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『子寶夫婦』(1941年2月26日・東宝映画東京・斎藤寅次郎)

 喜劇の神様・斎藤寅次郎監督は、サイレント時代の『子宝騒動』『この子捨てざれば』(1935年・松竹蒲田)から戦後の「お父さんはお人好し」シリーズ(1955〜56年・大映)まで、延々と作り続けてきた「子沢山騒動」喜劇。これは「産めよ増やせよ」の時代、昭和16(1941)年、前年12月18日公開『親子鯨』(東宝映画京都)に続いて手がけた国策喜劇。

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この『子寶夫婦』(1941年2月26日・東宝映画東京・斎藤寅次郎)では、徳川夢声と英百合子夫婦に、なんと十五人の子供たちがいる。

父・平田善次郎(徳川夢声)
母・貞江(英百合子)

長男・正雄(月田一郎)
次男・繁雄 出征中
三男・春男(若宮金太郎)
四男・和雄(伊東薫)
五男・武雄(竹下富四郎)
六男・国雄(小高まさる)
七男・光雄(小堀美喜子)
八男・末男(小高たかし)

長女・文子(若水照子)
次女・京子(堤真佐子)
三女・明子(立花潤子)
四女・純子(三谷幸子)
五女・菊子(加藤照子)
六女・陽子(中村メイ子)
七女   乳飲児

 これだけの賑やかな家族が、連日、茶の間や庭先で、喧嘩はするは、泣くわ、笑うわの大騒ぎ。父・善次郎が帰ってくると「お帰りなさい」と子供達が玄関まで迎え出るが、目的はお土産、ポケットをあさり、手荷物を確認して、挙句「なあんだ」とソッポを向いてしまう。とんでもないのは、通勤鞄を勝手に開けて、書類から、何から中身を出して、お土産がないと調べる。やりたい放題の騒々しさは、戦後の『お父さんはお人好し』5部作(1955〜56年・大映京都)でもリフレインされる。

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 原作は曽我廼家五郎、脚色はこの時期の斎藤寅次郎映画のシナリオを手がけていたのちの監督志村敏夫。製作主任(助監督)は毛利正樹。面白くなりそうな題材なのだが、一向に面白くならない。つまり時局迎合の国策映画ゆえに「笑えない喜劇」となっている。それがこの作品の価値でもある。

 その中で、観客の笑いと共感をさらってしまうのが、おしゃまな六女・陽子を演じた中村メイコ。作家・中村正常の長女として昭和9(1934)年5月13日に生まれた中村メイコは、2歳の時に、エノケンの息子・榎本鍈一主演『江戸っ子健ちゃん』(岡田敬)で映画デビュー。古川緑波、榎本健一、清水金一などの喜劇人と共演。筆者がテレビ番組でご一緒した時、幼い頃、緑波から「英語」、エノケンから「体育」、徳川夢声から「国語」を習ったと話してくれた。さて、六女・陽子ちゃん、夜の団欒のひととき、家族の前に立ち上がり、「これから“駄々っ子ちゃん”のお話をします」と創作童話を披露したり、可愛いことこの上ない。

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 平田家には、厚生大臣から、子沢山の「優良家庭」であることを表彰され、その賞状が晴れがましく飾ってある。それが自慢なのだが、戦後、斎藤寅次郎が新東宝で撮った、柳家金語楼主演『あきれた娘たち』(1949年)は、この『子宝夫婦』のその後をパロディとして描いている。国から表彰されていい気になって、たくさん子供を作ったものの、戦後の食糧難で生活が困窮。ついには娘・美空ひばりを、裕福な親戚に養女に出さなければならなくなる。その悲喜劇をナンセンスに描いている(のちに『金語楼の子宝騒動』として改題再上映)。

 さて、映画は、四女・純子(三谷幸子)が通う高等女学校の体育のシーンから始まる。整然と並んだ女学生たちが、バレエのように身体を柔軟に動かして体操をしている。この「建国体操」は昭和12(1937)年、昭和15(1940)年に開催予定だった紀元2600年奉祝「東京オリンピック」に向けて「純日本式の体操」として制定された。国民精神総動員運動のなか、全国の学校に普及した。これが延々と行われる。整然とした律動に、内務省の役人が満足している姿が目に浮かぶ。以前の斎藤寅次郎喜劇なら、ここでヴィジュアル・ギャグが展開されるのだろうが、いたって真面目に「建国体操」の模様が活写されている。指導をしているのは河田先生(里見藍子)。吉屋信子原作『女の教室』(1939年・阿部豊)の伊吹万千子役で当方映画に入社したお嬢さん女優。戦時中は、高峰秀子主演『愛の世界 山猫とみの話』(1943年・青柳信雄)で不良少女更生施設の先生を熱演した。

 体操が終わり、水飲み場で女生徒たちが汗を流して、かしまく喋っている。社長令嬢・後藤恵美子(三国邦映子)たちが産まれた子犬を貰って欲しいと言う話から、十五人兄妹がいる純子のお母さんは「犬みたいだ」と陰口を叩く。恵美子の父・後藤信太郎(岸井明)は淳子の父・善次郎(徳川夢声)の勤務先の社長で、それゆえに恵美子は高圧的になる。言い合いになる純子と恵美子。結局、二人は教頭の鬼塚先生(沢村貞子)に叱られてしまい、恵美子はそれを根に持って、病院へ行き、恵美子に怪我をさせたられたと狂言芝居をする。

 翌日、会社に恵美子の母・冬子(清川玉枝)が乗り込んできて、社長の腰巾着の秘書・渡辺(渡辺篤)共々、善次郎を呼び出して責め立てる。ロッパ一座の渡辺篤は、流石におかしいい。次々と理不尽なことを言っては、社長夫人のご機嫌をとっている。この渡辺は会社の工場でも評判が悪く、その直前のシーンで、善次郎は職工A(榊田敬治)と職工B(谷三平)らが「渡辺さんをなんとかしてほしい」と迷惑そうにクレームをつける。人望ゼロの男なのである。これもギャグではなく「生産効率が下がる」「非生産的な社員は改善すべし」と言う国策の反映。ちなみに、榊田敬治さんは戦後も1970年代まで東宝専属のバイプレイヤーとして活躍。『ゴジラ』(1954年・本多猪四郎)で大戸島の村長を演じることになる。

 平田一家が、朝、揃って手を繋いで、会社、学校に出かけるシーン。家族全員で歌う「♪歩け 歩け 歩け 歩け〜」の歌は、国民に「歩くこと」を奨励した国民歌謡「歩くうた」(作詞・高村光太郎 作曲・飯田信夫)である。徳山璉がビクターからレコードをリリース。昭和16(1941)年1月20日から、ラジオで月曜〜土曜の午後0時35分から5分間に放送され、国民に浸透。この映画の公開直前、2月7日から6日間、再放送され、それが昭和11(1936)年から5年間に渡って放送された「新歌謡・国民歌謡」の最後となった。ちなみに「歩くうた」の翌週、1月27日から放送されたのは東宝映画『馬』(1941年3月11日・山本嘉次郎)の主題歌「めんこい仔馬」(作詞・サトウハチロー 作曲・仁木多喜雄 唄・松原操)だった。

♪歩け歩け 歩け歩け
南へ北へ 歩け歩け
東へ西へ 歩け歩け
路ある道も 歩け歩け
路なき道も 歩け歩け

 ちなみに「歩くうた」は、この年の秋に公開された『エノケンの爆弾児』(1941年9月7日・岡田敬)の中で、エノケンの一家がハイキングに行くシーンでも歌われている。

 斎藤寅次郎映画ではあるが、ナンセンスギャグはほとんどない。総勢16人の平田家の夕食のシーン。大きな机を囲んで、さつま芋ご飯を食べるシーンでも、お芋を食べるとガスが出るの下ネタや、中村メイコちゃんが「あたし、この頃、お芋のおばけに追いかけらる夢を見るの」とこぼしたり。と細かい笑いがあるが、お芋には栄養がある、みたいな「我慢しましょう」ロジックが前面に出てくる。それでも寅次郎らしいのは、小さな弟が、ご飯粒を指パッチンして、三男・春男(若宮金太郎)の鼻先に飛ばし、それが次々と兄弟の間を飛び交い、最後は徳川夢声の鼻先に。そのやりとりが寅次郎監督らしさ。

 また食後、兄弟たちが勇ましく争って、ものが飛んできて、読書中の三男・春男(若宮金太郎)がひっくり返って椅子に頭を打って気絶、隣で絵画を書いている四男・和雄(伊藤薫)が絵に顔を突っ込んで、絵の具だらけの顔になる。そこで笑いとなり、さらに和雄の絵に和雄の顔が魚拓のごとく写っていて・・・ 数少ないナンセンスシーンである。

 物語は、父・善次郎が、後藤夫人の命令通りに、純子を連れて謝罪に行こうとするも、淳子はプライドが許さずに承知しない。善次郎としては、頭を下げることで、今の立場を守りたい。なぜなら、子供たちに学校をさせて、世の中に出してお国のために尽くしたい、と言う気持ち。で、ここで長男・正雄(月田一郎)が、自分たちが働いて家計を支えるから、そんな会社は辞めてくれと説得。子供たちも学校を辞めて働くと言い出す。「今度こそ、僕が働きます」「新体制の明るい生活で行きましょう」などなど、スローガンのようなセリフが次々と出てくる。

 じっと考えていた善次郎。自分の気持ちを整理して、長いセリフをゆっくりと気持ちを込めて語る。徳川夢声の最大の見せ場でもある。

「謝りに行くことはやめるよ。工場も今日限りでよす。だが、お前たち、学校よしちゃいかん。お父さんだってまだ若いんだから、お前たちみんな学校出すまでは働くんだ。財産はないが、丈夫な身体はある。それに長年かかって築いた信用もある。それを元手にしてもう一度出直すつもりだ。だから、お前たち、安心して学校に行くがいい。うんと勉強して、明日の日本を背負って立つ立派な人間にならなきゃいかんよ。責任は重大だ、しかし、こんな苦労ならちっとも苦労じゃないよ、むしろ楽しみだ。お父さんは今日ほど、お前たちの頼もしさを味わったことはないぞ」

 当時は、感動的なシーンなのだが、これも国策、建前が国民の本音になってしまった時代を考えると複雑な気持ちになる。その感動シーンの最後、隣の部屋で国旗を掲げながら、中村メイコちゃんが国民歌謡「父よあなたは強かった」(作詞・福田節 作曲・明本京静) を、可愛らしく歌いながら部屋の中をグルグルと行進している。思わず善次郎の顔がほころぶ。(当時としてはの)ほのぼのシーンとなる。

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 そして善次郎が会社を辞める覚悟をした翌日、社長・後藤信太郎(岸井明)と妻・冬子(清川玉枝)、娘・恵美子(三邦映子)たちが平田家を訪ねて謝罪。純子と恵美子は仲直り。善次郎は会社を辞めることなく、社長の新方針「子宝手当 ひとりにつき十円」つまり月給の他に毎月150円貰えることになってのハッピーエンド。タイトルに、徳川夢声と並んで主役としてクレジットされている岸井明の出番は、このシークエンスのみ。お客さんに出されたお菓子を、子供達が掻っ攫ってしまい、善次郎に勧められて、社長が食べようとすると菓子器が空っぽ、という「食いしん坊ギャグ」があるくらい。

 最後は、女学生たちが「♪歩くうた」を歌いながら、元気良く行進していくシーンでエンドマークとなる。明朗喜劇ではあるが、この時代の「明朗」は内務省の検閲下の「国民的映画に相応しいもの」でしかない。それでも当時は、みんな喜んで映画館で朗らかに笑っていたのだろう。

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