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書籍「助けて と言える国へ」を読んで

タイトル
「助けて」と言える国へ
サブタイトル
人と社会をつなぐ

著者 奥田知志 茂木健一郎

著書の内容紹介(表紙の裏書きから)
ホームレスが路上死し、老人が孤独死し、若者がブラック企業で働かされる日本社会。人々のつながりが失われて、無縁社会が広がり、格差が拡大し、非正規雇用が状態化しようとする中で私たちがどう生きればよいのか?
本当の”絆”とは何か?今、最も必要とされている人々の連帯とその倫理について、社会的に発信を続ける茂木健一郎と、長きにわたり困窮者支援を実践している奥田知志が論じる。


読後に私が考えたこと

本を読み進めた中で、特に印象に残っている箇所について紹介します。

まずは奥田さんの言葉から
『人から助けてもらえるというのは一番の財産であり、立派な能力であり、「受援力」ともいいます。手を差し伸べてくれる人が、何人いるかで人生が決まるといってもいいくらいです。』

この箇所を読んで、以前に聞いたことがある言葉を思い出しました。それは、「人の迷惑をかけて生きても構わない。」です。人間誰でも、誰かのお世話になったり、面倒を掛けて生きていくもの。だから誰にも迷惑をかけずに生きることなどできない。といった意味でおっしゃっていたと思います。
奥田さんの言葉にある「人から助けてもらえることは財産」というのはまさにこのことで、頼みごとができるだけの関係性をどれだけ作ってきたかが大事だということだと私は捉えました。
私自身は、どうだろうか?「わからないから教えて」ということは、日ごろから使っているので、そういう意味では助けてもらっているかもしれませんが、「助けて」と言えるほどの関係性がある人がいるかどうか?と自問すると、いないように思いました。


もうひとつも奥田さん言葉。
『「奥田先生、仕方がないということが世の中にはあるんですよね。仕方がないということでいいのではないですか。」と言ってくれた。妻のことで苦しみ続けた友人が生き抜いたゆえの言葉でした。今の社会は、「しょうがないよ」「仕方ないよ」と、なかなか言わせてもらえないでしょう。でも、それが言える社会でないといけないのではないか。』

奥田氏のこの言葉のあと、茂木氏は「今の世の中が他人の”できない”に対して不寛容になってる。」と言っています。ここで使っている”寛容”という言葉が今大事かなと思います。寛容とは、私なりに言い換えると”許すこと”や”おおらかになること”。他人の失敗を勝ち誇ったようにつつくことが正義だと思っている人たちが結構いるようにと思います。自分が正義と思って取った行動の中には、ひとりよがりになっているものがあるのではないかと私は思います。自分は正しいと思っているけれども少し離れて見てみると、正義感を振りかざす人がいることで、別の人が傷ついている場合があるような気がします。こんな世の中では、”寛容さ”が必要だと感じています。

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