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吸収力が最もイイのは、枯渇している時


何かを学ぶのに一番適した時を考えよう。
それはいつだろうか?


知識をイメージしよう

まずはイメージとして、知識を液状のものと考えてみましょう

液状のものが、最も吸収される物やその物の状態は、どんなものでしょう?

少なくとも、隙間無く詰まった金属の塊ではないですね。

バケツはいっぱい水が入るって?
そういう見方もあるでしょう。
でも、それは液体を吸収したのではなく、入れているだけですね。バケツをひっくり返すと、一部の水滴を除いて全てバケツから離れていってしまいますね。

一番吸収力があるのはスポンジのように、液体を捕まえておける素材ですね。それも目が細かく、より乾燥している方が良い。


スポンジは吸収できる準備ができた状態

何かをこぼした時に、拭き取るのに使うのは乾いた布やティッシュペーパーやスポンジですよね。
それは、吸収できる準備が出来ているものと誰もが認識しているから、当たり前のようにそういったものを探して使います。

ここで、話を元に戻します。

「知識を液状のもの」と冒頭でイメージしましたね?
そして、液状のものを最も吸収するものは、表面積が大きく、乾いているものということも理解できましたね?

では、その「表面積が大きく、乾いているもの」は知識に対して、何に相当するものでしょうか?

それは、「知的好奇心」であり「必要性」に相当すると考えます。


いくら勉強しても身に付かないのはなぜか?

この答えは、前述の内容を読めば必然と理解できると思います。
それは、「その知識を吸収する準備ができていないということ」です。
言い換えれば、「必要性だったり好奇心が不足している状態」と言えます。

学生時代の成績を思い出してみてください。
全教科トップレベルの成績である人を除いて多くの人が、得意教科不得意教科で成績に差が生じていたと思います。
また、得意教科はそれ程勉強に時間を費やさずとも理解できたという感覚もあるのではないでしょうか?
反面、不得意教科はいくら勉強しても伸びなかったのではないでしょうか?

これは、知識を吸収する準備ができているか否かによって左右されていると考えられます。


ネガティブな印象が不得意を作り上げる

不得意教科については、なぜ知識を吸収できなかったのか?
それはおそらく、「これを学んでも将来使わない」とか「わからなくても人生困らない」という無くても良い知識と勝手に分類してしまってるからではないでしょうか?

でも、社会に出ると無駄な知識というのはそれ程存在しないことに気づきます。
一見、仕事で使わなさそうな知識も「教養」として力を発揮することは往々にあります。
そうなのです、知識が豊富であるということは、どんな場合においてもアドバンテージになり得るのです。
人と話をする上で、多くの引き出しを持ってることは、会話の幅を拡げることに繋がります。
ただ、そういうことは、学校では教わりません。


もっと勉強しておけばよかった

おそらく、多くの人は思うでしょう、「学生時代にもっと勉強しておけばよかった」と。

なぜ、そう思うのでしょうか?また、なぜ学生時代は勉強しなかったのでしょう?その答えも前述の内容にある通りです。

「学生時代は、必要と感じなかったが、大人になって、その必要性を理解した」ということに他なりません。

つまり、学生時代にいくら勉強しても身につかないのです。いや、必要性を感じない状態で勉強しても身につかないと言った方が適当ですね。

勉強というのは、訓読みすると「強いて勉める」と読めます。

これは、無理に頑張るということとほとんど同じ意味です。

まるで、金属の塊に水を吸わせるが如くなことなのです。

金属には隙間がほとんどなく、水は吸いません。

よく水を吸うものに吸わせた方がよほど効率的なのです。


まとめ

物事にはなんでも順序があります。

学びに於いても同じです。学ぶためには、学びに適した状態にする必要があります。つまり、知識を欲している状態を作る必要があります。

詰め込んでも結局、流れていってしまうのです。

本当に勉強ができる人というのは、それをよく知っています。何事にも興味を持ち、その興味を満たすために、情報を収集します。

この知識を欲している状態というのは、別の言い方をすれば、モチベーションなのです。知識が豊富な人、研究を進められる人、新しい情報を得る人というのは、このモチベーションコントロールが上手な人と言えると思います。

私はどちらかというとこのモチベーションコントロールは苦手な方です。

「新しい物事(知識や技能)を得るためには、まず、スポンジのように吸収できる状態を作ることが大事」これを常に意識していければと思います。


おまけ

今回の記事のきっかけは、電車で学生服姿の高校生を見て思いつきました。

今、大学受験をするとなると、ボロボロの結果になる可能性が高いですが、今、高校や中学校で授業を受けると、必要性もある程度理解できているとふと思いました。

当時は、詰め込んで覚えていたことでも、もっと興味を持って学べていたこともあるだろうなと、そんな風に思いました。

資格試験や受験勉強のためという目標も確かに勉強する目的(吸収できる状態)になりうるかもしれませんが、結局受験が目的であって、そのもの自体を学ぶきっかけではないのですよね。そのもの自体を学ぶきっかけは、やはり、必要と感じなければ得られませんし、楽しいと感じなければ続きません

必要と思える原体験ができれば、もっと学校の授業も楽しく学べる場になるのだろうなと思った次第です。

現実的ではないですが、社会人を経験してから、もう一度高校に通うというのが一番効率がよいのかもしれませんね。笑

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