[全文無料: フィクショナル・エッセイ]なんだか形にはしがたい、もやもやとした気持ちから出発する

[約3,000文字、400字詰め7枚強]

なんだか形にはしがたい、もやもやとした気持ちというものが世の中にはあります。

うまく言葉にはできないのだけれど、確かにこの体の中にあるのだと感じられる、その奇妙な存在について、直接は語ることができないから、思いつくままに、そこから派生するあれやこれやについて書いてみます。

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最近、主に物書きの人たちが集まっているネット上のサークルに参加して、そこでやりとりをしているうちに気がついたことがあります。

人が楽しそうにやっているのを見ると、ぼくは、自分がその輪の中に入りたいのに、なぜだか入れない気がして、物理的にはその場に一緒にいても、心理的には一人ぼっちで過ごしてきたんだなぁって。

ネットで知り合ったセラピーをやってる人がいます。

彼は自分自身いろいろな葛藤を抱えつつ、それを乗り越えて、極めて優秀なセラピストになったのですが、その彼がツイッターで自分の抱える葛藤を赤裸々に語る内容のうちに、「みんなの輪の中に入りたいのに、入れない自分」というのがあったんですね。

それを読んだとき、その感覚はよく分かると思いつつ、でもぼくは入りたいとは思わないからなって考えたんです。

ところが今回ネット上のサークルで、ほかの人たちがやりとりをしているのを見て、そこで自分が何を感じているかっていうのを観察しているうちに、あー、ぼくは、輪の中に入れないのが悲しいんだ、ほんとは入りたかったんだって、ついに分かっちゃったんですよ。

つまり、ぼくは自分の気持ちが分かってなかったんですね。

自分の気持ちがわからない、これこそが、ぼくの人生の困難の大本だったってことになります。

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ぼくは自分のことを「母親にネグレクトされて育った『発達障害』の人間である」と考えることがあります。

このネグレクトの中身がやや特殊なのですが、ぼくの場合、身体的なケアは十分にしてもらっています。

暴力を振るわれたことはないし、下の世話もしてもらったし、衣食住も問題なく与えられて育ちました。それだけ聞いて判断したら、何がネグレクトなの? って思われるところです。

でも、精神的なところでこちらの気持ちを、まーーったくっていうほど分かってもらえてなかったんだなって、大人になってから思うようになったんですよ。

どうしてそう思うのかを説明する前に、「発達障害」の話を先にします。

「発達障害」には様々な「症状」がありますが、ぼくの場合中心となる「症状」は共感能力の「障害」です。

普通の人なら簡単に分かる人の気持ちが分からなくて、場面に合わないおかしなことを言って人を嫌な気持ちにさせちゃったりしちゃうわけです。

この「気持ちが分からない」というのは、「直感的な理解ができない」ということなので、あとから頭で考えれば、「あー、あんなことを言ったら、こういうふうに思うから、嫌な気持ちになるのも無理ないな」と理解することはできるのです。

だから、そういう規則を覚えて、頭で言動をコントロールすることで、一見「正常」に振る舞うことはできるようになりますから、普段は普通の人間だと思われています。

すると、うっかりして「異常」な言動が出たときに、周りの人に「こいつ、わざと嫌がらせをしてるのか」というような誤解をされることになるわけです。

そして、同じことを母はぼくにしていたわけです。つまり母も共感能力に難がある人間だったのです。

母は普通の人間のように振舞って、普通の人間のようにぼくの世話をしてくれていたに違いないのですが、ぼくが何を喜んで、何を嫌がるかが分からないのですから、場合によってはぼくが嫌がることを平気ですることになります。

そのような環境で育ったぼくも、自然に共感能力に問題を持つようになったに違いありません。

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note を使っているみなさんはあまり知らないと思うのですが、はてなブログの中では結構有名な、ハルオサンという方がやっている「警察官クビになってからブログ」というのがあります。

このブログでは、「障害」を抱えるハルオサンが、子どもの頃からの夢だった警察官に一旦はなるのですが、警察学校での訓練中に警官には不向きと見なされ、嫌がらせを受けて半年でやめさせられるまでの様子が赤裸々に、けれどもどこかユーモラスな調子で語られています。

つい先日、この話の漫画版が公開され、2日で100万ほどの閲覧数を稼いだらしいのですが、それはまた別の話で、今はハルオサンの「障害」の話です。

ハルオサンは自身ではコミュ障という言葉を使っていますが、ここではいわゆるコミュ障も「発達障害」という区切りで考えることにします。

ハルオサンは子どもの頃にかかった脳の病気のために「障害」を抱えることになるのですが、彼はこの「障害」のために普通の人が簡単にできることができないため、警察をやめざるをえなくなるわけです。

けれども、彼は非常に繊細な正義感の持ち主であり、「普通」の人以上に「人間の欺瞞」に敏感です。そのことは彼のプログを読んでいるとよく分かります。

その彼が描く「警察官にせっかくなったのにやめさせられ、そのトラウマから立ち直っていくまで」の物語は、決して警察の問題を告発するようなものではなく、そうした問題を抱える人間社会を達観した上で、けれども人生には生きるに値する何かがあることを、ぼくたちに思い出させてくれます。

ハルオサンについての紹介記事を二本はてなで書いていますので、気が向いたら読んでみてください。

・「漫画版・警察官をクビになった話」の衝撃。新時代の漫画家ハルオサン誕生す!! http://dimofsoul.mitona.org/entry/haruosan-manga

・ハルオサンが業者だと疑ってるキミは、脳みそを海水で洗ってから出直すべし!? あるいは「天然系・野生の天才」ハルオサンはホントに凄いんよ
https://dimofsoul.mitona.org/entry/Haruo-san

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さて、ここまで書いていたら、先ほどまでは確かに存在した、形にならないもやもやとした気持ちが、どこかに消えてなくなってしまいました。

仏教的な言い方をすれば、人間の悩みというものも、現れたかと思うと、やがては消えていく無常のものにすぎないのだから、それにはとらわれないほうがいい、という話でもあります。

それにしても、きみの心の中のもやもやは一体なんだったんだろうねと、あなたが聞いてくれるのなら、こうお答えしてこの文章を閉じることにしましょう。

ぼくはぼくなりに苦労をしながら、今までの54年を生きてきました。この苦労に明確な名前をつけることは今もできませんが、それをいろいろな形で書き表すことによって、ようやくなんとか折り合いをつけることができる場所までは来ることができたようです。

この個人的な葛藤の、まったくもって輪郭のはっきりしない不明瞭な物語が、ひょっとしてどなたかのご参考にでもなれば幸いです。

てなわけでみなさん、ナマステジーっ♬

[2018.10.29 西インド・プシュカルにて]

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