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メディア報道のアナリスト的読み方:データをもとに批判的に読み、建設的に考える

ホタテ報道をクールに見る

23年8月のホタテの価格は10年前よりも7割高い

農水省が、中国政府による日本産海産物の禁輸でホタテ業者が苦しんでいるとして、「1人年5粒食べよう」というスローガンを掲げています。

日本の主なホタテ産地は北海道です。農水省の海面漁業生産統計調査によれば、天然・養殖ホタテ貝の80%以上が北海道産です。朝日新聞さん記事には中国・香港へのホタテ貝輸出は2022年度実績で約607億円とあり、これと同程度の禁輸入となれば、北海道は推定で480億円近い売上機会の喪失となります。
北海道庁および北海道経済連合会の推計では、道内名目GDPは20兆円前後で推移していますので、道内経済への直接影響は0.24%となります。ホタテ事業の経済連関効果は分かりませんが、日本経済はもとより、北海道経済を根底から揺るがすほどではないとは言えます。

政府やマスメディアが全国レベルでホタテ産業に焦点を当てるのは、客観的に経済インパクトを考えて行っているものではなく、むしろ「情動的なもの」と考えるのが妥当でしょう。そのことがよく分かるのが、「ホタテの販売価格が大幅に下がった」という報道です。テレビ静岡さんの報道では、静岡市では4割下がったとしています
市場経済では需要が減れば価格は下がります。禁輸でホタテの売り先が減れば価格が下がるのは当然です。そもそも、農林水産物は価格の変動が大きいという特徴があります。例えば、野菜類は、農水省・食品価格動向調査をみると、同一品種・同一年内で4~5割程度の上下があるのが普通です。半年前には一株150円のブロッコリーが今月は280円になっていても、気付くと190円になっていることは、買い物をする方には自然な感覚でしょう。
それでもなお価格下落とそれに伴う人々の困惑を強調する紋切り型のマスメディア報道は、価格下落の「事実」があるとしてもなお、その事実を利用して処理水海洋放出を政治問題化しようとする「煽りの意思」を否定できないのではないでしょうか。

価格統計が語ること

経産省・小売物価統計調査を見ますと、100g単価が2013年より右肩上がりで伸びています。東京都特別区の2023年8月の価格は100g当たり341円でした。日本のホタテの価格は長らく100g当たり200円でしたから、この10年で1.7倍になったことになります。これは他の都市部でもほぼ同様の傾向です。この間、日本の一般世帯の可処分所得が伸びなかったことを考えれば、ホタテは一般世帯には相当割高となったと言えるでしょう。

ホタテ価格の高騰の第一の要因は、中国での需要増です。元農水省・在中国大使館ご勤務で現在は福井県立大学教授でいらっしゃる河原昌一郎先生らの報告によれば、日本から中国へのホタテ貝輸出が増えたのは2010年代に入ってからであり、2015年には2012年の4倍になったとのことです。これは、小売物価統計調査の価格の上がり方と軌を一にしています。
中国には、日本とは比較にならない資金力と人数の富裕層が存在します。その消費を想定し、一般的なサイズのものはもとより、質が高く、大きい希少なもの(輸出されるホタテの貝柱は日本のスーパーの刺身の数倍のサイズ)も輸出されています。中国市場向けの価格が高くなれば、日本向けの貝柱も自ずと連れ高になります。

勿論、ホタテに限らず人件費や水道光熱費、燃料費の生産コストも上がっています。人件費については、北海道のホタテ業者が中国からの外国人実習生に頼っていることも指摘されてきました。もっとも、水産庁によれば養殖業のコストの6~7割は餌代であり、その価格は輸入価格に影響されやすいのですが、ホタテはプランクトンが餌なので、餌代のコスト高は影響しません。
以上を考えますと、価格高騰は中国・香港の需要に支えられたものであり、最近の「4割下落」はその需要が剥落し、基準価格が中国輸出前に戻っただけとも言えます。

政府の助成は支援策として妥当か

中国の需要が喪失すれば、ホタテ貝の実物は行き場を失うこととなります。ホタテ業者が高価格を維持したい場合、在庫は廃棄し、この先しばらくは漁獲・養殖量を減らすことになります。しかしながら、ここで政府がとった施策の一つは、助成金を出して消費させるという方向性です。例えば、北海道森町は政府助成金を用い、全国の学校給食で食べてもらうとしています

食品在庫を廃棄するのはもったいないことです。食べてもらうのは良いアイデアです。ただ、助成金を使ってまで「全国で」食べてもらうことには違和感を感じます。全国の学校に輸送するコストはただではなく、また幾ばくかの収入がホタテ業者に入るようにするでしょう。としますと、引取価格+輸送費が助成金から賄われるはずです。
では、引取価格をどう決めるか。マーケットメカニズムに従えば、中国需要分が剥落するので、価格は2010年代前半の水準に戻るでしょう。その価格はかつてホタテ業者が経営を長らく持続できていた価格です。しかしながら、ホタテ業者は中国禁輸前と同じ価格を望むでしょう。なぜならば、その前提で経営を行い、経済的な恩恵を受けていればその成功体験を忘却することは難しいためです。禁輸前の価格が前提なら、助成総額は高額となります。

時の農水大臣が全国民に向かって「ホタテを1人年5粒」というスローガンを掲げたことにはいろいろな反応があるでしょう(私が宮下大臣のためにシナリオを描くならスローガン化は避けます)が、それほどに国内需要を創出して価格を維持したいという意思の表れでしょう。
今回のケースでの本来の姿は、助成金を用いず、マーケットメカニズムに従って一般消費者に届き易い価格に戻すことです。生でも冷凍でも干し貝柱でも一般消費者が日々の食卓で使う機会は自ずと増えるでしょう。「高いままで食べて下さい」、転じて「高いから、税金を原資に助成金を出します」ではスローガンに共感しようにも違和感を覚える方は少なくないのではないでしょうか。

ふるさと納税を用いた支援も同様です。ふるさと納税サイトが「日本の水産事業の支援」を謳って企画したところ、ふるさと納税の還元率ルールの見直しもあって申し込みが増えているとのことです。これは、ホタテの価格を下げずに消費者の負担を抑えて回す意味では妙手です。ふるさと納税額10,000円以上で1kgのホタテ貝柱3,000円相当が入手できるなら、消費者側は実質2,000円の自己負担ですから、ホタテ業者も消費者にもプラスです。ふるさと納税で住民税が流出する自治体にはマイナスですが、需給の調整弁にはなるでしょう。とはいえ、このふるさと納税で購入する商品においても助成金が適用されているのであれば、上記と同じことです。

助成金による支援は、COVIDが広まった後の農林水産業支援にも確かにありました。しかしながら、人の生命に関わるために世界各国が緊急事態宣言まで出した世界史上でも稀にみる状況と、人為的な二国間の輸入禁止では事情は異なります。
高価格を前提としていたホタテ業者は経営が苦しくなるとしたら、それは中国・香港市場に依存する経営の結果です。国際事業者は地政学的リスクを常に背負います。今後もこのような事態は様々な業種で頻発するでしょう。その都度、税金が原資の助成金を撒くのでしょうか。そしてその額は合理的に設定できるのでしょうか。
私は少なくとも今回のホタテ業者支援は「価格水準の前提」に歪みがあるため、助成総額の合理的な決定ができているとは考え難いように感じています。仮に、政府がホタテ業者支援を制度的かつ持続可能なように行うのであれば、助成金ではなく、経営者への助言と規律が働くよう投融資機関を通じて支援するのが合理的でしょう。

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