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ペール=ラシェーズ物語 ショパンからバイアグラ

ペール=ラシェーズ墓地をご存知ですか?
フランス、パリ東部にある広さ43ヘクタールという広さの墓地です。
私は墓地の近くで育ったためか、墓地が好きで、
海外に行くと有名人の眠る墓地を訪れます。

ショパン終焉の地

2015年10月後半、スペイン、カルメンの旅の最後にパリに寄り、
たった3時間の自由時間に迷わずペール=ラシェーズ墓地に行きました。
10月17日に亡くなったショパンのお墓参りのために。
フレデリック・ショパンはパリ、ヴァンドーム広場の、
アパートの二階で息を引き取りました。
今はショーメのお店になっています。


マドレーヌ寺院

39歳という若さでした。 
10月30日、マドレーヌ寺院でお葬式が執り行われました。
モーツァルトのレクイエムが流れる中、
多くのパリっ子たちにい
見守られショパンの棺が運ばれていきました。

第18回ショパン国際ピアノコンクールが
ワルシャワで10月2日から23日まで開催されました。
ショパンが亡くなってから葬儀が執り行われる間の
日程と思いながら、
コンクールを聴いていました。



ショパンの「前奏曲集」から
第4番ホ短調と第6番ロ短調が演奏されました。
オルガンを弾いたのはフランツ・リストでした。

マドレーヌ寺院から、ペール=ラシェーズ墓地までの道に
多くの人々が並んでショパンを見送りました。

平野啓一郎さんの著作「葬送」を読んでいたので、
まるで葬儀に参加したような気持ちで
マドレーヌ寺院に立ちました。

遺言通り、心臓は祖国ポーランドに送られ、
遺体はペール=ラシェーズ墓地に葬られました。

ちょうどパリを訪れた10月27日は
10月31日のハロウィンを持って
夏期から冬期へ変わる、
日本でいえばお彼岸のように
お墓参りに行く週となっていました。

パリのホテルからタクシーに乗って
ペール=ラシェーズに向かいました。

地下鉄で行く手もありましたが、
時間節約のためタクシーを使いました。
海外で一人でタクシーに乗るときは、
私はできる限りホテルの前からタクシーに乗ります。
係の人に行き先を告げ、係からタクシーの運転手に言ってもらいます。
特にペール=ラシェーズ墓地に一人で行くので、
かなり慎重になっていました。

ペール=ラシェーズ墓地


「ペール・ラシェーズ」とは、
ルイ14世の告解を聞いた神父さんの名前だそうです。
もともとは、17世紀に作られたジェズイット派の僧院が造られた土地で、
ルイ14世の聴聞告解師(懺悔を聞く相手)であった
ラシェーズ神父(ペール)の名が、
墓地の名称として残りました。

墓地の前にはどこの国にもお花屋さんがあります。
私はショパンのお墓に供えるブーケを買いました。



そこは墓地というより、公園のようです。
私が通った入り口には地図の販売がなくて
仕方なく地図を写真撮影しました。



ショパン、オスカー・ワイルド 、
エディット・ピアフ、バルザック、など
著名人のお墓があるのですが、
何しろ広いです。


大作曲家ショパンのお墓

道を聞いた時はまあまあ近いと思ったのですが、
歩き始めたら、道に迷ってしまいました。
人影もない広い墓地をウロウロして、
やっとショパンの墓地を見つけました。


ここで30分経過してます。

オスカー・ワイルドのお墓に
ちゃんとたどり着けるかしらと思いながら、
歩き始めるとふと見れば、
墓石にピアノの絵が見えました。


そばに寄ってよく見れば、 
KEN SASAKI 日本人の方なのかしらと思いつつ、
地図を頼りに坂を登り始めた時、背後から
「オスカー・ワイルドの墓地に行きたいかい?」という声がしました。
「ええ、行きたいです」 と答えながら、後ろを向くと、
そこに一人のおじさんが立っていました。
「オスカーワイルドのお墓に行きたいかい?」と問われて、
私はすぐに「はい、行きたい」と答えました。
すると彼はにっこり笑って
「ぼくはここの案内人、ちょうど時間があるから案内しよう」
と言いました。
私が1時間しかないことを伝えると、わかったよ。
ショートカットで案内するからついておいでと
大股で坂を登って行きました。
はい!とばかり威勢良く後に続きました。
道なき道を進みます。
誰の墓石の脇をすり抜けるように進みます。



お墓というには大きすぎるお墓は、
かのロスチャイルド家の墓地です。

プジョーのお墓を過ぎると、
たくさんの花束が供えられた
エディット・ピアフのお墓に着きました。
たくさんのファンが訪れたに違いありません。

国民的歌手エディット・ピアフのお墓


パリの下町で不幸な環境に育ちながらも、
その後シャンソン歌手として大成功を収めたピアフ。
ボクサーの最愛の恋人を飛行機事故で失うという悲劇に見舞われながらも、
その思いを歌に込めて強く生きました。
フランスで最も敬愛される国民的歌手の一人。
『ばら色の人生』や『愛の賛歌』の歌詞の中に
歌われた華やかながら、孤高に満ちた人生を
思わずにはいられませんでした。

大作家オスカー・ワイルドのお墓


さて、いよいよアイルランドの作家オスカー・ワイルドのお墓です。
パリ左岸のホテル・ダルザスで貧困の中で亡くなったワイルドは
この墓地に埋葬されました。
彫刻家ジェイコブ・エプスタインが作成した
翼の生えた男性の裸像の墓地は
当時問題になりましたが、
今では当時の形のまま多くのワイルド愛好者を迎えています。
その像は熱狂的なファンからの無数のメッセージで埋め尽くされ、
何者かによって男根が持ち去られてしまいました。
墓石に口づける人が断たなくて透明な覆いを作るに至ったそうです。



墓碑には
"He died fortified by the sacraments of the church"
と書かれています。
異国の地パリで衰弱したオスカー・ワイルドは、
死ぬ前にカトリックの洗礼を受けたのです。
墓碑の後には彼が獄中で書かれた詩が書かれています。

かのバイアグラ博士のお墓

この日の衝撃はこのお墓の前に立った時でした。
バイアグラを知ってるかい?ミッシェルが聞きました。
バイアグラってあのお薬?知ってるけど…
これがバイアグラ博士のお墓だよ。
え? バイアグラって人の名前なの?知らなかった…
君は結婚してるかい?重ねて尋ねてきます。
ええ…と答えると、じゃあ、ここを撫でてごらん。
ほら、こんなに光ってるでしょう。
みんな撫でていくにさ、エクスタシィを感じる御利益のためにね。
私は言われたままにそっと撫でてきました。


冷たい石の感覚が伝わりました。
フランス、面白い国だなあ…………

ミッシェルは時間を見ながら私を導きます。
見せたいところがいっぱい。
君は音楽家なの? いいえ。
なら医療従事者? いいえ。
画家?   違うわ。
それなら何? 文筆家かな… そんな話をしながら行った先は半地下の墓地。
なんと、次の衝撃。

歌姫マリナ・カラスと裸足のイサドラのお墓


舞踏家で「裸足のイサドラ」と呼ばれた
イサドラ・ダンカン そして、なんとマリナ・カラス。
この場所は一人だったら絶対に辿りつかない隠された場所です。
感動しました。
マリア・カラスの「カルメン」 、何度映像で見たでしょうか。

画家モリディアーニのお墓



名車を作ったブガッティのお墓



パントマイムのマルセル・マルソーのお墓



失われた時をもとめて」マルセル・プルーストのお墓



ショパンとの親交が深かった画家ドラクロアのお墓



大作家バルザックのお墓


一番眺めの良いところ

「ここが一番景色の良いところだからね 写真を撮りなさいね。」
とミッシェルは教えてくれました。


カルメンの作曲家ビゼーのお墓



彼はスペインに行くことなく、パリで作曲しました。
そういえば、原作者メリメもフランス人です。
スペイン、カルメンの旅を終えて最後に来たこの墓地で
ビゼーとマリア・カラスのお墓参りできなんて、
思ってもみませんでした。

ショパンの愛用したピアノを作成したプレイエルのお墓




ピアニスト佐々木健のお墓

そして、私たちはショパンの墓地へと戻ってきました。
日本人 なら、ケン ササキを知ってるかい?
いいえ、知らないわ、と言う私に
彼は優れたピアニストで
ペール=ラシェーズ墓地に埋葬されている
数少ない日本人の一人と教えてくれました。


そうなんだあ、あとで調べてみようと、思いました。
時計を見るとちょうど約束の時間です。
どうやってお礼をしようと、聞いてみました。
すると彼は50ユーロと言いました。

まあ、妥当だなあと思い、
お財布を出そうとバッグの中をゴソゴソして、
顔を上げると、誰もいません。
ミッシェル、ミッシェルと名前を呼びました。
時計を見ると、不思議に1時間戻っていました。

ミッシェルの話す英語はすごく良くわかるなあ思ったけど、
もしかして、英語でもなかったのでは?

肩にハラハラと落ち葉 一枚とまって、すっと落ちていきました。


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