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『モデラート・カンタービレ』 マルグリッド・デュラス


#海外文学のススメ

#秋の夜長にフランス文学は結構な沼

*創作レッスンとして「あらすじ」をまとめるというのをしているので、オチまで書いています。すみません。

『モデラート・カンタービレ』 マルグリッド・デュラス
〈あらすじ〉
 上流階級の人妻アンヌ・デバレードは、幼い息子のピアノレッスンに付き添い、毎週金曜日波止場近くのピアノ教師のもとへ通っていた。あるとき、レッスン中、近くのカフェで殺人事件が起こる。一人の男が一人の女を殺したのだ。アンヌは、男が殺した女に寄り添い、微笑みかけ、口付けるのを目撃する。
 翌日、アンヌは日課である息子との散歩のコースを変え、殺人事件のあったカフェへと赴く。そこでショーバンという男に出会う。彼はかつて、アンヌの夫が経営する熔鉱所の職員で、無断でそこを飛び出した男であった。ショーバンは、事件は女が望んだことであり、男はその希望を叶えたのだという自分の想像した話をアンヌに語る。アンヌは衝撃を受け、魅了され、その話を聞くために、毎日のようにカフェに通い始める。
 アンヌは、毎日定められた時間通りに生活せねばならない境遇に息苦しさを感じており、唯一の息抜きの方法として息子のピアノレッスンを思いついたのだとショーバンに話す。ショーバンは、アンヌの夫が熔鉱所職員のために開催した晩餐会のときのアンヌの美しさについて語り、アンヌの屋敷での生活を想像し、話す。二人はぶどう酒を飲みながら話し込む。そのためにアンヌは、その日の晩餐の席に遅刻してしまう。
 すでにカフェで飲んだぶどう酒に酔っていたアンヌは、晩餐の席でも絶えず飲み続け、不作法を振る舞い、同席者たちの顰蹙を買う。しかしアンヌは頓着せず、酒と胸に挿した木蓮の香りに酩酊していった。一方、屋敷の外ではショーバンが庭園の柵を握り締め、晩餐の開かれている部屋の窓を見つめていた。彼は庭の木蓮の香りを感じながらアンヌを想い、その名をつぶやく。
 数日後、アンヌはカフェへ行く。ショーバンはそれを待ち受けていた。アンヌは、息子のピアノレッスンの付き添いを他のものに代わられたことを告げる。そして、最後にもう一度だけ、殺人事件についてのショーバンの空想話を聞かせて欲しいと乞う。二人はカウンターの上で手を重ねあう。ショーバンは、男の存在が女に自分を殺させる欲望を抱かせたのだと話す。アンヌは、自分はなぜこれほどまでにその欲望に惹きつけられるのだろうかと問うが、ショーバンはそれを理解することは不可能だと言う。二人は静かに唇を重ねる。アンヌは「怖い」とつぶやく。ショーバンは何も言わず、アンヌは席を立つ。ショーバンは「あなたは死んだほうが良かったんだ」と言い、アンヌは「もう死んでるわ」と言い、カフェを出た。

〈感想〉
 この作品は、現実、現実を分析し編み出した空想、現実からダイレクトに呼び覚まされた欲望の物語、といくつもの物語が折り重なった複層的な構造を持っている。
 主人公アンヌの現実は、毎日が規則正しく定められた窮屈なもので、息子のピアノレッスンだけが唯一の息抜きとなっている。息子の成長を喜んでいながらも、「時々坊やは、わたしの想像の世界に生きていて、こうして生きているのが本当じゃないような気がする」と、現実的な認識を見失ったりする。ショーバンの現実は、かつてアンヌの夫の経営する熔鉱所で働いていたが、そこを飛び出し、場末のカフェで酒を飲み、工場の終業までの時間をつぶす毎日である。そしてそんな二人の現実において、ある殺人事件が起きる。男が女を殺し、男は殺した女を愛おしそうに見つめ、口づけした。この事件はアンヌとショーバンを結び付ける。
 以上がまず基底となる現実の層である。これらは揺るがしようのない確固たる事実である。
 事件については何も詳しいことは知らないというショーバンは、しかし自分なりに事件の当事者である男女を空想し、「女は男に殺されることを望み、男はそれに応えたのだ」と語る。ここで、現実の層に一枚のフィルターが掛かる。ショーバンは何度も「事件についての実際は知らない」と告げるが、アンヌはそれを気にしない。アンヌにとって重要なのは、現実ではなく、現実から作り出されたショーバンの想像の物語だったのだ。そのため、作品においても現実の層は遠くに追いやられ軽んじられる(事件の真相は最後まで明確にはされない)。ショーバンはアンヌの現実を知っていた。アンヌの閉塞感も彼なりに理解していた。そして、それをふまえてアンヌがその殺人事件にどんな物語をかぶせて欲しいかを考え、語る。事件についての想像を語りながら、アンヌの日常生活の想像を語る。ショーバンがそこで語っているのは、見知らぬ男女の痴情ではなく、アンヌという上流階級に閉じ込められた一人の女の抑圧された欲望なのである。フィルターはさらに厚みを増し、向こうの現実をぼやけさせる。
 アンヌは殺人事件現場の男女の姿に強い衝撃を受ける。週に一度しか行くことのない碇泊区に、思わずその翌日も足を運んでしまうほどの衝撃と、自分を魅了してやまない何かを感じたのだ。その「何か」をアンヌはショーバンの想像の話に見出そうとする。アンヌは繰り返し、ショーバンに事件について話すことを要求する。それはショーバンがアンヌを凝視し、アンヌのために作り出す物語である。アンヌはそれに酔いしれる。そして最後の語り合いのとき、「いつかはああなりたいというその欲望が、なぜそんなにすばらしいものに思われてきたのかしら、そこのところをすこし知りたいわ」と、自分を魅了した「何か」の正体を訊ねる。ショーバンはそれに答えなかったが、二人が手を重ね、唇を重ねたとき、アンヌはその答えを得たのではないだろうか。
 アンヌは、息子のピアノレッスンの最中に聞いた女の叫び声について、自分もかつて一度だけ「あんなふうに叫んだことがあるような気がする、たぶんそうだわ、あの子を生んだ時ね」という。アンヌは息子を溺愛していた。彼の誕生はおそらく人生において最高の感動の記憶のひとつであろう。そのときの叫びと同じものを事件の女が上げた。息子のことは変わらず愛し続けてはいたが時々その存在の現実感を見失ってしまう彼女は、毎日を規則正しく過ごさねばならぬ日常において、母である自分だけでなく、妻である自分、上流階級の奥様である自分をも見失い、自分自身の人生というものを見失っていた。しかしそこで、人生の大事の際あげた叫び声と同じものを聞いたとき、再び、自分の人生を取り戻せるのではないかという希望を感じたのだ。自分も、殺して欲しいと願うほどに誰かを愛せたら、その実現の刹那、この倦怠した日常から脱出できるかもしれない、彼女が魅了された「何か」はそうした希望だったのだ。
 ショーバンと手を重ね、唇を重ね、殺された女と殺した男に自分たちがなりきれるかもしれないと思ったとき、アンヌは「怖い」とつぶやく。それはショーバンによっていくつものフィルターを掛けられ甘く自分を酔わせてくれたぼやけた現実が、突如、それらのフィルターを突き破り、生々しいものとして目の前に現れてしまうように思えたからである。アンヌは、それを望んでいながら、しかし実際には土壇場で拒んでしまった。アンヌが「怖い」と言ったとき「だめだ」と言ったショーバンもまた、自分の想像の中の殺す男になりたいと望んでいたのだろう。経営者の妻を寝取り、駆け落ちし、自分の今の現実からの逃避行の希望をそこに見ていたはずだ。席を立つアンヌに「あなたは死んだほうがよかったんだ」とショーバンは言う。これは彼の失望だ。「もう死んでるわ」と言ったアンヌは、ショーバンの想像の世界で束の間、殺された女に成りきった自分はもう「死んだ」のだとした。もうそのカフェへ二度と来ることはできない、ショーバンの想像の世界に酔いしれることもできない、その決別の宣言でもあった。
 最後の二人の会話は、そこまで丁寧に重ねられてきた幾重もの物語に刃を入れ、その断層を見事に顕にする。


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