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『インフルエンサーブランド』への違和感


お久しぶりになってしまいました。

なんかSNSやYouTubeなどを見て、インフルエンサーと呼ばれるような方々が次々とアパレルブランドを立ち上げていくのを見ていて、ずっと違和感を抱いておりました。

今日はそんな漠然と感じていたことについて、noteにまとめておきたいなと思ったので、軽い気持ちで読んでいただけると嬉しいです。

はじめに言っておきますが、私はインフルエンサーと呼ばれるような方々がアパレルブランドを立ち上げることに対して、否定的な気持ちをもっているわけではありません。むしろ応援したい気持ちの方が強いです。また時代の流れを見てもこれからは個人発というのが大きな影響を持つだろうと確信しています


本当にちゃんとした思いがあるの?

インフルエンサーがブランドを立ち上げる方法としては、いわゆるせどりのような形で、韓国のマーケットや中国のタオバオ(中国版アマゾン)などで買い付けして売るパターンであったり、インフルエンサーのアパレル事業を支援するような会社とともにディレクションメインで関与しつつ、OEM・ODMメーカーに企画・生産を丸投げするケースもあります。また中には一からデザインして自分で工場を探して作っているような方もいます。

ここで触れておきたいのは、インフルエンサーがどれだけ手間をかけて製造・販売までしているかもに寄りますが、単にアパレルブランドをはじめるという観点でいうと以前と比べて、とてつもなくハードルが下がったということです。

そのため新しく生まれているブランドのなかには、インフルエンサー自身の承認欲求のためにやっていたり、趣味感覚でやってんじゃないの?と疑ってしまうようなブランドも見受けられます。

私がインフルエンサーブランドの一部に違和感を感じてしまう要因として、簡単にアパレルを始められるようになったゆえに、どうしてもお客さんであったり、一緒にモノづくりをするパートナーであったりが、本人の頭の中から消えてしまっていて、「とにかく自分のため!」っていうのが見え隠れするようになってしまったからなんじゃないかなと思います。


個人プレーの限界について

タイトルにインフルエンサーブランドとつけましたが、『ブランド』について以前こんなツイートを見つけました。

一般的に、本質的なブランディングは長期的なお客さんとのリレーションによって形成されるものです。そのため当然ではありますが、インフルエンサーがアパレルブランドをやる以上は、お客さんから長く愛される努力をして、長く事業を継続することを大事にしてほしいなと考えています。

経済学には「企業経済」という分野があり、企業はなぜ存在するのか、どのように行動するのか、どのように組織されているのか、などを解明ようなしていく学問があるのですが、そこでは"個人""企業"が対比する形でよく登場します。今風にいうと"個人"はフリーランスのようなイメージで捉えてしまうと分かりやすいかもしれません。

そんな企業経済という枠組みの中で今回注目してほしいポイントは、"企業"は永続することが大前提だということです。(株式投資などをイメージしてもらえれば、分かりやすい気がします)

ファイナンスという分野でも企業価値をはかる際にDCF法を使ったりしますが、それは会社が将来的に生み出すフリーキャッシュフローを現在の価値に変換したものの総和で、企業は将来的にずっとキャッシュを生もうと努力することが前提だったりします。

(引用元 : https://dhbr.diamond.jp/articles/-/7926)


そしてここで言いたいポイントは、"個人"はどちらかというと目先の利益に目が行きがちになってしまう一方で、"企業"は永続性が前提がゆえに、長期的に考えたらどうすればいいのかみたいな視点でアクションが考えられやすいということです。

これからはアパレルに限らずYouTuberのような個人発というのが大きな時代の流れになることは間違いないと思います。別に個人の時代がくることに対して何もネガティブな感情はもっていません。むしろ自分も利用してやろうくらいの気持ちでいます。しかし個人というのは長期的な目線でのブランドづくりはどちらかというと難しく、また企業ではないためリスクもなかなか大きいということは、当事者や周りの人は頭に入れておいたほうがいいような気がします。

そして私が、一部のインフルエンサーブランドに対して違和感を感じてしまう要因として、そもそも長期的にやる覚悟があるの?って部分に対してどうしても疑問を抱いてしまうからです。持ち前の影響力を武器に業界を荒らすだけ荒らして、上手くいかなかったらすぐやめたり、飽きたらすぐやめたりするようなことがないようなブランドがでてきてほしいと願っています。


モノづくりに対する責任の重さ

本来洋服を作ることって、いろんな資源や生産者さん、買ってくれる人など多くのものや人に対して責任を持たないといけません。それは別に個人でブランドやる人であっても例外ではないと思っていて免除はされません。

例えば、当たり前ではありますが、お金をもらって商品を届ける以上、商品に不備があってはいけません。

また、洋服自体はどうしても消耗品なのでしょうがない部分がありますが、生産者さんとか職人さんとかデザイナーさんとかを使い捨てたり、消耗したりするのは、どんな時代になろうと違うと思うんですよね。

しかし最近のインフルエンサーブランドの炎上などを見ていたりすると、あまりに自分の影響力を過信して、お客さんに対して傲慢になっちゃったり、生産側の背景を何も知らずに自分本位にやっていたりするケースが見受けられるので、できればインフルエンサーが前面に出るようなブランドであっても、様々な部分へ目を行き届かせることができるパートナー(企業)と二人三脚でやるような形がいいような気がします。

特にファッション業界は労働環境であったり、環境汚染であったりに対して、深刻な問題があるがゆえにどんな小さな個人ブランドでも少しはモノづくりに対する責任を意識して考える必要があるのではないかなあと思います。

インフルエンサーマーケティングの弊害

インフルエンサー発のブランドはD2Cと呼ばれたり、インフルエンサーマーケティングの文脈で登場したりすることが多いですが、こういった流れに対しても少し違和感を覚えることがあります。

それをもう少し掘り下げて考えてみると、どんなジャンルであれ、まず製品自体が第一で、届け方は第二のはずなんだけど、第一があまりに無視されすぎてない?という部分にたどり着きました。インフルエンサー発のブランドをよくよく見てみると、実はただソーシャルマーケティングがめちゃ上手いだけで、製品そのものや、ビジネスモデル自体は至って普通みたいな事例がたくさん存在しています。

あくまでものづくりの本質は、お客さんが本当に欲しいものであったり、喜んでくれるものであったり、驚いて感動してくれるものであったりを創作して届けることだと思いますが、届ける前の部分が軽視されるようになってしまえば、消費者の感性やファッション業界の未来を考える上であまりよろしくない気がします

というわけで今回は少しばかり毒っけのある内容でした。あくまで私個人の意見です。



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