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旅の風景🇨🇱南米チリ、ビニャ・デル・マールのレジェンドとの再会!

旅の風景
チリ🇨🇱ビニャ・デル・マール
1999年〜2013年


【世界一周旅行記】
チリ伝説の安宿・汐見荘
山岸さんとの思いがけない再会 

僕が初めてチリ、ビニャ・デル・マールにある伝説の安宿、汐見荘へたどり着いたのは今から25年前1999年の夏だった。

世界一周の旅の途中、北米マイアミからメキシコに入り、ローカルバスをつないで中米諸国をめぐり、そして南米をブラジルまで目指していた時だ。

『チリに最高の宿がある。絶対行った方がいい。』と出会う何人かの旅人から何度も聞かされていた僕は、ペルーから陸路チリに入り迷わずビニャ・デル・マールを目指した。

もちろん伝説のレジェンド宿,汐見荘さんにはお世話になるつもりで。

汐見荘は、1970年代に世界中を旅をしてきた山岸さんが営まれていて、チリ人奥さんの優しい笑顔に癒され、加えてビニャ・デル・マールの安くて美味しい魚介類、気候の穏やかさに魅力されてしまう沈没者続出の居心地抜群の日本人宿だ。  
中南米での過酷で濃い長旅に疲れたバックパッカーたちにとっては、3Cと言われた、美女の宝庫であるチリにまでたどり着くと、皆間違いなく心地よいオアシスのように感じ、沈没以外の選択肢を無くしてしまっていた。

僕も右に同じく、長旅の疲れをここビニャ・デル・マールで癒す事にし、充電完了した後は、汐見荘を後にし、南米一のアコンカグアを越えてアルゼンチン、そしてブラジルへ目指して行った。

…そして、時は流れ、13年後の2012年。信じられない出会いが起こった。

2012年、当時僕はある会社のブラジル駐在員としての生活をしていた。そしてトラブルだらけのブラジルから逃げ出すべく、年末を利用し家族でチリ旅行へ出かける事にした。
妻と4歳の息子にチリの素晴らしさをどうしても見せてあげたかった。でもバックパッカー旅行は控え、現地オプションツアーの組める静かな旅を計画した。

まずはサンパウロからサンチャゴの空港に飛び、そこからはミニバンに乗り換えツアーが始まった。僕たち家族は簡単な挨拶を済ませ、大自然豊かなチリの高原を走り抜けワイナリーを目指した。

テンションはあがる一方だ。
車窓から見える風景の素晴らしさに魅了され、妻と子供と僕はかなりはしゃいでいた。チリの記憶がよみがえってきた。

緑の絨毯を敷き詰めたような美しい高原を駆け抜けている時、ガイドの男性からこう話しかけられた。

『チリに来られたのは初めてですか?』
よくある質問だ。
『家族は初めてですが、僕は2回目です。実は13年前、貧乏旅行で世界一周をしてた時に、チリには来た事があります』
と答えた。

ガイドさんの表情が一瞬変わった。
さらに僕は、
『その時は、ビニャ・デル・マールの日本人宿汐見荘と言う所にお世話になりまして、チリが好きになりました。どうしてももう一度来たくて…今回家族を連れて来ました!』

そのガイドさんがこう続けた、

『その日本人宿は、私の宿です。』

えーっ、この目の前にいる方が、あの汐見荘のご主人、山岸さん!?あの伝説の…。

そうなんです。私の目の前にいるのが、汐見荘の主人、僕たちバックパッカーの大先輩、山岸さんだったんです。

こうして、僕は、13年振りに山岸さんと、思いがけない形で再会を果たす事ができた。

それから僕たち家族と山岸さんとは、終始打ち解けた会話で盛り上がり、旅の昔話しに花が咲き、笑顔のたえない楽しいチリの旅を満喫する事ができた。

チリの旅が終わりしばらくすると、山岸さんからご丁寧なお礼のメールが届いた。
なんと、僕が13年前に汐見荘でお世話になった時の"宿帳"を膨大な数のなかから、探して出して頂き、写真を送って頂きました。
なんて優しい方なんだろう。嬉しくて嬉しくて涙腺が崩壊してしまった…。

旅を長くしていると、こう言う素晴らしい出会い再会があるんだあなあ、と旅愁にひたり胸にじわーっと沁み渡ってきた。

旅の神様がいるとしたら、僕たちをいつも見ていてくれ、こんな素晴らし出会いを演出してくれた事を、僕はチリの突き抜けるような青い空に感謝の祈りを捧げた。

伝説の山岸さんと
山岸さんと奥さま
汐見荘HPより

汐見荘さん 
General Baquedano 319, Recreo
Viña del Mar, Chile

*一部画像は汐見荘さんHPからお借りしています

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