頭の中の当たり前を排除すると人に優しくなれる
相手に対して怒りを覚える時
人は時に感情的になる。
思い通りにならない時に怒りを覚える。
では、怒りの根源となるものは何でしょうか?
私は、「当たり前の概念の不一致」であると考えます。
当たり前の概念とは
当たり前というのは多少ニュアンスが異なりますが「常識」という言葉で置き換えることができます。
英語でいうと「Common Sense」です。
その概念はどこで培われるか?
それは、育ってきた環境であり、今所属している環境であると考えます。
故に、人それぞれ当たり前の概念は異なっています。
簡単なたとえを出すと、連絡は電話がいいという人もいれば、相手の時間を割く電話はよくないという人もいる。
もちろん、ケースバイケースというのが正しいと思います。しかしながら、一度それが当たり前として身についてしまったら、なかなか取り除くのは難しいのは確かである。
当たり前の概念と怒りの関係
人それぞれ、当たり前の概念が異なることは、わかると思います。そして、その「当たり前」が客観的に見た時にも必ず「当たり前(常識)」である保証もないこともわかると思います。なぜなら、人それぞれ「当たり前」の定義が異なっているからです。
だいたい、相手に対して怒りを覚えるのは、相手も同じように思っているだろうという確証のない期待があるからだと思います。
その確証のない期待があるせいで、相手が思ったように動いてくれない、思ったように返答してくれない、思ったように伝わっていない、...といったことが生じてしまう。そこに人は怒りを覚える。
では、普段から相手は同じように考えていないかもしれないと思って人と接すればどうでしょう?
そんな疑心暗鬼な生活していると人間不信に陥ってしまいますね。
一瞬のイラっを抑える一つの方法
これの効き目もあまり高くないですが、やらないよりやったほうが良いと考えます。
自分が相手に突き立てた「当たり前」は客観的に見ても「当たり前」と言えるか?ということを自問自答します。
人間6秒間考えれば、冷静になれると言われています。たった6秒間自問自答するだけです。
結果、やっぱりどっちかといえば一般的に考えても「当たり前」の発想だ。という結論に至ることもあると思います。
でも、イラッとして負の感情で時間を割かれるのは自分自身であることは変えられません。イラっとするくらいなら、少し冷静になって相手を説得させるほうが建設的です。
もちろん、相手が途方も無く頑固者である場合は、もう常に冷戦状態を貫くか、相手に合わせて衝突を避けるかしか道はありませんが。。。
優しくあるために
少なくとも自分の持っている「当たり前」に対して普段から自問自答するようにすれば、人の意見も聞きやすくなると思います。
人の意見や指示を聞けない頑固者にならない道、そして人に対して優しくある道は自分の「当たり前」を疑う習慣だと思います。
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フリー写真素材ぱくたそ
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