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マイトガイ・小林旭の軌跡 PART3 MIGTY GUY ON MOVIES 1964〜1971

    
 昭和39(1964)年、マスコミを賑わした美空ひばりとの理解離婚。日本クラウンへの移籍と、小林旭をめぐる状況が大きく変化していた。『生きている狼』(5月23日)公開後、コロムビアのラストシングルとなった「知らん顔/君」がリリースされたのが7月20日。この時点でクラウンへの移籍は表明されており、『さすらいの賭博師』(8月5日)から、このマイトガイトラックスのクラウンイヤーズがスタートすることになる。

 「ギャンブラー」シリーズは、空前のマイトガイブームを巻き起こした「渡り鳥」「流れ者」シリーズを意識して企画されたもの。タイトルバック前のアバンで<主人公・氷室浩次がなぜ放浪の旅に出るのか?>が、説明されている。敵に兄と恋人を殺された主人公が復讐を誓い旅に出る。「渡り鳥」「流れ者」では希薄だった主人公の放浪の理由が説明された後に、主題歌「さすらい」が流れる。挿入歌も「ダンチョネ節」「十字路」といった昭和30年代半ばにコロムビアや日活映画で唄ってスタンダードとなった曲ばかり。かつての少年ファンが成長し、さすらいの主人公にそれぞれの思いを投影させる頃の挿入歌としては相応しかったのかもしれない。もちろんクラウン移籍にあたる時期なので、新曲が出せないという事情もある。

 その「ギャンブラー」シリーズでは、斜陽化が進む映画界のなかで、観客をつなぎ止めるためにアキラ自身が生来のサービス精神を発揮。捨て身のアクションを次々と披露。作品を追うごとにアクションがエスカレートしていった。

 そして昭和39年10月5日にクラウンで第一弾としてリリースした「ギターかかえた一人旅」が、12月19日公開の「ギャンブラー」第三作のタイトルとなり、カップリングの「宇宙旅行の渡り鳥」がキャバレーのシーンで唄われている。セルフパロディ的な曲が、アクション映画の挿入曲となるのはマイトガイなればこそ。

 翌、昭和40(1965)年、ノヴェルティ・ソングの傑作「自動車ショー歌」が、「賭博師」第四作『投げたダイスが明日を呼ぶ』(2月13日)のキャバレーで唄われ、替歌の「賭博唱歌」が、第六作『黒い賭博師』(8月4日)の主題歌となる。クラウンで次々と吹込まれた諧謔精神あふれるノヴェルティ・ソングの数々は、東京オリンピック後の浮かれた気分とマッチして、マイトガイ映画そのものもコミカルな路線へとシフトしていく。

 それが007シリーズを意識したスパイ映画タッチの『黒い賭博師』や『野郎に国境はない』(65年11月13日)、『黒い賭博師 悪魔の左手』(66年1月27日)などの明るいコミカルなアクション映画。いずれものメガホンをとったのが、かつて異才と呼ばれた中平康監督。プログラムピクチャーに利かせたヒネリと笑いが、超然としたアキラのプレイボーイぶりとマッチして、陽性のアクションとなった。

 その路線を継承したのが、永らくマイトガイ映画を助監督として支えて来た長谷部安春監督。そのデビュー作『俺にさわると危ないぜ』(66年2月12日)は、いろんな意味で脱日活アクションを試みた野心的な作品で、素材としての小林旭のさらなる魅力を感じさせてくれた。主題歌もゴキゲンでイタリア語の歌詞が、アキラのハイトーンと相まって、陽気なイメージをもたらした。

 昭和41(1966)年には、節目節目にエポック的な作品を作って来た野村孝監督による「放浪アクション」の傑作『放浪のうた』(66年6月15日)が作られている。当時、石原裕次郎=浅丘ルリ子コンビで連作されていたムード・アクションのテイストを振りまきつつ脚本家・山崎巌が描いたのは、リアルな「渡り鳥」「流れ者」ヒーローの陰影。伊豆大島で繰り広げられる多重構造の復讐のドラマは、日活映画のメインテーマの一つである「過去との訣別」「アイデンティティーの回復」を踏まえ、アキラのフィルムイメージである「放浪者」の心象をきちっと描いている。その主題歌「放浪のうた」の哀調は、映画全体のトーンを作り、「さすらい」「惜別の唄」とは別なベクトルの哀愁歌となった。

 その『放浪のうた』の直後に、浪花節的なギターを持ったヒーローの「あいつ」シリーズがスタートするのも象徴的。第一作『不敵なあいつ』(66年10月8日)は芦川いづみ、第二作『不死身なあいつ』(67年1月14日)は浅丘ルリ子と、かつてヒロインをつとめた女優たちを相手役にした同窓会的な気分もあった。が、第三作『命しらずのあいつ』(67年4 月8日)では、爆破によって聴力を失った主人公が挑む戦いを描くなど、アクションの手で見せる作品にシフトしている。そして第四作『爆弾男といわれるあいつ』(67年6月28日)では、すぐ後の「集団抗争アクション」の萌芽的な悪党たちの描き方、クライマックスの容赦ないバイオレンスは、新鋭・長谷部安春の可能性を感じさせる傑作となった。

 それに生身のアクションで応えるアキラの素晴らしさ。同時期に、高橋英樹と共演した『新遊侠伝』(66年11月20日)、『対決』(67年9月6日)、『血斗』(67年11月18日)などの任侠アクションでも新境地を拓いた。いずれもユーモラスで抜け目がない、少しダーティなヒーローを演じているということでは共通している。それがやがて、石原裕次郎と久々に共演した『遊侠三国志 鉄火の花道』(68年1月13日)の「片目の一本松」というキャラクターに結実。ユーモラスでずる賢い、そして憎めないキャラは、「暴れん坊」シリーズの清水次郎と双璧かもしれない。いずれも、小林旭の地に近いチャーミングさがある。

 一方、主題歌、挿入歌がないために取り上げていない、長谷部との「集団抗争アクション」『縄張はもらった』(68年10月5日)で演じたリアルなダボシャツ姿の現代やくざも忘れてはならない。前者のシナリオは「渡り鳥」の山崎巌が手掛け、実はフォーマットは「渡り鳥」そのもの。悪徳ヤクザに善良な農民の土地が狙われ、それを阻止するアキラのヤクザ。満身創痍になりながら、宍戸錠と交す会話の妙。高度成長のひずみのなかで、もはや善も悪もなくなりつつある。そして『広域暴力 流血の縄張』(69年7月26日)では、守るべきものもなくなったヤクザが、ドスを呑み込んで新宿歌舞伎町の街を彷徨う。そのシーンの寂寥感は、60年代を無敵のヒーローとして駆け抜けたアキラの姿と重なる。もはや、守るべき純情可憐な少女はいないのか?

 それに対する回答が69年からの「女の警察」シリーズだった。主人公・篝正秋は夜の女性の安全を守る保安部長。ホステスの素行から、ファッション、そしてセックスまで、すべてをケアする究極のフェミニストでもある。かつての少女が成長し、夜の蝶となってもマイトガイの庇護を受けていたのだ。夜の銀座を守るヒーローは、どこか『生きている狼』で吉原の女郎を守っていた主人公の現代版のようでもある。

 そうした夜の巷のアクションの佳作が『女の市場』(69年9月3日)。主人公・槌田昭は凄腕のホステス引き抜き屋。自らを「夜の開拓者」と位置づけ、夜の街を西部の荒野に見立てている。だからこそ劇中、ナイトクラブでアメリカ民謡の「峠の我が家」を唄う姿がサマになっている。

 小林旭が『絶唱』(58年)から日活最後の『暴力団・乗り込み』(71年)まで、映画挿入曲をほぼ網羅したこの「マイトガイトラックス」三部作には、映画でヒーローが歌を歌えた時代の空気が凝縮されている。観客はマイトガイのアクションに感嘆し、その自慢の喉を堪能してきた。130本もの日活映画に出演した我らがマイトガイ。カッコイイという言葉は彼のためにある。そんな気にさせてくれる正真正銘の<歌う銀幕スター>なのである。

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