(児島美ゆき)が、何事かとやってきて、物語は動き出します。

 ここは第九作『柴又慕情』の歌子(吉永小百合)たちと寅さんの出会いのバリエーションですが、この回が面白いのは、三郎が二枚目だけど、女性には奥手の純情青年だということ。男女交際のイロハも判らず、螢子に一目惚れ。寅さんが恋愛コーチとしてイキイキと指南するという展開です。一方の螢子も、三郎に「ぼくと付き合うてください」と告白されますが、寅さんを通じて断ります。その理由が「あまりにも二枚目過ぎるから」というのが面白いです。

これまで三枚目の寅さんの受難を描いてきたシリーズですが、ここで二枚目ゆえの受難という喜劇的状況となります。不器用な若者たちが、二人の気持ちを寄り添わせていくプロセスは微笑ましくもあります。この映画をきっかけに、沢田研二さんと田中裕子さんがゴールインしたことは、皆さんご承知の通り。

 さて、この映画の見せ場は、冒頭の寅さんの夢のシーンにもあります。一九三〇年代、禁酒法時代のシカゴが舞台です。ここで沢田研二さんが歌うのが「SCANDAL!!」です。一九八三年三月に発売の沢田研二さん十九作目となるオリジナルアルバム「JULIE SONG CALENDER」に収録された、微々杏里さんが作詞、沢田さんが作曲した曲です。作詞の微々杏里(びびあんり)さんは、女優の藤真利子さんのペンネームです。

この続きは「みんなの寅さん from1969」(アルファベータブックス)でお楽しみください



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